アダムとイヴは、旧約聖書『創世記』に最初の人間夫婦と記される人物であり、天地創造の一環としてヤハウェによって創造されたとされる。
・創世記の失楽園の物語
エデンから追放されるアダムとイブアダムの創造後実のなる植物が創造された。アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。それらの木はすべて食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し、中央の木の実だけは食べてはならないと命令した。その後、女(エバ)が創造される。蛇が女に近づき、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧め、二人は目が開けて自分達が裸であることに気づき、イチジクの葉で腰を覆ったという。
この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠の苦痛が増し、また、地(アダマ)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す。アダムが女をエバと名づけたのはその後のことであり、主なる神は命の木の実をも食べることをおそれ、彼らに衣を与えると、二人を園から追放する。命の木を守るため、主なる神はエデンの東にケルビムときらめく剣の炎をおいた。
アダムは930歳で死んだとされるが、エバの死については記述がない。
・外典偽典のアダムとエバ
『ヨベル書』によればアダムとエバはエデンの園で7年間手入れと管理を行なっていた。4月新月追放されエルダ(アダムとエバ起源の地)に住みつき農耕をはじめた。長男カインは長女アワンと、三男セトは次女アズラと結婚した。なおアベル、エノクの他男女8人の子がいた。
『モーセの黙示録』、『アダムとエバの生涯』によれば追放の際サフラン、カンショウコウ、ショウブ、シナモン他の種を持っていくことを許可された。また追放後も大天使ミカエルにより種をもらったり、エバの出産を助けてもらうなどしている。息子30人と娘30人もうけたという。追放後18年2ヶ月後子供が生まれた。
・クルアーンにおけるアダムとその妻
イスラム教の聖典『クルアーン』では、エロヒムはアッラーフとアダムはアラビア語でアーダムと呼ばれ、人の祖にして最初の預言者として登場する。イスラム教ではアーダムは「人の父」と称され、人を総称するときは「アーダムの子ら」という語が使われ、「アーダムの」といえば「人の」という意味にもなる。
アーダムの妻、すなわちエバはアラビア語ではハウワーと呼ばれるが、クルアーンにはその名前は直接に言及されていない。
クルアーンによれば、アーダムはアッラーフの地上における「代理人」(ハリーファ)として土から創造されたという。天使たちは人を地上に置くと地上で悪をなすと反対したが、アッラーフは最初の人としてアーダムを創造し、万物全ての名称を教えた。そのため天使ですらも万物の名はアーダムから教わり、彼に平伏したという。しかし、先に天使と同じような存在あるいは天使の一員としてアッラーフによって創造されていたイブリースが、自分は火から創造されたので土から創造されたアーダムより優れていると称し、平伏することを拒絶して、アッラーフの罰の猶予により最後の審判の日まで人を惑わし続ける悪魔になった。
続いてアッラーフはアーダムの妻を創造し、2人を楽園に住まわせた。しかしアーダムはイブリースの言葉に惑わされて、妻とともにアッラーフに食べることを禁じられていた楽園の果樹の実を食べてしまった。二人はこれを悔いてアッラーフに悔悟し、罪を許されたものの、楽園を追放されて地上に下された。『クルアーン』の伝える物語は、『創世記』の失楽園物語と比較すると、果実を食べるよう誘ったのが蛇ではなくイブリース(悪魔)である、誘われて果実に手を出したのは妻ではなくアーダムのほうであるという違いがあり、またアッラーフの怒りは2人の悔悟により許されたのでキリスト教のような原罪は発生しない。
その後、2人は地上で子をもうけ、人類の祖となったとされる。なお、『クルアーン』には記述されていないが、イスラム教の伝承によれば、地上に降りた2人ははじめ別れ別れであったが、のちにマッカ(メッカ)郊外のアラファート山で再会することができたという。
・キリスト教のアダムとエバ
失楽園の物語は、キリスト教では「原罪」として宗教的に重要な意味を与えられる。新約聖書では、アダムは騙されなかったとして、アダムの罪の大きさを指摘する他、イエス・キリストを「最後のアダム」と呼ぶなど、アダムへの言及が各所に見られる。また、女を騙した蛇はサタンであるとされる。