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鹿苑寺

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詳細 2017年11月6日 13:27更新

正式名:鹿苑寺
別名 :金閣寺
開基 :足利義満、夢窓疎石(開山)
創建年:1397年(応永4年)
山号 :北山(ほくざん)
宗派 :臨済宗相国寺派
所在地:京都府京都市北区金閣寺町1
アクセス :京都市営バス「金閣寺前」下車
参拝料:大人・高校生400円 小・中学生300円


見所
中心となる金閣(舎利殿)のほか、葦原島、鶴島、亀島などの島々のほか 畠山石・赤松石・細川石などの奇岩名石が数多く配され金閣(舎利殿)を水面に映す 鏡湖池を中心とする池泉回遊式庭園は特別名勝・特別史跡として指定される



金閣寺の通称の由来となった舎利殿は漆地に金箔を押した三層の建物であり、1950年(昭和25年)の炎上前は国宝に指定されていた。
初層の「法水院」は寝殿造風。
二層の「潮音洞」は武家造の住宅風。
三層の「究竟頂」は禅宗様の仏殿風。
初層・二層・三層のそれぞれに異なる様式を採用した特異な建築である。

つまり・・・
とにかく日本建築史上貴重なはずです



鹿苑寺の歴史


応永四年(1397年)
義満 京都北山にある西園寺家の邸宅と庭園をゆずりうけ、別荘北山第の造営に着手し、舎利殿(金閣)の建設をはじめる(以後、会所、中門、七重大塔、南御所、北御所寝殿などが建てられた)


応永五年(1398年)
義満 室町第から北山第に移り、以後 公的行事は北山第で行われる


応永十五年(1408年)
義満死去
後小松天皇 北山第に行幸する唐絵唐物が献上される


応永二十三年(1416年)
北山第に造営中の相国寺七重大塔、落雷により炎上、焼失する


応永二十七年(1420年)
義満の遺言により北山第は、禅院の鹿苑寺に改められ、夢窓疎石を観請開山とする


応仁元年(1467年)
応仁の乱により、金閣などを残して鹿苑寺焼失する


寛永元年(1624年)
このころ鹿苑寺に茶室、夕佳亭が建てられる(明治初年に焼失、同7年に再建される)


宝暦九年(1759年)
伊藤若冲、鹿苑寺大書院の襖絵を完成する


明治三十七年(1904年)
鹿苑寺の金閣の解体修理が完了する


昭和二十五年(1950年)
鹿苑寺の金閣、放火により全焼する


昭和三十年(1955年)
金閣、明治の解体修理時の記録を元にした復元が3年をかけて完成する


昭和三十一年(1956年)
鹿苑寺庭園が特別史跡・特別名勝に指定される


昭和三十三年(1958年)
鹿苑寺の方丈と大書院の修理が完了する


昭和六十二年(1987年)
金閣の改修が完了し、金箔張り替えられる


平成六年(1994年)
「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録される

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2007年9月2日

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カテゴリ
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