Ryushi Kawabata
明治18年(1885)6月6日和歌山県生まれ
本名・昇太郎。幼い頃、提灯屋さんの描く鯉を見て、自己流で描きはじめる。芝居の看板絵にも心をひかれる。
明治28年上京。
明治36年東京府立第三中学校在学中、読売新聞社”明治30年画史”の募集に応募、入選。白馬会、太平洋洋画研究所で洋画の基礎を学ぶ。
明治39年結婚。漫画雑誌で漫画、挿絵に携わる。
平福百穂(ひゃくすい)と出会う。
明治40年第一回文展初入選。第二回と連続入選を果たすも、その後落選が続く。
大正2年渡米。ボストン美術館で見た”平治物語絵巻(三条殿夜討の巻)”に感銘を受け、日本画への転向を決意。ボストンの図書館でピュヴィス・ド・シャヴァンヌの大壁画からも影響を受ける。
大正4年より院展に出品。
大正15年からの「行者道三部作」により「会場芸術」(大作主義、表現第一主義、展覧会場で公開すること)を提唱。
昭和3年院展会期中に日本美術院脱退。
昭和4年青龍社樹立「繊細巧緻なる現下一般的の作風に対しての健剛なる芸術に向かっての進軍」を試みる。
昭和25年より四国遍路
昭和34年文化勲章の栄誉を受ける。
昭和41年4月永眠。81歳。
日本画の型を破る奇抜、豪放、大画面の大作を次々と生み出し
座右の銘は『画人生涯筆一管』、ホトトギス同人。
そんな”俳人”にして”画人”
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「唐獅子牡丹(?)」歌舞伎座蔵
困ったときには