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映画評論(ゲイのみ)コミュの「レディ・イン・ザ・ウォーター」

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☆☆☆☆

 作品が公開される度に、取りも直さず観に行きたくなる監督がいる。「シックス・センス」や「ヴィレッジ」など最後の大ドンデン返しで驚きと共に感動を与えてくれる監督、M・ナイト・シャマランもそのひとり。全作品の脚本も自身で手掛ける貴重な才能だと思っている。

 今回の「レディ・イン・ザ・ウォーター」はだいぶ前から予告編で期待感いっぱいだった。「どうやらプールの水の下から女が現れるらしい」「地底人か??」と勝手に盛り上がっていたのだが、「地底人」ではなかった。(笑)

(注:以下ストーリーややネタバレしてます)

 監督も公開前から公言していたらしいが、今回はドンデン返しを楽しむストーリーではない。最初から終わりまで、現代で繰り広げられるおとぎ話である。水の世界からやってくる女は「地底人」でなく「水の精」である。これはネタバレでもなんでもなく、冒頭のタイトル部分でアニメーション付きで解説してくれる。このアニメーションの内容がそのまま現代のアパートを舞台に繰り広げられるという訳である。

 人間世界(陸)に、ある目的を持ってやって来た「水の精」を、敵の手から守って無事に元の世界に帰してやるまでのお話。それにはおとぎ話で言い伝えられている通り、それぞれの役割を持った人間達が存在する、そのアパート内に!誰がどの役割の人間で、きちんとそれを実行できるのかがこの作品の中心。軽いドンデン返しではないが、「あの人があの役割だったんだー」という謎解き要素は散りばめられている。


 やっぱりシャマラン監督のストーリー・テリングの技は一級品だ。無駄を省いた短い上映時間の中で、必要なものを必要な位置で必要最低限の量で見せていく。カメラ・ワークもココ!という時にのみ彼らしい演出をする。後で知って驚いたのだが、今回の撮影監督はクリストファー・ドイル(「欲望の翼」「恋する惑星」など香港・中国映画で活躍してきたオーストラリア人)。彼の個性であったワイド・レンズを付けた手持ちカメラの演出は、今回は陰を潜めている。シャマラン監督とクリストファー・ドイルという組み合わせは意外だった。(ほぼ100%シャマラン印になっているけど)

 物語とそれが比喩するものを感じ取って感動する作品なのだが、いささか直球な感動が伝わってこない。彼女が今なぜ「陸」に現れる必要があったのか、その説明が無さ過ぎる。今後起こることになる事のために来たのだが、その必然性が分からないし(例えば今世界は崩壊の危機にあるのだ、だから彼女が現れたのだ、とかいう必然性)、しかも今後起こる事は語られるだけだから、感動と言えば、彼女によって「目覚めた」人の心情であり、一致団結する姿であり、彼女との別れである。ドンデン返しの驚きを伴った感動というものに慣れてしまった自分には、ちょっと小粒な感動という印象だった。

 それでもこの物語が比喩する事を感じると、大きな暖かい気持ちになれる。
---人は皆この世に意味を持って生まれてきたのだ。
その人にしか出来ない役割があるのだ。
運命という名の下に我々は守られているのだ。---
 
 過去、現在そして未来。シャマラン監督の作品では、人の運命が大きな影響力を持つものとして常に登場する。そしてそれを「神」という表現にしないところがとても好きだ。(「サイン」では主人公はそれに「神」を見い出したが。)
作家ジョン・アービングの小説にもよく登場する「運命」「人の役割」という隠しテーマが、シャマラン監督の個性の中心なのかもしれない。

コメント(4)

正直、面白くはなかった…です^^;

「シックスセンス」を見て最後まで仕掛けに気付かずビックリさせられたのが忘れられず、この監督の作品は一通り見てますが、結局「シックスセンス」以来当たりはありません。この作品も然りです。

シャマラン監督が結構おいしい役で出てくるわけですよ。主役よりも確実においしい役です。まあ、よく出てきます。

結局、ストーリー本筋よりもそのシャマラン監督の演じる役に関わるサブストーリーの方にメッセージが込められているような気がします。明らかに自分のためですね。

エンドロールが始まった瞬間、怒りに近い感情が…^^;
のすけさん>まったくその通りだったです。悲

フラガール観ようと思ったら立ち見で、。で、。

なんか、ストーリーがこじつけが多くて、なんでやねんって感じ。
ファンタジーにも何も感じられませんでした。
ほんと最後の方は呆れて、エンドロールを観るや否や出て来ました。

ふーー。

☆ゼロ  久しぶり。
か@ちゃんさん>同じ意見の人がいてホッとしました^^
シャマラン監督の作品が好きなのにも関わらず、なぜか観損ねていて、今更、本当に今更なのですが、この映画を初めて観ました(汗)
この映画が込めた真意というか寓意、そして皮肉は非常に面白かったですし、だからこそカメオ出演が常の監督も今回は出ずっぱりなのがよく理解できました。
しかしそれが映画として面白かったかというと、これまた違う。理屈はわかったけどファンタジーとしてのストーリーが面白くなかったのが残念でした。


--

(以下、ネタばれにつき、了解の上でお読みください)




ずばりこの映画はストーリー(物語)を紡ぐこと、もっと言うと、映画をつくることの過程を水の精の話に寓意的に託した話だと思います。水の精の名前が「ストーリー」であること、唯一あの邪悪な犬に食されて?舞台からいなくなるのが映画評論家であること、そしてシャマラン監督自身が演じる役割の重要性などがその理由として挙げられるかと思います。
水の精が邪悪な犬の危険にさらされながら様々な役割を持った人たちによって救われ、癒されて、最後には元の世界へ戻るというストーリーの昇華を、ポール・ジアマッティ演じる管理人の心の傷の回復というストーリーの昇華と掛け合わせながら進むこの映画は、水の精「ストーリー」にまつわる話はストーリーづくり、映画づくりの過程を示しています。


韓国人母娘が語る古の故事は物語の「シノプシス」の役割、シャマラン監督自身が機能する「主題・テーマ」、そしてポール・ジアマッティはマンションの住人(物語づくり・映画づくりに関わるスタッフ)を束ねて作品を完成させる「映画監督」といった役割で、妖精「ストーリー」が無事に元の世界へ戻すストーリーが完成されるのです。シャマランはおそらく映画づくりが多くの共同作業によってなされるという事と、本来物語というのは多くの知恵の中で育まれ、それがまた多くの人の心を育んできたこと、そして我々人間はこれからも物語を紡いでいかないとならないことを伝えたかったのだと思います。
もちろん、どんな物作りでも阻害・障害要因はあるものです。映画に出てくる映画評論家はステレオタイプな定型にはまった映画・物語作りしか語らないため、真の物語づくり、人を真に育むための物づくりに加担できずに、犬に食されてしまい、この映画の舞台から退場されてしまうのだと思います。これはお決まりな批評しか言わない映画評論家、あるいはお決まりな事しか期待していない観衆に対する皮肉・挑発なのかもしれません。


この作品の面白いところは、映画評論家なんて糞食らえというシャマラン監督の私怨にも近い挑発があるのと、「ドンデン返し」を期待する観衆に対して、映画の本質とは何か、をあえてお説教っぽく説いていることだと思います。というか、もしかしたらこの生真面目な説教こそ実はドンデン返しなのかもしれませんが。
寓意を遊びに遊んだ、なかなか一筋縄でいかない野心的な映画ですが、如何せん、その寓意を託した水の精の話があまり面白くないことがこの映画の一番の欠点でした。それこそ多くの人の心を育むような物語(サイドストーリーである管理人の心の救済の側面がもう少し生きれば!)であれば、ストーリーのもつ力と寓意性の相乗効果で面白い映画になったような気がします。残念。

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