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橋本 忍コミュの加賀騒動

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コミュ内全体

加賀騒動(1953) http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%8A%A0%E8%B3%80%E9%A8%92%E5%8B%95%E3%80%81%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E5%BF%8D&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

製作年 : 1953年
製作国 : 日本
配給 : 東映

村上元三のサンデー毎日連載小説を「生きる」の橋本忍が脚色し、「恐妻時代」の佐伯清が監督した東映京都作品。撮影は「紺屋高尾」の三木滋人、音楽は「満月三十石船」の高橋半。「飛びっちょ判官」の大友柳太朗、「女ひとり大地を行く」の山田五十鈴、「ギラム」の利根はる恵などを除いて、キャストの殆どを千田是也、小沢栄、東野英治郎、三島雅夫、薄田研二、岸輝子、加藤嘉、東恵美子等新劇人が占めている

あらすじ
享保年間。--加賀藩の禄を食む小身者大槻伝蔵は、藩お抱えの加賀鳶と旗本火消との衝突を見事捌いて思いがけぬ貫録を示したばかりか、恋人お貞の友、お民を大守吉徳の側室にとりもって主の気嫌にかなった。江戸屋敷における彼の地位は急激に上り、やがて吉徳の名代として国許への使者を仰付けられる迄になるが、加賀へ着到のとたん、軽輩伝蔵の名代を怒った国家老前田土佐の命によって謹慎の身へ墜ちた。結局は吉徳直々の手で罪を解かれ、加えて二百五十石の増俸をも得たものの、武家社会に一旦抱いた懐疑は去りようもない。この若い懐疑は、さらにお貞がお民の後を襲って吉徳の側室に収まったことから一転し、彼を栄達のためにはすべてを犠牲にして顧みぬ狂的なエゴイストとした。二、三年を経て彼は千九百八十石の大身であった。彼の権勢欲はまだ飽かなかった。--しかし、吉徳の急死によって情勢は一変、正嗣宗辰をたてる前田土佐一派は伝蔵がお貞の方の後見としてその腹心お浅を局に推した事をもって庶嗣勢之佐の襲跡を企てるお家乗取りの策となし、はげしく訴追した。幾多の濡衣と戦い、逆臣の名を拒みながら、すべて空しく、彼は自らの命を絶っていった。

キャスト(役名)
大友柳太朗 オオトモリュウタロウ(大槻伝蔵)
小沢栄 オザワサカエ(久世三四郎)
加藤嘉 カトウヨシ(奥村長左衛門)
東恵美子 アズマエミコ(お貞)
東野英治郎 トウノエイジロウ(山村善右衛門)
三島雅夫 ミシママサオ(前田中将吉徳)
薄田研二 ススキダケンジ(本多安房)
香川良介 カガワリョウスケ(横山大和)
千田是也 センダコレヤ(前田土佐)
岸輝子 キシテルコ(年寄)
山田五十鈴 ヤマダイスズ(お浅の局)

スタッフ
監督 : 佐伯清 サエキキヨシ
原作 : 村上元三 ムラカミゲンゾウ
脚色 : 橋本忍 ハシモトシノブ
企画 : 柳川武夫 / 栄田清一郎 エイダセイイチロウ
撮影 : 三木滋人 ミキシゲト
音楽 : 高橋半 タカハシナカバ
美術 : 角井平吉 カクイヘイキチ
録音 : 東城絹児郎 トウジョウケンジロウ
照明 : 山根秀一 ヤマネヒデイチ

コメント(6)

(物 語)

加賀藩の大槻伝蔵は小禄であったが、火事場での藩お抱えの加賀鳶と旗本火消との衝突を見事に捌き、藩主・吉徳の面目をほどこす。吉徳は伝蔵を重用し、伝蔵もその期待に応えたため、江戸屋敷での彼の地位は急激にあがる。伝蔵は火事場で知合ったお貞と所帯を持つつもりだったが、藩主の名代として国許へ赴くことになる。お貞は伝蔵に会いたい思いで、かつての友だちで、今は吉徳の側室となっているお民の方の腰元になる。

国許では軽輩伝蔵の名代を怒った国家老の前田土佐の命で伝蔵は謹慎処分となる。伝蔵は吉徳直々の手で罪は解かれ、加増もあったが、武家社会に懐疑を抱く。この懐疑は、お貞が吉徳の目にとまって側室になったことから一転し、伝蔵を栄達のためならすべてを犠牲にして顧みぬエゴイストにした。

伝蔵は吉徳の相談役として家老職にまで昇るが、吉徳が病に倒れる。嫡男・宗辰の相続が決まり、大奥でのお貞の身を案じた伝蔵は、お浅に大奥の局になってくれるように頼む。伝蔵が軽輩だった頃、お浅と伝蔵は隣同士で、その時からずっと伝蔵を想い続けていたお浅は承諾する。やがて、吉徳が死に情勢が一変する。新藩主・宗辰により、伝蔵はお貞の子である庶嗣・勢之佐の襲跡を企てる御家乗っ取り犯として切腹を命じられるが、逆臣の名を拒んで斬り死にする。




(感 想)

“加賀騒動”といえば、藩主に取入って家老にまで出世した大槻伝蔵が、藩主の愛妾と不義密通してできた息子を加賀百万石の領主にするために、藩主を毒殺し、さらに嫡男まで毒殺しようと企てた講談ネタで有名ですが、この作品は史実に即して映画化したものです。

武家社会の不条理からくる悲劇を、大友柳太朗が実に素直な演技をしていて見応えのあるものになっていました。脇を固める新劇の役者の中に入って、大友はんの演技は決して見劣りしませんよ。自ら代表作の一つに上げているのが納得できます。

当初、大槻伝蔵の役は片岡千恵蔵が予定されていたらしいのですが、千恵蔵だと貫禄がありすぎて果たして成功したか。大友柳太朗で正解でしょうね。

内容的には、佐伯清の演出は少しハショリすぎたところがありますね。伝蔵がお貞への未練を断って出世していく過程が省略されているのと、その過程における老臣たちとの確執、それに伴う伝蔵追い落としの政敵の執念が描かれていないのでドラマとしての厚みが欠け、ラストの悲劇が今イチ伝わらないんですよ。もっとジックリ描きこんだら大傑作になったのに、惜しい!
参考として史実を記しておきます。

大槻伝蔵は元禄16年(1703年)、足軽の三男に生まれます。享保元年(1716年)、当時の世子・吉徳の御居間坊主に召しだされ、吉徳が享保8年5月に家督を継ぐと、享保11年7月に切米50俵の士分になります。その後波状的に知行を増やし、寛保3年(1743年)12月には老臣八家(本多、長、横山、前田2家、奥村2家、村井)に次ぐ3800石の上士に出世します。

その台頭の背景には、吉徳との男色関係の他に、硬直化した藩財政の立て直しを行い、経済官僚として藩政を実質的に動かしていたことがあります。

老臣八家は藩権力の中枢から遠ざけられ、次第に不満をつのらせます。その中で伝蔵排斥の急先鋒に立ったのが前田土佐守でした。前田土佐守は寛保3年7月から4度にわたり、伝蔵の専横を指摘した弾劾文を世子・宗辰に提出します。吉徳に相手にされないので、宗辰に頼ったのです。しかし逆に延享元年(1744年)7月、吉徳から御役御免となり、実質上年寄りの職務を奪われてしまいます。

このように、吉徳=伝蔵ラインと宗辰=門閥ラインの確執が続いている中で、延享2年6月に吉徳が没します。同年7月に宗辰が藩主に就任するや、伝蔵は「吉徳病中の処置よろしかざる」の理由で蟄居を命じられます。さらに同年12月、本多政昌邸に召喚され、奥村修古同席の上で越中五箇山に流刑を言い渡されます。そして寛延元年(1748年)9月12日、配流先にて伝蔵は自害します。享年46歳。

伝蔵が自害する直前の寛延元年6、7月の間に加賀藩の江戸屋敷で、藩主・重熙の毒殺未遂事件が起きます。重熙は宗辰の弟で、延享3年12月に宗辰が急死して藩主に就いていました。

犯人は中老の浅尾で、吉徳の側室の一人真如院の命令であることを白状します。真如院の長子・勢之佐は重熙のすぐ下の弟で、藩主に万一のことがあればその後を継げる立場にありました。真如院の所持品を調べると大槻伝蔵の書状が発見され、伝蔵と密通していたことを認めます。真如院は江戸芝神明の神主の娘で、伝蔵とは吉徳の側室になる前から顔見知りでした。真如院は終身禁固となり寛延2年2月、42歳で没します。勢之佐は幽閉され、宝暦9年(1759年)25歳で没します。浅尾は金沢へ移され、殺害されました。

この事件の発端は、重熙の毒殺未遂事件でしたが、真如院と伝蔵の不義事件として決着します。真相は不明ですが、何としても伝蔵を抹殺しようとした前田土佐守と、勢之佐が失脚すると継承権がある重靖の母・善良院(吉徳の側室の一人)一派が仕組んだ陰謀のような気がします。騒動後、加賀藩では重熙が急死し、後を継いだ重靖も若死にしたので、真如院と伝蔵の祟りだという噂が流れたそうですよ。
加賀騒動

■公開:1953年

■制作:東映京都

■監督:佐伯清

■脚本:橋本忍

■原作:村上元三

■撮影:三木滋人

■音楽:高橋半

■美術:角井平吉

■主演:大友柳太朗

■寸評:
 2002年、NHKが大河ドラマ「利家とまつ 加賀百万石物語」を製作しなければ、おそらく幻の映画として日の目を見ることはなかったのではないか?国民的番組は村おこしだけでなく、映画の発掘もする。

 江戸屋敷にいた加賀藩主の6代目、前田吉徳・三島雅夫は火事現場にいちはやく前田家の火消しチームを向かわせた。

 旗本火消しと前田家の火消しがゴロまきそうになった現場にかけつけて仲をとりなした、大槻伝蔵・大友柳太朗は茶坊主出身の下級武士だったが、旗本随一の暴れん坊、久世三四郎・小沢栄(小沢栄太郎)からも一目置かれるほどの器量を見せる。機嫌をよくした吉徳は大槻を重く用いたのだが、百姓のセガレが出世していくのを藩のセレブたちは面白くなく、とりわけ件の現場で赤っ恥をかいた奥村長左衛門・加藤嘉は男のジェラシー全開に。

 実直で不器用な大槻はそろそろお年頃だったので商家の娘、お貞・東恵美子のことが大好きになった。出世コースにも乗れそうだし、下男・稲葉義男と親戚の山村善右衛門・東野英治郎も良縁だと大変に喜んだが、山村の妹・山田五十鈴だけはイマイチ嬉しそうではなかった。

 お殿様のパシリで国元へ戻った大槻を生意気だと勘違いして謹慎させた国家老、前田土佐・千田是也、奥村長左衛門らの仕打ちがトラウマになった大槻は、立身出世の鬼となり元々勉強家だからメキメキ出世しとうとう家老職にまで大出世、茶坊主たちのアメリカン、じゃなかったジャパニーズ・ドリームの体現者となる。かつての恋人、お貞は殿様の愛妾になっていたが、あいかわらず大槻に惚れていた。

 こうなると実力はないけどブランド志向の偉い人たちの不満はピークに達し、吉徳病没と同時に、お世継ぎ候補を擁する正室派の威光をかさに着て大槻降ろしのシュプレヒコール。

 吉徳の寵愛を受け、大奥へ上がったお貞はいびられ、お貞をサポートするために向かったお浅の局とともに孤立していく。反大槻派は、藩主謀殺、次世代藩主毒殺未遂、大槻とお貞の不義密通など、週刊誌の三面記事ネタを証拠と言い張り、後ろ盾を無くした大槻はとうとう切腹を命じられる。

 講談やお芝居では稀代の悪役、加賀騒動の看板である大槻伝蔵が、実は貧しい家の出ゆえに多くの悲しみを味わい、お家騒動の犠牲者として身分の高い連中に利用されて葬られたという解釈に基づいているのが本作品。

 「権力に虐げられた者の悲しみ」といえば橋本忍である。まさに真骨頂って言うか、その雄雄しいというより押しつけがましいほどの圧力がドラマ性が毎度のことながら絶好調だ。キャメラも大槻の断末魔にとてつもなく高い城壁を延々と映し、その石垣に指をかけて絶命する姿を印象的に使った。

 太平洋戦争で最盛期を奪われたチャンバラスタアは多いが大友柳太朗もその一人。敗戦直後はもっぱら現代劇の悪役をそれでも精一杯に凄味を利かせてやっていたけれど、やはりチョンマゲがないと寂しい(頭髪ではなく)。お貞との出会いは、彼の扇を添え木の代用にしたところからで、立派な押し出しと造作の大きい大友柳太朗が想い出の品をためつすがめつ一人でニンマリとするところが愛嬌があって好きなシーン。

 冷酷非情な出世マシーンとなってからも、純情なころの忘れ形見として扇を大切にしていたが、結局はそれが原因で非業の死を遂げるのである。歴史的にも多様な解釈がされる大槻伝蔵という人物が乗り移ったような大友柳太朗の熱演。まるで「市民ケーン」のような壮大で骨太な人間ドラマだった。こうした作品が、娯楽性の不足や題材の地味さも手伝って埋もれてしまっているのは惜しいと思うぞ。
( 2002年11月24日 )
加賀騒動 かがそうどう
監督 佐伯清

公開年  1953年
評点 [A’]
感想  今日は、佐伯清監督の『加賀騒動』を観た。昭和二十八年(1953)の作品。

 加賀前田家の家臣・大槻伝蔵(大友柳太朗)は茶坊主あがりの軽輩だったが、江戸の大火事の夜に加賀火消しと定火消し(旗本火消し)・町火消しの三つ巴の争いを鎮めたことから藩主・前田吉徳(三島雅夫)の目にとまり、好いていた商家の娘お貞(東恵美子)を藩主のそばに上がらせたこともあって、一気に栄達を始める。しかし、家老・本田安房守(薄田研二)らごくわずかな理解者を除いて、国家老・前田土佐守(千田是也)や元上司の奥村長左衛門(加藤嘉)など、家中のほとんどは大槻を白眼視した。

 原作は村上元三(脚本:橋本忍)。歌舞伎や講談などで有名な“加賀騒動”を映画化。この作品では、芝居などでは悪役とされる大槻を、前田家中の勢力争いの犠牲となった悲劇の主人公として描いている。
 娯楽性を配慮したのか映画の時間の都合か、大槻が主導した加賀前田家の内政改革などにはほとんど触れられず、加賀騒動の要素を全て男女関係に還元してしまっているのは少々物足りない。ただし、大友柳太朗は出世の鬼と化した男の孤独を表現していたし、大友に好意的な側の本田安房守や元同輩の山村善右衛門(東野英治郎)・中間の又介(稲葉義男)らが丹念に描き込まれていて印象的。また、終盤の立ち回りの執拗な描写とラストシーンが良いので、全体として佳作という印象。
 映像的には、三木滋人の撮影によるソフトな白黒画面が美しく、説明的というか、状況を映像で説明する絵作りが上手い。(2002/12/31)
佐伯清 一筋のアルチザン 佐伯 知紀

 佐伯清監督(1914〜2002)には、何度かお目にかかり、親しくお話をする機会があっ た。以前、「えひめ雑誌」(愛媛新聞発行)に、「愛媛の映画人」というタイトルでわがままな連載をした折には、千歳烏山のお宅にお邪魔して、映画界へ進んだ動機やきっかけについて詳しくお聞きした。「人はどのようにして映画を選び、映画人になったのか」という主題は、その時代のメデイアの隆盛ぶりや個々人の選択などからも説明できるが、それのみではなく、人と人との出会いやその組み合わせの妙を調べるとなかなか興味深いものがある。
 というのも、愛媛県は、東京や大阪といった大都会、また京都のように映画撮影所がある地域ではないにも関わらず、映画監督の数が比較的多い県なのである。キネマ旬報社発行の「日本映画人名事典 監督篇」(1997年)を見てみると19人になる。これを四国の他県と比較してみると、香川が7人、徳島が4人、高知が9人で、愛媛が断然突出していることがわかるだろう。
 結論からいえば、これは日本映画の青春期に(伊藤大輔―伊丹万作)という、2人の巨匠を輩出した点に起因している。2人が同窓の友人であったことは愛媛の読者には繰り返す必要もなく、その関係はすでにわが映画史上の神話でもあるが、ある時代、伊藤・伊丹というこの2つの頂を頼って、群がるように映画界を目指した郷里の若者たちがいたことは事実である。佐伯清もそのような若者の一人であったことを、まず確認しておこう。そして、そのなかで才能と運に恵まれて生き残った一人であった。かれは伊丹万作の門下として映画の世界に踏み出していくのである。
 1945年にエノケンの「天晴れ一心太助」で監督デビュー、もっとも活躍した時期は、戦後の1950年代から60年代にかけて、その舞台は主に東西の東映撮影所であった。 この間に映画の黄金時代の産物である、プログラム・ピクチャーの監督として、バラエティーに富んだ作品を数多く残している。タイトルを上げてみよう。「富士山頂」「大利根の夜霧」「中山安兵衛」「嵐の中の母」「浅草四人姉妹」「恐妻時代」など現代劇、時代劇とりまぜて、実に多彩な作品が並ぶのである。
 それらのなかに、大友柳太朗主演の「加賀騒動」(1953)というユニークな作品がある。まず、これに触れておきたい。脚本は同じく伊丹門下の橋本忍。歌舞伎では主君の愛妾(あいしょう)と通じて主家乗っとりを企む悪役=大槻伝蔵を、映画では小身ながら能力と器量を有する人物として描いている。そのような人物が抜擢(ばってき)され出世していくと、当然のごとく旧勢力である重臣たちに妬(ねた)まれる。また、心を寄せあっていた恋人が、主君の側室にされるという不測の事態も、自分の愛人を差し出し主君の歓心を買った行為にとられてしまう。そのような嫉妬(しっと)と羨望(せんぼう)のなかで、敢然と藩政改革に挑んだ大槻は、主君の病没とともにその地位を奪われ、お家乗っとりを図った悪人として処分されていく。
 物語としては、軽輩だが有能な武士が封建制度の下で圧殺されていく姿を描いたもので、単なるプログラム・ピクチャー=娯楽映画と括れない本格的なドラマが構築されていることが分かるだろう。個人と社会の葛藤=制度への批判の視点が、今日からみればいささか古典的ではあるものの、見事に貫徹しており、重量感のある作品に仕上がっていた。そして、これは(後に数々の名作を執筆する)橋本忍の脚本ばかりではなく、佐伯清の果断な資質の一端を披露したものでもあった。たとえば、彼は戦争アクション映画のなかにも骨太な直線を一本、通してみせるのである。 敗戦前の中国大陸を舞台にした「砂漠を渡る太陽」(1960)のなかで、日本人医師の鶴田浩二は、ソ満国境を南下して来るソ連軍の戦車の音を聞きながらも、現地の村に踏み止まり伝染病と戦う覚悟を示し、「日本には戦争責任がある!」と断言してみせるのである。戦争アクション=娯楽映画という枠組みを踏みぬきかねない、激しい描写として記憶に残るものの一つである。他にも戊辰の役の後、北海道開拓に従事する侍たちを描いた「大地の侍」(1956)、山田五十鈴の名演技をひきだした「母子像」(1956)など、いわゆる娯楽作品の枠を越えて評価を得た、力強い作品があることを見逃すことはできない。
 そして、この剛直さこそが、高倉健と池部良のコンビで知られる「昭和残侠伝」(1965)を大ヒットさせた一つの要因であったことが、今日から振りかえるとよく見えてくるのである。シリーズ化された後には、主に昭和初期を舞台にするようになるのだが、この第1作は敗戦直後の浅草、伝統的な露天商(テキ屋)と闇市=マーケットを支配しようとする戦後やくざとの対立、抗争が物語の軸をなしている。まさに焦土と化した「昭和」の「残侠」を描いた作品だった。主人公、テキ屋の頭、寺島清二=高倉健が南方(海軍)から復員してくると、恋人の三田佳子は生還を待ちきれずに結婚しているという設定にも、時代色が投影されている。行方不明の妹を捜して旅を重ねる旅人、風間重吉=池部良は主筋の物語に陰影をつける役柄をキッチリとこなしている。この二人が戦後派やくざ一家に殴り込みをかけるラスト・シーンの乱闘は、高倉健(当時36歳)の鋼のような肉体が躍動して、怒り、吠(ほ)え、さながら荒ぶる獅子のような趣を呈している。
 大手製作会社が製作本数削減を決定し、やくざ映画やピンク映画の登場などジャンルの交替が加速化した1965年は日本映画の転換点として記憶されており、この「昭和残侠伝」もやくざ映画であることは確かなのだが、物語の構成などはむしろ時代劇=股旅ものの系譜を順守していることが分かるだろう。復員であれ、なんであれ、しばらく留守にしていた故郷の組へ帰ってみれば、新興やくざが跋扈(ばっこ)しており、その侵略と妨害を耐えに耐え、主人公がついに立ち上がるという物語の流れは時代劇のそれなのである。佐伯清は硬軟とりまぜたプログラム・ピクチャー、とりわけ時代劇、やくざ映画に剛直な一筋を通した監督であった。
懐かし映画劇場「加賀騒動」 1953 東映 「かつてのB級時代劇(91)」 [ キネマ ]
 3/7の放映ですがな〜あ。もっと前の放映弟子がな〜あ、国会中継が入りますとなーあ中止になりますねん。先週も、裕次郎な〜あ、時代劇の「城取り」は中止ですがなーあ。
午後1時から放映の懐かし映画劇場は影響大ですがなーあ。
それに、来週から2週間はお休みですなーあ・・
大相撲中継ですがなーあ

 この映画はなーあ、組織に殺される人間というのを、まざまざと見た映画でしたな〜あ。
いまでも、多かれ少なかれ、こういう風な構図で決まってるんだろうな〜あ。
実際とちがうことが、世の中に伝わって聞くなーあ
わてもなーあ、詫間事件はなーあ、もっと真相が知りたかったんやけどな〜あ
先公がそのとき、どういう行動を取ったんか、これは闇の中でんがなーあ。

昭和28年の作品だから、色はついてまへん。サイズもスタンダードですがなーあ
悲劇のヒーローは大槻伝蔵を演じるのは大友柳太朗ですがなーあ、キャスティングでは、山田五十鈴 、大友柳太朗の順ですねん・・
東映のマークも波と違いますわ・・・ それになーあ、劇団の人がたくさん出てましてなーあ、ちょっと違うって感じですなーあ。

チャンバラはほとんどありません、最後にヒーローが殺されるシーンだけだすなーあ。

それからなーあ、原作が村上元三でして、脚本がいいと思ったら、橋本忍でしたなーあ。
殿のお目にかない、出世ししていく、それを妬むもの達、自分たちを守るために排斥しようとする
まあ、よくある構図ですがな〜あ・・
殿が死んでしまうと、失脚させられる、映画では処刑されてしまいますなーあ。
今でもな〜あ、日本の社会ってのはこういう構図でしょうな〜あ・・
特に官の世界はなーあ、だって公務員になりたくってもなれないでしょう、就職で賄賂受け取る例が結構あるじゃないですか、特に先公はコネがない、働き口がないとかなーあ。
まあ、日本の長い伝統はそう崩れませんでな〜あ、というのを感じましたな〜あ

 冒頭が火事のシーンでしてなーあ、鎮火の後火消しが対立ですがなあーあ、それを治めたのが、大槻伝蔵でして、これを機会に出世街道を上がっていくんですがな〜あ
火消しは、町火消し、旗本火消し、大名火消しがあって、これが手柄の取り合いをしていたようで、加賀は特に、評判だったようですなーあ。

ラストのシーンがすてきでした。大槻が死んだ後、その話が加賀騒動として、芝居にかかる。大槻は妾に産ました子を世継ぎに使用としたという、芝居に仕立て上げられる。
その興行を、ばかばかしいと思いながら、群衆のなかに消えていく、元家老の姿が印象的でしたなーあ、演じているのは薄田研二でした。
村上元三
http://www.bk1.co.jp/author.asp?authorid=110000978940000

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