ボストン美術館と関係のある美術学校の生徒達にちょっと話をしてくれ、と頼まれたことがあるんです。とっても感じのいい学生たちが集まってくれたんですが、その話の冒頭で、世界の状況がこんなであるから、私自身もペシミスティックになってきている、と話したんですね。ところが私はペシミストとして、あまり経験を積んでいないんで、ちょっとまだ無器用なんだ、と言ったら、皆から、お願いですから、そのままオプティミストでいて下さいと頼まれたんです。
問題はいまオプティミストだと、ちょっと馬鹿みたいな感じがしてしまうことなんですよ(笑)。
旧約聖書に、獅子の穴に投げ込まれたダニエルの話が出てきますが、どんな危険な目にあわされても、どんなに状況がひどい最悪の場合でも、何か楽天的な考え方をする可能性というものは残されていると思うんです。
もしその可能性を利用しなければ、ペシミズムの力の方がどんどん強くなってきてしまうんですね。だから学生達が、どうぞ楽天主義でいて下さいと私に頼んだとき、皆はそういうことを考えていたんだろうと思うんです。
その楽天的なものの考え方をするために何か基盤になるものがないんだったら、私達がそれをつくり出さなければなりません。そう思います。
武満徹との対談より
困ったときには