藤田元司
東京読売巨人軍現役在籍:1957〜64
大学野球が今よりも人気を集めていた昭和20年代から30年代にかけて、藤田は六大学のヒーローだった。オーソドックスなオーバースローから繰り出される快速球は、大学球界随一。しかし、投げても投げても優勝には縁がなく、“悲運のエース”とも言われた。
慶応大からノンプロ日本石油を経て57年巨人入り。この年17勝13敗の好成績を挙げて新人王を獲得した。58年は29勝、59年は27勝で、2年連続MVP、勝率、防御率も1位。順風満帆のプロ生活だった。
しかし、藤田の“悲劇”はまだ終わっていなかった。この時代の巨人は、セ・リーグでは圧倒的な強さで勝つものの、日本シリーズでは西鉄、南海の後塵を喫するなど、第2期黄金時代初期の強さはなくなっていた。特に3勝から4連敗した58年の日本シリーズでは、6試合に登板。西鉄のエース・稲尾を上回る防御率1.09と奮闘したものの、打線の援護なく2敗を喫し、西鉄に3連覇を許している。その後、選手たちの高齢化が進む中、孤軍奮闘の登板過多で肩を故障。60年以降は成績が急降下し、現役生活はわずか8年にとどまった。
現役引退後は長年巨人投手コーチを務め、名伯楽として選手を育て上げV9を支えた。さらに2度に渡って監督に就任、7シーズンでリーグ優勝4度、日本シリーズ優勝2度の成績を残した。96年、野球殿堂入り。
■通算成績
試合 勝利 敗戦 投球回 奪三振 防御率
364 119 88 1701 924 2.20
選手時代の通算成績としての防御率は出色。
更に監督時代は2度にわたり
第一期:1981〜1983、第二期:1989〜92
長嶋から王へ。また、王から長嶋へ。ONの間に登板した「つなぎ」の印象も高いが、監督としての通算成績はこの二人を遥かに上回る。勝率.588は王、長嶋を凌ぎ、V9を指揮した川上(.591)に迫る勢い。
81年、監督に就任した年にいきなりリーグ優勝。日本シリーズでも日本ハムを破って、V9以来となる日本一に輝いた。再登板した89年には、3連敗からの4連勝で2度目の日本シリーズ優勝を勝ち取る。リーグ2連覇を飾った翌年のシーズン88勝は、66年(89勝)以来の勝ち星。
監督通算7年でリーグ優勝4度、日本シリーズ制覇2度。Bクラスに落ちたのは91年の一度(4位)だけだった。
投手出身だけあって、投手操縦法は巧み。81〜83年は江川、西本の両エースを、89〜92年は斎藤、槙原、桑田の三本柱をうまく使い、リーグ最高のピッチングスタッフを作り上げた。特に89、90年は2年連続20勝の斎藤を軸に使い、77年以来となるシーズン80勝以上を挙げてのリーグ2連覇。選手掌握術の巧みさで、歴代の名将に数えられる一人である。
監督通算516勝361敗
■監督通算成績
年 勝 敗 分 勝率 順位 特記事項
'81 73 48 9 .603 *優勝 8年ぶりの日本一
'82 66 50 14 .569 2
'83 72 50 8 .590 優勝 「50番トリオ」が活躍
'89 84 44 2 .656 *優勝 日本シリーズ3連敗から逆転優勝
'90 88 42 0 .677 優勝 日本シリーズ 西武に屈辱のストレート負け
'91 66 64 0 .508 4 12年ぶりにBクラス
'92 67 63 0 .515 2
計 516 361 33 .588
*日本シリーズ優勝
巨人軍5000勝の歴史の中で投手として、監督として635勝を7年で獲得した偉大なる人物です。
(川上哲治は1077勝(投手として11勝を含む)(14年)、長嶋茂雄1034勝(15年)、王貞治347勝(5年))
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