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お遍路さん-同行二人コミュの中村〜土佐清水間の伊豆田峠バス道

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 旧・中村市と土佐清水市の境にはかつて伊豆田峠という峠がありました。1910年(明治43年)に幡多郡道以南線として伊豆田峠を含む区間が開通したのが車道の始まりで、中村市津蔵淵から土佐清水市下ノ加江にいたる間にあり、標高417mの葛篭山 (つづらやま)西方の標高246mの峠道です。

 車道ではあるものの「上り下り3里」といわれた交通の難所で、この難を 緩和するため、峠の下方に昭和34年伊豆田トンネル(延長368m)が開かれましたが、トンネルの位置が山の中腹であったため急坂の改善にはあまりなっておらず、平成6年に現在の場所に1600mもある新伊豆田トンネルが開通し、難所は難所でなくなりました。

 江戸時代の遍路道は冒頭に上げた車道の伊豆田峠ではなく、天子ケ原の茶店を経る伊豆田坂ですから、現在の伊豆田トンネルは中腹の伊豆田隧道を含め4代目。分かりやすく言うとこうなります。

【初 代】 遍路道・伊豆田坂
【2代目】 車道・伊豆田峠 
【3代目】 山の中腹を抜く伊豆田隧道
【4代目】 現在の国道321号・伊豆田トンネル

 2代目の峠道は1959年に伊豆田隧道が開通するまでの50年間、中村と土佐清水方面との物流を支えていましたが、道幅が狭く急カーブの連続で大変険しく、中村と往復するのに丸一日も掛かるようなひどい道でした。1957年(昭和32年)には旧白田川村(現黒潮町)伊田部落の婦人会がチャーターした慰安バスが頂上付近で転落し、5人が死亡するという事故が起こっています。

 その後、このバス事故を題材にとった田宮虎彦の小説「赤い椿の花」が発表され、その作品を新藤兼人が脚色し五所平之助が監督し、1961年、「雲がちぎれる時」として映画化しました。出演は佐田啓二・有馬稲子・仲代達矢・倍賞千恵子らのそうそうたるメンバーで、当時の中村や土佐清水で大規模なロケが敢行されています。その作品「雲がちぎれる時」がDVDとして再発売されました。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B007TH0AM0/ref=cm_cr_rev_prod_title

 この旧峠道は現在は廃道となっていて、山歩きがてら通過するためには鉈や鋸が必須アイテムというぐらい荒れ果てていますが、DVDの中にはまだ現役時代の車道峠道がカラー映像でリアルに記録されています。映画ではありますが、峠の中腹でお遍路さんとすれ違うシーンも…。また土佐清水市西部の貝ノ川〜片粕〜下川口あたりの海沿いの求道の景色も収められていて旧道萌えにはたまらない作品です。興味のある方、ぜひ見てみてください。

 また主演の有馬稲子さんはこの同じ年、名作「ゼロの焦点」にも出演されていて、現代的で非常に美しいです。

コメント(4)

しまった…。
つい先週、幡多方面を自転車区切り打ちしましたが、雨に激坂にの連続でそんな余裕すらありませんでした。
>>飛脚終身名誉監督さん

コメントありがとうございます。江戸時代の遍路道・伊豆多坂は歩きお遍路さんらによってここ数年の間に日の目を浴びるようになってきましたが、車道峠道に関しては未舗装道路だったこともあり、特に峠から中村市方面側がひどく荒れた状態になっています。

私は三年ほど前に歩いたのですが峠の手前の数百メートルは道がどこにあるか分からないほどの藪となっていて歩くのに大変苦労しました。ですからいずれにしても、車道峠道にしても遍路道伊豆田坂にしても自転車での踏破は難しいですね。中にはオフロードバイクで通過した強者もいるようですが…。

「雲がちぎれる時」には、現役だった頃のこの峠道の姿がリアルに記録されていて、その険しさには改めて驚かされます。また初代伊豆田隧道も新たな交通インフラの幕開けとして映し出されています。しかし撮影当時はまだ建設工事の途中だったと見え、まだ舗装も済んでいないのに「新道開通」として描かれているあたりが時代を感じさせられます。

「雲がちぎれる時」は先にも書いたとおり、伊田部落の婦人会が遭遇した大事故に着想を得たものです。まだ事故から4年しか経っていないうえ、売春婦に身を落としたヒロインの過去が暴かれる過程で差別的表現があったり、当時は現代とはずいぶん違った倫理観だったこともわかります。いずれにせよ封切りから50年、日本社会は随分変化したのだと気づかされる作品でした。
 このトピックはちょっと古い投稿ですが今日初めて拝見し、あの道に興味を持っている人がいたことを嬉しく思いました。
 5年前の歩き遍路の際に、できるだけ江戸時代に近い歩き方をしたいと思い、少なくとも隧道だけは一切利用しないで歩きたいと思いました。地形図を参考にし隧道の代替道を探し、場合によっては地元の役所などにも聞いて計画を立てましたが、この伊豆田峠については小説や映画になっている道だということも知りましたが、通行できるかどうかの確認が取れませんでした。仕方なくこの日は場合によっては戻ることも考え見切り入山しました。この時は逆でしたので西側の市野野から津蔵渕側に抜けています。いかにブログに書いた記録を転記します。

 以下転記
 今日はいよいよ伊豆田の旧々道を通過します。道の状態については昨年からいろいろ調べましたが、きのうも役所に電話して道に詳しいという方にお話を聞きました。もう何十年も使われていない道だが、昔はバスも走っていた道なので何とか通れるしょうとのことです。下ノ加江で派出所と民宿安宿のご主人にも聞いてみると、未舗装道なので、もう道ではなくなって自然に戻っているのではないかというご意見。行ける所まで行きもしだめなら引き返そうという気持ちで行くことにしました。

 市野々から坂を登り、林の中の道が続き左下に川と国道を見ながらが歩きます。途中、大八集落への分岐を過ぎどんどん高度が上がっていきます。緑に囲まれたとてもさわやかな道で、もしこの道で津蔵淵側までいけるならトンネル嫌いの方にはとてもよい遍路道になりそうです。沿道に昭和30年代に起こったバス転落事故の慰霊碑を発見しました。国道がかなり下になり、やがて車の音が聞こえなくなりました。トンネル入り口を過ぎたのでしょう。一本の倒木が道をふさいでいる所を過ぎると一台の廃車が置いてありました。その先で道が荒れ始め、道の真ん中に木や草が生えて歩きにくくなります。藪や木の枝を潜り抜けながら進んで行くと切通しのようになっている所に出ました。そこを越えると道は完全に無くなり、はるか下に国道が見えます。その場所から道が消えてしまったので、手前のどこかに分岐があったのを藪の中で見落としたのかと考えました。仕方なく、今来たところを道を捜しに戻ります。

 廃車の地点まで戻っても分岐はありません。さらに戻って行くと慰霊碑まで来てしまいました。ここにはバスが走っていたということになるので、ここまでは間違っていないことになります。よく考えてみると先ほどの切通しは人工的なものなので、あの先に道があったのではないかという思いが沸いてきました。もう一度あの場所まで行くことにします。切通しの先を詳しく見てみると左側の地面に砕石が残っていて、かすかにかつて道路ではないかと感じさせられます。完全に藪に覆われてはいますが行ってみることにしました。少しずつ進んで行くと、路肩の補強などなんとなく道路の痕跡が残っていましたので、ようやく道路跡だと確信し藪漕ぎして進んでいきます。道は大きくターンして下っていき、やがて葛篭山への林道に合流することが出来ました。石がゴロゴロとして歩きにくい道でしたが、この山を越えることが出来てほっとしながら歩きました。ふさがれてしまった伊豆田坂トンネルの取り付け道路まで下りてきてから休憩し国道へ合流、トンネルを抜けてきたらたぶん1時間以内で歩けた距離に4時間近くかけてしまいました。

 大文字山を左に見ながら進むと四万十川の雄大な流れが見えてきます。四万十大橋を渡って休憩した後はなんとなく退屈な道をひたすら入野まで歩き、スーパーマーケットで食料の買出しをして宿に入りましたました。 

 津呂5:30→窪津6:10→7:40大岐休憩所7:55→9:15下ノ加江9:45→市野々10:10→(伊豆田トンネル)→11:35旧々道切通し(市堺)→慰霊碑→切通し13:00→13:25旧道合流→13:40休憩13:50→15:05四万十大橋東15:20→17:10ゲストハウスMEXICO
転記終了

 上記文中にも書きましたが、ほとんど通行不能になっている峠部分より西(下之加江)側の林道は眺めの良い気持ちの良い道で、長距離トンネル嫌いの人にはちょうど良い代替路になるように思います。近年有志の方々によって復活された清水往還の峠道も良いですが中村側の斜面が少し急ですし、眺めの点でも旧バス道の方が優っています。できればあの道も手軽に通れるようにできればと思っています。
 


>>[3]

この書き込みを今日始めて読みました。私は別トピでも書いたように、中村側から真念庵に抜ける旧伊豆田峠越えを去年行いましたが、C5988さんはさらに下ノ加江近くまで延びている旧バス道に挑戦されたんですね。

インターネットではダートバイクで途中まで上がったサイトがありましたが、グーグルの地図では、新伊豆田トンネルの上を通って葛篭山方向へ行く道しか載っていないし、サテライト写真では大八あたりまで延びている道のイメージが見えるだけです。国土地理院の地図では、大八から市野々へ下りる道も表示されています。

さらに、国土地理院の地図では、
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=49322755
旧バス道と321号線の中間に点線の道が記されています。もしかしてC5988さんはこれにチャレンジされたのでしょうか。この点線は完全に歩き道だけで、地図に載せられたのもかなり昔のようで、今はほとんど自然に戻ってしまって、近くへ来ても確認できないものから、久万高原の八丁坂付近のようにしっかりと遊歩道として使われているものもあります。

遍路とは限らず一般的な話として、私も子供の頃から道なき道に踏み込むのが好きで、旧遍路道、旧街道、廃鉄道路線、旧遂道、など、近くに住んでいたらどんどん探求したい気持ちです。

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