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橋本 忍コミュの真昼の暗黒

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真昼の暗黒http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%9C%9F%E6%98%BC%E3%81%AE%E6%9A%97%E9%BB%92&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

製作年 : 1956年
製作国 : 日本
配給 : 独立映画

◎解説
弁護士正木ひろしの著書「裁判官−−人の命は権力で奪えるものか」より、「生きとし生けるもの」の橋本忍が脚本を書き、「由起子」のコンビ、今井正が監督、中尾駿一郎が撮影を担当した。主なる出演者は新人群として民芸の草薙幸二郎、中芸の松山照夫、牧田正嗣、俳優座の矢野宜、新協の小林寛の他、「神阪四郎の犯罪」の左幸子、「ビルマの竪琴(1956)」の内藤武敏、北林谷栄、「赤ちゃん特急」の飯田蝶子、「早春」の山村聡など。

◎あらすじ
 瀬戸内海に近い三原村で小金を貯めこんでいるという噂のある仁科老夫婦が惨殺され、その翌朝、皆川、矢口両刑事は笠岡市の遊廓から小島武志を検挙した。ジャンパーの血痕、指先の血糊--動かぬ証拠をつきつけられた小島は流石に色を失っていた。だが捜査本部では単独犯では片づけられない種々の事情から判断して、小島の口から共犯の事実を吐かせようと躍起になった。そして小島と同じ土工仲間の植村、青木、宮崎、清水の四人が浮び上った。連日の厳しい訊問に心身共に疲れ果てた小島は、夢遊病者のように四人も共犯だと自白させられた。緊急手配によって四人は次々に挙げられ、植村の内妻カネ子も取調べを受けた。一年後の秋、食堂の給仕女として働くカネ子は、そこではからずもこの事件を担当する近藤、山本両弁護士に逢い、植村の証しを立ててくれるようにと懇願し、差入れのために乏しい給料の中から数枚の紙幣を渡すのだった。結審の日、多数犯を強調する鋭い検事の最終弁論を、訥々と反発する近藤弁護人の額には、脂汗が滲んでいた。彼は小島の遊興費欲しさの単独犯だと主張するのである。その主張は理路整然とし、今や小島の単独犯は動かすことのできない事実であるかに思われた。しかし、判決の日、小島のでたらめな陳述と西垣巡査の保身の証言のため、弁護人の努力、家族たちの嘆きをよそに、植村は死刑、小島は無期、青木は十五年、清水と宮崎は十二年の懲役が宣告された。複雑な気持で食事に出かける近藤弁護士は、最高裁判で闘う決意を固めていた。拘置所の面会室では、植村と母が顔を見合わせていた。黙って走り去る母の背後に絶叫した。お母さん、まだ最高裁判があるんだ」と。

キャスト(役名)
草薙幸二郎 クサナギコウジロウ(植村清治)
松山照夫 マツヤマテルオ(小島武志)
矢野宣 ヤノセン(青木庄市)
牧田正嗣 (宮崎光男)
小林寛 コバヤシヒロシ(清水守)
左幸子 ヒダリサチコ(永井カネ子)
内藤武敏 ナイトウタケトシ(近藤弁護士)
菅井一郎 スガイイチロウ(山本弁護士)
中村栄二 ナカムラエイジ(及川裁判長)
下元勉 シモモトツトム(西垣幸治巡査)
加藤嘉 カトウヨシ(大島司法主任)
清水元 シミズゲン(浅山署長代理)
織田政雄 オダマサオ(皆川刑事)
陶隆 スエタカシ陶隆司(亀山刑事)
市村昌治 (井上刑事)
織本順吉 オリモトジュンキチ(杉田刑事)
久松保夫 ヒサマツヤスオ(警察医)
山茶花究 サザンカキュウ(白木検事)
芦田伸介 アシダシンスケ(吉井判事)
三田国夫 ミタクニオ(立石判事)
戸田春子 トダハルコ(愛子)
相生千恵子 (松尾夏江)
飯田蝶子 イイダチョウコ(植村つな)
鈴木洋子 スズキヨウコ(植村良子)
日高ゆりえ ヒダカユリエ(永井辰子)
新山幸三 (永井哲夫)
北林谷栄 キタバヤシタニエ(宮崎里江)
玉川伊佐男 タマガワイサオ(清水勉)
城久美子 (清水道子)
武田正憲 タケダマサノリ(清水磯吉)
夏川静江 ナツカワシズエ(清水保子)
山村聡 ヤマムラソウ(雄二)
野浜建 (仁料孫吉)
於島鈴子 (仁料たね)
嵯峨善兵 サガゼンペイ(高橋由造)
畑中蓼坡 ハタナカリョウハ(青木の老爺)
五月藤江 サツキフジエ(青木の老婆)
小笠原章二郎 オガサワラショウジロウ(竹内甚造)
殿山泰司 トノヤマタイジ(松村宇平)
原芳子 ハラヨシコ(宇平のおかみさん)
島田屯 (久保田勇)
利根司郎 トネシロウ(看守)
石島房太郎 イシジマフサタロウ(安原弁護士)


スタッフ
監督 : 今井正 イマイタダシ
製作 : 山田典吾 ヤマダテンゴ
脚本 : 橋本忍 ハシモトシノブ
撮影 : 中尾駿一郎 ナカオシュンイチロウ
音楽 : 伊福部昭 イフクベアキラ
美術 : 久保一雄 クボカズオ
録音 : 空閑昌敏
照明 : 平田光治 ヒラタミツハル

コメント(3)

受賞した主な映画賞−1956年

1.《キネマ旬報》ベストテン第1位/日本映画監督賞

2.《毎日映画コンクール》日本映画賞/脚本賞/監督賞/音楽賞

3.《ブルーリボン賞》ベストテン第1位/作品賞/脚本賞/監督賞/音楽賞

 1956(昭和31)年当時審理中の強盗殺人事件(八海事件)を題材に、最高裁からの圧力に屈せず完成させた衝撃の作品。

「羅生門」「7人の侍」等黒沢作品で知られる橋本忍が独自の調査も交えて脚色、「ひめゆりの塔」などの社会派作品を世に出した今井正がメガホンをとった。

権力の恐怖をすさまじい迫力で描き上げ、キネマ旬報などのこの年の日本の映画賞を総なめにした。

 戦後まもなく山口県で老夫婦が殺された八海事件を題材に、えん罪の恐ろしさを描いた社会派・今井監督の面目躍如の代表作。

 八海事件は、4人共同正犯か単独犯かで争われた事案である。主犯として起訴された被告らが共犯を否定、無実を主張したが、一審山口地裁では共犯説が採用され、死刑判決を含む全員有罪、広島高裁でも有罪(死刑)、最高裁で破棄差し戻し(共犯説は疑わしい)、差し戻しの広島高裁で単独犯説を採用、無実を主張した全員に無罪、2度目の最高裁でまたもや破棄差し戻し(共犯の疑いが濃い)、2度目の差し戻し(広島高裁)で共犯説が採用され、死刑を含む全員有罪、3度目の最高裁で単独犯説を採用、共犯者として起訴された全員の無罪(高裁判決破棄)が確定する。

17年間の間に、実に裁判が7回やり直され(最高裁ですら3回)、無実を主張していたものの死刑判決4回、無罪判決3回という事実が残るとい世にも恐ろしい裁判であった。

映画は、警察の取り調べや法廷の場面をリアリズムの手法で再現した場面が交互に表れる。こうしたカットバックを多用した映画は当時では珍しかった。この効果によって、警察のずさんな判断によって、いかに簡単に犯人が作られていくかを、見る者に存分に訴える。監督はじめ製作者は事件の資料を取り寄せ、無罪と確信を持ったうえで撮影を開始した。公開時、事件は最高裁で審理中だったため、裁判所や映画会社から圧力がかかった(製作中に今井監督に最高裁から呼び出しがきたが、今井はこれを無視した)が、絶対に無罪だと確信して映画を作った。だが、大手の配給網から閉め出されたため、独立プロの配給で上映に踏み切り、全国を巡回するうちに大ヒットとなった。

さらには、映画を見て感動した呉羽紡績(富山県)の女性従業員が、広島拘置所に収監されていた阿藤さんに励ましの手紙を書き、文通の末、獄中で結ばれるという、“事実は小説よりも奇なり”という、「おまけ」までついた。

タイトルの『真昼の暗黒』は、スターリン体制下のソビエトでの、自白強要・粛正の惨状を告発したアーサー・ケストラーの同名小説からとられた。

映画のラストシーン――死刑判決をうけた無実を訴える被告の「お母さん、まだ最高裁があるんだ」との叫び声は、えん罪を訴えながら死刑判決を受けた主人公が、最後の望みを最高裁に託して叫んだ言葉だが、事件の真相を描いた『裁判官』の中で著者で弁護士の正木ひろしが書いた「人の命は権力で奪えるものか」とともに、一大センセーショナルとなった。

 まかりまちがえば“刑場の露”と消えかねなかった、えん罪被害者の元被告の阿藤周平さん(75歳−02年現在)=大阪市此花区=は、後に波乱の人生を振り返り、「無罪を勝ち取ることができたのは、あの映画のおかげです。私たちは釈放後、初めて見せてもらいました。最初は、顔も風景も違うので、戸惑いながら見ていたのですが、自白を強要するシーンになると一挙に記憶がよみがえってきました。橋本忍さんが拘置所に会いに来てくださったことをよく覚えています」と語っている。

 1本の映画が、無実の青年を死刑台から救うきっかけをつくったのである。

だがしかし、現在こうした映画人は最近ほとんどいなくなった。今井監督もすでにいない。合掌。
真昼の暗黒      
     1956・現代プロ
製作:山田典吾
監督:今井 正
原作:正木ひろし『裁判官』
脚本:橋本 忍
撮影:中尾駿一郎
音楽:伊福部 昭

出演:草薙幸二郎
    左 幸子
    松山照夫
    矢野 宣
    牧田正嗣
    小林 寛
    内藤武敏
    山村 聰
    菅井一郎
    山茶花究
    加藤 嘉
   飯田蝶子
    北林谷栄
物語

昭和26年(1951年)1月、山口県の片田舎の一軒家で老夫婦の死体が発見された。
仁科家の夫とその妻である。夫は布団の中で、顔や頭、全身を滅多切りにされ、妻は隣室との鴨居に首を吊る恰好で死んでいた。
この状況からは夫を殺した妻が首を吊って自殺したかのように見える。しかし警察は首吊りを偽装工作と見破り、殺人事件として捜査を開始した。

現場検証から家の出口にあった焼酎の瓶から、近くに住む小島武志(松山照夫)の指紋が検出された。小島は酒と女が好きな職人で金に困っているとの情報から直ちに重要参考人として指名手配され、近隣の遊郭に居続けていたところを逮捕された。
刑事の尋問に対し、小島は仁科家の老夫婦殺しを自供した。

・・・・・・小島の自供・・・・・・
日頃から仁科さんは小銭を溜めているらしいと噂で聞いていた。1月24日の夜、盗みに入る前に飲み屋で焼酎を飲み元気をつけた。更に焼酎瓶を買って飲みながら仁科宅へ向かった。仁科宅へ侵入した後も震えが止まらないので残りの焼酎を一気に飲み乾し瓶を戸の外へ置き、夫婦の寝室に入った。
突然、電気が付き仁科さんに顔を見られた。近所だから顔を知られている。台所にあった斧を持ってきて仁科さんの頭に振り下ろした。何回も・・・。
惨劇に奥さんは腰を抜かして震えていた。そこで馬乗りになり奥さんの首を締めた。
その後、箪笥などから1万数千円を盗んだが、ふと思いついて奥さんを首吊りに見せようと偽装工作をした。・・・・・・

小島の衣服から被害者の血痕が検出され、凶器の斧も発見された。これで一件落着かと思われたが、捜査陣は納得しなかった。現場の凄まじい状況から犯人は複数だと信じていたからである。
取調官は、共犯者の名前を言え、と迫る。
「いいかげんに本当のことを言え、仲間の罪をかぶって死刑になるか、本当のことを言って5年か6年で出してもらうか、どうなんだ!」
最初は驚いた小島だったが、何回も何回も手厳しい追求を受けるうちに、小島は警察の思い込みを利用しない手はない、と思うようになる。別の首謀者から脅されて犯行を手伝ったことにすれば罪は軽くなるに違いない。
小島は遊び仲間の4人の名前を言った。警察は我が意を得たりと喝采した。

そして、植村清治(草薙幸二郎)、青木庄市(矢野宣)、宮崎光男(牧田正嗣)、清水守(小林寛)が次々と逮捕された。彼らは前科者で遊び人であった。
4人に対する刑事たちの取り調べは拷問である。見に覚えもなく、証拠もないのだが、首筋を線香で炙られたり、軍靴を改造したスリッパで殴られたりされるうちに、4人は小島の供述に合うように自供をさせられたのである。そして、首謀者は植村となった。
植村の内妻の永井カネ子(左幸子)は、事件当夜、植村と自宅で一緒に寝ていたと植村のアリバイを主張したが、家族の証言として受け入れられなかった。

公判で4人は、自白は拷問によるものだと主張し、無実を訴えた。しかし、翌年の山口地裁で首謀者とされた植村に死刑、小島を含む他の4人に無期懲役の判決が言い渡された。
昭和28年の広島高裁では、植村に死刑、小島に無期懲役、他の3人には懲役12年〜15年となる。

植村は藁にもすがる思いで冤罪事件で有名な近藤弁護士(内藤武敏)に手紙を書き救いを求めた。
近藤は綿密な調査の結果、首吊り工作は一人でも可能だとの結論に達し、4人の冤罪を確信したのである。

植村の母つな(飯田蝶子)が植村に面会に来た。双方とも顔を見合わせるだけで声が出なかった。だが、植村は帰りかけた母に叫んだ。
「まだ、最高裁がある!!」
映画館主から

これは、昭和28年に実際にあった『八海事件』の弁護を担当した弁護士正木ひろしの著書「裁判官」の映画化です。
まだ最高裁での審理中だったため、裁判所や映画会社から圧力がかかったそうですが、今井正監督、脚本家の橋本忍は屈することなく公開に踏み切ったのです。
「真昼の暗黒」が世間に及ぼした影響は大きく、この年の映画賞を総なめにしました。正木ひろしの「裁判官」もベストセラーになり、山口県の小村で起きた事件は全国的に有名になりました。

その後、昭和34年に4人に無罪判決が出たのですが、昭和40年の差し戻し審では再び首謀者に死刑、3人には懲役12年〜15年の判決が出ています。
良心の呵責に耐え切れなくなった実行犯は、広島刑務所から最高裁に「私の単独犯行です」という上申書を17通出していましたが、刑務所が握り潰していたといいます。
最終的に昭和43年に最高裁で全員に無罪判決が出るまでに、逮捕されてから実に17年9ヶ月の歳月がかかったのです。何という理不尽な話でありましょう。

当時の官憲の横暴ぶり、尊大な態度は腹に据えかねるものがあり、取調室での拷問は茶飯事のことでありました。何日も寝かされず、殴る蹴るの拷問に耐えられる人間はいないでしょう。結局、筋書き通りの自白をしてしまうのです。
戦後の昭和20年代の冤罪事件として、昭和23年の免田事件(熊本県で一家4人が殺害される)、昭和24年の松川事件(福島県で東北本線が脱線転覆、機関士ら3人が死亡)、昭和24年の三鷹事件(三鷹駅車庫から電車が暴走、死者6名)、昭和24年の弘前事件(青森県弘前大学医学部教授の妻が殺害)、昭和25年の二俣事件(静岡県で一家4人が強盗犯に殺害される)、昭和29年の島田事件(静岡県での幼女誘拐殺人)などが上げられます。
昭和23年の帝銀事件(帝国銀行椎名町支店で職員12名を毒殺)は、犯人とされた死刑囚、平沢貞道氏は死刑囚のまま獄死しましたが、私は松本清張の著作などから、平沢氏の冤罪を信ずる一人です。これらの事件のうち幾つかはアメリカ占領軍(GHQ)の関与抜きには考えられないとされています。
そして、この世に冤罪が存在する限り、私は死刑制度に反対であります。

弁護士正木ひろし氏は、昭和50年に死去しましたが、彼の「首なし事件」(昭和18年、一人の鉱夫が警察で死んだ事件で、正木は拷問死の臭いを嗅ぎ取り、事件を解明するために墓場から死体の首を切り取って持ち帰る)では、死因を脳溢血ではなく、官憲の拷問による死であることを立証したのです。
この事件は昭和43年に東宝が映画化しました。映画「首」(監督:森谷司郎、脚本:橋本忍、主演:小林桂樹)がそれで、小林桂樹が正木ひろし役を熱演した骨太の傑作でした。「首」でも橋本忍の脚本が素晴らしい出来で、森谷監督は力量を存分に発揮していました。残念ながらビデオ化はされていないようです。

参考文献:「戦後日本映画」 発行?マルハン
◎八海(やかい)事件

3度目の正直という言葉がある。では7度目は何というのか…

「現在の司法権、裁判制度、そういうものをおいといていいかどうか、我々は単なる被告たちだけを救うのでなく、日本の文化のこういった病気を、根性の悪さを、官権の横暴と、怠け者と、月給泥棒とを早くやめさせると、被告を苦しめた奴は恩給を取り上げると、場合によっては、司法殺人の未遂者であるとして皆さんの国民裁判にかけるまで行かなければ本当の解決ではないということを申し上げます」(無罪が確定した最高裁判所の前での正木ひろし弁護士の演説の一節)。

1951年1月25日午前9時ごろ、山口県熊毛郡麻郷(おごう)村(現・田布施町)字八海で、老夫婦が殺害された。夫は顔、頭、全身をめった斬りにされ、妻は鴨居に吊されるといった凄惨な事件であった。

警察は、首吊りを偽装工作と断定、夫婦殺し事件として捜査を開始、現場検証で、物色の痕跡も見つかり、台所の焼酎の瓶から近くに住む吉岡晃(当時22歳)の指紋が検出されたことから、直ちに重要参考人として指名手配、事件から2日後に逮捕した。

吉岡は犯行を認め、吉岡の衣服から被害者の血痕が検出され、自供により凶器の斧も発見された。吉岡の犯行には疑問の余地はなかった。だが、警察は複数人の犯行とみて吉岡をさらに厳しく追及、吉岡は、警察の見込み捜査を利用して自分の罪を軽くするために、遊び仲間の阿藤周平氏(当時24歳)を主犯にでっち上げ、他に稲田実氏(当時23歳)、松崎孝義氏(当時21歳)、久永隆一氏(当時22歳)の名前を漏らす。

吉岡の自供から4人が逮捕された。身に覚えのない4人は犯行を否認したが、警察は容赦しなかった。戦前からの自白偏重捜査になれきっていた捜査官は1949年1月1日に施行された新刑事訴訟法の精神を理解せず、それまでの捜査手法の強引な取り調べで自白に追い込むこととなる。憲法が禁止する拷問である。

捜査官は、吉岡の供述に合致する自供を引き出すために4人の首筋を線香であぶったり、軍靴を改造したスリッパで殴りつけた。

拷問にたえられず、4人は虚偽の自白に追い込まれる。

公判で4人は、拷問による自白だとして無実を主張、阿藤氏は内妻と自宅で寝ていたとアリバイを主張したが、「家族の証言」として受け入れられず、1952年6月2日、山口地裁は、阿藤氏に死刑判決、吉岡ら4人に無期懲役の判決を下すのであった。

広島刑務所で服役した吉岡以外の4人は控訴(検察側も全員に死刑を求めて控訴)したが、1953年9月18日、広島高裁は、阿藤氏と吉岡に対しては第1審判決の量刑を支持、稲田氏ら3人に対しては無期懲役12年〜15年に減刑した。

阿藤氏は、戦前にあっては東条英機を激しく弾劾するなど戦時下において不屈の思想的抵抗を貫く一方、1944年にはいわゆる「首なし事件」で警察の拷問による殺害事件を告発し権力犯罪に対決、戦後においては、プラカード事件、三鷹事件、菅生(すごう)事件、丸正(まるしょう)事件などの冤罪事件に取り組んでいた戦闘的ヒューマニストの正木ひろし弁護士に救いの手紙だす。

阿藤氏からの手紙を読んだ正木弁護士は冤罪を確信し、妻に対する首吊り工作は1人でも可能だとの前提から1・2審判決の厳しい批判を展開、1955年3月には、『裁判官 人の命は権力で奪えるものか』(光文社)を出版、これが一大ベストセラーになり、一躍八海事件が全国的に注目されるところとなり、裁判批判が各地、各界で行われる事態に立ち至った。

こうした状況に危機感をもった田中耕太郎最高裁長官は 、裁判批判を“雑音だ” と罵倒、全国の裁判官に対して雑音に耳を傾けるなと訓示、また、一審山口地裁の藤崎什枷縦垢、“裁判官は弁明せず”の慣例を破って、『八海事件・裁判官の弁明』(一粒社)を出版、混沌とした状況がかもしだされた。

さらに、1956年3月には、正木弁護士の著書を原作として、巨匠の今井正監督がメガホンを取り、独立プロダクション(現代ぷろだくしょんった)が製作した、スターリン体制下のソビエトでの、自白強要・粛正の惨状を告発したアーサー・ケストラーの同名小説からタイトルがとられた映画『真昼の暗黒』(脚本・橋本忍)が公開された。

最高裁で審理中の冤罪に関わる映画製作であったことから、最高裁は製作中止や公開中止の圧力をかけるが、今井監督は最高裁から呼び出しを無視、プロダクションは、憲法が保障する表現の自由を守り抜き、大手配給網から閉め出されたため、独立プロの配給で上映に踏み切り、全国を巡回するうちに空前のヒット作品となり、裁判批判に拍車をかけた。

特に映画のラストシーンで、阿藤氏をモデルにした主人公が、拘置所の鉄格子に掴まり「お母さん。まだ最高裁があるんだ! まだ最高裁があるんだ!」との絶叫は、えん罪を訴えながら死刑判決を受けた被告人が、最後の望みを最高裁に託して叫んだ言葉であったが、たちまち全国を席巻、流行語になり、映画『真昼の暗黒』は、「キネマ旬報」日本映画監督賞、ベストテン第1位、「毎日映画コンクール」日本映画賞、脚本賞、監督賞、音楽賞、「ブルーリボン賞」作品賞、脚本賞、監督賞、音楽賞、ベストテン第1位と、1956年の映画賞を総なめにするところとなる。

映画公開の翌年1957年10月15日、最高裁は広島高裁の全員有罪の判決を破棄し、高裁に差戻す判決を下した。冤罪の可能性が高いことを意味したのである。

1959年9月23日、差戻審の広島高裁は、吉岡の単独犯行と認め、阿藤氏を始めとする4人全員に無罪の判決を行った。裁判批判の大切さを実感できたひとときであった。

逮捕から8年8ヶ月ぶりに4人は牢獄から解き放たれ、阿藤氏は『真昼の暗黒』に感動した女性と結婚する。

だが、冤罪がここで晴れたわけではなかった。官僚の無謬性から絶対に過ちを認めない検察は、上告するが、あろうことか最高裁は1962年5月19日、差戻審の無罪判決を破棄し、再び差戻しの判決を下した。このときの最高裁は、かつての最高裁の判断を逆転させる5人の共犯説を採用したわけである。それはつまり、同じ最高裁が、死刑と無罪の天国と地獄の落差のある判決を行ったことを意味した。

1965年8月30日広島高裁での第2次差戻審は、阿藤氏に対して死刑判決を、他の3人に対しても1953年9月の最初の控訴審判決同様の懲役12年〜15年を下した。死刑から、無罪へ。そして無罪から死刑へと判決は変転、阿藤氏らは奈落の底に落とされた。

良心の呵責に耐え切れなくなった吉岡は、広島刑務所から最高裁に「私の単独犯行です」という上申書を17通も提出したが、これは刑務所によって握りつぶされた。

1968年10月25日、実に3度目の最高裁第2小法廷は裁判官5人全員一致で、4人に無罪判決が下され、ここに吉岡単独犯行が確定、阿藤氏ら4人は、いわれなき逮捕されてから17年9ヶ月の時の経過を経て青天白日の身となる。

八海事件は、山口地裁(阿藤氏死刑の5人共犯説)→広島高裁(阿藤氏死刑の5人共犯説)→最高裁(破棄差し戻し。吉岡単独犯行説。阿藤氏ら4人冤罪) →再戻し審広島高裁(吉岡単独犯行説。阿藤氏ら4人冤罪) →最高裁(破棄差し戻し。阿藤氏死刑の5人共犯説)→第2次再戻し審広島高裁(阿藤氏死刑の5人共犯説)→最高裁(吉岡単独犯行説。阿藤氏ら4人無罪判決)という、事実上一つの事件で7回も裁判が繰り返され、事実上死刑4回。無実3回といった世界的にも珍しい混迷した裁判となり、裁判そのものに対する不信を醸し出すこととなった(最高裁判所に3度もいったことから「エレベーター裁判」ともいわれた)。

そして、その後も冤罪事件が続出することになる。反省がないことからくる一定の結末である。

1968年阿藤周平氏は朝日新聞社から『八海事件獄中日記』を出版、現在大阪市此花区に在住している。最高裁無罪判決から3年後の1971年9月、吉岡が事件以来20年8ヶ月ぶりに広島刑務所を仮出所し、阿藤氏ら4人に謝罪した後、広島県呉市の鉄工所で工員として働き出したが、1977年7月11日、35冊の告発ノートを残して胆のう炎で49歳の生涯を終えた。

1975年、正木ひろし弁護士が79歳で他界した。

広島拘置所にいた阿藤氏は、次のような気持ちでこの日を迎えた。

「八海判決、ついに来た。

この日を私は万感をこめて待った。

苦しい日々であった。

苦しい日々であった。

昨夜は、なかなか眠れなかった。

うとうとしたと思うと目がさめ、まんじりとしない一夜、朝、暗いうちから目はぱっちり開いた。

無罪を受ける日、絶対!無罪を信ずる。何だか胸がしめつけられる思い。

無罪。青天白日後のことを、あれこれと心に描く、この胸は高なる。

血わく。

私は信じて判決を待つ、無罪を確信する。     (午前10頃記)

私は最高裁の大法廷を瞼に描いてみる。

まるで手にとるようにして、大法廷のもようがわかるようだ。

午前10時30分、奥野裁判長より、おごそかに絶対的判決が言渡される。

奥野裁判長は、りんとした声で無罪を宣告されると確信する。

いま午前10時をすぎた頃であろうか。

女房が則生の手をひいて大法廷に入る姿を描いてみる。

まき子よ、まき子の心の中に私がいる。

青天白日

無罪判決の報を待つ。

刻一刻と判決言い渡しの時刻が迫まるにつれ、緊張は続く。

はりつめた心、無罪を確信する心、何とこうまで、私の心をとらえてはなさないのであろう。

18年間血を吐き出すような真実の訴えが、今日後数分後に報いられようとしている。

天にものぼる気持である。神よ、正義をたれ給え。」

(阿藤さんの手記・・・佐々木静子著『もえる日日』から)

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