古典落語に『紺屋高尾』という演目がある。一介の染物職人が、当代きっての名花・高尾太夫に惚れて惚れて惚れぬいて、ついに彼女と結婚するまでを描いた超純愛ストーリーである。
紺屋(染物屋)の職人・久蔵は、ある日突然、寝こんでしまった。
「おめえ、どこが悪いんだ」
「それが親方、どこも悪かねェんです」
親方がどんなにすすめても、久蔵は粥も薬も受けつけない。そこで医者に診てもらうと、なんとこれが恋の病。先日の吉原見物で、高尾太夫に一目惚れしてしまったのだという。だが吉原での初指名料はざっと10両、対して久蔵の年俸はたったの3両だった。とても無理な話である。医者はこう言って久蔵をなぐさめた。
「もし3年辛抱して9両貯めたら、もう1両都合して高尾に会わせてやろう」
これを聞いて、久蔵の病気は全快。せっせと働いて本当に9両貯めたとあっては、医者と親方も協力しないわけにはいかなかった。約束通りもう1両足してやった上、羽織からふんどしまで面倒を見てやって、久蔵を田舎のお大尽に仕立て上げて吉原へ連れて行った。
無論、目利き揃いの吉原では久蔵の正体などひと目で見抜かれてしまうのだが、それでも相手に合わせるのがプロである。高尾太夫は久蔵を本物の上客として扱い、こう問い掛けた。
「今度はいつ来てくんなます」
『次はいつ来てくれるの?』はこの業界では挨拶みたいなものである。久蔵もお大尽になりきって「じゃあ、3日後に」とでも答えれば良かったのだが、そこは純な小市民。丸3年経たなければ無理だと、ベソをかきながら、これまでのいきさつと自分の正体を告げた。この正直さと誠実さに、高尾はコロリと参ってしまった。虚飾と打算で塗り固められた遊女の世界で、彼女は初めて本物の恋を知ったのである。やはり男は金でも顔でもない。ハートなのである。
「わちきのような者でも、嫁にもらってくんなますか」
もう、なますもおひたしもない。夢見心地で帰った久蔵は、さっそく親方に報告するのだが、親方は笑って取り合わなかった。『卵の四角と傾城(遊女)の誠があったら晦日に月が出る』のだから、当然、久蔵の話を信じる者など一人もいない。だが翌年の年季明けに、高尾は本当に久蔵のもとへやってきた。周囲はびっくり仰天、そして盛大な祝言となった。
やがて久蔵はのれん分けをしてもらって、紺屋を開いた。高尾も懸命に手伝ったので、「あの店のおかみさんは有名な高尾太夫なんだってさ」と口コミが広がり、店は大繁盛。高尾も子供を三人産んで、84歳の天寿をまっとうしたという。