辻本 聡 (国際A級ライダー)
日本を代表するスーパーライダー。「ヨシムラ」で2年連続F−1チャンピオン。翌年アメリカの「AMAスーパーバイク選手権」に参戦し、一時トップに立つもののコンロット小端が伸びエンジンブローでDNF。翌87年にはAMAスーパーバイク選手権フルエントリーし、「デイトナ200」で2位入賞(現在も日本人最高位)。第2戦は規定重量が足りなくて失格、第3戦サーキットを慣熟走行中ケビンシュワンツの事故に巻き込まれ首を骨折し、怪我で1年を棒に振る。
88年〜91年までスズキ契約。RGVγで全日本GP500に参戦するものの苦難の時代に。92年からは「HRCam/pmレーシング」でGP500。雨の筑波のレースで最後尾から追い上げ優勝。
HRC契約時代の「8耐」では、エディーローソンや伊藤真一と組んで2位に2回入賞し、久々に辻本の名前が表彰台に復活しファンを喜ばせた。
オートバイだけではなく自動車レースにも参戦、98年99年には「スーパー耐久」クラス4のチャンピオンを獲得。
現MFJ選手会長、ヨシムラスーパーアドバイザー。