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かみんちゅネットワークコミュの台湾紀行(後編)

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【前編よりの続き】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27696027&comm_id=75209

○1月24日【阿里山―台北】
早朝から、黄さんの車で出発。玉山国家公園へ向う。道中、昨夜の夢のことを黄さんに聞いた。「チェンインチャンリェン」という言葉そのものの意味はないという。しかし、言葉の響きから、いくつかあてはまる漢字を教えてもらった。それをつないで、黄さんに一番よい意味の組み合わせを選んでもらった。それは「誠円長人」(誠の円を長く保つ人)というような意味になるという。僕は十分その意味に満足した。
夫婦樹という名所を経て、朝日を拝むスポットへ。晴れていれば、玉山の頂上から朝日が顔を覗かせる絶好のスポットらしい。しかし、この日はあいにくの曇り空。棚引く八重雲が玉山の峰を覆い、山の形すらはっきりわからなかった。しかし、狭い道路の塀越しに、朝の祈りを行った。
りかさんによると、争いの念や悪しき思いなどもすべて天に上げて、太陽の光により清め、再び地上で働くための良いエネルギーになって降り注ぐような祈りであったという。
祈りの後、帰り道に野生の猿を間近に見られるスポットに寄った。観光名所になっているらしい。そこをあとにすると、キジが現れて飛んでいった。猿はいつでも見られるが、キジと出会えるのは珍しくて、ラッキーなのだという。そして、宿のそばには犬が多い。犬、猿、キジが揃えば、まるで桃太郎である。何かのメッセージであろうか。
樹齢2700年という見事な「鹿林神木」を見る。そこで檜のエッセンスなどを売っていた。
売り子は原住民ツオウ族の男性のようだった。
バンに乗って、阿里山森林遊楽区へ。そこは、意表を付く形をした巨木が多く見られる不思議な森だった。高く見上げるほどの巨大な根がまるで女性器のような形に開いていたり、ハート型をしたアーチになっていたり、猪そっくりな形をしていたりする。木霊を目に見える形で見せられた感じ。同じ株から何本も木が育った「三兄弟」「四姉妹」なんて木もある。さて、われわれが大変注目したのが、「姉妹池」である。大きな池と小さな池が隣接している。原住民の伝説によると、同じ男を愛してしまった姉妹が、姉妹の絆も愛も捨てられず、それぞれの池に身投げしたという。
なんと、日本のコノハナサクヤ姫とイワナガ姫、またはハワイのペレとその妹の話とダブるではないか。さっそく、姉池のほうで巫女さんたちの祈りが始まった。
ここでは、祈りの中で織姫と乙姫が呼ばれた。乙姫の水晶玉を、織姫が織った繭で包んだ。
その糸が天に伸びていき、ぽたぽたと水が滴り落ちた。そのひとつひとつが、新しい命となった。このビジョンの中で、姉妹のしこりや愛憎の情念が浄化されて、清き御魂を産む女性性、母性が目覚めたようだった。
姉妹池を後にすると、原住民文化を守る署名運動が行われていて、民族衣装を着て写真を撮れる場所があった。ここで、署名をして、衣装を着て写真を撮り、休憩。
受鎮宮の近くのおみやげ物屋で、子年にちなんだ木彫りの像を良丸さんとりかさん(おふたりとも子年)が購入。吊り橋を渡り、観光スポットである奇樹、三代木、象鼻木を経て、黄さんの車で阿里山駅へ。駅のちょっと下で、お茶。こんな山奥にスターバックスがあるのが驚きだが、ここでは売店で買った安いコーヒーで休憩。
鉄道は、麓に降りるまで3時間半もかかった。古く狭い車両で、線路がたわんでいるのか揺れること、揺れること。頭上の荷台の荷が落ちてきて、通路を挟んだ隣の席の女の子達にぶつかって迷惑をかけてしまう。しかし女の子たちは、笑顔で、気にしないでいてくれた。台湾の人たちは明るく、親切である。片言の日本語も通じる。日本ブームもあるらしく、なじみやすい。海外旅行の緊張感がふっと解けてしまう。中国の北京や長白山に行ったときとは、印象がぜんぜん違うのだ。がぜん、好印象。
途中駅でお弁当を購入。揺られながらも、いつか眠りに落ち、嘉義駅に着いた。
ここから電車を乗り換えて、さらに約3時間半、ようやく台北に到着。すっかり夜になっていた。幸い、予約してあったYMCAホテルが駅の近くで、すぐにチェックインできた。
台北はこのところ天気が悪いらしく、小雨がぱらついていた。周囲は学生街らしく、安いお店が軒を連ねる。ようやく夕飯。午後10時半近くになっていた。そのお店のワンタンメンがおかしかった。何の味もしないのである。理由を聞けば、調理した人が初めてで、スープの素を入れ忘れたと…。あとからスープの素を入れてかき混ぜて食べた。イヤハヤなんとも…。さらに輪をかけておかしいのが良丸さんのひとこと。「ワンタンって何?」物知りなのに、たまに意外なものを知らずに意表をつく。楽しい旅の一コマではあった。
さて、翌日は、陽明山国家公園の中にある七星山に登る。その中にあるピラミッド遺跡が目的地なのだが、正規の登山ルートを外れるため、初心者はガイドなしではいけない所である。それにもかかわらず、ガイドをお願いしたいたUFO研究会のKさんが、断ってきた。理由は、天候悪化のためであるという。また、普通は夏にしか案内しないのだそうだ。
われわれは多少の雨風や寒さなら、行くつもりである、と電話で告げる。すると、「行き方は教えるので、勝手に行くのはかまわない」とのこと。黄さんに目印になるポイントや、距離などを聞きだしてもらう。天気は相変わらず悪い。果たして、七星山ピラミッドへいけるのだろうか?
不安がよぎる。ネットカフェに寄り、情報収集をはかるもうまくいかず、YMCAホテルに戻り就寝。

○1月25日【七星山】
朝、やはり天気は悪い。雲が出て小雨がぱらつき、肌寒い。七星山は、1120メートルで、阿里山より低いが、ガイドが逃げ出すくらいだから、完全防寒で向うことにする。
実際、台南と台北では、気温があまりにも違う。
台北駅から、バスに乗って、陽明山駅に着くと、市内と比べて、寒さが一段と厳しさを増していた。さらに、雨だけでなく風も強い。今一度、防寒・雨具の装備を念入りに行う。
ミニバスで、小油坑登山口へ向う。高度が増すに連れて、霧が立ち込めてきた。いよいよ状況が悪い。バス停を降りると、霧で周りが何も見えない有様だった。案内所へ入り、職員にピラミッドを目指したいと話すと、やめたほうがいいとのこと。遭難しても仕方がないので、ピラミッドはあきらめることにした。そのかわりに、頂上までの道は、石段が組まれていて、分かりやすいので、登っても大丈夫だと聞き、頂上を目指すことにした。
霧でほとんど何も見えない中、われわれ7人は、七星山登山を始めた。とちゅう、硫黄臭が漂い、蒸気が吹いている岩場が何箇所もあった。そう、ここは、大きな噴火こそしないものの、火山なのだった。恐山のような雰囲気も持つ。霊山として、この山で祈る地元霊能者も多いそうだ。ピラミッドをはじめ、未解明の巨石遺跡も多く、UFO目撃多発地帯としても知られている、謎多き神秘の山なのである。
良丸さん、さよこさんは足が悪いのでゆっくり行くことにした。良丸さんとりかさん、さよこさんとユーナさんが一緒に上る。黄さんは軽装で、寒そうだったが、身軽なためか、急ピッチで登っていき、やがて同じく急ピッチで登る和美さんとともに、姿が見えなくなった。
登頂まで1時間半から2時間くらいだったか。相変わらずの悪天候で、本来なら素晴らしいであろう眺望は望めない。霧と風雨の吹きすさぶ中で、祈りが始まった。気温は8度だが、身を打つ雨風のせいでもっと寒く感じた。ここもまた、ピンプー族の土地だった。さまざまな歴史を積み重ねてきた場所だろう。今回の祈りの最後の場でもあり、厳粛な祈りとなった。この過酷な環境も、かっこうの神事の舞台作りにひと役かっていた。
ここでは、りかさんが、天から七つの玉を頂き、ひとつひとつ意味を汲み取りながら、大地へエイッと納めていった。これにより、天と地が結ばれたのだった。
和美さんによると、このときの七つの玉は、まるで七福神に与えられたかのような「福」であったようだ。ありがたい事に、われわれは御神霊より福を授かったとのことである。
祈りの神事のあと、ガイドをしてくれた黄さんの誕生日を祝って、りかさんがメッセージを降ろし、僕と良丸さんが歌を歌った。そう、この日1月25日は、黄さんの27歳のバースデーだったのだ。そして、今回の旅でずっと黄さんと相部屋ですっかり仲良くなったというユーナさんの27歳の誕生日は、翌日26日なのである。さらに、良丸さんの誕生日が27日と続く。なんとも面白いのである。この度の中で、大切な節目を迎える人が3人も、誕生日続きで含まれていたとは。本当に驚きである。
「今日は<なおらい>をしてよいそうです」さよこさんが、神様からの言葉を伝えた。
その夜、黄さんのお薦めで屋台村へ行き、夕食後にケーキを買って、黄さんとユーナさんの誕生会をして、みんなでケーキを頂いた。楽しいなおらいになった。

○1月26日【台北―那覇】
この日は、仏教寺院・龍山寺と、道教寺院・木柵指南宮を訪れることにした。台湾の人々の一般的な信仰にも触れておこうという意図があった。
龍山寺は、地下鉄で向う。そんなに遠くないところにあった。
ちょうど、午前の読経の時間だったらしく、回廊に椅子をならべ、年配の黒い法衣の女性たちが一斉に読経をしていた。線香をあげて祈る人々も大勢いて、かなり信仰の熱気を感じた。この、回廊にずらりと座って読経する人々の姿は、僕はかつて夢で見たことがあって、あまりにもその夢と酷似していてびっくりした。
われわれも、線香を買って、まつられている諸仏を巡礼し、祈念して回った。
前殿には、観音・文殊・普賢の三尊が祀られている。後殿には、たくさん祭られており、海の女神である媽祖・天上聖母、三国志の関羽、縁結びの神・月老神君などが祀られていた。子授けの神は、誕生娘娘といい、その「たんじょうにゃんにゃん」という名の響きが愛らしくて思わず笑ってしまうのであった。
さよこさんは、このような寺院に来ると、さまざまな人の「念」に当たってきついらしい。
龍山寺を後にし、地下鉄を乗り継ぎ、さらにバスに乗って道教寺院・木柵指南宮に着いた。
仏教よりも広く信仰されているといわれる道教の、台湾での大本山だが、期待とは裏腹で、拍子抜けしてしまった。寺院に着くなり世話好きなおばあさんが、線香の上げ方をあれこれ「指南」し出し、参拝の順番まで指示する。導士の後について回ったり、なかなか面白かったが、参拝が終わるなり、お守りのストラップを買わないかと誘ってきた。単なる物売りのおばちゃんだったのである。ここに祀られているのは、仙人から神に祀られた呂洞賓である。呂洞賓はもともと人間であったが剣術と金丹術に長け、後に八仙(七福神のようなめでたい存在)のひとりとされる。酒と遊興、恋話に事欠かず、人気が高いそうだ。
プレイボーイの神様のまつられる寺院として、期待したのだが、なんだかケムに巻かれて何の感動もないまま追い返されてしまったような感じである。あまりわれわれには用のない場所だったのかもしれない。
YMCAホテルに戻り、ホテル併設のロイヤルホストで軽食。預けていた荷物を受け取って、台北駅のバス乗り場へ。ここで黄さんとお別れをし、台北空港へ。
帰りのフライトは、一時間ちょっとだった。沖縄と台湾の近さをあらためて実感した。

今回の台湾での神事は、とても大きな意味があったという。大きな戦争や災害に突っ走るエネルギーが緩和され、フィフティーフィフティーのところまでバランスされたそうだ。
ブラジルの予知能力者ジュセリーノは、地球で生きていくために人類が目覚める期限は2007年12月31日だと言っていた。その日はあっという間に過ぎてしまった。世界情勢をみても、人類の未来が改善されたのかどうかは、わからない。
しかし、まだ、未来の方向はわれわれに変える余地が残されているといってよいようだ。
今回の旅を終えて、これからのことをじっくり考え、行動していきたいと思った。
今回の旅を応援してくださった皆様、さまざまな形で協力いただいた全ての皆様に感謝いたします。

【帰国後】
26日、那覇空港に着いたそのままの足で、荷物を抱えたまま、おもろ町に移動し、浅川嘉富氏のグループと合流。浅川氏は良丸さんに取材して「祈りの島『沖縄・久高』」を出版された方。講演会があり、打ち上げを行っていた。合流したのは、マヤのシャーマンが来日し、春分の日に、良丸さんと祈りを捧げる計画を話し合うためだ。関係者が本土から集まってきていた。デイキーパーと呼ばれる暦を司るシャーマンの長であるドン・アレハンドロ氏によると、マヤ暦は2012年以降も存在しているという。その暦を解読し、メッセージを携えて来ると言うのである。深夜1時まで話が続く。27日、大国みろく大社にて、前日のメンバーが集まり、マヤのシャーマン来日についての話し合い。浅川氏たちと昼食
後、お宮に戻って、台湾の祈りに参加した6人が揃い、神前にて報告。すっかり夜になっていた。それから、お宮の裏の鍾乳洞内の母神の前にてむすびの祈り。りかさんに啓示が降りてきた。「織り続けよ。つくりつづけて、壊してはならない」他にも「双龍」「中国の西北へ行け」など、キーワードが多く出た。内容の判断は後日に。28日は、国頭村に和美さんが建てた「奥間の里・みろくや」を訪れた。厳選された自然食材による美味しい昼食を頂き、国頭村の自然を案内してもらう。海、山、滝、森、公園があり、いいところである。29日は、ユーナさんの祖母が眠るという玉城のお墓にお参りに行く。そのお墓は、尚秦久王の長女であり、波乱の生涯を送った、百十踏揚(ももとふみあがり)姫の墓なので
す。ユーナさんはその姫の血を引くか、きわめて近い者の血を引くらしいのです。台湾で、琉球半民の墓に行きましたが、その頃の琉球藩王は、琉球最後の王となる、尚秦(尚秦久とは時代が別。名前が似ているのが面白い)でした。なんとも不思議なつながりを感じました。雄墓参りの前に、近くの水場「なかんだかりひーじゃー」と「かきのはなひーじゃー」に寄りました。お参りの後、空港へ行き、僕は東京に戻りました。東京に戻って2月3日、和美さん、ユーナさん、かのこさん、僕の4人集まって、明治神宮に参拝。台湾で朝日を拝みに訪れた「新高山」の名付け親は明治天皇。「征台の役」も明治時代。明治神宮で、祈ることにより、むすびが行われたという。和美さんには「国がふたつに割れる」「徳川幕府を再興させられぬか?」というメッセージが降りていたそうだ。明治維新に続く激動の時代が、これから再び再現されるというのだろうか?そのような啓示がおりるくらい、時代のバランスは微妙ということなのだろう。心せねば、と思う。2月4日は上野の国立科学博物館へ。和美さん、ユーナさん、僕の3人で「ナスカ展」へ行く。この日が初日であった。われわれの次の海外での祈りの場は、ペルー、それもナスカということになっている。
実にタイムリーであった。

【付記】台湾は、良丸さんのお宮・大国みろく大社と関係が深い。1972年、田中角栄の時代に日中平和友好条約が結ばれて、台湾と日本の関係が悪くなったとき、神田孝一さんという方が、日本政府の姿勢について台湾に謝罪に行ったことがあるという。神田さんはそこで急病のため客死。台湾政府は国賓として葬儀を行った。日本も、彼の遺体を異例の待遇で受け入れた。当時のニュースにも取り上げられたという。神田孝一さんは、「心の科学会」という組織を作っていて、「心の科学」という機関誌を発行していた。実は、この会の沖縄本部を、良丸さんの母・比嘉初さんが仕切っていらしたのである。「心の科学」でも初さんは紹介されている。沖縄が本土復帰する前から、本土と沖縄の架け橋としての役
目を担っていた。まだ幼かった良丸さんにも神田氏の記憶は残っている。
しかし、現在、神田孝一という名を知るものは少ない。ネットで検索しても、ほとんど何も出てこない。彼について情報をお持ちの方はぜひ知らせてください。

【台湾の祈りの旅についてのご報告】
●良丸さん、りかさんより
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27680296&comm_id=75209

●和美さんより
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27653590&comm_id=75209

●百十踏揚姫について
http://www.wonder-okinawa.jp/002/001/kat_e.html

コメント(6)

>いっぱさん、長文をお読みいただき、ありがとうございます!!!
>ネコ愛美さん、読んでくださってありがとう!!
「忘れないうちに書き留めねば」と突っ走って書いてしまい、足りないところもあるのですが、いずれゆっくり加筆したいと思います。
「自分で出来ることから」そう、足元から…がんばりましょうネ☆
>ネコ愛美さん
2月7日、旧暦の新年を迎えましたね!
頂いた多肉植物も今日は太陽の光を受けて、ピカリとしてました♪

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