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呂 明賜

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詳細 2014年5月10日 17:03更新

文化大からアマチュア野球の台湾味全を経て、1988年にドラフト外で読売ジャイアンツに入団。当時、巨人にはウォーレン・クロマティ、ビル・ガリクソンといった元メジャーリーグ選手の外国人選手が在籍していたため、第3の外国人の扱い(当時、出場選手登録できる外国人は1球団につき2人まで)だった。同年6月にクロマティが故障したため初めて1軍に昇格し、6月14日のヤクルト戦では初打席でホームラン(ギブソン投手より)を放ち、以降10試合でホームラン7本と大暴れし、オールスターにも監督推薦で選ばれた。後半やや疲れが溜まり(急激な減量や弱点(内角の速球)を読まれ始めたこともたたり)成績が落ちたが、最終的には本塁打を16本放ち、前傾姿勢の打撃フォームから繰り出される豪快な一打から、「アジアの大砲」と評された。

翌1989年に監督が藤田元司に代わり、起用方針を若手選手主体に転換したため2軍暮らしが続き、1軍に呼ばれても出場機会が恵まれず、1991年終了後に退団し、台湾プロ野球に加入。持ち前の長打力を遺憾なく発揮し主力打者として活躍した。1997年に台湾プロ野球が内部分裂し、台湾大連盟に引き抜かれ中華職棒連盟から永久追放処分された。引退後はコーチを務めていた。2003年に中華職棒連盟が台湾大連盟と合併し、新・中華職棒連盟となったため一度は球界を離れざるを得なくなったが、1000万元を連盟に寄付したため球界復帰が認められた。2004年から、西武ライオンズで活躍した郭泰源率いる誠泰コブラズの打撃コーチに就任。2006年からは、La Newベアーズの打撃コーチに就任し現在に至っている。


エピソード
1軍デビュー当時はファンの間では「今日、呂はホームラン打ったか?」でなく「今日、呂は何本ホームラン打ったか?」とまで言われた程1試合に量産していた。
応援歌の歌詞は節々に名前の「呂」を入れたものであった。
「ミラクルバット 火を噴け(呂!) ミラクル男で行け,呂!呂!呂! 虹のアーチ叩き込めよ どでかい一発(かっとばせー、ミンスー!)」
急にホームランが出なくなった時は「かなり急激に体重を減らしたからだ」と言われた。
活躍した1988年、「ジャンプ放送局」をはじめとする雑誌の読者ページは毎号のように呂のネタが乱れ飛んでいた。そのネタは主に、豪快な打撃フォーム、やたらとデカイ顔、苗字が平仮名一文字に関するものが殆どだった。
余談だが、呂が1年目につけていた97は、2005年から2006年にかけて同じ台湾出身の姜建銘が背負っていた(2007年からは17)。
巨人在籍時には、チームメイトの桑田真澄に顔が似ているといわれていた。
直線的な弾道でスタンドに突き刺さる驚異的なホームランは王貞治監督をして「あんなホームラン俺でも2、3本しか打ったことがない」と言わしめた。

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2007年8月2日

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