フランス生まれの指揮者・作曲家のポール・パレー Paul Paray(1886-1979)のコミュニティです。
ポール・パレー(1886年5月24日〜1979年10月10日、フランス)
ポール・パレーは1886年5月24日、ル・トレポールに生まれました。
父親よりオルガンを学び、17歳の時にルーアンでオルガニストとしてデビュー。
その後、1905年からパリ音楽院で学び、1908年、和声の部で一等賞を受賞。1911年にはローマ大賞を受賞します。
1920年にコンセール・ラムルーを指揮してデビュー。翌1921年よりシュヴィアールの副指揮者として活躍。1923年には正の指揮者として昇格し、1928年まで勤めることになります。
1928年からパレーはモンテカルロ国立歌劇場に移り、オペラ指揮者としても多忙な活動を行います。1933年、ピエルネの後継としてコンセール・コロンヌの正指揮者に就任。主に日本にはこの1933年以降、コンセール・コロンヌを指揮した際のレコードで知られるようになります。
第2次大戦中はナチス占領下のパリからモンテカルロに脱出。連合軍によるパリ解放までレジスタンスのリーダーとしても活躍しています。
戦後、再びコンセール・コロンヌに戻るも、1952年にアメリカのデトロイト交響楽団に招かれると、パレーはこの楽団を全米屈指のオーケストラに鍛え上げました。この頃のマーキュリーの録音に名盤が多く残されていることはとても幸福なことです。
1962年に名誉指揮者となり勇退。晩年はフランス国内で客演を行っていましたが、1979年10月10日に93歳の天寿を全うして亡くなります。
カルロス・クライバーのようなひらめきを持ちながら、カール・シューリヒトにも匹敵するニュアンスの妙を表現することが可能であり、快速で瀟洒な味わいを表現できる偉大な指揮者の一人であったポール・パレー。今一つ、高く評価されていないように思うのは管理者の自分だけでしょうか。
ジャック・イベールの組曲「寄港地」を初演した指揮者は実はポール・パレーです。
このマーキュリー盤に残された記録からも明らかですが、輪郭のはっきりした、線の逞しい表現者でありながら、フランス風の瀟洒な感覚をも表現できる、真実の芸術家であったと思います。とりわけスッペの「軽騎兵」序曲、「詩人と農夫」序曲など同曲の最高の演奏と称えられてもおかしくないでしょう。
皆で偉大な指揮者、ポール・パレーを自由に語りあいましょう。
ポール・パレーのCDを聴いたことがある方なら誰でもぜひどうぞ!