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地球へ…。コミュの原作・最終回 エピローグの子供たちは何者?

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コミュ内全体

このコミュは原作既読の方が多いと思いますので、トピを立てさせていただきました。

原作・最終回のエピローグで、ジョミーにそっくりな男の子と
ミュウと人類の戦いの記憶を持つ女の子・ミーシャが登場します。
この子供たちは一体何者なのでしょうか?
彼らはどのような意味を持っているのでしょうか?
この二人は「ジョミーとフィシスの転生した姿」「キースとフィシスの転生した姿」など色々な説がネット上でありますが、みなさんはどうお考えですか?
率直な意見をお聞かせください。

ちなみに私は最初に原作を読んだときはよくわからなかったのですが、
「ブルーとフィシス説」もありかな、と思っています。
このトピはネタバレありです。

コメント(52)

初めて書き込みします。

私は「ジョミー・フィシス」だと思っていたのですが姉と話していたら姉は「ブルー・フィシス」だと思っていたそうです。
皆さんの書き込みを読んでいて本当に色々な考え方が出来るんだな〜と思いました。
ようやく人間とミュウと言う枠を超えた人類が『地球』を目指して旅する時代が到来した時代に生まれ変わった二人が出会い、想いを持って地球に向かうって感じかな・・・と解釈していました。

でも、きっとこれこそ「答えは無いよ」で良いのだと思います(笑)
自分も「特定の誰か」ではなく、人類とミュウが共に生きていく中で
当然生まれて来るであろう「人類とミュウの子供」だと思ってます。

サッカーボールは過去の過ちを繰り返さず生きて欲しいと言う願いを
未来の子供等が受け取っていく様を具現化した表現なのかなぁ…と考えてます。


受け取り方は千差万別なので、いろいろと考えてしまいますね。
sara さま(*^_^*)
>だけど、きっと作者である竹宮さんにおたずねしても、おそらく「それは読み手の感性によって、どんな風にでも想像して頂ければけっこうです☆」とか言われそうな気がしてます(^^;)。全体を通しても、自分なりの答えを、自分で見つけなければいけないような作品…というところが、また地球へ…の深い魅力かも☆

いろいろな見方があることがわかって、改めてすごい作品なんだな〜って思ってます。書き込み読ませて頂くたびに、新しい発見があってすごいです☆

↑↑私も同感ですハート
このエピロークは本当にすごいと思います。
私はなんの疑いも無く、水瀬さんと同じく新しく生まれた命の象徴と考えていました。

未来の子どもたちに引き継がれた
ジョミーやブルー、フィシスたちミュウの記憶、そして歴史。

その記憶を不思議と持った次世代の子どもたちが出会うシーンによって、私はジョミーたちの命は無駄ではなかった…と思いました。

ミュウと人間の明るい未来みたいなものを感じた瞬間でもあり救いのように感じました。

子どもたちは誰かの…というより、象徴として捉えていたので、具体的に考えられている方たちの意見を聞いてびっくりしました。なるほど色々な捉え方があるのですね。目からうろこです。
SD体制での人間性の剥奪の時代が終わり、人が人らしく生きられる時代になって生まれた子どもたち、だと思っています。
もしかしたら、彼らはミュウと人類の混血児かもしれないですよね。それって、ソルジャー・ブルーとミュウたちが望んでやまなかった、そして手の届かなかった夢のような世界ですよね。
個人的にはジョミーとフィシスだったら嬉しいな〜、と思っておりました。

子どもたちは、彼らは何物でもないかもしれないし…歴史を紡ぐ糸であって、偉人ではないかもしれない。…でも、彼らがもしかしたら誰かの生まれ変わりならば、そうであってほしいです。……人生を歩む幸せが、今度こそ彼らにも巡ってきてもいいのではと。幸せになってほしいです。
闘争ではなく、憎み合うことではなくて、お互いの存在を認め合い、愛や友情や、暖かい感情に包まれた一生を送ってほしい。地球が彼らの故郷であるならば、あの時代には国境もなくて人種差別や民族間の闘争はなくなるかもしれないですから。。。

まとまらなくなってきましたので失礼しますー。
連載当時の気持ちが、今でもさほど変わりなく自分の中にあることに、自身少し驚いてるのですが、原作のラストは何度読み返してみても、なぜか切なくなるのです。

オイラにとってラストに登場する二人の子供は、当時からトォニーとツェーレンのように思ってました。
おそらく、ブルーもジョミーも、帰り着くことを願って止まなかった地球の心となっているのだろうと勝手に思い込んでまして…。

ラスト間際で、肉体を捨てたトォニーたちが『地球の見えないところ』へ去っていきます。その魂の輪廻となって現れたのが、最後の二人の子供なのだと思ったわけです。

男の子がトォニーなら、何で女の子はアルテラじゃないのかと言われると、自分でも謎なんですが…。

しかし、こうしてみるとオイラの捕らえ方はかなりへそ曲がりですかねぇ?
トォニィたちナスカの子たちの遠い未来の子孫だと思っていました。
ミーシャの両親の容貌が現人類と違うのでなんとなくそうかなと。

もっとも、トォニィたちは子供が作れないので、そうなると一から作る(?)わけで、
恒星間飛行が可能になるまで進化するなら億単位の年数が必要で、
そうなれば地球はとっくに死滅しているだろう、
地球の古い記録はいつどこで作られたんだ、
トォニィたちはいつ二手に分かれたのか、
とか つっこみどころ満載の説ではあるのですが。わーい(嬉しい顔)

ただ、トォニィにあの哀しみのまま終わってほしくなくて。

だからあの二人はトォニィたちの切ないほどのジョミーへの想いが
遥かな時空を超えて結晶化した姿と考えたいなと思います。
そして二人の記憶はそんな彼らのジョミーへのレクイエムではないでしょうか。

なので、あの二人は私はジョミーとフィシスであってほしい、と思います。
10代の時はじめて読んだ時は、
ジョミーとフィシスの生まれ変わりだと思ってました。


今は、ほかの方もおっしゃってるように
男の子→人間の記憶を受け継いだ新しい存在
女の子→ミュウの記憶を受け継いだ新しい存在

だと思ってます。

2人は出会って、本当の意味で人間とミュウの境がなくなるのかと。
記憶があるから、同じ過ちを繰り返すまいと
新しい時代を先導してゆく二人になるのかなと。
皆さん、いろいろな解釈をされていて楽しく拝見しています♪

私も初め、あの二人はジョミーとフィシスだと思っていました。
アニメが始まり改めてマンガを読み直し、考えが変わりました。

他の方も書かれていますが、二人は特に誰かの生まれ変わりという訳ではなくて、人間とミュウの思いや記憶を受け継いだ存在の象徴なのかと。そしてその二人が男の子と女の子であるということが重要ではないかと思うのです。

男の子が女の子(ミーシャ)に向かって「もう離れない。離れないから」と言っているように、これから先、地球に着いてからも(地球が再生しているとは限らないのですが)共有する記憶を持つ二人は惹かれ合い、愛し合い、いつかきっと二人の子供が生まれてくる…
永い間自然に生まれてくることを許されなかった地球で生まれてくる二人の子。そしてその子は人間とミュウの記憶や意思を受け継いで生まれてくるのです。これが一番意味のあることなのではないかと。

そう考えるとエピローグの最後、ジョミーがボールを蹴ってそれが地球へと続いているシーンも納得することができました。(以前はよく分からなかったので)

私はこのシーン、ジョミーがついに地球へのゴールを決めたのだと解釈しました。
エピローグでの彼らの出会いがジョミーの成し遂げられなかった思いをやっと実現させてくれるのだと。
それはコンピューターの支配のない地球で、人々が自らの力で生き、子を産み、生活していくということ…

かなーり勝手な深読みですがたらーっ(汗)
コミュ違い、トピ違いで申し訳ないですが
このトピなら分かる方がいるかも・・・と思いまして。

萩尾望都さんの「妖精狩り」って読んだ事ある方いらっしゃいますか??

ストーリーは全然違うのだけど、テーマがテラに似てますよね。

旧人類に狩られる、まだ少数派の新人類。



今ってスピリチュアリティが取りざたされているし、
今後はそういうものが極当たり前になってくるだろうから
もしかしたら本当にこういう事が起こるのかもしれないなぁ・・・
なんて、ちょっと考えてしまいました。
狩られはしなくとも、実際に、スピリチュアリティを
絶対に受け入れられない人も多いわけで、
排除しようとする傾向がすでに見られませんか?
このトピを見てから改めて読み直しました。
私は「トォニィとアルテラ」だと思いました。

いろいろなシーンや複線のようなものも含めて。
私も「トォニィとアルテラ」だと思ってました。

とっても素敵なトピで、あらためていろいろな想いでいっぱいになります。
みなさんに云われるまで
あの記憶の中にジョミーがいないのに氣付きませんでした・・・←だめ

トォニイのようなミュウはナスカ以外では生まれない
とジョミーが云っていたように
あの子たちもあの星域だから誕生出來たのだと思ってました
だから両親とも似ていないのかなあと

キースだけの記憶も持ってるんですよね
あの最期の時にキースの記憶を引き継いでいたとしたら
ブルーの記憶とキースの記憶を持っているのは
ジョミーだけと云うことになりますよね
だからあの子たちは生まれ変わりと云うより
ジョミーの“想い”から生まれてきたんぢゃないかなと
今は思っています
先ほどエピローグを読み返して気が付いたのですが、
(新装版の方です)

女の子の両親→見た目が異星人的、セリフ部分が平仮名
男の子の両親→見た目が普通の人間、セリフ部分がカタカナ

なのですが、

「娘モキット喜ビマス コノ船デ生マレテ育チマシタ」
「息子もですわ!友達ひとり知りませんでした」

となっています。
あれ?この部分、女の子の両親のセリフは平仮名、男の子の
両親のセリフはカタカナで語られないといけないような…
「息子」と「娘」が逆のはずだと…

単なる誤植だと思うのですが、ちょっと気になりました^^;
なつきさん

其れは昔から其のままです
版を重ねてももう直さないんでしょうね
水紅さん>
昔からだったんですか!ご指摘ありがとうございますわーい(嬉しい顔)
新参のファンなもので…あのエピローグはわずかななかに
色んな謎が含まれているので、あれも謎の一つかと深読み
してしまいました。あせあせ(飛び散る汗)

ひろみさん>
単なる誤植だろうな、とは思うんですあせあせ(飛び散る汗)
でないと話が通じないので…ですが、より空想を膨らませる
ために、竹宮先生が誤植と知りつつ訂正させなかったとかも
ありそうですね^^;
こんばんは。
原作最後のラストシーンについて、皆様の感想で
いろいろイメージが膨らんで興味深かったです。

ところで、つい最近なのですが、
竹宮さんの公式サイトで、書込の質問に答える形で
竹宮先生自らコメントしています。

興味ある方、覗いてみてください。

http://www.tra-pro.com/PUSHICAT_CLUB/
ここのBBSです。
(古い書込は順次消されていきます)

なかなか具体的なコメントなのですが、
でも一番大切なのは
先生のコメントの最後の

「皆さんのいろいろな解釈、それはそれでいいのです。作者の言いたいことだけが作品の命ではありませんから。
                        By 竹宮」

ではないでしょうか(^^;;
明確な正解を提示しているように見えて、やはり「個々の解釈でOK]なんですねわーい(嬉しい顔)

でも「昔は人の心には、自分だけの息子や娘、血縁者にこだわらず、他人の子でも育てたり、同じ国の人間でなくとも心を託したりするダイナミックな愛がありました。
人間の愛をあまりに狭く考えず、もっと大きく救いを考える方がいいのでは?」というところだけは、竹宮先生としては譲りたくないところのようですね。

「女性的なスケールの大きさ」をひしひし感じるお言葉です!
おくればせながら。テレビ版が終わったいまやっと参加しています〜

原作本を読んでいるときには、こんな風に深く考えることはなかったように思います。ただ、読むたびに新しい発見があり、また自分の解釈も変わり、何年経っても驚かされることたびたびです。

ラストの二人の子ども。皆さんの意見がとても多様で、ほんとに一人ひとりが別の受け止め方をするのだな〜とほんとうに興味深いし、竹宮さんの素晴らしさにも感動します。

私が思っていたこと。この二人、どちらもジョミーだなと。(性別は違えど顔も髪も似ていませんか?)
「ジョミー」とは、ブルーの切ない想いを受け継ぎ、それを育て自分も成長し、「力」も「想い」も、この宇宙に存在しうる最強のもの。それは体が失われても決して消えてなくなりはしない。
どこかでその、宇宙にたゆたう想いを受け継いだ「人」が地球を目指し地球へ帰る。そのときにやっとジョミーの想いが叶い、最後のゴールへ結びついたのだなぁと。(涙)

そう思えたら、決して悲しいだけの最後ではなく、ほっとした気持ちになることができました。
色々な解釈があるんですねわーい(嬉しい顔)

最初は単純に ジョミー&フィシス と考えていたんですが
こちらのトビを見ていたら色々な可能性があることにビックリ

それも竹宮先生のすごいところですねウインク

最終版の特典映像(エピローグ)に果たしてここのシーンがあるかどうか・・?

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