「劇団GAOKA」とは、ゆりが丘、那智ヶ丘、緑台内で結成された劇団である。また、“劇団GAOKA”内の過激派組織を「ガオ過激団」と呼ぶ。主な舞台は“日常”であり、劇の内容は歌舞伎とミュージカルを足して割ったようなニュースタイルなものである。劇団員は実年齢16才〜27歳までと幅広いが、多くの団員の精神年齢は実年齢マイナス10才程度であり、中二病患者である。
現時点でガオカに住居を持たなくとも“心の住民票”が「ガオカ」であるならば、それは「ガオカ」である。
◆丘訓◆
1.人生は劇である。
2.成人した団員は、売られた喧嘩は選んで買う。大義なき闘争は控える事。
3.20才未満の団員に限り、進んで喧嘩の販売をする事。これは修行である。
4.戦闘になった場合、負い目を作らぬ事。負い目のある勝利は敗北である。
5.事件が起きた場合は即座に連絡を取り合う事。ホウレンソウを厳守する。
6.ガオカに入丘した下界の民に対し、むやみやたらに攻撃を仕掛けない事。
■ガオカ伝説■
【1998年】
「BUGZ」結成。当時はまだガオカの象徴であるローソンも無かった。メンバー総勢1名強。活動舞台は主に「ガオ階段」活動内容はグラフィティーアート。町中に虫“BUG”の絵が描かれた。同年夏、駒井がドッキリにひっかかり泣いてしまうという「駒井ドッキリ事件」が起きる。
【1999年】
BUGZ予備軍の義務教育卒業に伴い「Jack」結成。当時はメンバー総勢15名程だった。活動舞台は「まるちゃん公園」略して「まるこう」。舞台名称の由来は、一人のメンバーと、その元彼女「まるちゃん」が同じ時を過ごした公園であった為だという。この頃はメンバー同士での決闘が絶えなかった。
【2000年】
ガオカの象徴である「ローソン」が開店。「2000年 血の落書き事件」をきっかけにメンバーが分裂。後にその抗争は伝説のメンバー同士の決闘「蒼き狼と紅い虎の戦い」にて和解。
【2003年】
「邪苦憎恐触裟婆威罵琉武雌蘭」結成。読み方は「ジャクニクキョウショクサバイバルブーメラン」総長が完全武闘派であり、違法行為を繰り返したために、社会的非難を浴びる事となる。
【2007年】
「ガオ過激団」結成。「ガオカドーム」にて狂気の祭典“ガオリンピック”開催。優勝は忘れたが、同日会場にて末端メンバー同士の3年にもわたる対立が“握手”及び“胴上げ”により和解される。膨らみすぎた劇団GAOKAの心が一つになった時だった。その後ローソンにて国家権力の圧力により解散。帰宅。
【2008年】
ガオカの象徴である「ローソン」が崩壊。「2.29ローソン崩壊事件」それによりガオカは「ローソン民主主義人民共和丘」でなくなり事実上、民主主義は崩壊した。
【2009年】
ガオカのドンがセブンで働く事になる。
【2011年】
七代目以降の後継者不足により過激派低迷期へ突入。
暇を持て余した一部の団員達が顔面、体格に欠落のある一般女性に対し“天誅”を下し始める。
この違法行為は“豚狩り”と称されるもので、今のところ“狩り成功率0%”と驚異の記録を残している。