RAH BANDは、Richard Anthony Hewsonのソロ・ワークの名称である。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『Blow-Up(欲望)』のサウンドトラックを録音する為にロンドンを訪れていたハービー・ハンコックのセッションにギタリストとして参加。その後、数多くのセッションに参加。時同じくしてリチャードはバンドを結成する。ドラムスに後にTV俳優となるナイジェル・アンソニー、ベースに友人のPeter&Gordonのピーター・アッシャーによるトリオ。1968年、ザ・ビートルズが自らのレーベル「アップル」を設立。ピーター・アッシャーがA&Rに抜擢され、「アップル」の歌姫メリー・ホプキンのセッション時、ストリングスの必要性を感じた彼はアレンジをリチャードに依頼。初めてのアレンジをそつなくこなしたリチャードは以後、アップルの準レギュラー・スタッフとも言えるポジションを確立、ジェイムス・テイラーのファースト・アルバムを手掛けた。1970年、伝説のプロデューサーフィル・スペクターがジョン・レノンにゴミの山と称された膨大な「ゲット・バック・セッション」のリ・プロデュースを開始する。フィルの最大の功罪はポール・マッカートニーのピアノ弾き語り「The Long And Winding Road」に特大のオーケストラ・パートとエコーを加え、彼の十八番である「ウォール・オブ・サウンド」に仕立て直したことである。リチャードはオーケストラのアレンジャー、コンダクターとしてこのセッションに参加。このヴァージョンはポールから酷評され、2003年の『Let It Be...Naked』でストリングスは削除された。しかし、その後ポールはリチャードに名曲「My Love」やオーケストラ・アルバム『Thrillington(スリリントン)』のアレンジを依頼していることからも、その才能の高く評価していたと思われる。フィル・スペクター・セッションの前後にリチャードは映画『小さな恋のメロディ』のザ・ビージーズとCSN&Y以外の楽曲を全て作編曲している。70年代から80年代にかけて多くのトップクラス・アーティストより依頼が殺到し、一流ストリングス・アレンジャーの地位を絶対的なものにした。彼の最大の成功は1975年からはじめた自らのユニットRAH BANDである。1977年のファースト・シングル「The Chunch」がNMEチャート(以下同様)で6位を記録。売り上げ的には1985年発表の最後のシングル「Clouds Across The Moon」(6位)までトップ50に計6曲を送り込んでいる。オリジナル・アルバムを5枚リリース、それぞれ高い評価を得ている。最近では、DJ/レア・グルーヴ/渋谷系、電子音楽ファンから再発見され、2002年にはTahiti80(タヒチ80)のストリングス・アレンジメントを手掛けたり、セルフ・リミックスや若い世代にリミックスを依頼してアップデート盤を発表するなどマイペースに活動を続けている。