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三輪明神コミュの三輪明神の雑学、雑談・・

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コミュ内全体

神代の昔話・・
大和城上郡の大神大物主(大物主)は日本神話に登場する神で別名は三輪明神です。

仝纏記によると大国主神とともに国造りを行っていた少彦名神が常世の国に去ってしまい独りぼっちになった大国主神はこれからどうして、この国を造って行けば良いか悩んでいた時に海の彼方から光輝やきながら神がやって来て大和国の三輪山に自分を祭りなさいと命じました。
■大国主がその神に・・『どなたですかな?』と聞くと
■その神は・・『我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり』と答えました。

日本書紀によると大国主神の別名としており大神神社の由緒では大国主神が自らの和魂(にきみたま)を大物主神として祀ったとしています。

三島湟咋(ミシマノミゾクヒ)の娘の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)が美人であるという噂を耳にした大物主は、彼女に一目惚れしてしまって勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)に何とか声をかけようと、大物主は赤い矢に姿を変え、勢夜陀多良比売が用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、陰所(ほと)を突きました。勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)がその矢を自分の部屋に持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれたそうです。こうして生れた子が媛蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメ・イスケヨリヒメ)で後に神武天皇の后となりました。

て津耳(スエツミミ)命の娘、活玉依毘売(イクタマヨリビメ)の前に突然立派な男が現われ二人は結ばれ、その後すぐに活玉依毘売は身篭りました。不審に思った両親が問いつめた所、活玉依毘売は名前も知らない立派な男が毎夜やって来ることを両親に告白しました。両親はその男の正体を知りたいと思い、糸巻きに巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すように教えたそうです。翌朝に針につけた、その糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていて、その時糸巻きには糸が三回り残っていたことから『三輪』とよばれるそうです。

タ鮨静傾弔紡臺主は大直禰子命(オオタタネコ)に祀らせるようにと告げました。これが現在の大神神社と伝わっています。大物主は蛇神であり水神・雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めています。また国の守護神である一方で、祟りなす強力な神ともいわれています。

軽〜い昔話ですので 読み流して下さいね(^^)
※もしご存じの・・色んな三輪明神(おおみわじんじゃ)に関しての雑学があれば教えてくださいね。宜しくお願いします。

コメント(3)

おんぱら祭『祭奉納花火大会中止』・・
 三輪人の夏の風物詩の一つで、毎年7月31日に行われています「おんぱら祭奉納花火大会」が今年は、新型コロナウィルス感染拡大防止の為中止されました。

 毎年恒例の花火大会は、地元の皆さんに親しまれる夏を代表する祭りの一つです。磐余の里(桜井市)、三諸の神奈備(三輪山)大神神社(おおみわじんじゃ)、別名は三輪明神、その摂社綱越神社近く、芝運動公園周辺の田園で打ち上げられるため、周囲に視界をさえぎる建物などが少なく、開放感のある空間で行われ、約2000発の花火が打ち上げられます。
続き・・
おんぱら祭りは祓戸の神を祀り、往昔から夏越しの祓え(なごしのはらえ)が例祭として行われます。社名の綱越は「夏越し」が訛ったとされ、例祭「御祓祭(おんぱらさい)」の名から神社も通称「おんぱらさん」とよばれ親しまれてます。綱越神社は大神神社(おおみわじんじゃ)の摂社のひとつです。開催場所は綱越神社で7月30日(火)・花火大会7月31日(水)です。花火見物は神社から約200mに北方向に位置する桜井市芝運動公園、打ち上げは31日19:30〜20:10。打上げ場所は街の灯りが花火の邪魔をしない田園地帯、周辺には大きな建物がなく花火本来の丸い姿がひときわ美しく見えるところです。
大物主大神と『三輪素麺』・・
 今日の磐余の里は梅雨の中休み、雲が少々多いけど、青空とお天道さんの姿が見えて快い日になりました。そんな中、三輪人と言えば「三輪明神(大神神社)」と「三輪素麺」と言うことで、冷やし素麺を食しました。

 素麺は日本の麺食文化の歴史となると「素麺に至り」その素麺の歴史を遡ると、大和の国の三輪(奈良県桜井市)で生まれた手延べ素麺に至ります。今から千二百余年を遡る昔、日本最古の神社、三諸の神奈備(三輪山)大神神社(おおみわじんじゃ)の祭神、大物主大神の神孫である「大田田根子」の子孫、八二七年に三輪族の氏上に任ぜられた、大神主の大神朝臣狭井久佐(さいくさ)の次男、穀主(たねぬし)朝臣が飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ、神の啓示がありました。啓示の通りに肥沃な三輪の里に小麦を撒き、その実りを、水車石臼で粉に挽き、癒しの湧き水で手こね延ばして糸状にしたものが、素麺の起源と伝わります。その後、三輪素麺はお伊勢参りの途中で訪れた人々を魅了し、手延べの製法も播州(兵庫県)、小豆島、島原へと伝わり、日本を代表する伝統食となりました。
 
 三輪素麺は三輪の清水、塩、そして聖なる山から盆地に吹く北風と天日。三輪の自然と風土を最大限に生かして作られた素麺で、口当たりなめらかにしてコシが強く、茹でたあとものびにくい素麺です。

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