陳鴻壽(乾隆44・1768〜道光2・1822)
字は子恭、号を曼生、来公亭長、西湖漁者、胥渓漁陰、恭壽、種楡仙客、種楡道人、翼庵などと言いました。
書は行草書と隷書に巧みでした。特に隷書は開通褒斜道刻石に基づき、飄逸の気に満ちた独特の書風を打ち立てました。
篆刻は浙派の刻風を良くし、丁敬、蒋仁、黄易、奚岡、陳豫鍾、趙次閑、銭松とともに西泠八家の一人に数えられました。
宜興では砂壺の生産で知られていましたが、陳鴻壽はその制作にも取り組み、十八種類の新しい様式を作り出すとともに、砂壺に自ら草した銘文を刻するということを始めました。この砂壺は「曼生壺」と称され、人々から珍重されました。
陳鴻壽の詩文を集めたものとして「種楡仙館詩鈔」、印を集めたものとして「種楡仙館掌印」があります(どちらも原本は稀覯本です)。
二玄社から林田芳園著「陳鴻壽の書法」が刊行されています。ここには「種楡仙館詩鈔」が全文掲載されています。
2005年に香港・中文大学文物館で陳鴻壽の展覧会「書・畫・印・壺 陳鴻壽的藝術」が開催され、上海博物館を初めとした、中国に所蔵されている書画篆刻と、砂壺が多数展示されました。この展覧会に出品された作品の図録は、「書・畫・印・壺 陳鴻壽的藝術」と題して、香港中文大学より出版されています。
陳鴻壽の作品を愛好する方の参加をお待ちしております。
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