ニーニョ好きなんですが、やはり日本ではマイナーなのでしょうか?
コミュ作りました。
ニーニョファンのみなさま奮ってご参加下さい。
Alex Niño (アレックス・ニーニョ)
(1940.5.1〜 )
フィリピン出身のファンタジーアーチスト(コミッククリエイターとも呼ばれる)。
1960〜1970年代、ファンタジーSF系、ホラー系のマガジンで活躍。1970年代には、「1984」等に作品を発表。
ディズニー・プロで働いた経験もある。
他のアーチストとは違うサイケデリックな色使いと奔放なタッチで多くのファンの支持を得る。
しかし、残念なことに、画集やポートフォリオなど何れも入手困難なことから、日本においてはあまりメジャーな存在とは言えない。
(以下、海外のサイトより。管理人が雰囲気だけで訳したのでかなりあやしいです・・・)
幼少期より漫画家を志す少年だった。
写真家であった父の仕事を手伝いながら、マニラ大学で医大生として勉学に勤しむ。しかし、最終的にアーチストとしての道を選び、1965年、Jess Jodlomanにコミック作家として師事。その後、ピリピノコミックスのためClodualdo del Mundoと共同で、「Kilabot Ng Persia」 (The Terror of Persia)を製作。
さらに、その後、レドンドコミックスのための「Dinoceras」作成のため、Marcelo B. Isidroと共同作業にかかる。
Mars Raveloと共に、2、3の話に取り組んだ後、彼は出版社のPablo S. Gomezとの共同作業を始める。
1966年、「Gruaga - The Fifth Corner of the World」をパイオニアコミックスより出版。そして、再び、Marcelo B. Isidroの所属する協会では、「Mga Matang Nagliliyab」(The Eyes that Glow in the Dark)をシリーズ化し、アルカラコミックスより出版。ニーニョはいくつかのコミック会社と自由契約で働いた。
その頃、Bruhilda Witch関係で一連の短編の仕事を行い、Pablo Gomezとの多くの共同研究は映画化された。
1975年には、ニーニョはPablo Gomezとの共同作業を終わらせ、アメリカ市場に焦点を当て始める。
その後、アメリカでの様々な活動を経て、徐々に頭角を現し、D.C.のミステリータイトル(不詳、原文ママ)に貢献し、ペンドラムプレスの古典文学作品をモチーフにしたりもした。1973年には、ニーニョはBill Kanigherの原稿より、冒険コミック「Captain Fear」を現す。
また、Rimaのためにニーニョは「Space Voyagers」を製作。また、「Korak, the Son of Tarzan」など幾つかの話の作家でもあった。そして、1978年まで、ニーニョはCDの不可解な戦争の物語(不詳、原文ママ)のレギュラー的存在のアーチストだった。
1975年、今の仕事を天職と思ったニーニョはMarvelにて仕事を続ける。また、同社の「Unknown Worlds of Science Fiction」を描き続けた。1977年からは、ウォーレン・ホラー・マガジンでEerie、 Creepy、Vampirellaなどを描いた。
彼はヘヴィーメタル、バイロンプレスのイラストレーターとしても活躍した。
1980年代には、Batman AnnualやSpace Clustersとして現われた。
1994年には、Roy Thomas原作による「Conan the Barbarian」の新刊に伴い再びニーニョは脚光を浴びるようになった。
作品紹介
Mikrobyo (1966) (コミック)
Gamu-Gamo (1966) (コミック)
THE FANTASY WORLD (1975) (8枚組)
SATAN'S TEARS -THE ART OF ALEX NINO- (1978) (全300ページ)
THE DARK SUNS OF GRUAGA(1978) (全10枚)
SPACE CLUSTERS (コミック)
Alex Niño/Alex Nino/アレックス・ニーニョ/ニーニョ/スターログ/ヴァンピレラ