2008年6月1日〜10日まで第51回新象展が上野、東京都美術館で6月1日〜10日に開催されます。どうぞおでかけ下さい。
2007年に創立50周年を迎えます。上野、東京都美術館で6月1日〜10日に開催されます。
2007年 第50回記念 新象展 作品募集 50回記念賞 賞金50万円
※詳細 http://
創 立
1957年(昭和32年)11月15日美術文化協会の東京地区を中心とした会員40数名により、新団体創立準備会を設立し活動を開始した。当時社会的背景は新団体創立にとってむしろ不利な状況であった。古い公募美術団体の中には、その目的を失い醜聞も多く、公募美術団体無用論が美術関係者の間におこりつつあったからだ。また前衛活動にはつきものの多種多様の難事が累積しており、準備会員の骨肉を削った。この時、福沢一郎氏による精神的声援は大きな支えとなった。
1958年1月11日新象作家協会が誕生し、同日東京丸の内の山水楼において発足総会を行った。創立の挨拶文に「常に新しい酒は新しい皮袋にということわざの通り、新象作家協会という容器は常に新しい作家達の・・・・・」というように日本全地区より、旧友、新友の新鋭の作家たちが勇躍上京参加した。
創立会員70名、準会員59名。
美術団体についての一つの希望
今泉篤男
「一つの団体をつくろうとする場合には、その団体を解散する場合のことを考えて結成すべきである。」と誰かが言った。私はその意見に賛成である。
美術界の周辺に身をおいて私もかなり歳月を閲している。いろいろな美術団体が新しく出来たり、分裂したりする様子を見、聞きしてきている。新しい団体のメンバアが気をそろえて出発する時の美しく爽やかな空気と、分裂に際しての醜悪を極める濁った空気との、どちらが美術家の本当の姿なのか、そのどちらも人間の集まりの当たり前の姿と言えば言えることかもしれないけれど、私はときどきどちらかが嘘のような気がすることがある。なぜ、自分たちの手で作ったものなら、自分たちの手でさっぱりと解散できないものであろうか。
いま沢山の美術団体が、それぞれ宿弊を抱えて、にちもさっちも出来なくなっているというような話しを聞くことがある。ただ、動きがとれないと内部の人々が感じるような状態に問題があるわけだ。そういう状態になったら、皆で解散の方向にもってゆくのが本当だと私は思う。
現在の美術の歴史的段階では、美術団体は新しい美術運動や主張の気運をしんにして統合されているよりも、何か惰性的な相互扶助の集団と化していると誰でもが言う。それならそれなりに存在の意味はあるのだから、傍らからとやかく言う要はないわけだけれど、それによって美術界の新陳代謝が恐ろしく鈍くなることは事実だろう。年輪の旧い、大きな美術団体では中堅層以下の人たちがそれに悩みぬいていることは周知である。
新象作家協会のような結成以来日の浅い、しかも画壇のフレッシュマンだけが集まっている団体に、こんなことをいうのは、会の空気がよどんできたら、いつでも解散するような心組みをもっている方が、絵画いつまでも新鮮な風が吹きとおしていることになるだろうと信じるから他ならない。
新象展への希望
植村鷹千代
新象展もこんどで第四回展になる。この会は公募展ではあるが、会員たちの制作に、同人展のような張りが盛り上がっているのと、世代的にみて比較的に共通の場が形づくられているのが、発会以来、生気を加え、美術団体が概して行き詰まっている現状に抗して、展覧会の成長と充実をみせてきた理由であったようにおもう。・・・・今後も問題は同じところにあるといえよう。柔軟性のある緊張を続けて、美術団体の汚名や悪評に抗してほしい。この会にたいする希望はそれにつきる。
プラス・マイナス・?
江原 順
この団体は、たいへんいいところがある。老舗団体には、創立会員から公募者にいたるまでに、世俗の位階に似た位階制度が牢固としてある。こころある作家は、兵隊の位になぞらえて、自嘲的に自分の団体内の位置を語ってくれたりする。じつは、団体の意味をみずから扼殺したのは、こういうヒエラルキーである。けれども、この団体には、創立会員から若手にいたるまで、こういう位階を意識しないですんでいるところがあるらしい。ほかの団体にみられる階級の断層にともなう様式の断層時変化は、この会にはみられない。
反面、こういう結合のしかたがひき起こす弱点がある。結合の建機が、一応は様式や発想の近さという条件をふまえている場合でも、「意気に感ず」式の野武士的心情の統合になりやすい。こういう集まり方を土台にしていると、作品も、たとえば土俗的なオブジェなどを、自分の内側を照らしだし、たえずさぐりだしていく過程の表現要素にかえないで、ななまのままで、作品にもちこんでしまうような結果になる。この会の作家には、このタイプはわりあいに多い。
団体を維持することは、いまのばあいきわめてむずかしい。会を維持することにどんな意味があるだろうという疑念が、逆に会に可能性をもたらすだろう。プラス・マイナスの決着がXどうでるか、興味はある。
豊かな未知数へのたたかいを望む =第11回新象展にあたって=
植村鷹千代
新象展が昨年10周年記念展に当たって、再出発の決意を新たにしたが、それからもう一年経った。10年間新進の優遇と啓蒙につとめてきた新象展は、有能な新進作家群をかなり成長させてきたし、さらに底辺の幅の広い新人層のグループを育成してきている。
第11回展に当たって、その成果が突然目立って現れるはずはないが、新象展にとっては、これからの10年をまた新しい一期として新世代の決定的な成熟を期するとともに、さらに底辺のプール作家の成長に力を尽くすつもりであろうとおもわれる。
新象展の今日までの特色の一つは、美術界の表面の波に押し流されることを避けてむしろ底流の幅を広げる方向に努力してきたことである。その結果、時流にのったチャンピオン作家を派手に輩出することはなかったが、地道に個性的スタイルを成長させる作家を次第に美術界に登場させている。つまりこの会の強みと可能性はまだ将来に属しているといえるのであるが、創立10周年を終え、それを機会に再出発の第一歩をこの第11回展で踏み出すということが、単なる言葉の上だけの修辞でない理由がそこにある。
そこで、次の10年間の新象展の歩みに期待したいことは、第1期の10年間の方向の確立に成功した新進作家たちの決定的な成長を達成させることが一つであり、第二の期待は、さらに新しい世代の予備軍としての作家群を幅広く育成することである。
〜中略〜
要するに、これからの新象展が立ち向かおうとする10年の世界は、芸術家にとっても期待と希望にみち、興味にあふれた未知数の10年といえるであろう。その豊かな可能性を前にして、新象展の良心と才能とファイトが悔いなきたたかいを実証することを望んで本文の結びとしたい。
困ったときには