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片倉小十郎重長が気になる

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詳細 2015年8月16日 02:24更新

※2009/11/11 少し修正しました

このコミュニティは

●戦国大名『伊達政宗』の腹心である『片倉小十郎景綱』の息子であり
●戦国武将『真田幸村』の義理の息子であり(後妻が幸村の娘[阿梅])
●父に劣らぬ名将であることから『鬼の小十郎』と呼ばれ
●関ケ原の戦いにて優柔不断で有名な『小早川秀秋』に追いかけまわされるほどの美丈夫(美青年)であり
●そして主君政宗と衆道(同性愛)の関係だった

そんなある意味すごい経歴を持つ戦国武将『片倉小十郎重長』ことが気になって仕方が無い…!!


という方のための主張コミュです。

とりあえず

●重長(鬼の小十郎)が気になる
●どんだけ美青年なのか想像した
●小十郎と幸村の息子とか最強じゃんとか思った
●政宗様の嫁(違)なら手が出せないと思った
●なぜか無償に小早川を殴りたくなった
●重長が好きだ
●父である片倉小十郎景綱も好きだ
●主君である伊達政宗も好きだ
●ぶっちゃけ真田幸村も好きだ
●コレを見て少し気になった
●通りすがりのものです


以上の項目に一つでも当てはまりましたら是非ご参加ください(笑)


トピ立てなどはご自由にどうぞ!

気付けば60人超え…!!ありがとうございます!!


【片倉重長(かたくら しげなが)】
1585年-1659年
幼名:左衛門
通称:小十郎

=*=*=*=*=*=*=*=*=

仙台藩伊達氏の家臣。伊達政宗の軍師として仕えた片倉景綱の子。白石城主。名ははじめ重綱だったが、三代将軍徳川家光の嗣子家綱の諱字を避けて重長と改名した。妻は真田信繁(幸村)の娘並びに松前安広(松前藩藩主松前慶広の子)の娘。片倉景長の父。通称は片倉家代々引き継がれた小十郎。

1614年からの大坂の陣では、病中にあった父に代わって政宗に従い、敵将の後藤又兵衛を討ち取るなどの功績を立て大いに名声を上げた。1615年の父の死後、その後を継いだ。父に劣らぬ智勇兼備の名将で、『鬼の小十郎』と称された。

大坂の陣以降、君主を失った真田昌幸?真田信繁の家臣を保護しており、大坂の陣の際、夏の陣の決戦前夜、5月6日の夜に真田信繁(幸村)の子を何名か保護し、その中の一人阿梅を後に後室として迎え入れている。(一説には奮戦する重長を大坂の戦場で見た真田信繁(幸村)が、この将ならばと、片倉の陣に矢文を送り婚姻の儀申し入れたと言われている。) その際に、おかね、阿菖蒲、女子(名前不詳)、そして信繁の次男大八が保護されて片倉家の居城白石で養育、大八は信繁の子の中で唯一真田姓を継いだ男児となった。

『逸話』
重長の母が重長を懐妊した時、主君伊達政宗は前年に家督相続したばかりでまだ嫡子がなかった。このため、父?景綱は、「伊達家に嫡男誕生までは片倉家に慶事罷りならぬ」として生まれた子は直ちに圧殺するつもりであった。これを聞いた政宗は、「その方の言い分もあろうが思いとどまってもらえないだろうか。子を殺害するようなことがあればその方を恨むぞ。わしの顔に免じてどうか助けてやってほしい」という書状を景綱に出している。
男にも惚れられるほどの美青年であり、男色家として知られる小早川秀秋が彼をつけまわしたとの話が残る(『片倉代々記』中『二代重長譜』にこの記述がある)
主君伊達政宗とは衆道(男色関係)の関係にあった。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




【検索キーワード】

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2008年1月13日

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カテゴリ
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