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Emiliano Zapata

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詳細 2013年6月13日 04:23更新

Emiliano Zapata エミリアーノサパタ(1879〜1919)…モレロス州アネンクイルコ(Anencuilco)と呼ばれる小さな村で生まれた。メキシコの偉大な革命家。
両親はメスティソと呼ばれるインディオと白人の混血でしたが,一家は農業労働や家畜を飼う事によってスペイン植民地時代の開発地域で小作農として生活をしていた。
この時代は,軍人であったディアスが大統領となり独裁体制をしていた時代でした。彼の独裁は1877年から30年以上におよび,表面上は政治的安定と鉱物資源など第一次産品の輸出を原動力とする経済発展が進んでいましたが,輸出用作物を生産する大農園主に農地が独占され,農村には土地を所有できない貧しい農民があふれていた。

サパタの運動→1910〜20年,ディアスの独裁体制打倒をめざす蜂起をきっかけにおきた民族主義的なメキシコ革命は,20世紀前半に世界各国で発生した多くの社会革命の中でも,最も早く起きた,また最も大規模なものでした。
サパタは1910年5月,糖業大農園(アシエンダ)の拡大で苦しむモレロス州の先住民や大農園労働者からなる武装組織を作り,[土地と自由]を掲げて蜂起した。
ディアスに対する革命を開始したマデロに共鳴して1911年に革命に参加。同年,勝利をおさめたマデロが大統領に就任したが,彼の政策に失望したサパタは,[アヤラ計画]と呼ばれる独自の農地改革案を公表した。この計画は,先祖伝来の土地を奪われた先住民への農地再分配を要求したものだった。
その後も1913年のクーデターによって成立したウエルタ政権や,その後のカランサ政権と続いていく中も政府への抵抗を続けた。先住民たちの支持を受けて南部で勢力が拡大していき,1914年には北部出身の革命軍の将軍だったビリャとともにメキシコシティを占拠するまでになったが,1915年には撤退を余儀なくされた。そして,1919年 カランサの送りこんだ刺客に暗殺されたと伝えられている。
サパタは政敵からは山賊あつかいをされていましたが,先住民たちからは真の革命的社会改革者,そして英雄として偶像視されて,その生涯は無数の伝説を生み出して今日に伝えられています。

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