ポリニャック伯夫人は、フランス王ルイ16世王妃マリー・アントワネットの寵臣。
1767年にポリニャック伯爵と結婚する。ポリニャック家は、元はブルボン王朝の代からフランス王家に仕え、特にメルシエ枢機卿はルイ14世とルイ15世の代表的な外交官として、重用された。しかし、ルイ14世の寵姫のモンテスパン侯爵夫人が1678年に起こした黒ミサ事件に関与者を出し、またメルシエ枢機卿も、メーヌ公妃のクーデターに関与して失脚した事から、ポリニャック家の家運は衰退していった。
その後ポリニャック伯夫人は、マリー・アントワネットと知り合う。彼女は、マリー・アントワネットに大変に気に入られ、以降はマリー・アントワネットが愛したプチ・トリアノン宮殿に招かれる王妃の数少ないお気に入りの取り巻きの1人となる。ポリニャック伯夫人は夫のポリニャック伯爵共々、国王夫妻の友人として権勢を欲しいままにする。ポリニャック家には年金および下賜金として年間50万リーヴル、後には70万リーヴルもの大金が与えられた。
しかし、フランス革命が起きるとオーストリアに亡命し、ウィーンで急死した。
オノーレ・ミラボーはマリー・アントワネットのポリニャック家への偏愛を苦々しく思い、こんな言葉を皮肉として残している。「ダサス家の家族には国家を救った手柄により1000エキュ、ポリニャック家には国家を滅ぼした手柄によって100万エキュ!!」
困ったときには