遠江国掛川藩に生まれ、海軍奉行矢田堀景蔵の下で航海術を学ぶ。
安政6年(1859年)、幕臣となって軍艦操練方手伝出役を任ぜられ、御軍艦艦長を歴任。慶応4年(1868年)には軍艦頭並に昇進したが、すでに戊辰戦争が始まっており、抗戦を主張した甲賀は海軍副総裁榎本武揚や荒井郁之助などと共に江戸品川沖を脱走して仙台を経て蝦夷地へ渡った。この時甲賀は回天丸の艦長に就任する。
蝦夷地渡航後、箱館戦争に突入して軍艦頭に任命された甲賀は、明治2年3月、新政府軍蝦夷地征伐の報せを聞いて、海軍奉行となった荒井やフランス軍人らと協議の末、「甲鉄艦」奪取作戦を決行。(宮古湾海戦)劣勢に耐えて左足や右腕を銃弾に打ち抜かれながらも甲板上で猛然と指揮してしていた甲賀だったが、ついに頭(左こめかみ)を撃ち抜かれて戦死した。享年数えで31。
まだまだ、私も勉強不足のため、わからないところもあります。
困ったときには