マンモスは長鼻目ゾウ科マンモス属に属する大型の哺乳類の総称である。現生のゾウの類縁にあたるが、直接の祖先ではない。約400万年前から1万年前頃(絶滅時期は諸説ある)までの期間に生息していたとされる。全長3.2mに達することもある巨大な牙が特徴である。ケナガマンモス Mammuthus primigenius の様に太く長い体毛で全身を覆われた種も存在した。現在は全種が絶滅している。
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1 マンモスの誕生と絶滅
1.1 絶滅
2 マンモスの発掘
3 主な分類
3.1 ナウマンゾウとマンモス
4 人間との関わり
5 目撃情報
6 参考文献
[編集] マンモスの誕生と絶滅
最古のマンモスは、約500万〜400万年前、北アフリカにおいて生まれたと考えられている。そのあらましは、およそ次のとおりである。
700万〜600万年前に、アフリカゾウの仲間(Loxodonta 属)から、「インドゾウとマンモスの共通の祖先」が分岐した。
600万〜500万年前に、「インドゾウとマンモスの共通の祖先」が、インドゾウの仲間(Elephas 属)とマンモス(Mammuthus 属)に分岐した。
Mammuthus subplanifrons は、約400万〜300万年前に生息したとされる最古のマンモスの一種で、南アフリカ共和国、ケニヤなどから化石が出土している。チャド、リビア、モロッコ、チュニジアで見つかった Mammuthus africanavus も最古期のマンモスと信じられ、一説に約480万年前に生存したとされるが、出土したのは臼歯と牙のみであり、これら「最古のマンモス」については異論もある。
約300万〜250万年前、アフリカからヨーロッパに北上して移住する過程で、マンモスは新しい種 Mammuthus meridionalis を誕生させた。さらに、アジア、シベリアを経て、約150年万年前には北米大陸まで広がった。当時シベリアとアラスカの間にベーリング海峡は存在せず陸続きであったため、自由に往来ができた。
[編集] 絶滅
更新世末期にあたる約4万〜数千年前に、多くの大型哺乳類と共にマンモスは絶滅した。最後のマンモスは、紀元前1700年頃に、東シベリアの沖合にある北極海(チュクチ海)上のウランゲリ島で狩猟されたという説が提起されている。
原因は未確定であるが、有力な仮説として氷河期末期の気候変動に伴う植生の変化を原因とする説がある。 約1万年前に氷河期が終わり、高緯度地域の気温が10度程度上昇した。 それまで乾燥した大地であったシベリアは、柳やイネ科の草が広がる草原であり、シベリアで発見された胃の内容物からイネ科の植物が主で他にキンポウゲ科やヨモギ類などを食べていたと推測される。ところが、温暖化に伴って湿潤化し、一年の半分は大量の雪が降り積もる植物の生育に適さない大地へと変貌していった。マンモスの食料となる草木は激減し、マンモスもシベリアから消えていった、というストーリーである。
その他の有力な仮説は、ヒトの狩猟の対象になったことを原因とするものである。 アメリカ大陸に、1万年前後から人類が進出した。人類がマンモスハンティングに使用した道具はクロビス石器であるが、この石器が登場する1万千年ごろと相前後して、マンモスは地上から姿を消し始める。 シミュレーションによれば、アメリカ大陸に人類が進出して800年ほどでマンモスは絶滅している。子どもを一度に1頭しか作らない大型動物であるマンモスは、狩猟圧に弱い動物である。
[編集] マンモスの発掘
マンモスの化石は古くから掘り出されており、巨人や怪物の骨であるとされてきた。例えば、15世紀に発見されたマンモスの大腿骨は、「巨人の骨」としてウィーンのサン・ステファン大聖堂に飾られていた。
フランスの博物学者ジョルジュ・キュビエは、現生のゾウの骨格とこれらの化石の詳細な比較を行い、これら化石は現生種とはまったく異なる古代に絶滅したゾウの一種であると結論づけ、この化石種を「マンモス」と命名した。1796年王立科学芸術協会にて、キュビエは「現生ゾウと化石ゾウの種について」という題目でこの結果を発表している。ほどなく1799年にシベリアのツンドラ永久凍土から氷づけのマンモスが発見され、(D・F ヘルツによると肉は新鮮に見えたという。)キュビエの考えに強力な裏づけが得られた。
シベリアで氷づけのマンモスが次々と発見されたことを受け、1860年にロシア科学アカデミーは、マンモスの完全な骨格を発見した者に100ルーブルを支払うというパンフレットを作成し、シベリアの住民に配布した。しかし、マンモスを冒瀆することで呪いを受けることを恐れたり、マンモス運搬に使役されるなどの面倒に巻き込まれることを避けるなどの理由から、発見されても報告されることはほとんどなく、破棄されてしまうなど、多くのマンモスが闇に葬られてしまった。
1900年、北シベリアのベレゾフカ川岸でマンモスが発見さたという通報を受け、1901年5月3日、ロシア科学アカデミーの動物学者オットー・ヘルツとオイゲン・ピッツェンマイヤーらはペテルブルク(現サンクトペテルブルク)を出発した。鉄道で5月14日にイルクーツク、6月14日に馬車と舟でヤクーツクに、9月9日に現地に到着した。マンモスは腐敗するも残存した頭蓋骨と地中に埋没した下半身という半ば立ち上がった姿勢をしていた。これを運搬用に解体し、1902年2月18日に帰還した。復元された標本はベレゾフカのマンモスと呼ばれ、皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后も見学した。このマンモスは腰と後ろ足の骨を骨折しておりまた歯の間や胃の内容物から植物が発見されその食性があきらかとなった。
1977年、シベリアにて赤ん坊マンモスの死体が掘り出された。生前の姿をほぼ完全に残したこの赤ん坊は、「ディーマ」と名づけられた。ディーマは体高90cm、体長120cm、生後6〜12か月のオスの赤ん坊であり、約4万年前に死亡したと考えられる。ディーマは保存処理がなされた後、臓器、筋肉、脳、血液などについて生化学的、解剖学的調査がなされた。
氷づけのマンモスから取り出したDNAの断片を現生ゾウのDNAと比較することで、これらの種の遺伝的な関係を明らかにするという研究がなされている。また、マンモスのDNAは長い年月の間に分解され断片化しているが、完全なDNAが見つかればクローン技術によってマンモスを復活させることができるかもしれない。氷づけのマンモスから、完全なDNAが残されている細胞核を取り出し、現生ゾウの卵細胞に注入することで、マンモスの復活を果たすというものである。上述のディーマからは完全なDNAを取り出すことはできなかったが、必要なDNAを得るべく、氷づけのマンモスの探索が続けられている。
なお、2005年に日本の愛知県で開催されていた愛・地球博では、ロシア北東部のサハ共和国で発掘されたマンモス(地名から「ユカギルマンモス」と呼ばれている)の一部(牙、頭部、左前肢等)を博覧会場で展示するプロジェクトが行われていた。その後もこの「ユカギルマンモス」は、2005年から2006年にかけ、フジテレビ本社(東京都、2005年12月10日〜2006年2月28日)、愛知県体育館(愛知県名古屋市、2006年3月25日)、豊橋市立自然史博物館(愛知県豊橋市、2006年4月8日〜6月18日)、日本科学未来館(東京都江東区、2006年7月1日〜9月3日)の4カ所で行われた各種イベントで、再度その姿を見ることができた。
[編集] 主な分類
コロンビアマンモス
学名:Mammuthus columbi (Merriam, 1910)。北アメリカの現在のアメリカ合衆国南東部からメキシコにかけて生息していた。
インペリアルマンモス
学名:Mammuthus imperator (Leidy, 1858)。帝王マンモス、エンペラーマンモスとも呼ばれる。北アメリカのアメリカ合衆国中西部のカリフォルニア、テキサス、ネブラスカのあたりに生息していた。
ステップマンモス
学名:Mammuthus trogontherii (Pohlig, 1888)。洪積世中期(30〜60万年前頃)にヨーロッパに生息。大きいものは肩の高さが4,5m、体重20tにもなったとされる。ケナガマンモスの直系の祖先と考えられている。
ケナガマンモス
学名:Mammuthus primigenius (Blumenbach, 1799)。別名、ウーリーマンモス。体中が長い毛でおおわれ、肩の高さが3mでやや小型の種。更新世の後期に北半球の冷温帯草原からツンドラ地帯にかけて生息していた。シベリアの永久凍土層からは氷漬けになった個体が見つかっている。日本でも北海道で見つかっている。一般にはこのマンモスがもっとも良く知られている。
コビトマンモス
学名:Mammuthus exilis 。体高約1mの矮小化したマンモス。北極海にあるランゲル島などで見つかっている。英名en:Pygmy Mammoth。
松花江マンモス
学名:Mammuthus sungari 。3万年前に中国の内モンゴルに生息。肩の高さは約4m。1980年に発見された。
ムカシマンモス
学名:Mammuthus protomammonteus 。約120万から70万年前にかけて日本各地に生息していた。ケナガマンモスの古い祖先と考えられている。
Mammuthus subplanifrons
約400万〜300万年前に生息していた最古のマンモス。南アフリカ共和国、ケニヤなどから化石が出土している。
Mammuthus meridionalis
(Nesti, 1825)
アフリカ大陸の外で化石が見つかる最古のマンモスである。約300万年前に現れ、ヨーロッパ、ユーラシア大陸、北米大陸と分布域を広げた。
Mammuthus lamarmorae
(Major, 1883)
[編集] ナウマンゾウとマンモス
日本でよく発掘されるゾウの化石種ナウマンゾウ Palaeoloxodon naumanni はマンモスとは異なるPalaeoloxodon 属に分類される。学者によってはアジアゾウと同属のElephas 属とする場合もある。
[編集] 人間との関わり
先史時代の人類とマンモスとの関わりを示す様々な遺跡が見つかっている。フランスのルフィニャック洞窟やペシュ・メルル洞窟には旧石器時代に描かれたとされるマンモスの洞窟壁画が残されている。同じく旧石器時代のドイツのゲナスドルフ遺跡からはマンモスを描いた石板が発見されている[1]。ウクライナやポーランドではマンモスの骨で作られた住居跡が発掘されている。アメリカ合衆国のアリゾナ州からは、マンモスの化石の骨の間から、石でできた槍の穂先が見つかっている。この化石は約1万2千年前のものと考えられ、当時マンモスが狩猟の対象となっていた証拠とみなされている。
1989年のワシントン条約によって象牙(現生ゾウの象牙)の輸出入が禁止されたため、代替として永久凍土から掘り出されたマンモスの象牙が印鑑などに用いられている。しかしマンモスの象牙と偽って、禁止されている現生ゾウの象牙が密輸される事例が増えてきている。双方の象牙を区別する簡便な方法がなく、問題になっている。
[編集] 目撃情報
絶滅しているマンモスだが目撃情報もある
1580年:シベリアで山賊退治の騎士達が毛の生えた大きな象を目撃
1889年:アラスカで体高6m、体長9mのマンモスを射殺。6本の牙を持っていたという
1920年:シベリアのタイガ地帯で猟師が巨大な足跡と糞を発見、足跡を追ううちに巨大な牙と赤黒い毛を持つ象を発見
[編集] 参考文献
エイドリアン・リスター 、ポール・バーン 『マンモス』、大日本絵画、1995年、ISBN 4-499-20110-1
冨田幸光著、伊藤丙雄画 『絶滅哺乳類図鑑』、丸善、2002年、ISBN 4-621-04943-7
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カテゴリ: 化石哺乳類 | 象
普通にうまそーじゃね?コレ