正式名:霊亀山 天龍資聖禅寺
通称 :天龍寺
開基 :足利尊氏、夢窓疎石(開山)
創建年:1345年(康永4年)
山号 :霊亀山(れいぎざん)
宗派 :臨済宗天龍寺派大本山
本尊 :釈迦如来
所在地:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
アクセス :市バス「京福電車嵐山駅前」
参拝料:大人・高校生500円 小・中学生300円
見所
参道両側に塔頭が並び、正面に法堂、その奥に大方丈、小方丈、庫裏(くり)、僧堂、多宝殿などがあり、壮大な規模と高い格式を誇り大変 見所が多い。
境内東端に勅使門・中門があり、参道は西へ伸びている。これは、通常の禅宗寺院が原則として南を正面とし、南北に主要建物を並べるのとは異なっている。
また、夢窓疎石の作庭により我が国 始めての特別史跡・特別名勝に指定された曹源池を中心とする池泉回遊式庭園は、遠景の嵐山と近景の亀山を巧みに取り入れた借景式庭園としても有名である。
つまり・・・
とにかく日本建築史上貴重なはずです
天龍寺の歴史
暦応ニ年(1339年)
足利尊氏 後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統の離宮であった亀山殿を天龍寺と改める
康永元年(1342年)
京都五山の第二位に位置づけられる
康永四年(1345年)
疎石を開山に迎えて後醍醐天皇七回忌法要を兼ねて盛大に落慶法要が営まれる
延文三年(1358年)
雲居庵などを除いて焼失、春屋妙葩により再建
貞治六年(1367年)
火災、春屋妙葩により修復
応安六年(1373年)
炎上、翌年再建を始める
康暦ニ年(1380年)
火災により、公文書の多くが焼失する
至徳三年(1386年)
京都五山第一位となる
応永八年(1401年)〜応永十七年(1410年)
足利義満の意向により、相国寺を第一位 天龍寺を第二位とする順位変更が行われるが義満没後に元に戻される
応仁ニ年(1468年)
応仁の乱の戦火に巻き込まれ、焼失
文化12年(1815年)
火災、翌年から再建が始まる
元治元年(1864年)
「蛤御門の変」で長州兵の陣所となり、兵火のため焼失
明治九年(1876年)
臨済宗各派天龍寺派を公称し、大本山となる
明治三十二年(1899年)
法堂・大方丈・庫裡が再建される
大正十三年(1924年)
小方丈が再建される
昭和九年(1934年)
多宝殿が再建される
平成六年(1994年)
「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録される