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タイ東北弁 イサーン語研究会コミュのラオス国家転覆について

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今日、ラオス国家転覆についてニュースがでていました。



35億円でラオス転覆狙う=クーデター計画の詳細判明−米
(時事通信社 - 06月17日 17:00)

 【ロサンゼルス16日時事】ラオス政府に対するクーデターを計画したとして、米国内で11人が4日に逮捕された事件で、2800万ドル(約35億円)の予算で90日間で作戦を遂行することなど、クーデター計画の詳細が明らかになった。米メディアが16日、カリフォルニア州の連邦地裁に提出された文書として報じた。

 作戦名は「ポップコーン」。約1000万ドルをAK47型ライフルや携帯式地対空ミサイル「スティンガー」など武器購入費に充てるほか、軍事顧問への支払いや印刷経費まで、予算の配分を細かく決めていた。

 作戦計画では、政府施設や道路、空港、メディアをまず掌握し、開始から60日以内に暫定政権を樹立。90日以内に政府幹部を追放あるいは暗殺し、クーデターを完了する予定だった。 

[時事通信社]



このニュースに関連して、このコミュに所属しているボーペンニャンさんが、素晴らしい日記を公開されています。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=469082709&owner_id=4664517
(ボーペンニャン様、掲載許可ありがとうございます)

ある方の日記で次のリンクが紹介されていました。
とても興味深く、紹介させていただこうと思います。

http://warcs.mond.jp/yamyam/archives/000931.html
http://www.melma.com/backnumber_45206_3708401/


エアアメリカ(ベトナム戦争時のラオスにまつわる映画)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005HXXR
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD1074/index.html


カツオさんがこの間言及しておられた本です
http://www.mekong.ne.jp/books/nonfiction/000401.htm


関連ニュースへのリンク
http://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200706050336.html
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200706050015.html



クーデター発覚時のニュースです。( 以下 6/22 1:25 追記)

http://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200706050336.html

米国でラオス政権転覆の陰謀 傭兵集め武器輸送計画

2007年06月05日19時00分

 ラオスで75年に社会主義政権成立後、米国に逃げてきた少数民族モンの元軍人らが米軍元将校と結託し、武力でラオス政権を転覆するため大量の武器を購入、雇い兵を集めようと準備していたことが4日、明らかになった。肩にかつぐスティンガーミサイルやAK47を調達して今月半ばにタイに輸送する手はずだったといい、まるでハリウッド映画の陰謀物のように危機がそこに迫っていたようだ。

写真バン・パオ元将軍=AP

 AP通信によると、米検察当局が同日、米カリフォルニア州在住で、旧ラオス王国軍のバン・パオ元将軍(77)ら在米モン社会の指導者8人と、武器購入の仲介役をした元米軍中佐の計9人を、中立法違反の罪で連邦地裁に起訴した。

 起訴状によると、元将軍らはラオスの軍人や役人の襲撃や建物の破壊を計画。5月には現地のスパイから軍事施設や政府庁舎の情報を入手した。数百万ドルで対戦車砲や地雷を買う予定だったほか、元米海軍特殊部隊員も雇い入れようとしていたという。


http://www.cnn.co.jp/world/CNN200706050015.html

ラオス政権の転覆計画した疑いの10人、米国で逮捕

2007.06.05
Web posted at: 13:16 JST
- CNN

(CNN) 米検察当局者は4日、ラオス政権の転覆を計画していた疑いで、ラオス軍の元将校と元米陸軍将校を含む10人が逮捕され、起訴されたと発表した。

アルコールたばこ火器局捜査官などは同日未明、ロサンゼルスやサクラメントなどカリフォルニア州内の6都市で家宅捜索を実施した。計画は「大胆不敵」な内容で、銃やミサイル、ロケット弾、爆弾の調達を目標にしていたとされる。

10人は中立法を含めた連邦法違反の可能性が指摘されており、有罪が確定した場合は終身刑判決が言い渡される恐れもある。

容疑者の大半はラオスの少数民族で、ベトナム戦争中に米軍を支援したモン族。逮捕された元将校ウァン・パオ容疑者(77)は当時、米中央情報局(CIA)が支援するモン族部隊を主導した。別の逮捕者で元米陸軍将校のハリソン・ジャック容疑者(60)も、秘密工作に携わっていた。

1975年にラオスに社会主義政権が樹立された後、ウァン容疑者などモン族は米国への移民を開始した。米国務省によると、在米モン族は現在50万人以上とされる。米国は2005年、ラオスとの国交を正常化した。



関連情報2 ( 以下 6/22 1:18 追記です。)

こういう凄いブログを見つけました...
http://laotimes.exblog.jp/5906703/

筆者は、高いラオス語力を駆使して情報を集めたうえで、様々な背景を説明されているようです。

こういうとても興味深いエントリを見つけました...
http://blogs.yahoo.co.jp/hori50tokyonerima/47669926.html

2chでも少し話しが出ているようです。
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1182070193/

--(ちょっとだけ引用)--

確か、昨秋から新年にかけてベトナム国内での銃の所持が厳しく処罰されることになったな狩猟の名目でライフルを持ち歩く山岳少数民族をターゲットにした規制だったおそらくはベトナム政府も何らかの情報ソースを掴んでいたのかも知れない

ラオスでモン族が蜂起すれば、ほぼ間違いなくベトナム側のモン族でもこれに呼応する動きは出るしかし、それではベトナム地方政府の高官ポストをキン族と分け合っているタイ・ターイ族が黙っていないだろう

ベトナムのマジョリティであるキン族に指弾されるような事態になれば、タイ・ターイ族は生き残りを賭けてモン族の鎮圧に乗り出さざるを得ない

そうなれば、どちらの民族も周辺諸国に散らばる同族に加勢を頼むことになるこれはすなわち外患誘致…、ベトナム政府がもっとも忌み嫌うシナリオとなる

--(ちょっとだけ引用2)--

こういう少数民族問題はアメリカのロビー団体がメディア上で有利に宣伝してるってのが大きいけどなモン族だって実際にはCIA一辺倒じゃなくて共産派も相当数いたし中立派もいたしモン族=親米ではない


--(ちょっとだけ引用終わり)--


期限切れのニュースですが... webarchiveで見つけました。 モン族は親米ではない、という話です。

米でモン族男性が6人射殺、「人種侮蔑された」と供述
http://web.archive.org/web/20041127034010/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20041124id24.htm

(引用)
米でモン族男性が6人射殺、「人種侮蔑された」と供述

 【ニューヨーク=河野博子】米ウィスコンシン州北西部でシカ狩りに来ていた白人の地元住民6人が米国に帰化したラオス出身のモン族男性に撃ち殺された事件が、米社会に衝撃を広げている。

 事件は、ミネソタ州セントポールの東方160キロにある人口170人のウィスコンシン州バーチウッド村で21日の白昼に発生した。ソーヤー郡警察によると、自らの所有地でシカ狩りを行っていた地元ハンターらが、敷地内に入り込んだチャイ・バン容疑者(36)に気づき、立ち去るよう求めた。ところがバン容疑者はライフル銃で撃ち始め、43歳から20歳の男性4人、女性1人の5人がその場で死亡、重傷を負って病院に運ばれた男性1人がその後、死亡した。バン容疑者は逃走したが、その後、警察に拘束された。

 バン容疑者の正式起訴はまだだが、6件の第1級殺人、2件の殺人未遂で、拘置請求が行われている。一方、裁判所が23日、公開した文書により、バン容疑者の供述内容が明らかになった。

 それによると、バン容疑者はシカ狩りをしようと公有地と思いこんで現場に入ったところ、そこにいた5、6人のグループに囲まれてアジア人を侮べつする言葉を投げ付けられた。

 容疑者は現場を立ち去ろうとしたが、30メートル離れた時点で振り返ると、うち1人が持っていた銃で発砲したため、反撃したという。

 バン容疑者は、ミネソタ州内に7万人以上が住むタイやラオスの少数民族、モン族の出身。容疑者の住むセントポール一帯には、教会関連団体をはじめ受け入れ団体が多いうえ、食品加工産業など働き口もあるため、モン族人口が集中している。バン容疑者は、トラック運転手で、6人の子持ち。犯罪歴はない。
(2004/11/25/01:07 読売新聞 無断転載禁止)





更に追記... (6/22 1:34 追記)


これは... いったい... ?

タイが強制送還国連懸念 ラオス難民のモン族
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2007061202023415.html

タイが強制送還国連懸念 ラオス難民のモン族

2007年6月12日 朝刊

 【バンコク=平田浩二】ラオス政府の弾圧から逃れタイに不法滞在している山岳民族モン族の百六十三人を、タイ政府が強制送還したことに対し国連は十一日、強い懸念を表明した。強制送還は米国に亡命したモン族によるラオス政権転覆計画が発覚したことを受けた措置とみられ、国内に二万人以上のモン族難民を抱えるタイ政府は今後難しい対応を迫られそうだ。

 今月四日には米カリフォルニア州で、亡命したモン族指導者によるラオスの社会主義政権転覆計画が練られていたことが判明した。

 米国からの報道によると、同州連邦地検は、旧ラオス王国軍のバン・パオ元将軍(77)ら在米モン族社会の指導者や元米軍中佐ら計十人が約一千万ドル(約十二億円)を準備し対戦車ロケット砲や携帯式ミサイル、地雷などの武器を購入、雇い兵も調達し武力によるクーデターを計画していた罪で起訴した。今月半ばにタイに武器を輸送し、ラオスで政府施設の爆破や要人暗殺を練っていたという。

 ラオス政府は表向き、国内の反政府組織の存在を否定しているが、首都ビエンチャンの外交筋は「米司法当局の対応が遅れていたら大変なことになった。政府首脳は内心、動揺している」と指摘した。

 武器の通過を許せば対ラオス関係に悪影響を招くのは必至とあって、タイ政府も事前に阻止できたことに安堵(あんど)している。今月九日には早速、北部ペチャブン県の収容施設で暮らす百六十三人のモン族難民をラオスに送還した。

 消息筋は「国外での反政府活動の芽を摘みたいラオス政府と、厄介者のモン族難民を減らしたいタイ政府の思惑が一致したのだろう」という。「平和的な引き渡しだった」とラオス外務省は言うが、今後、迫害を受ける可能性があり、国連や人権団体はタイ政府の対応を批判している。

<メモ>モン族の反政府活動 モン族はベトナム戦争時、米中央情報局(CIA)から支援を受けてゲリラ部隊を組織、ラオスに駐留していた北ベトナム軍と戦った。1975年にラオスに社会主義政権が発足すると、多くが欧米などに逃れた。亡命したモン族は国内にとどまる同胞に資金提供し、爆弾テロなど反政府活動を続けているとされる。


2007/6/23 2:04 追記

昭和50年前後のラオスの様子が述べられている手記を見つけました。
http://www.kenkobunka.jp/kenbun/kb19/sawada19.html


みゃう様
>だいぶ前、ビエナンャンの日本大使館員が拉致されてすぐ捕まった時...

すみません ... 恥ずかしながら全然知らなかったのです。
これでよろしかったでしょうか...。

http://www.mekong.ne.jp/directory/society/mitsuibussan.htm

三井物産ヴィエンチャン事務所長拉致事件

1989年3月1日、現地時間午前2時(日本時間午前4時)頃、ラオスのヴィエンチャンで、三井物産ヴィエンチャン駐在事務所長、浅尾吉昭さん(事件当時61)が、就寝中に自宅に押し入った武装した数人組に拉致された。浅尾さん宅は、ヴィエンチャン市の中心街から約5,6km南に離れたメコン河沿いの道を少し億に入った所にあり、日本大使公邸のすぐ近くの場所。タイ語やラオス語を話していた武装犯人グループはあらかじめ電話線を切り、妻・三千子さんや現地人の守衛、メイドら5人を縛って、浅尾さんだけを拉致して逃走した。

 三井物産ヴィエンチャン事務所は、1972年(昭和47年)に設立され、事件発生当時の人員は、日本人スタッフは浅尾所長1人だけで、現地採用のラオス人職員7人で、日本のODA関係の仕事が主で、事件当時、三井物産はラオス南部チェチュットの水力発電所建設計画に参画していた。事務所はヴィエンチャン市中心街の中央市場や外務省ビルのすぐ近く。

 三井物産ヴィエンチャン駐在事務所長、浅尾吉昭さんは、1947年(昭和22年)、関西大学経済学科を卒業。翌年、旧三井物産に入社。1959年(昭和34年)サイゴン出張所に勤務したのをはじめ、東南アジア各国での勤務が長く、1975年(昭和50年)4月からはタイ国三井物産副社長。1979年(昭和54年)3月からはタイ国三井物産副社長のまま、三井物産ヴィエンチャン事務所長も兼務。本社に戻ってもインドシナ地域を担当し、1984年(昭和59年)に三井物産を定年退職し。その後嘱託としてタイに駐在。1979年3月から6月までの勤務に次いで、1988年1月から2度目の三井物産ヴィエンチャン事務所長としてヴィエンチャンに赴任していた。妻・三千子さん(49)とともに赴任しており、長男(25)、長女(23)は川崎市の留守宅に残っていた。尚、浅尾吉昭さんは当時パン・アジア・エンタープライズという航空券販売、ビザ手続き代行、ビル清掃、保険業務などを扱う在タイの三井物産の系列会社の社長も兼務。

 逃走に使ったと見られる小型トラック(ピックアップ)がヴィエンチャンの東約20キロのタケック村付近のメコン川堤防に乗り捨てられ、更にこの車のそばのメコン川に村人が繋いでいたボートがなくなっていたことも有り、犯人グループは対岸のタイに逃亡したと見られ、ラオス警察当局は、タイ側に捜査協力を依頼。3月1日夕よりタイ警察は捜査を開始する。犯人らが逃走時に使った車は当初小型トラックと見られていたが、3月2日、浅尾さん所有の青色のトヨタ・クラウンバンも、ヴィエンチャン郊外のタケック村のメコン河原で発見された。

 3月5日夜、タイ警察側は、事件前に犯人らをラオス側に運んだノンカイ県ムアン地区の船頭の身柄を拘束、事情聴取をしていることを明らかにした。調べによると、彼はメコン川で船頭をしながら、穀物の密輸やラオスに住むモン族(Hmong)のタイへの密出国を手助けしたりして生計と立てていたが、拉致事件前日の2月28日にジープに乗った男4人が彼の自宅を訪れ、小舟を雇って同日夜メコン川を渡りラオス側に入ったとのこと。彼の証言から浮かび上がったラオス人難民2人を、3月7日、短銃不法所持と不法滞在の容疑で逮捕し、追及を行なった。

  1989年3月8日、タイ東北部のノンカイ、ウドンタニ、ルーイの3県のいずれかに監禁されていると見て、タイ警官千人以上を動員して付近一帯の大掛りな捜査を開始。そして3月8日午後11時(日本時間3月9日午前1時ごろ)タイ警察特殊部隊が、ラオス国境近くの犯人グループのアジトを急襲。銃撃戦の末犯人グループのアジトに監禁されていた浅尾さんを無事救出し保護することができた。この銃撃戦で犯人側の2人が死亡(但し現場検証時には遺体は1体だけ)、数人が逮捕され、犯人グループの一部は逃走と報じられた。また救出現場は、最初、タイ東北部のルーイ県パクチョム地区ナムムアン村(ノンカイから西方約100kmの小村)と報じられたが、犯人グループのアジトは、正確にはメコン川から南に20数キロのウドンタニ県ナムソム郡郊外メーンムワンタイ村の人家のない藪の中にあったと判明。救出作戦は、タイ警察東北管区のプラチード司令官が陣頭指揮にあたった。(タイ警察は、襲撃前に逮捕していた犯人グループの主犯格と見られる男と「取引」をし、釈放を条件にアジトの場所をつきとめたと見られている)

 タイ警察の捜査当局は、犯人全員はモン族のラオス難民でこれまでにも強盗殺人や誘拐殺人を犯している犯罪常習者で身代金目当ての犯行であると発表。犯人グループは、3月16日までに7千万バーツ(当時で3億5千万円)を三井物産に身代金として要求する予定であったが、この実行犯グループは、東北タイのラオス国境地帯やバンコクを拠点に活動しているラオスの反政府右派ゲリラ組織から依頼され、成功の場合、7千万バーツのうち、2千5百万バーツをもらうことになっており、また在タイのラオス右派反政府ゲリラ組織は、ラオスに拘禁されている仲間の右派政治犯と浅尾さんの身柄を交換するとともに、ゲリラ活動の資金を獲得するために仕組んだ事件であると断定した。一方、ラオス国営放送は、3月11日夜、犯行は、ラオス現政権に敵対する在外右派グループにより行なわれ、目的は同政権のイメージダウンを図る事にあったと伝え、事件が政治目的を持ったものである事をラオス政府として公式に認めた。

  救出された浅尾さんは、ウドンタニ市のチャルンホテルに保護されたが、3月9日午後監禁されていた犯人アジトの現場検証に立会い、3月9日コンケン市で記者会見を行なった。その後バンコクのバムルンラート病院で健康チェックを受けた後、3月13日午後9時(現地時間)にはタイ国三井物産会議室で記者会見を行い、3月14日午前、タイ航空機でヴィエンチャンにラオスで捜査当局の事情聴取をうける。1989年3月23日午後7時前、妻と長女とともに成田着のタイ航空機で帰国した。

  尚、三井物産では、1986年(昭和61年)11月、フィリピンのマニラで当時の若王子信行支店長(この事件発生直前の1989年2月に死去)が身代金目的で誘拐される事件が発生しており、今回も事件発生後ロンドンの誘拐・テロ対策専門のコンサルタント会社「コントロール・リスク社」に相談していたと言われる。

      参考引用資料:

          *1989年3月の「朝日新聞」など

コメント(36)

インドシナ戦争当時のモン族を扱った本なら
『メコンに死す-インドシナ戦争の裏側を語るノンフェクション・ノベル』
が参考になるかと思います。

著者はモン族の難民支援に当たったタイ人で、ヴァン・パオ将軍
など実在の人物が登場します。

昨年の第2友好橋開通以降、東西回廊が整備され、急速に
経済発展しているラオスで、未だに反政府勢力による爆弾テロや
バス襲撃事件は起きていますが、クーデターだけは起きなくて
良かったと思います。
無知なのでアホみたいなことを聞きますが、このモン族というのは日本語のミャオ族、タイ語のแม้ว(タクシンのあだ名)ですよね?
タイ北部とビルマのモン族とややこしくなってしまいました。

ミャオ族 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%82%AA%E6%97%8F

ラオに行って来たばかりでこういうニュースを聞くとちょっとびっくりですね。
>muriさん
ここで言う「モン(Hmong)族」とは、苗(ミャオ)族のことです。ミャンマーにいるモンクメール系のモン(Mon)族とは異なります。紛らわしくて、すいません。

モン(苗)族に関しては研究が進んでいるので、Wikipediaを参考にしていただければと思います。しかし、メオとはモン族の蔑称(モン族にそう言うとかなり不機嫌になる。ラオスでは高地山岳地帯に住むので、政策上、ラオ・スーンと呼ぶのがが一般的)なのですが、客家の華人であるタクシンがなぜそう呼ばれるのでしょうか?


私はラオス赴任中にラーオ族が少数派で、モン族が同じ地域に暮らすような地方都市にいました。モン族というと「反政府勢力」のイメージがありますが、大多数は真面目で、昔ながらの生活を営むような素朴な人々です。
かつおさん、ちょっとすっきりしました。とりあえず日本語では「モン(Hmong)族」と書いていれば良さそうですね。

つらつらとウェブを見た感じでは、掲示板等で呼び方に関する議論も見えますね。モン(Hmong)出身の人のメオと呼ばれることに対する不満も見えました。

ざっと以下のような感じでしょうか。

日本語: ミャオ族は蔑称であるとしてモン族と改める動きがある。
タイ人一般: 中国人がミャオ(เมี้ยว)と呼んだのが訛ってタイでメオ แม้ว が定着していたが、モン ม้ง と改める動きもある。
モン(Hmong)族自身: Hmong, ม้ง 等。 แม้ว と呼ばれることを嫌う。タイ語の ม้ง も彼等にすれば正確でないことから、 โฮม้ง, ฮม้ง などと表現する人もいる。

タクシンのあだ名については、新聞社が勝手にあだ名を付けただけで、あまり一般的では無いようですね。「北部の山の辺りに住んでいる」というだけであまり深く考えずにわざと蔑称であるこの語を使ったのが始まりじゃないかと思いますが、今見た限りでは答えは見つかりませんでした。
タクシンのあだ名は、マスコミがつけたというのは本当ですが、その心は単に彼の顔がメオ族みたいだからだそうです。

ラオス左派と右派の争いですが、ベトナム戦争に協力してアメリカに渡った右派のラオス人、少なくないようですね。
そして現在でも、イサーンで「米国籍ラオス人」が暗殺されることがあるみたいで、、、

実は去年、マイミクさんが現場遭遇しちゃったんですよ。
これはタイラットにも載った話なんですが、殺された二人の男性はそれぞれ元ラオスの警官と軍人で、二人ともアメリカ国籍でした。
犯人はナンバープレートの無いバイクに乗って逃走したそうですが、捕まったという話は聞きません。
かつおさん、
最近行っていないので、実証できませんが、
そうでしょうね。泰においても、寮においても中華覇権主義
のとやりあうのは・・・世界のどこでもタイヘンな様で。
市場に売っているものひとつとっても、かつては共産圏(ロシア、ベトナム)〜みんなあちこちのチャイナになっています。
まあ価格と品質からいうと市場原理の流れですが。
 もっとも、ポンサーリーの中華的桃源郷幻想に、
未だかぶれている私め・・・。




>>>今のラオス北部は中国の属国といっても不思議ではありません
<みゃうさん

ポンサリーは交通の便が悪く、行きにくいから、桃源郷みたいで、いいのでしょうね。

あそこの住民は中華系でも、ホー族です(ホー族の反乱で有名な)。中国語は話せても、漢字は書けません。

ラオ人みたいに、のほほーんと暮らしたいなぁ と最近思います。
知り合いのタイ人(トンブリー出身・中流階級)が以前言っていました。
「ラオスはもともとタイの領土だったんだ!」
普段は温和な人なのに、押してはいけないスイッチをオンにしてしまったかのような激しい口調だったので覚えています。

中部タイ人から見ればそんな認識なんだろうと皆さんお考えでしょうが、アメリカは反共国家で中央集権制国家・タイの中心であるバンコクを通してラオス・カンボジアを間接統治しようとしていたという歴史があるんです。

別トピでも名前が出たサリット元帥が首相だった時代の話ですが、「米国内で逮捕された11人」はタイとは無関係だったのでしょうか、、、?
クーデターが成功したら親タイ・親米政権を作るつもりだったんでしょう。逮捕されたのは単にアメリカ政府と利害関係が一致しなかっただけだったのかもしれません。
目が覚めてしまったので軽く、、、

CIAから資金援助を受けていたのはモン族だけではありません。タイ警察もCIAの資金援助を受けてプレゼンスを強めてきました。
タイ陸軍の権勢が強すぎたので、アメリカは警察を対抗勢力に育て上げたんです。

陸軍将校上がりの警察大将、パオ・シーヤノンはその立場にありながら、国境警備隊長時代からKMT(国民党の残党)と結びつき、国内のアヘン販売で政治資金を捻出していました。
「タイ国内で最大のマフィアは警察」と言われますが、それが皮肉でない時代があったんです。
パオが強烈な反共だったことも考えに入れていいでしょう。

おかあつさんの、
> ここに書いてある事が本当だとして、そんな物騒なものを簡単にタイに輸入できるもんなんでしょうか。

という疑問の答えにはなっていませんが、参考にはなるのではないかと思います。時節柄簡単ではないけれど、賄賂の額でなんとでもなりそうな気もします。

パオについては、下記URLを参考にしていただければ、、、
日本語版は現時点ではありません。
http://en.wikipedia.org/wiki/Phao_Sriyanond
\
http://th.wikipedia.org/wiki/%E0%B9%80%E0%B8%9C%E0%B9%88%E0%B8%B2_%E0%B8%A8%E0%B8%A3%E0%B8%B5%E0%B8%A2%E0%B8%B2%E0%B8%99%E0%B8%99%E0%B8%97%E0%B9%8C

モン族全部が親米ではないという件ですが、麻薬取引は人間を変えてしまいます。そもそもクーデターの資金源はなんだったのでしょうか。
>かつおさん
やっぱり白い粉ですよね。
私はモン族については詳しくないのですが、これまたやっぱりCIAが動いていたんですね。
アメリカのアジアスタディのレベルの高さは、CIAが学者に資金援助してるからって話も耳にします。

それにしてもハードコアな体験をお持ちで、、、
ラオスは純朴さと、どろどろさの落差がすごいですよね。
タイだと「こんな事も、さもありなん」になってしまうのですが。ひっくるめてラオの「ナイーブ」と呼ぶ・・・んでいいのかどうか。
 だいぶ前、ビエナンャンの日本大使館員が拉致されてすぐ捕まった時、イサーンの友人がよく漏らしていた「警察=やくざ」という言葉をおかしさ?と共に思い出しました。
捕まったのはタイ側。元来タイの外交センスは抜群なので、ラオ・タイ両方の合意として即とっ捕まえたのでしょう。
<みゃうさん
在ラオス大使館員殺害事件と三井物産ビエンチャン事務所長拉致事件とを混同されているのでは。

これらは「日本人は金持ちだ」と思われている国では、起こりうることなのでラオスだけが例外ではないでしょう。

ただ、今のラオスは周辺国と比べても治安の良い国です。外務省の「渡航安全情報」を知ってさへいれば、まず事件に遭うことはないでしょう。また、対日感情も良く(日本は最大の援助国なので)、ラオ人も温厚あり、在ラオ邦人ものんびりと暮らしています。

私の場合は麻薬の産地に近い地方都市で、少数民族がたくさんいたので特殊なだけです。参考にしないでください。

私の知人で、内戦当時のラオスにいたという方がいます。当時はパテートラオ軍が北から攻めてきたので、首都から出れなかったとか。

今は旅行者ならラオス国内どこへでも行けます。安全情報を熟知したうえでの、自己責任ですが。
おかあつさん、かつおさん、恐縮です、
私の書いたヤクザがらみの話、三井物産のほうです。
あの時は国境はさんだ犯行グループ(ヤクザ)の仕業、と言う事がメディアや現地でも言われていました。外交的配慮で?スピード解決しました。
 勿論私もラオスは治安の良い国だと思います。カンボジア
などと比べれば天地の差。
つまり、ふつうの旅行者が行けるような場所はまずは安全
だと。かつおさんの任地及び業務地域は難易度高い
所ですよね。大昔初ラオの時、偶然同宿だったインドシナ専門商社VELK(今でも同じ社名?か分かりませんが)のラオ支社長さんから、山岳地帯の鉱脈探しのアドベンチャー旅話お聞きしたこと、ので何となく想像できます。
考えてみたら、クーデターに使う武器はカンボジアで買ったのではないでしょうか。
アメリカから空輸出来る訳が無いですし、何より安く手に入る。
つまり陸路でウボンラーチャタニー経由か何かでラオス国内に運ぶ、と。

ちなみに以前書き込みした米国籍ラオス人射殺事件が起きたのがウボンラーチャタニーです。
家族連れでラオスに里帰りし、バスでウボンラーチャタニーに着いたところをやられたそうです。

ウボンラーチャタニー空港からスワンナプーム空港で国際線に乗り換え、アメリカに帰国する予定だったとか。
目撃したマイミクさんの話では「二人ともマフィアみたいだった」そうです。

二人は名前から判断するにモン族ではないと思うのですが、自信も無いし、当時のメモがあったので一応書いておきます。
ソムワン・ゲーオマニウォング(当時61)
スカン・ウィチャーテート(当時65)

二人とも確か、オレゴン州在住だったと記憶しています。
>1基38,000米ドルもする米国製スティンガーミサイル(Wikipediaより)も入手可能なのでしょうか。

そこは私も確認出来ませんが、カンボジアの不良軍人はなんでもしますから。
「HOSTEL」という映画の元ネタになったという殺人ビデオですが、カンボジアの軍が「特別な射撃体験ツアー」をやっていて、それがタイマフィア経由で流れたと私は見ています。
映画の公式サイトではタイの映像とされていましたが、正確にはカンボジアの話のはずです。同じ話を別ルートで聞いたことがありますから。
それに比べたら、ミサイルくらいどうってことない気がします。

>なぜカンボジアはラオスと国境を接しているのにタイ経由なんでしょう。

これについては簡単な話で、タイ側は右派が支援してくれるのと、道路事情がいいので速く運べるからです。

>反政府勢力(右派)=モン族とは限らないのではないでしょうか。

もちろんそうです。むしろラオス人が主流でしょう。
三井物産の話と同じパターンで、モン族は実働部隊として使われたんだと思います。
ではどうして右派ラオス人が直接動かなかったかというと、ラオス人は宗教上の問題もあって戦闘に向いておらず、モン族のほうが兵士としてははるかに優秀だったからではないでしょうか。

トピック本文でも引用されているウィスコンシン州のモン族男性の話ですが、ライフルとはいえ30メートルの距離から、同じく銃を持っていた六人を射殺というのは、実戦慣れしていた人間でないと出来ないことだと思いますが、どうでしょうか。
はじめまして。東南アジア少数民族フリークのカオソーイと申します。

モン族は中国古代の楚の流れを汲むといわれ、また周の武王が殷を討つ時に、
これを諌めた伯夷と叔斉が、周と同盟関係にあった山岳民族の象徴という説も
あり、モン族との関係を指摘する説もあるようです。
近代になると、モン族は清朝から武力に長けた民族と見なされ、海南島の先住民族を平定するための兵力として、強制移住させられたりしています。
また、太平天国の乱の際に、広東方面で活躍した太平天国軍の幹部にも
モン族が多数いるようです。
モン族と居住環境が似ているヤオ族(タイではリエン族?)との違いは、焼畑の
為の伐採をする際に、モンは村単位で一斉に一山丸ごと伐採するのに対し、ヤオは家族単位で行動します。従って、労働がより集団化されているモンの方が
兵隊に組織しやすい(しかも人口が多い)ので軍隊向きということはいえると思います。

但し、宗教的理由でラオス人が兵隊に向かないというなら、では同じ仏教徒のクメール人のポルポト派の兵隊が恐るべき戦闘能力を持ったかということの
説明がつかなくなりますよ。まあ、ポルポト派の少年兵には少数民族が多かったようですが。

いずれにしても、人類学という学問は、生まれた瞬間から軍事目的に転用可能
な学問で、実際にアメリカの海兵隊はフランスの人類学者が1950年台にベトナム中部山岳地帯の少数民族を研究した論文(原文は仏語)の英語の翻訳権を買い上げ、自分たちの軍事目的のためだけに活用しました。
1960年台にラオスでモン族をアメリカの盾に使ったのはそうした流れの一環です。

また、フランス植民地時代のインドシナで、もっとも頑強な反仏軍事行動を起こしたのは、ラオスのカー族(蔑称なので今は使われないが、Mon系の先住民族)で、地下にトンネルを掘ってゲリラ戦を行うなど、ベトナム戦争時のベトコンの
戦術のルーツでもあったようです。
ここらへん、チット・プーミサックの「タイ族の歴史」(絶版ですが名著です)
の353-359Pに出ています。


カオソーイさん、はじめまして。モン族は有史以来、戦闘に長けていたのですね。私もあまり詳しくないので勉強になります。
ポルポト兵の強さですが、彼らを仏教徒の枠に入れていいものか迷います。なにしろ伝統を捨て、破壊した人達ですから。

チット・プーミサックの「タイ族の歴史」は私も参考にしています。というか、チット自身の持つイサーン人離れした鋭さ(差別表現?)には注目すべきものがあり、多くの人に知って欲しいところです。

ところで今回の総選挙で思ったのは、タクシン派にとってのイサーンとは単なる票田以上の意義があるのかということです。
ここはイサーン語勉強会なので、

「そこから話を始めなきゃ駄目なのか?」
と自分でも思うのですが、個人的にはイサーンはタクシン氏にハイジャックされたようなものだと感じています。

サマック氏(中部出身)がバンコク都知事時代にイサーンからのデモ隊を蹴散らした、と選挙活動中にアピシット氏が話していたのを記憶しています。
サマック氏がアピシット氏との党首会談から逃げ回っていたのは、その辺の事情もあったんだろうなと思います。

情報統制ですが、タイ字紙のサイトは見れないけど英字紙は見れたことがありました。某有名日本語ブログは最近も投稿に苦労してますが、あれが情報統制かどうかは断定出来ません。
私は

2年前から、チェンマイに1年の内、6ヶ月滞在しています。

最近、このコミュを見つけましたが、

すばらしい情報発信力だと。

感服しています。


これからも、継続、お願いします。



トップの写真は、怖いので、変えられたほうが、良いとは思いますが。
カオソーイ様

はじめまして。
大変勉強になります。
モン族が楚の国が発祥だとすると、かの項羽もモン族だったのでしょうか?
モン族は小柄な人が多いのですが、項羽は身長が184cmあったというのが腑におちません。まぁ、歴史書は大げさに書かれていることがあるようですが。

モン族とヤオ族の焼き畑の違いは初めて知りました。私も仕事柄、モン族の村や畑に行ったことがあるのですが、彼らの歩くスピードの速さには驚きました。小柄で、忍耐強く、組織的なので、山岳地帯の戦いには恐るべき戦闘力を発揮したのでしょう。

ただ、周知の通り、第2次インドシナ戦争では、モン族は左派と右派に分かれて戦いましたし、カー族は左派につきました。その点に関しては、第1次インドシナ戦争の経験を活かした、ベトナム側の戦略的勝利でしょう。


ポルポト兵の大半は少年兵だったようなので、私も宗教と結びつけるのはいかがと思います。ソマリアみたいに、少年のころから殺人だけを教育されれば、立派?な兵士にはなります。
春秋から戦国時代で考えると、呉や越も非漢民族の国家ですが、
文化的には漢民族化した国家として戦国策に描かれているのに対し、
楚はあくまでも、非漢民族性を失わない国家として描かれています。
四面楚歌という諺は、単に敵に包囲された状態を指すだけでは
なく、それが自分達と言語・習慣の違う異民族の兵隊の、意味も
わからない歌である点が、恐怖のポイントなのです。

楚の歴史における苗族の関与を強調する立場は例えば下記のような
説です。

http://www.geocities.jp/intelljp/miao/history.htm

また、文化的な側面に注目する説は、楚辞とモン族の歌垣の関係を
取り上げる人もいます。

ラオス人は仏教徒だから戦闘に向かないという説、共産主義の
洗脳によって民族性が変わったとの説(例えばラオス大使だった
三島由紀夫の弟の平岡前大使と四方田犬彦との対談)に対する反論
として、ポルポト派を持ち出したのは、ちょっと違ったかもしれません。、
別の例でいえば、タイの92年当時、高位の僧侶が、「反政府の民衆は共産主義者で、共産主義者は悪魔だから、悪魔をいくら殺しても決して地獄に落ちる恐れは
ない」と出撃前の部隊に対して、堂々と殺人教唆を行ったこともありますので、
仏教=平和主義とは能天気にいえないと思います。

1975年のタイとラオスの国境紛争では、装備・兵力が圧倒的に劣るラオス軍に
タイ側はぼこぼこにやられたようですし。


>カオソーイさん
タイ・ラオス国境紛争でタイ側がやられたのは左派のモン族ゲリラ部隊だったはずです。なにしろタイ国軍は実戦経験が乏しく、外敵用というよりは国内の不安分子鎮圧が存在目的なので。
この辺に戦後アメリカの反共政策が絡むのですが、「タイ 独裁的温情主義の政治(タック・チャルームティアロン著・玉田芳史訳/勁草書房発売)」に詳しいです。

結局タイは国民党残党(KMT)に居住権を与えることを引きかえにゲリラ部隊を掃討してもらったそうです。この辺が実に情けない。内弁慶というべきでしょうか。

ところでタクシン氏はロシアのプーチン氏みたいに、最終的には皇帝的な存在になるんじゃないかと思っています。シビリアンコントロールの名の下に、タイ国軍もタクシン氏の統制化に置かれるかも知れません。
つまりチナワット王朝みたいなものが出来るわけですが、イサーンの人々はそれでいいのかと訊いてみたい気もします。

あと、トップ画像はインパクトがあって私はいいと思いますよ。

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