1988年のレフェリーデビュー以来、新日本プロレスにて熱き戦いを裁いているレッドシューズ海野レフェリーのファンコミュであります。
※プロフィール
■本名:海野 宏之(うみの ひろゆき)
■生年月日:1967.2.16
■出身地:埼玉県鳩ヶ谷市
■サイズ:173cm 76kg B型
■レフェリーデビュー:
1988.7.4 全日本プロレス・三重県桑名サンシティ駐車場での百田光雄VS菊地毅戦
■経歴:
全日本プロレス→SWS→WAR→フリー(登龍門、IWAジャパン等)→新日本プロレス
■メモ:
1984年に全日本プロレス入社。1988年レフェリーデビュー。1990年以降は天龍源一郎を慕いSWS、WARと渡り歩り、2001年に新日本所属に。2002年からは田山正雄と共にメインレフェリーとして現在に至る。
尚、WAR所属時代に新日本でもレフェリング経験があり、有名な所では、
◎IWGP王者時代のザ・グレート・ムタVSザ・グレート・カブキの親子対決(1993.6.15 日本武道館)
(試合序盤にムタに腹への膝蹴りを喰らい失神。その後、復調するもカブキに毒霧噴射を喰らう。)
◎蝶野正洋VS大仁田厚のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ(1999.4.10 東京ドーム)
(大仁田の要請により試合を裁く事になったが(当初はテッド・タナベ(みちのくプロレス)を要請したが、スケジュールが合わず海野レフェリーに。)、試合終盤、蝶野が大仁田を被曝させようと突進した際、大仁田の巻き添えを食って大仁田共々に電流爆破の餌食となり被曝失神してしまう。)
◎ザ・グレート・ムタVSグレート・ニタのノーロープ有刺鉄線バリケードマット時限装置付き電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチ(1999.8.28 神宮球場)
(前出の試合の汚名返上と自ら審判を立候補。爆風にさらされるも、巻き添え被曝される事なく、ジャッジを完遂。)
がある。
2007年より審判部長に就任。新日本プロレスの法の番人として、日夜、戦いを裁いている。
2008年にレフェリーデビュー20周年を迎え、同年8月26日、デビュー20周年記念興行を開催。6試合全てを裁くというハードな状況下にも拘らず、ジャッジを完遂させた。
(管理人挨拶)
管理人の今野一樹でございます。
レッドシューズ海野レフェリーの更なるご活躍を、このコミュを通じて応援していきたい所存であります。
全国のレッドシューズ海野レフェリーLOVEを持つ垣根を越えた皆様方。どうぞ、宜しくお願いします。