大熊朝秀が無かったので作りました。
自由にやって下さい。
★公銭方。反逆の将。
大熊 朝秀(おおくま ともひで、?-天正10年3月11日(1582年4月3日))は上杉家の重臣。
越後国中頸城郡箕冠城主。
備前守。
大熊政秀の子。
大熊常光の父。
家中において段銭方などの要職を務めた。
弘治2年(1556年)、上野家成と下平修理亮との領地争いをきっかけに家中内の派閥対立が激化。
争いに嫌気がさした長尾景虎(上杉謙信)の出家騒動が起こると武田信玄に内通し反旗を翻す。
会津の芦名盛氏と共に越後に進入するが、西頸城郡駒帰にて家成に敗れ甲斐国へと逃れた。
朝秀は信玄の元で重用され、武田家の家臣「山県昌景」の配下として活躍した。
勝頼の代になってもその地位は揺るがなかった。
天正10年(1582年)、天目山の戦いにおいて多くの重臣が織田家・徳川家へ寝返る中、最期まで勝頼と運命を共にし武田家への恩に報いた。
子孫は真田家に仕え存続した。
武勇に優れ、信玄の命で上野国の長野業盛を攻めた際には剣豪として知られる上泉信綱と一騎打ちを演じ無傷で引き分けたといわれる。
☆徳川十六将
榊原康政http://
酒井忠次http://
井伊直政http://
本多忠勝http://
松平家忠http://
大久保忠世http://
平岩親吉http://
松平信一http://
大久保忠佐http://
内藤正成http://
高木清秀http://
渡辺守綱http://
服部正成http://
米津藤蔵http://
蜂屋貞次http://
鳥居元忠http://
☆武田二十四将(山本勘助、山県昌景 以外)
馬場信春http://
飯富 虎昌http://
高坂 昌信http://
武田信繁http://
武田 信廉http://
穴山 信君http://
板垣信方http://
甘利 虎泰http://
横田高松http://
原 虎胤http://
内藤 昌豊http://
土屋昌次http://
真田 信綱http://
小幡虎盛http://
秋山信友http://
真田幸隆http://
三枝守友http://
原昌胤http://
小幡昌盛http://
一条信龍http://
多田満頼http://
小山田信茂http://
☆上杉家臣団(村上義清、柿崎景家 以外)
直江景綱http://
色部勝長http://
小島弥太郎http://
斉藤朝信http://
本庄実乃http://
安田長秀http://
河田長親http://
山吉豊守http://
上条政繁http://
千坂景親http://
安田景元http://
安田顕元http://
長尾政景http://
本庄繁長http://
上杉景信http://
新発田長敦http://
甘粕景持http://
中条藤資http://
北条高広http://
高梨政頼http://
宇佐美定満http://
竹俣慶綱http://
水原親憲http://
松本景繁http://
☆その他の武将
木村重成http://
佐竹義重http://
可児才蔵http://
伊達成実http://
朝倉宗滴http://
大原雪斎http://
佐久間盛政http://
本多正信http://
三浦義意http://
長野氏http://
毛受氏http://
武田勝頼http://
仁科盛信http://
崇伝http://
石川数正http://
角隅石宗http://
上井覚兼http://
川田義朗http://
北条早雲http://
ムカデの旗印
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懸り乱れ龍の旗印
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