若林 健治(わかばやし けんじ、1958年2月23日 - )は日本テレビ放送網(NTV)の元アナウンサー。
東京都渋谷区出身で独身。法政大学法学部政治学科卒業後、1981年に中部日本放送(CBC)入社するも、「プロレス実況がしたい」ということで1984年に日本テレビに移籍。これまで報道番組や陸上・プロレスなどのスポーツ中継などで活躍。ナレーターを中心に活躍していたが、2006年6月でアナウンス部を離れて他部署へ異動。但し、アール・エフ・ラジオ日本で放送中の「オールリクエスト美空ひばり大全集」は引き続き担当する模様。
1995年から3年間にわたり、系列のアール・エフ・ラジオ日本に出向した。復帰した後もたびたび同局の番組に出演し、『外人さん大指摘!爆笑ニッポン人の急所!!』(月〜金18:00-20:00)のパーソナリティも務め、現在は「オールリクエスト美空ひばり大全集」を担当している。
上述の通り日本テレビに移籍してしまうほどプロレスを愛しており、「全日本プロレス中継」にてジャンボ鶴田や四天王プロレスで心の叫びとも言える熱い実況で有名となった。熱狂的なプロレスファンだからこそ可能な調子と数々の感動的な名言は多くのファンを魅了し、今なお熱血漢という意味では歴代一位のプロレス実況アナとして称される。特に竹内宏介とのコンビは『若竹コンビ』と言われ、人気を博した。
三沢光晴が初めてジャンボ鶴田に勝った試合と、10年後にその三沢が秋山準から初勝利を奪われた試合の両方を実況するなど、四天王の歴史を語る上で欠かせないポジションを占めている。
スタン・ハンセンが場外乱闘で実況席のモニタを掴み取ろうとした時、必死になって引っ張り阻止したことは非常に有名である(モニタが日本テレビでなく札幌テレビの機材だった為、壊されると面倒なことになるため必死に抵抗したそうだ)。
また、当時実況の二大エースであった福澤朗アナウンサーの代理として「プロレスニュース」のコーナーも担当し、ミドルネーム『若林“恩知らず”健治』名義でも登場したが、これは、キラー・カーン乱入の際に氏が発した実況台詞からである。なお、その巨体から「若林マンモス健治」の異名もとった。
そんな順調なアナウンサー人生であったが、全日本プロレス中継が視聴率の影響で60分から30分に減少、これに憤った若林は「この熱い戦いを伝えるには30分じゃ足りないんです!戻せ60分!」と実況中に叫び、しっかりと放送されたことがきっかけとなったのか系列ラジオ局へ出向となる。日本テレビ復帰後、ファンからの復帰要望もあり全日本プロレス中継にも復帰したが、1年もしないうちに当時社長であった三沢光晴を中心とした大量離脱から打ち切りとなり再びプロレスと縁が切れてしまう。しかし、プロレスへの情熱が消えることのなかった若林は、2007年の暮れに日テレを退職し、フリーアナウンサーに転向。2008年2月11日の健介オフィスと3月1日の全日本プロレス(ペイ・パー・ビュー生中継)の実況で現場復帰を果たし、ブランクを感じさせない熱い実況で、健在ぶりを満天下に知らしめた。
現在はアナウンス活動はもちろん、CM出演・ナレーション・トークライブなど、精力的に活動を続けている。
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★著書紹介
「プロレスのために日本テレビを辞めた男」
(ウェッジホールディングスより出版)
プロレスファン・アナウンサーを目指す方、ぜひご一読を!!