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お茶道入門の入門でございますぅコミュの茶道って何?

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コミュ内全体

茶道(茶の湯)とは、「茶事」を意味しています。茶事とは、友人や知人をお招きして、自分なりの創意工夫で、お客様に、お食事をお出しし、その後、濃い茶、薄茶で、おもてなしをする。
お茶のお稽古は、その茶事を行う為の、勉強って事になりますね。

茶事は、とっても、楽しいです。お客様に心を込めて、おもてなし出来る、お客様とも心の交流が出来て、暖かい気持ちになれます。
よく、茶の湯の心・・なんて言いますが、それは、そうした真心の交流を言うように思います。

このコミュニも、そんな心の交流が出来る場になれたら素敵だと思ってます。

コメント(29)

よくお茶の心を表す言葉として「和 敬 清 寂」の四語が出てきますが解説書に解ったような事を記述して居るのにイマイチ ピンと来ませんよね。

特に 寂 が掴めない 皆さん如何でしょう。

費と其々の解釈がありそうに思います。皆様はどのような解釈をされていますか?お話願います。

キットそんな考え方も有るんだねと感じると思うのですが。
藤の花さん
こんにちは。
和敬清寂は、読んで聞いた通りで、立ち止まって、その意味を考えた事がありませんでした。

禅語からだと思っているので、寂は、道や真理や悟りと言う、
絶対的な境地をさしているのだと勝手に思っていましたが・・
あらためて考えると、ちょっと自信がありません。
和敬清の心の持ち方を実践する事で、寂・・悟り?と言うか
理想の境地に近づく?事が出来ると言うことでしょうか?

勉強不足で、知識不足なので、間違っていたら、どうぞ、教えて下さい。南方録などで、この当たりの事は、勉強出来そうな気がしますが、読んでも、理解するには、まだまだ、私の精神面が追いついていなそうです^^。
2 ならんは様
>禅語からだと思っているので、寂は、道や真理や悟りと言う、
絶対的な境地をさしているのだと勝手に思っていましたが・・

多くの人達はそのように信じているようですが、何か腑に落ちない。
そのようなことは有りませんか?
人としてどのように生きるか。そしてどの様に死を迎えるか。
そのような境地に中々なれないものです。
時代と共に、社会と共にそれらも変化しそうですしネ。

>和敬清の心の持ち方を実践する事で、寂・・悟り?と言うか
>理想の境地に近づく?事が出来ると言うことでしょうか?

和敬清寂 この4文字は優先順位は無いと思います。
全て愛と寛容だけ と思うのです。
どのような悪人でも「許す」信じられないけれど
許す 寂の中の大きな要素が「信じられない程の許す」
かも知れません。

多くの人は許せない しかし心が落着いて来ると
許せる様に成るのです。私は未だ許せない人が沢山居ますが。
未だ巧く表現できないのでスミマセンしかし早く知らせたい気持ちでカキコして終いました。
こんにちは。和敬清寂について、難しいですね。
この4文字は、それぞれ、お茶を表現しているというのは、確かだと思いますが、その解釈は、難しいですね。
寂は、瞑想状態の事を表現しているのかな?と感じていましたが、
瞑想の向こうにある、境地については、やはり凡人の私としては、どんな状態なのか?全く見えない所です。

利休は、そう言う意味では、宗教家だったのでしょうね。

お点前ばかりに気を取られて、精神性については、さっぱり^で
、本当は、お茶道の一番大切な事なのに^^。
日々の中で、気づいていかれたら良いなぁと思いますが、
なかなか^難しいですね。
師から 寂は閑静 に通ずる処がある。 閑静と貧弱は紙一重

その時はそれなりに納得して居たのですが、何かやはり物足りない。
それがぼんやりとして居る状態で、どのように表現出来るのか出来ないのか、ホント禅問答の様ですね

又 侘び は 一寸目 きたならしい モノです しかし汚くは無い事が見ていると判る。とも これも禅問答ですが。

これらは花を活けている時の言葉ですが、お茶も一緒だ!と断定されたので、一緒なのか。と納得しました。これはあたりみたいです。

共に集中して無我の境地に成れますから。

試験の時に もう少しで解けそう そして 解けた
あの感覚に良く似ています 私の場合は

お茶の時は
少しでも早く茶を提供したい。この時が無我です
そして茶碗が戻ってくると答案が戻ってきたあの気分
拝見に出す時は自己採点してる様な感じでも有ります。
このような表現なら理解が早いかも知れませんね。
試験に自信が有ると楽しいけれど、自信が無いと不安が先立つから十分な事が出来なくなる。平常心へいじょうしん が大切ですネ

夢中に成れる事は幸せな事です。
中傷的な事ばかりで引かれて終いましたね。
視点を替えてモット具体的な事からお話しましょう。

先日国技の相撲で新横綱が決まりました。
日本人の横綱が居なくなって久しいのが淋しい限りです。
新横綱が「心 体 技」の精進に勤めるとからしいですが
日本人よりも日本的だなと思いました。

茶道でも良く似たものが有りそうですね。
外人の方が今の日本人の失って居るものを持っているって
ナにか悔しい感じがします。
カの岡倉天心が英語で茶の本を著した訳がなんか理解できる昨今です。

モットお茶を実生活の中に取り入れないとイケナイのかも知れません
その為には置くに進ばかりではなく前に出てくるような事が,求められて居るのかも知れません。

普段の生活の場で手軽に薄茶を頂ける環境を作り出す事が大切なのかも。

作法にばかり拘るのでは無く,作法を偶には破りましょう。
するとその作法の真意を掴む事が出来たりします。
すると作法に拘らないで作法から離れて、本当の作法に戻る子とが出きるのです。五輪の書に有る 「守 破 離 しゅ は り」 
を実践する場や機会を作りませんか。
初めましてトビの93で書いた潔い云々の続き

十六日の地震で三年前と同じ地域を襲った途の事被災地の方々には
心よりお見舞い申し上げます。

報道ではやっと出来た家が再び倒壊.如何すれば良いのか判らない
との現地の方の声を聞くにつけ、災害大国日本と思わずには居られません。
そして何時も立ちあがって復興に成功して居るのは、自然災害によって培われた―培られたく有りませんが ― 
潔い の概念と行動力
これらが国民性として長年に亘って培われすり込まれて着ました。

茶道における美意識も多くはこの事に由来して居るのでは無いでしょうか
倒壊した家屋を見て、屋根瓦の端整に並んだ瓦が壊れ、さぞ綺麗な屋根で有ったろうかと、思わずに居られなかった事実に
侘び寂を感じて終いました。

完璧で無いものを見て完璧を想像する.或いは完璧で無い事が
既に完璧であると,納得する美学
矛盾をそのまま受容する美学。

何かホッとしませんか?  {きっと曲解する方が居ますよ}
有るがままで容認されるとリラックス出来ますね
勿論被災者の現状は其れ所では無いはずですが
年月と共に現状を受容し諦めて
其処にイサギヨサが出るのでしょう

地震の災害をばねにして今後の復興をお祈りします。
そして私達も被災地の方々の元気に声援を送りましょう
そのオマケに私達も釣られて元気に為りましょう。

自然災害に責任を取る事は誰も出来ません。
行政が出きることは復興に尽くす事しかありません。
行政が自然災害に対して尽くす事は人的被害を無くす事で有って
財産を守る事はその次の事
復興の為に私有財産を補填するのでは無く、
助け合い支え合う為に生活空間を補填する程度。福祉の話

人を喪って悲しむのはモノを失って悲しむ比では有りません・
又も脱線してしまったみたい ご免なさい
諦める事が潔いに,繋がる事は、諦めの内容に拠ります。

過去を諦めて良いが、未来の事に諦めると進歩が出来なくなります。未来も諦める様では淋しすぎますから。
中東の争いも諦めが、許されていない宗教観に有るのかもしれません。日本人には理解できません。おじいさんの其のまた曾お爺さんが体験したのでもない大昔の事をなぜ諦めないのか不思議に思います。国民性なのか宗教なのか判りませんが、戦って解決すると信じている事が理解できません。なぜ相手の立場になって考える事が出来ないのでしょうか?

そのような事も踏まえてお茶を勧めて平和を願う。
すごい事と思いますよ。
一碗のお茶からピースフルネス。
 9: 湖桃様
諦める事は快感でもあります。

過去は諦めることしか出来ません。
過去を書き換えることは不可能なのですから。

自分に責任があっても起きてしまった事は、仕方ない事です。
将来についてどうすることが責任を取る事になるのか。
考えることが大切です。重いことですが。仕方ありません。これも諦めることです。

茶道については深刻な事はありませんが、社会生活では人身事故や物損など、責任問題が多くあります。
争うことも大切でしょうが、品性卑しく成らないようにどこかで潔くしないと、社会性が無いと思われてしまいます。
品格を貶めないようにお互い気をつけないと!
頑張りましょう。
和敬静寂の
和 について 改めて考えて見ませんか。

昭和の和 加法の答の和 和音や和声の和
なごやか と訓では読みますが。

異なる幾つもの何かが一つに成る。元の何かが合わさる事で変化して
一つに成るのか或いは元のままで有りながら自己主張をしなくなるのか。

茶の湯ではどう考えるのでしょうか。

私は自己主張の自己規制では と思うのですが
皆様はどの様にお考えでしょうか?
お聞かせ願います。
皆さんこんばんは、ひろです。

先日、当コミュニティーに入会させて頂いたものです。

今日は、折り入ってお聞きしたいことがありますので、
お教え頂けませんでしょうか?

茶道は全くの素人です。
今から、いろんな情報を集めたり、
先生探しをしているような状況です。
茶道には、いろんな流派があります。

私の場合、お茶ごっこ?(語弊があれば失礼します)というよりは、
本格的に武士道的な精神修養や礼儀を身に付け、
茶道を通して、男を磨き、自己形成や人間力の育成に役立てたいと、
真剣に考えています。
裏千家は、千利休が興した有名な流派ですので、
全くの素人の私でも知っています。
どうせ選ぶなら、後悔しない流派と先生を選び、
その門を叩きたいと思っています。

その場合、どの流派を選ぶべきでしょうか?

また、裏千家であれば、どの先生の下で学ぶのがよろしいでしょうか?
特に、先生との出会いが一番大事だと感じています。
茶事の面だけでなく、人間として尊敬し、
人生の師と仰げるような方に、出会いたいです。

どうぞ、よろしくお願い致します。


13 ひろ 様

>茶道を通して、男を磨き、自己形成や人間力の育成に役立てたいと、
>真剣に考えています。
その様に大上段に構えると見える事が見えなくなります。

所詮
茶は渇を医するにとどまる
ものです。
それ以上も以下でも有りません。

>特に、先生との出会いが一番大事だと感じています。
>茶事の面だけでなく、人間として尊敬し、
>人生の師と仰げるような方に、出会いたいです。
誰もが望む事でしょうね。シカシ人其々で一概に言えるものでは有りません。

取敢えずお試し入門をされては如何でしょうか。

仕事の都合で今三ヶ月しか習う事が出来ませんが其れでもお願い出来るでしょうか
と 始にお断りを入れて置くのです。それを受容れてくれないなら諦めましょう。
三ヶ月の期限を初めに決めておいて、波長が合いそうなら延長すればよいでしょう。

私は逆に初めは三ヶ月のお験し期間を設定しています。
三ヶ月目にお稽古を続ける意志があるかどうか確認してます。

先生を生業にしている方の多くは生業の為に弟子を取る事になりますが、
副業の先生は本音で接してくれる場面が多いようです。
位が高い先生が良いとは限りません。先生を目指すなら位の高い先生に
師事する事が早道ですが ひろ様の場合はその様では無いようですから
むしろお稽古を長くしている方に付く事でいろんな事を吸収するのが良いかも。

ちなみに千利休が興したのは裏千家では有りません。
利休の孫の代で家督を譲った隠居が離れで興したのが裏千家です。
離れと母屋の間にあるのが宗旦銀杏です。
母屋が表千家の不審庵 裏にあるのが今日庵です。
藤の花様へ

コメント頂き、ありがとうございます!

いろんなアドバイス、とても参考になりました!
特に、三ヶ月のお試し期間というのは、いいですね〜。
自分が茶道にあうかどうかも、この先生に師事して行くかどうかも、
見極める事ができますよね。

とにかく、いろんなお茶会や先生を当たってみます。

裏千家を興したのは、千利休ではなかったのですか?!
それは、知りませんでした。

本当に、いろいろとありがとうございました!

では、また
16 ひろ 様

弟子は先生を選択する事が出来ますので、最大限活用するといいでしょう。
弟子を選択するような先生は、良い先生とは思いません。
志の有る方に、如何すれば茶の湯の楽しさを伝える事が出来るか。其れこそが先生の実力になります。

余り期待しないでユックリお探し下さい。

追伸

千家流には表千家の不審庵ふしんあん
裏流の今日庵こんにちあん
武者小路千家の官休庵かんきゅうあん
これら三つを三千家と言います。
それぞれ千利休の子 小庵宗淳 小庵の子 元伯宗旦 
そして四代目から其々に別れています。三代目までは共通です。
武者小路は京都の地名です。武者小路に位置するから武者小路千家ト呼ばれています。
利休が始めた侘び茶とは?

利休の師 武野ジョウオウ 変換が出来ない! 其の師 村田珠光むらたしゅこう
其の村田珠光が室町時代とんちで有名な一休さん 一休禅師と共に禅宗の茶礼と言われる
メンドウクサイ手続の作法を簡略化させて草庵の茶 侘び茶として完成させたものだそうです。
当然その時に完璧な完成では無く、武野ジョウオウや利休を経て今日の茶の湯に至るのですが
権力者にとり入れられた事から利休が有名になんたんだトサ

権力者とは大阪に居てとても有名な御仁でみなさもも知ってますよね。
領地を部下に褒美として与える変りに成るものとして茶の湯を利用した節も見うけられますネ
掌に入る茶入れを領土の代りにもらっても困ったものでしょうね。仕方なく茶道に励んだりして
其のせいか茶道が武人の間に広まりました。
12 棗 様
遅レスに成ってゴメンナサイ。

和 の文字成り立ち 有難う御座いました。

平和や和平が無いと なごやか には成れませんよね。
今日の国際間の揉め事は全てが国益を有利にする事に汲々として
地球規模で見る大局観が指導者に欠けている事が不幸なのでしょうね。

CO2削減の話など,何処の国がするとかしないとかは,関係無く何処の国も
しないと行けない事なのに、自国から始めて見るから、と言わないのか凡人には判らない。
これは流行と同じで早く始めた国が流行の最先端になってカッコイイ事なのに。
和敬清寂 の 清 に付いて考えてみましょう。
ワープロの変換では静寂に為るので、間違いやすい。

清 清める事で 清める とは 何か と言えば
綺麗にする事です。 綺麗にすると言っても、衛生上の事では無い。
あくまでも 心の問題として捉えるものです。
服紗を裁いて棗や茶杓を清める。全く除菌など出来ていません。
綺麗にして居ますよ。と客にメッセージを送っているだけで、客もその様に受取る約束に為っている。

主客の約束事の上にお点前は成立してるのです。
そして精神論として心を清めて邪心を取り除くのが清めに為る。宗教的に見ると除霊に近いかも
結局自分の心の穢れ ねたみうらみつらみ云々を清めて接しています。のメッセージなのでしょう 
これって 愛 そのものと思いませんか?

近年 愛 と言えば男女感の事を指す事が多過ぎて、愛が矮小化されて居る様に思います。
近年の愛は恋であって昔のコイ 変換出来ない いとしいとしというこころ のコイが今は
亦 また に したごころ に為ってます。これは間違ってると思う。生命誕生から46億年続く命を
玩ぶことは滅亡に繋がると思います。
あるいは人類は滅亡する運命なのかもしれないと思ったりして。
先日明知光秀の逸話を耳にしました。
家康と和解するために最高の茶会を準備せよ。と申付けられて、最上級のお道具を整えた所、
其れでは将来朝廷を招く時に出す道具が無くなる。とクレームを付けられ、今迄の怨みの有り
本能寺の変をおこしたとか。真偽の程は定かでは有りませんが

これを踏まえて貴人点が出来たのかも知れないナー。と感じ入る今日この頃です。
此れは全て引用ですが、知っていると居ないで考え方にゆとりが出来ると思います。


>かわうその茶道ノートブック トピック より

無財の七施 2009年04月24日 23:10

かわうそ
仏教には 財施(ざいせ)、法施(ほうせ)、無畏施(むいせ)という3つの布施の行があるといわれています。
では施すべき財や説くべき教えや恐れを取り除く力がなければ布施の行ができないかというとそうではないと言われています。

地位や財産がなくても、誰もがいつでも容易にできる布施の行、それが「無財の七施」です。 「無財の七施」とは次の七つの施しをいいます。

1.眼施(がんせ)
2.和顔施(わげんせ)
3.愛語施(あいごせ)
4.身施(しんせ)
5.心施(しんせ)
6.牀座施(しょうざせ)
7.房舎施(ぼうしゃせ)



以下は詳細です。



1.眼施(がんせ)

慈眼施ともいい、慈しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接すること。

「目は口ほどにものを言う」というように、相手の目を見ると、その思いがある程度伝わります。相手を思いやる心で見つめると、その思いが相手に伝わって相手も優しくなるということですね。
「目を通して優しさを与えなさい」という事です。

以上全て引用しましたが何かもうすこし有る気がします。
私の様に何も無いモノには これしかなさそうですが今は逆に席を譲られたりして
其れを拒むと空いてを傷付けると思って素直に受けていますが複雑です。
そんなにヨボヨボに見られているのかしら?


2.和顔施(わげんせ)

和顔悦色施ともいい、いつもなごやかで穏やかな顔つきで人や物に接すること。

赤ちゃんの笑顔を見ると、心が安らぐように、慈悲の笑顔で接することで、周りも明るくなるということです。


3.愛語施(あいごせ)

言辞施ともいい、文字通り優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わす行ないのことです。

人は言葉でコミュニケーションを取る生き物。言葉で人を励ますことも出来れば、言葉で人を傷つけることも出来ますよね。

時のあいさつや感謝の言葉をちゃんと使うことで、周囲も和むということです。


4.身施(しんせ)

捨身施ともいい、自分の身体で奉仕をすること。

重い荷物を持ってあげたり、困っている人を助けたり、文字通り身体を使って人に尽くすこと。

お釈迦様は腹をすかせた獅子の群れに我が身を投げ出したそうです。


5.心施(しんせ)

心慮施ともいい、他のために心をくばり、心底から共に喜び共に悲しむこと。

「自分だけが良ければいい」というわけではなく、他人の痛みに気付き、また心配りが出来るようになれということですね。


6.牀座施(しょうざせ)

電車や会場で喜んで席を譲ること。または、競争相手にさえも自分の地位を譲ってあげること。

何事も独り占めしていてはいけません。譲り合い、分け合う気持ちが大事ということですね。


7.房舎施(ぼうしゃせ)

風や雨露をしのぐ所を与えること。または、自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘を差し掛けること。


無財の七施、総じて困った時はお互い様ということを言っているようです。

「他人の痛みを知る心」、これが肝要です。

これを全ての人間が実践出来たら戦争なんか起こるはずもないはずなんですよね…

人の身に生まれ落ちし業のいかに深いことか。。。

以上が引用ですが

如何ですか?此れなら財を貯めて施す方が楽では無いかと思ったりします。

そして結局この無財の七施の方が困難な気がします。私には出来そうには思いません。

それこそ真似事が少し位は出来るかも。

名も無く貧しく美しく を 地で進むみたいですね。諦めないで

少しずつでも真似して行く積りです。
無財の七施をガンバって実行して見ましたがとても難しい事でした。

こんなにも困難とは思いもしませんでしたが、心地よさは残るものです。

引用先のかわうそ様に伝えると、利休七則と同じかもと。

一辺に腑に落ちました。 実際にして見る事と観念的に思ってる事のギャップは

体験して判る事。或は体験しないと判らない。

実学道 じつがくどう を提唱して居た大宗匠の言葉を思い出しました。

此れからも七施も七則も実践するぞー

出来るかな? 不安!! 出来るとEナ
先日 NHKTV で 野球のノムさんの話が有りました。

野球の技術を高める為には日々勉強をして人間を磨かないと上達しない。と述べられていました。

野球では練習ばかりでお稽古が無いのでしょうね。

お稽古 稽古とは一より初め十を知り 十より戻るもとのその一   と 道歌に有ります。

日々勉強し常に考えながら、行うのが お稽古と思います。

技能の向上のことだけを考えるのでは無く、全体の流れを見据えて考える、

そしてその所作を美しく見せる為に如何すれば良いか?考えながら行うのがお稽古カモ知れませんネ
暑い暑い 酷暑の日々 皆様如何お過ごしでしょうかお見舞い申し上げます。

アト半年もすれば寒い寒いと云うように、日本には季節の移ろいが有ります。

時期折々の自然の美しさを見出す眼力が有ると、枯淡、閑寂にも美を

感じる様に成るようです。そのためにも季節の変化に人よりも敏感に感じ取り、先人の知恵を

思い出し、納得する事が出来るかどうかで感性をもっともっと磨きましょう。
9月になっても未だ猛暑が続いています。

夏は涼しく 冬は暖かく と利休七則に在りますが 果たして今日の都会の暑さは

想定外だった筈です。

では 如何すれば良いのか? それが利休の心なのでしょう。

安直にエアコンに頼る事を示唆しているのでは無いと私は思うのです。

果と言って エアコンを否定する事も生命に危険がありそうです。老人が多いので。

皆様は如何思いますか?


この度の大震災大津波による数多の犠牲者に心から追悼の意を、並びに今も避難を強いられている被災者の方々にお見舞い申し上げます。
一日も早く現地が復活する事を念じてやみません。

 既に百日も過ぎたと言うのに災害の爪あとは大きく被災者の忍耐には頭が下がります。
自らの心の動揺を隠し平然と振舞う様は私には茶人の手本見ている様な気がします。

茶の心はモテナシの心、と言われていますが、それ以前に冷静な判断と行動があってこそ。
平常心の大切さを思い知らされました。

さすがに夏の暑さは消えて朝夕は肌寒い頃に、成りました。

風炉の季節も後1週間を切り、いよいよ炉の時期が間近に迫ってきました。

でも、炉が無い場合は冬でも、風炉は間違いでは有りません。

利休以前には、風炉しか無かったのですから。

田舎家の囲炉裏から、イメージを発展させて炉が生まれた為、風炉の方が冬でも正式なのです。

夏に風炉。冬に炉。と決めたのは利休以後の各流派なので、今改めて冬に風炉を用いると

どうすればよいのかーーー夏の風炉のお点前手続きと同じでよいのか如何か考えると、

当然異なる筈ですが、余りに永い間夏は風炉。冬は炉。と成っていた為、はとが夏向きの手続きしか

制定されていない事に小生は疑問を感じています。

風炉の冬向きの作法を制定しない理由が理解出来ないのです。
(ソレハ オマエガ アホヤカラダロウ と 突っ込まれそうですが)

現状は冬場に風炉で点てる場合、働きとして水指の蓋を開けないとか、炉と同様に中蓋をする、とか

形式主義のヒトには理解出来ない手続きに成ります。

濃茶の場合には余計に目立ちますが、濃茶の場合こそ、なのです。

夏場は切柄杓の前に釜に水を注しますが、冬場は中蓋を求められる程ですから、混乱するのでしょうね。

夏は涼しく冬は暖かく が原則ですので、現状は「働き」として制定外の動作を求められています。

制定された作法どおりにすれば、誤りに成る。

これをケシカランと思うかナンデダローと思うか、人それぞれに委ねられて居るのです。

細々と動作を制定されて,寸分狂わせない事が良いお点前とは成らないのですね。

その場その場で常に臨機応変の対応を求められているのが茶道なのです。

其の事が茶道の楽しみであり面白さでも有る、と小生は考えています。
動かせない原発の為に私たちが今出来る事はエネルギー消費を自ら少なくする事

しか有りません。勿論政治問題として論じ口角泡を飛ばしても結局は自ら省エネ

を実践する事が無くてはダメでしょうね。

節電の夏 扇風機の夏

扇風機で棗に載せた茶杓が回るのも夏のお稽古として 煩わしいと考えるか

風情と感じるかは個人の自由です。でも同じ現象をマイナスと捕らえるよりも

プラスに捕らえる方が得した気分に成りませんか? 

茶筅が扇風機の風で倒れるので 茶箱月にある ゼムピンの大きいやつの半分

ウグイス を畳にさして茶筅を置いたりしてみたり茶杓で掬った抹茶が飛んだり

扇風機でのお稽古にはスリルとサスペンスがたっぷりで楽しめますね。

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