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平和の集い【思想哲学】認識論コミュのミラーニューロンこそが人類の進化発展の鍵

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眼窩前頭皮質が関係する ミラーニューロン(英: Mirror neuron)とは【感情移入(の)回路】の事なのです。

女性ホルモンと言われているエストロゲン(卵胞ホルモン)とプロゲステロン(黄体ホルモン)のバランスで母性本能が【脳の回路】=【感情移入(の)回路】=【ミラーニューロン】 として作られる。赤ん坊の一時期が殆どに【感情移入(の)回路化】=【ミラーニューロン化】として脳全体が機能する。

したがって10つき10かと語られている長い間に 母親のお腹の中の赤ん坊の脳も 母親から受ける女性ホルモンの影響で必然的に 女性ホルモンと言われているエストロゲン(卵胞ホルモン)とプロゲステロン(黄体ホルモン)の影響下に置かれていると言える。
生まれた赤ん坊は其の観点から言えば男女の区別も無く、赤ん坊の【脳の回路】=【感情移入(の)回路】からスタートしていて当然なんですね。

一期 早すぎるようだが、この一期の間がマズローの五段階欲求・欲望の形成期・完成期と考えられる。
【感情移入回路時代】から【自我の確立時代】そして【認識能力が優先する人間社会時代】に入る 始めの【感情移入回路時代】

二期 反抗期と言う意識も芽生える。
人間は漠然とした肉体的な成長の感覚と確信を伴立させつつ【自我の確立期に入る】。
【自我の確立時代】 人生の先輩を超える素晴らしい肉体的優位性を社会的習慣をもって意識として個人としての自信と並んで勘違いもしながら青春時代を迎えて恋心も野心となり青春時代を謳歌する人生経験の時代。
大脳皮質の殆どが感覚器官である五感の為の機能が整い完成期を迎えている。

三期
【自我の確立時代】を経てから 人間の人間らしい脳が機能する【認識能力が優先する人間社会時代】に入る。

四期(しき や 欲望を乗り越える時期)
AIの時代を色々な神秘が解明され、それを理解できる時期を迎えつつ、人間が不老長寿化した人生・人生の自己覚知で人生を謳歌できる社会に船出する意識を身につけているのだろう。

コメント(64)

>>[24]


【運否天賦(うんぷてんぷ)】と【本能行動(とは純粋本能+意識・観念)】
 人間一人一人の全ての本能が 運や不運と関連しているのではなく、【運否天賦(うんぷてんぷ)】は 人間一人一人の対をなして起動するDNAの【本能行動(純粋本能+意識・観念)】と密接な関連関係にある。だから本人にも他人にも解からない。 by 桜の花

>>[25]

現在の脳医学による各人の本能を変革しようという動きからはその人の本能を外部操作によって他者に有利なものへと指令しているのを実感しています。
もはや本能とは呼べない状態ではないかと思っております。
>>[26]

>現在の脳医学による各人の本能を変革しようという動きからはその人の本能を外部操作によって他者に有利なものへと指令しているのを実感しています。
もはや本能とは呼べない状態ではないかと思っております。


昔から その様な事や出来事を マルッと含めて社会と言うし 社会的な動物なのだと考えられますね。
おもしろいし 興味深く感じるから 進化発展が尽きないのではないかと思います。
>>[27]

そもそも当人の承諾なく、しかも公正ではない目的のためにそれが行われているということは明らかに職権や地位の濫用であり、人権の侵害であるはずです。
現在の社会、経済なるものが人権や法規に反した状態で拡大をしようとしていることに対し、強い危機感を抱いております。
>>[28]

>・・・人権の侵害であるはずです。

陽司さんが 敢えてその様に思うのも、人権侵害を敢えてする方々が存在するのも、今は 悟性は悟性であっても自然な生まれたままのような脳の中での現象なんです。
未だに 脳の中の現象を 明確な理論として発見も発表もされていないんです。
そういった事実を踏まえて 現代人は 何が問題なのかを因果関係の根拠の無い・根拠の不確かな【意識=観念】だけで語っても、それは暴力とおなじなんだと思います。

暴力は 現実に空いた穴を虚でもって埋める事です。by 桜の花

現代人は 未だに現実に空いた穴を【事実=実用性=非実用性】の区別を未だに付く、【正しい理性(correct reason)/正しい根源、正しい理由】を持ち合わせた【意識=観念】で埋める事をしていないのです。by 桜の花
基本的人権というのは確率された正しい理性(西洋のものとは違うでしょう)であり、空いた穴を埋めるものはすべて事後の正しい行いしかないと考えます。
暴力というものはその空いた穴をさらに拡げる行為でしかないと私は思いますが、もしかするとその穴とはどの穴なのかが立場によって違うのかもしれませんね。
人権の規定は憲法で定められているものですから、もしそれが守れないのなら憲法を変える動きを公的になされるのがよいでしょう。
この対話も憲法について議論できればとの思いをこちらは持っております。
>>[30]

>この対話も憲法について議論できればとの思いをこちらは持っております。

簡単に言うと このコミュでは 科学哲学的思考を心がけたいとするコミュでありたいと心がけています。

今までの お話されている 話のなかみでは 基本的人権という事も、陽司さんがどの様に考えているのかも 私には理解できないのです。世界の誰もが基本的人権についても 言葉はありますけど、その中身目的そして内容を、全てを矛盾無く的確に語れないのだと思っておりますので 憲法も語ることは無理ですよ。

私には 憲法も、
基本的人権問題も無理です。
人心権思想哲学として 考えるほうが 考える意義も成果も的をえているように思えるのです。
物理法則が認知される以前の言葉の意味はしばしば現代社会で誤解をもたらしている。
【自由意志(free will)】は対を成すDNAと自由な伴立関係を成している人間の意識だと考えられる。

自由意志は観念論でありカント的意識です。

自由意思は物理法則でありヘーゲル的意識です。

いずれも物理法則が認知される以前の意識表現です。それは神が人間に与える意志が常識であり前提であったからです。
【自由意志(free will)】の言葉の歴史を調べれば理解できます。
従ってキリスト教的理解によると【自由意志(free will)】は神から与えられた選ばれた人間の特権であると言う事になり、元来人間には存在し無い【意志will】と言う意味になります。
>>[31]

日本はもちろん法治国家であり、憲法は最高法規ですべての法律の上にある規律です。
ですからすべての学術や研究も当然憲法及び法律の範囲内で行われなければなりません。
たとえ技術的に可能であったとしても憲法及び法律に反するものであるならばそれは禁止されなければならない類のものであるはずです。
現在は事実上なんでもありになってしまっていますがね。
よく倫理という観念が用いられますが、倫理なるものを定める法規は日本にはないはずですしね。
学者や研究者の方からすれば技術的又は心理的に容易に飛び越えられる一線なのでしょうが、そもそも法規は国民を保護するために定められたものですからね。
人権を無理だと言ってしまうのは日本居住の要件に適合しないということになってしまいますよ。
国法は絶対に守られなければいけませんし、もしそれに異を感じられるのであれば正当な方法で法改正を求める必要があると思います。
>>[32]

海外の思想が日本に相容れないのはしかたないところがあると考えています。
日本における自由というものは、最高裁が判事したように必ずしも絶対無制限のものではなく、一定の制限の範囲内における自由を指します。
その一定の制限というのが法律なわけですから、自由は法律や政令の範囲内での自由ということになります。
無制限の自由ということになってしまったらそれこそ無政府状態で犯罪でもなんでもありになってしまいますね。
自民党はあまりにも業を煮やしたのか、改憲草案の中に「自由には責任と義務が伴うことを自覚し」という文言を盛り込む案を出しているくらいに自由をはき違えている世の中だということでしょう。
キリスト教を信じていれば日本の国法を超越できるというのならばそれは実に大変な話です。
信教の自由を認める憲法を変えるかなんなりかの対策をしなければならないことになってしまいますね。
>>[33]

>国法は絶対に守られなければいけませんし、もしそれに異を感じられるのであれば正当な方法で法改正を求める必要があると思います。

その法律ってなんですか? 
財政支出の法律でしたら 法案を作っている官僚や政治家たちでさえ守っていない事が沢山ありますよね。ご存知でしょうか?
法律を守るか守らないかの問題以前に・・・ 全ての法律が いいかげんなのか?何か? どうなっているのか? ・・を知っていない。私も知らない一人ですけどね。

法律や法案を作る権利を 国民に開放したら良いですよね。
何処の民主主義を標榜している国でも 国民に法案を作る権利さえ与えていないんです。これが当然なんでしょうか?
此れからますますITの活用できる時代になるのですから 法案を作る権利を国民に開放して欲しいですね。


 
理性的という言葉を私達は もう一度考える余裕をもてると哲学も今まで以上に面白くできると思い始めてます。

グローバル思想=興亜思想だけを 私達が 歴史の1つとして 一面的に学んでも何の役にも立たないと思います。それが社会科学てきである背景でも無いからです。
日本に渋沢栄一を 人物として活かす風土も理性的に学ぶべきですし 他にも学ぶべきことが色々あるんです。

渋沢栄一を一万円札の顔に選んだ事は 偶然ではない必然性があるのですけどね。
明治に入り 日本の商業資本や農業資本が大きく産業資本に転換できたのが日本の風土でもあったのです。
日本よりも100年もはやく西欧文化の産業革命に触れていたインドや中国では商業資本が産業資本に転換する事をしていなかった。
>>[35]

法律は権限を有する国民を代表する議員以外が制定できるものではないですよ。
国民の権利に含まれることは勿論ありませんし、そもそも国民がそこまでの権利を欲す必要などないように日本の制度は発足しているわけです。
法案について考えたり仲間内で議論することなどは可能でしょうが、実際に法案を議決するのは国会議員のみであるというのが憲法で制定されている日本の原則です。
ITを活用して法について議論をたたかわせることは法で規制されている行為ではないはずですね。
>>[36]

日本がアジアでは先駆けて資本主義に踏み出したわけですね。
渋沢栄一の万券はもう決定事項なのですね?
デザインも正直いかがなものかと思いましたし、福沢諭吉をやめてまでですからね。
どうも政治主導なるやり方は我々国民にとっては承服しがたいものが多すぎます。
>>[37]

>法律は権限を有する国民を代表する議員以外が制定できるものではないですよ。

これこそが カントを超越する【純粋理性批判】であります。
其処には【狭義の理性】と【広義の理性】という仕組みを【無視しては成り立たない理性を【理解する能力(悟性)】】がポスト構造主義的にある(実存的に存在している)と言うことです。

事実をご存知ならば もうすこし世の中が面白くなりますよ。

法律を審議できるのは国会議員達ですけど・・
その法案の多くは一括審議と言う形で殆どが法案のでた状態で審議可決されているのを知っていると思います。

その法案(関連法案の修正等々もあり複数にならざるをえないのですけど)を作れるのは 国民から負託を得ていない官僚の持つ権限なんです。ゆえに国会での局長以上に答弁権まで与えられている。そう言う事は局長以上の発現が既に法律に準じた発現になるのです。法律に無くても 局長通達 課長通達等々の法律に準じるのですけど 官報を見なければ国民は解からない法律に準じた決まりまで存在しているんです。いちいち書かなくても すでにご存知の事だと思います。

その他にも 産官学や政治家が 情報網的に癒着になりがちな仕組みが 役人中心になりがちなしくみとして存在しているんですね。係長から事務次官までの其々に 其々の民間人・学者・経営者たちと役人・官僚たちとの関係性が 他省庁の役人たちには文章として伝わり、予算や法案ができる前提条件として構造化しているんです。小泉内閣ではじめて その頂点に存在していた事務次官会議を廃止しましたけど、ご存知の通り構造的には変化は無いんですよね。

IT制度社会と言うのは 【国民にも その法律までを決定する理由【=一種の狭義の理性】と過程が見える化している事【=一種の広義の理性】】だと言える社会制度に社会変化できると言う事になります。
>>[39]

>IT制度社会と言うのは 【国民にも その法律までを決定する理由【=一種の狭義の理性】と過程が見える化している事【=一種の広義の理性】】だと言える社会制度に社会変化できると言う事になります。

国民にその法案の必要性と審議結果を報告する義務があるのはなにもIT社会でなければできないものであるとは思いません。
各種報道機関が充分すぎるほど存在しているわけですから、要は行う意思の有無の問題でしかありません。
憲法は国民の厳粛な信託を受けた国会議員による立法権の行使を定めておりますが、現在の立法府はそもそも信託ではなく支持を受けるべく働いていますよね。
憲法は国民と国会議員との信頼関係を前提に制定されていますから、現在のようなやり方は不信以外招かないのは明らかであり、速やかに正すべき状況です。
ITをも活用した報告や伝達がなされるのはより便利になったといえるはずです。

>その他にも 産官学や政治家が 情報網的に癒着になりがちな仕組みが 役人中心になりがちなしくみとして存在しているんですね。係長から事務次官までの其々に 其々の民間人・学者・経営者たちと役人・官僚たちとの関係性が 他省庁の役人たちには文章として伝わり、予算や法案ができる前提条件として構造化しているんです。小泉内閣ではじめて その頂点に存在していた事務次官会議を廃止しましたけど、ご存知の通り構造的には変化は無いんですよね。


各界の有識者と行政が緊密な関係になることは当然といえると思いますが、現在の政治主導の状況は明らかに権力の暴走を制御することができない独裁化を招いています。
職権濫用や権力私物化にもなりえますから国家として危険な状態です。
官僚構造内部のことはわからないのですが、次官会議をなくして省庁間の連携に支障はないのかが気にかかるところです。

>その法案(関連法案の修正等々もあり複数にならざるをえないのですけど)を作れるのは 国民から負託を得ていない官僚の持つ権限なんです。ゆえに国会での局長以上に答弁権まで与えられている。そう言う事は局長以上の発現が既に法律に準じた発現になるのです。法律に無くても 局長通達 課長通達等々の法律に準じるのですけど 官報を見なければ国民は解からない法律に準じた決まりまで存在しているんです。いちいち書かなくても すでにご存知の事だと思います。

まず気になるのは「負託」という言葉ですが、そもそも負託を受ける必要はあるものなのでしょうか?
憲法には勿論そのような文言はありませんし、なにを根拠に負託に基づき法的行為を行うのかが理解できかねてしまうところです。
法案を官僚が作成し国会に提出するのはいわば当然ではないかと考えますし、逆に国会議員が出す法案も官僚の判断を経る必要があると思います。
通達や政令が法律に準じておるのは存じておりますが、憲法や国法に反する内部規律があってはいけないのは当然であるとも考えております。
>>[42]

>・・・そもそも負託を受ける必要はあるものなのでしょうか?

必要か不必要化は 私が関知する事では有りません。
【自己覚知】【自己覚知能力】が必要不可欠であると言う事で 私が関知する事ではありません。

自分1人だけの社会ではないので、家族を含めて色々な人と係わるときに最も必要不可欠な自分自身の能力【自己覚知能力】
【自己覚知】【自己覚知能力】とは 社会科学で言うと社会的なことの全てにおいて 理性的能力と悟性的能力が備わっているのかどうかを自覚していることですけど、私を含めて 人間として進化発展しなければならないし 進化発展すると思える能力であると思っております。
カントには必要ではなかった時代なのでしょうね。アプリオリ的にも・・ですね。哲人にも時代が要請していなかったのでしょう。

民主主義という時代には 社会性を問題にするなら、これが必要か不必要化は 私が関知する事では有りません。しかし 新たなアプリオリ的な考え方は 私達の民主主義社会に活用され出しているんです。
【自己覚知】【自己覚知能力】が必要不可欠であると言う事で 私が関知する事ではありません。

自分1人だけの社会ではないので、家族を含めて色々な人と係わるときに最も必要不可欠な自分自身の能力【自己覚知能力】
【自己覚知】【自己覚知能力】とは 社会科学で言うと社会的なことの全てにおいて 理性的能力と悟性的能力が備わっているのかどうかを自覚していることですけど、私を含めて 人間として進化発展しなければならないし 進化発展すると思える能力であると思っております。
>>[43]

必要・不要という言い方が適当でなかったようです。
法的根拠なき行為を為政者が行うことがあってはならないと思います。
負託なる行為はなにに基づいて行われるものなのでしょうか?
>>[44]

>カントには必要ではなかった時代なのでしょうね。アプリオリ的にも・・ですね。哲人にも時代が要請していなかったのでしょう。

こちらの意味もわかりかねます。
カントだのアプリオリだのと言われましても、そもそも私はそのどちらでもないわけですから。
西欧の哲学の話をしているわけではなく、私は日本人ですから日本国憲法に基づいた話をしているわけですよ。
>>[45]

>負託なる行為はなにに基づいて行われるものなのでしょうか?

公職選挙法と言う法律が 国民の負託と慣用句的に使われる根拠と言われています。

日本も民主主義の根幹が 立法 司法 行政の三権分立。

桜の花さんの書かれている考えを読むと、法律や予算(予算も法律によって決める)を作っている中心が立法府を構成している国会議員達ではなくて 実際に官僚達が法律を作っている。そして官僚達の私利私欲が働いている予算も、よくある官僚の手法なんですけど、一括審議の手法で 精査する事もしないで 法律を国会で可決通過している事も沢山あるようです。

桜の花さんは 日本は三権分立の国家ではなくて 官僚組織を加えた四権分立国家だと書かれていましたから。
こんなことは 問題提議としてテキストにあれば 国民が考える切っ掛けになるかもしれませんね。
>>[47]

公職選挙法は健全な民主政治の発達に資するために、とありますからやはり憲法どおり負託ではなく信託を受けて働くべきでありましょう。
国会は単に国の唯一の立法機関であるだけではなく国にかかわるすべての事を議論し決する国権の最高機関であるわけです。
仮に国会で法案が可決されても最高裁が違憲立法と判断すればそれは法律としては成立しない仕組みになっていますよね。
官僚が法律案を作成し国会に上げるということは当然であると思いますよ。
前述のとおり違憲な法案は通らないようになっていますし、行政等の細部・実務は官僚が担っているわけですからね。
問題は議員、官僚含め行政側が必要な情報を国民に知らせているかではないかと感じています。

三権分立はなにもそれぞれがけん制し合うためにできているわけではなく、より誤りがないよう補完し合う意義があるはずです。
国や政府の目的は元々一つであってより良い国にしていくことなわけですから、もしその分立が国を割ってしまうようなものであったとしては困った話です。
憲法にある正当に選挙された国民の代表者とはなにも議員のみを指すわけではなく、官僚を含む行政関係者をも指すものではないでしょうか。
【権力保証と身分保障】は【金の流れ】と 直接的にも間接的にも関連しているの論考。

明治から大正の政治家、高橋是清氏は「一足す一が二、二足す二が四だと思いこんでいる秀才には、生きた財政は分からないものだよ」 と言ったそうです。
1+1≠2 こんな論理がありますけど・・
社会科学的論理で成り立つと思っています。
【権力保証と身分保障】=【金の流れ】
【権力保証】=【金の流れ】
【身分保障】=【金の流れ】

生き物ってなんでしょうか?
社会科学的論理で成り立つ為には 社会の仕組みがどうなっているのが良いでしょうか?
憲法だけが大事なのでしょうか? 憲法を支える論理が大事なのでしょうか?
憲法が有っても無くても良いのですけど、憲法が存在していない国も有るそうですし・・。

【金の流れ】が 公平であり公正であれば社会科学的に1つの問題はクリアーすると 私は考えています。
その為には・・
【流通貨幣の流れが リアルタイムで明確化している社会システムを伴っている社会が存在すべきです】by 桜の花


カントの生きていた封建時代は【能力=身分制社会】であった。現代社会は【個人個人が持つ能力の意味と重要性に気がついた時代】である。この論考。

ゆえに 西洋哲学が科学哲学的考え方が誕生するまでは【個人個人の能力】について言及する必要性が無かったのです。
ゆえに カント哲学が魅力的でありながら それを理解不能なら占めている要因の1つが【能力】と言う【脳科学であも科学哲学で最も大切な要素=能力】が抜けている。ちなみに【カテゴリー】に【能力】の意味を付加するだけでも理解しやすくなる。


意識に於いて※【悟性の能力】の段階では・・・・・・【主観】である。

意識に於いて※【知性の能力】の段階になると・・・・・【客観】であるのか?。


【主観と客観】この違いは【明瞭化能力】が働いているか働いていないかの違いにあると思う。


【3】【自由の象徴である】想像力 →※【悟性の能力】 → 【形而上化能力】と【現象変換】  → ※【知性の能力】に進化する。⇔【明瞭化能力】⇔※【知性の能力】に進化する。                                  






【主観と客観】の世界の概念は何か?これは既に自然科学の中に存在していると言う考え方をしているのが桜の花です。


量子論で語る世界は私達に人間の意識では【主観的概念】と対比できると考えると腑に落ちる。

ニュートン力学で語る世界は私達人間の意識では【客観的概念】と対比できると考えると腑に落ちる。

非線形科学で語る世界は量子論とニュートン力学が伴立している世界を現していると考えると腑に落ちる。そして人間の知覚しえる世界に置き換えていると言える。





子供的特質  自我の確立と言う現象変換を経て(脱皮現象と同質)   大人の特質を持つ。
(未発達脳)
【1】記憶       → 【形而上化能力】と【現象変換】    → 【知識】に進化する。

【2】感情       → 【形而上化能力】と【現象変換】    → 【理性】に進化する。

【3】【自由の象徴である】想像力 →【悟性の能力】 → 【形而上化能力】と【現象変換】  → ※【知性の能力】に進化する。⇔【明瞭化能力】⇔※【知性の能力】に進化する。 

その他
【4】意志・意識=観念その他                   → 【意思・意識=観念その他】に進化する。

【5】【自然科学】  → 【自然科学化能力】と【形而上化能力】と【現象変換】 → 【数学的科学】と【その能力】に進化する。



IT制度社会は人類の文化文明の進化発展の賜物です。by 桜の花
【明瞭化能力】が進化発展の賜物とは、【数学的科学は明瞭化能力の一つ】、言葉→文字→本→新聞→電話→ラジオ→TV→パソコン→携帯・スマホ・GPS等々→IT制度社会


【形而上化能力=変数】ということである。 【明瞭化能力】の為には【変数と言う概念】が不可欠。
【形而上化能力】は【数学の変数】と同じ概念を持っていると考えています。そういう意味で抽象数学の概念が腑に落ちます。
「コロナ感染者」の第二波。

因果関係をたとえるならば・・・
「アリ集団は色々な利己的遺伝子 別名本能同士の警戒心の所有者と キリギリス集団は色々な利己的遺伝子 別名本能同士の警戒心の欠如者」

色々な利己的遺伝子、別名本能同士には善悪と言う意識が無い 善悪が有るのは本能同士を使う意識なのです。by 桜の花

97%の無意識 3%の意識を その社会生活上に起こる諸事情を勘案してみると、ますます脳科学を知る重要性が理解できる。



「アリとキリギリス」イソップ寓話、キリギリス的若者の【意識=観念】
「アリは警戒心の所有者とキリギリスは警戒心の欠如者」イソップ寓話で考えると反省点が見つかる。
この度の「コロナ感染者増加」の実態も理解しやすい。
キリギリス的な若者の【意識=観念】は 想起する経験が少ない為に 警戒心に欠ける事があるのだろう。
そのようにしか思えない、その結果が「コロナ感染者」を増やす原因になっているようだ。
安楽死や自死は 止められないと言うより・・未来志向の問題

現代人の反省点の問題なんです。解決するには まだまだ未来志向の問題の1つ南です。

人間の大脳皮質の発達が 社会環境を劇的に変化させない限り それは 社会として受け止めなければならない。
生きる為の環境を探求する大脳皮質で生まれる進化する感覚です。

【アスペルガー症候群の人】的な 人たちは 市中に居る人さん達 かもしれませんね。

何故ならば・・・
「全ての理論とまでは 言いませんけど、理論が その理論が正論であっても 極論 もしくは間違えとしか 考えない・思えない。そういう方達が歴史の中でも登場しているんです。
その人達が 隠れ【アスペルガー症候群の人】的な人たちとして 私達の社会に 悠然としながら存在して居ます。by 桜の花」

【アスペルガー症候群の人】的な 人たちは 自発的に脳内の神経細胞の働きが未発達な為に そういう意識=観念でしか考えられないのです。

本来の【平和】【平等】【自由】の考え方を 何回も何回も書いているんですけど、改めて 此処に記しておきます。
 
【平和】とは: 生きる為の環境を探求する大脳皮質で生まれる進化する感覚です。
【平等】とは: 生きる為の共存共栄(=友愛)の感覚です。
【自由】とは: 生きる為の衝動・気力です。
現代人の思う意識に 現代人の文明が 適切に対応できない時代にいるだけ、そんな時代に生活しているだけなんです。

人の意識=観念をする事に  現代人の文明が対応できないんです。

諦めないでいい時代が 来ると良いですね。
今はまだまだ
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶 般若心経 の時代と言うだけなんだと考えています。


羯 赤ん坊が出生時にだす声
諦 死が避けられない事と言う意味の あきらめ 
《ギブ & テイク / Give and Take》
最近 良い言葉だと思っています。 観念的ですが、民主主義の理想かもしれない、DNAのもともとからの存在意義かもしれないとも思い出しています。


最近のコミュの体験も含めて 良く 思うようになりました。
ありがとうございます。




自分の考え方が正しいと 殆どの人は そう思って行動も 書き込みもしているはずです。私も強くそれを感じていたんですけど 一瞬 それを忘れていました。

初心は そういう意味で 自分のトピックにだけで 自分の考え方を記述していたんです。それで 良いと考えていたんです。

結論は 持ち合わせていませんけど 未だに 私生活の原点でも コミュでもそれが出来れば良いと思っています。
自己覚知哲学とギブ&テイク・意識(=観念)哲学の論考

コミュも社会と同じ、発達する知能の可能性を放棄しているのは それが無意識だからに過ぎない。97%の無意識と3%の実用性意識(=観念)は 発達する知能の可能性の無限性を意味していると考えることで、哲学の道に同じく人間性の道を喜怒哀楽を伴いながら楽しく、人類を意識して 人類として生まれた道(=自分自身の道)を歩く事ができる。by 桜の花

【実用性・意識哲学】 これがあって良いと思う。
その根幹を 自己覚知哲学とギブ&テイク・意識(=観念)哲学が 一人一人にあって建設的且つ平和な社会が維持発展する。by 桜の花
自己覚知哲学とギブ&テイク・意識(=観念)哲学の論考

:::::::::
コミュも社会と同じ、発達する知能の可能性を放棄しているのは それが無意識だからに過ぎない。

むしろ 出発する原点は 
【97%の無意識と3%の実用性意識(=観念)の狭間に存在するもの】を 【私達の潜在的希求意識】を日本語で言う【意思】よりも【意志】に代弁できると考えている。
私達の潜在的希求意識は 【意志】の一部の意味として代弁できると考えている。

この【意志】を学ぶ学問が近代社会になって明確に認知できるようになりつつある。
【私達の潜在的希求意識】という【意志】を学び探求する学問=【科学】と言う言葉と意味で総称される。
その意味で【科学哲学】もその役割を担ういみで 然りである。


【97%の無意識と3%の実用性意識(=観念)の狭間に存在するもの】=【私達の潜在的希求意識】が成り立っている。
そして 此れを 私達が学ぶ学問が、【科学】であり【科学的学問・科学的研究・科学的理論】である。
by 桜の花

::::::::::::
ノーベル賞を考えたノーベルさんも そういった意味で感じていたのかもしれない。
ノーベル賞の賞が その様な意味でもあるのだと思う。
「物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の「5分野+1分野」で顕著な功績を残した人物に贈られる。」
【哲学】とは【科学的】と言う意味の論考



【科学的自己覚知哲学】と
【科学的ギブ&テイク・意識(=観念)哲学】と
【科学的等価交換】

言う風に【科学的】を冠すると意味が決定されると考えられる。
その為に 人類の脳の構造は 進化発展していると考えられる。

by 桜の花
「健全な精神は健全な肉体に宿る」と【科学的ギブ&テイク・意識(=観念)哲学】の論考

【医療技術】として【意識のバグ】を含めて 修正できる時代になってきたこと。

究極的には 科学の進歩した現代社会において「健全な精神は健全な肉体に宿る」の意味する理想が良く理解が可能になる。

非科学的な生き方も 日常で不健康な事をしていても それは自慢にならない。
何故ならば 不健康な事 非科学的な科学に反する思い込みのしたい放題の生活も、【科学的ギブ&テイク】が成り立っているのだから【肉体も精神も不健全になる】と看破していたのだと思う。
 
それは【科学的ギブ&テイク・意識(=観念)哲学】と
【科学的等価交換】の現象であり、それは【科学的な理解の賜物で誰でもが可能な事】と言うことになる。

敢えて言えるのは 【科学的ギブ&テイク・意識(=観念)哲学】と【科学的等価交換】が【医療技術】として 修正できる時代になってきたこと。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉は、デキムス・ユウニウス・ユウェナリス(Decimus Junius Juvenalis, AC60- 128)が風刺詩集に書き記した
「You ought to pray for a healthy mind in healthy body.」 (原文ラテン語の英訳)
宇宙と「健全な精神は健全な肉体に宿る」と【科学的ギブ&テイク・意識(=観念)哲学】の論考

【医療技術】として【意識のバグ】を含めて、それを人間が修正できる時代になってきたことが 大事な事。by 桜の花


宇宙は 【鉱物】や【生物】を100%の状態で誕生させている。
それ故に 【鉱物】や【生物】は100%を 200% 300% ・・・∞%の可能性を持って
誕生している事を 人類自信が認識し 無自覚の時代から 自覚する時代と言う
新しい【科学的自己覚知時代を迎える意識=観念の進歩】も存在している。
by 桜の花
【聖書や仏教の経典】等々の宗教書より優れた【科学的理論】と【大脳皮質はDNAの働きも兼ねた翻訳機】の論考

人間の大脳皮質は DNAの働きも兼ねて 且つ全ての無意識の【翻訳機=意識(=観念)】であり、
宇宙と「健全な精神は健全な肉体に宿る」と【科学的ギブ&テイク・意識(=観念)哲学】を認識できる理想的な可能性を秘めている。by 桜の花

【聖書や仏教の経典】は 言葉の始めから【科学的ギブ&テイク・意識(=観念)哲学】を放棄したことしか語っていない。要するに真理を知らない事のみ 且つ 読む人の思考を迷走させるように、それが有り難い様に書いているのです。by 桜の花

社会性のある公共機関では見られないです・・・ 噛み合う事のないコミュに・・
【アスペルガー症候群の人】=人間社会が非寛容症候群 と【サヴァン症候群の人】=人間社会が寛容症候群 と その他の凡人達の論考から コミュを見る論考。



コピペ
アスペルガー症候群は、自閉症にみられる特徴(社会性発達の質的障害、コミュニケーションの質的障害、興味や活動の偏り)を共通の類似点として持っています。自閉症では知的障害や言語発達に遅れを伴うことがありますが、アスペルガー症候群ではそれらはありません。

知的レベルが正常であり、言葉の発達に遅れはないことなどから、一見すると「ちょっと変わった人」程度に認識されることもあります。しかし、アスペルガー症候群の方が社会生活を送る際に困難さを伴う点においては自閉症と相違はなく、治療を行うことはとても大切です。

アスペルガー症候群と自閉症には重複する部分も多く、近年は「自閉症スペクトラム」としてひとつの疾患概念に含めて考えられるようになってきています。アメリカ精神医学会による最新診断マニュアル(DSM-5)からアスペルガー症候群は削除されました。


コピペ
【サヴァン症候群(サヴァンしょうこうぐん、英語: savant syndrome)の人】は、知的障害や自閉症などの発達障害等のある人が、その障害とは対照的に優れた能力・偉才を示すこと。また、ある特定の分野の記憶力、芸術、計算などに、高い能力を有する人を示す。



コピペ
ぼんじん
【凡人の人】
特にすぐれた点もない人。普通の人。また、つまらない人。
【大脳皮質≒対を成して起動するDNAの翻訳機能+価値観(=意識(=観念))】by 桜の花

人間の大脳皮質は DNAの働きを兼ねて 且つ全ての無意識の【翻訳機能と意識(=観念)=価値観】である。
故に 宇宙と「健全な精神は健全な肉体に宿る」と【科学的ギブ&テイク・意識(=観念)哲学】を認識できる理想的な可能性を秘めている。by 桜の花

人間の本能行動は 純粋本能に半分ぐらいの意識(=観念)=価値観が加わった【脳の活動】である。by 桜の花


私達の意識を俯瞰すると、
【大脳皮質≒対を成して起動するDNAの翻訳機能+価値観(=意識(=観念))】by 桜の花

対を成して起動するDNAには 科学的ギブ&テイクが成り立っている。by 桜の花
【大脳皮質≒対を成して起動するDNAの翻訳機能+価値観(=意識(=観念))】by 桜の花

【知覚系皮質】と【合理的な思考をする皮質】は違うと考えられるのは カントの純粋理性批判のアプリオリではなく、進化した現代科学の賜物である。科学哲学と言える一端でもある。by 桜の花

なぜならば 天動説と地動説でも その一端の天動説は【知覚系皮質】の学説と言っても良いのだ。いつの日にか?【合理的な思考をする皮質】の説が有利になる時代になって 地動説が認められる時代になったと言う事ですね。

未だに カントの哲学を天動説の如く考える人が居るのも 【合理的な思考をする皮質】の個人的な問題と言えるんですけど、【合理的な思考をする皮質】を使う科学哲学においても そういう“天動説”を唯一とする人には にぎやかしの“ガヤ”遊びに付き合いきれないだけです。

知性的に世界をみる為の新しい脳のメカニズム・進歩する脳の皮質
【合理的な思考をする皮質】は 学習の積み重ねで脳のメカニズムとして 進歩する脳の皮質に存在すると考えられるのです。by 桜の花

コピペ
大脳における知覚のメカニズム

体性感覚情報はまず刺激対側の中心後回(一次感覚野)に達し、その後両側の頭頂弁蓋部(二次感覚野)に伝えられる。
聴覚情報は主に刺激対側の側頭葉上面の一次聴覚野、その後その周囲の二次聴覚野に伝達される。
聴覚、体性感覚とも一次から二次皮質に進むに従い、高次な処理が行われるようである。
視覚情報は後頭葉の一次視覚野にまず達し、順次前方に向かって情報が伝達され様々な処理がなされていく。
視覚、体性感覚、聴覚皮質に囲まれた・あるいは重複する場所に位置する頭頂葉は、それらの情報を統合する(「異種感覚情報の統合」)働きを有している。例えば「机の上にあるコップに手を伸ばして掴む」という一見単純な動作にも、表在感覚や深部覚を含む体性感覚、視覚、さらに運動出力情報を複雑な統合が必要であるが、頭頂葉の障害でこのような動作がスムーズにできなくなる(このような症状は失行と呼ばれる)。
【感染症が人類の文化文明の【合理的な思考をする皮質】を大事にする転換期(エポックメイキング・epoch-making)】感染症が人類の生き方をDNA的にも変える。


脳の
【知覚系皮質】・・・この思考の代表的事例が【天動説】でも 罪の意識は無いようです。代表例が芸能界や美容業界その他

脳の
【合理的な思考をする皮質】・・・現代人では 当たり前の【地動説】でも 罪の意識は無いようです。代表例が自然科学の世界や科学哲学の世界その他

要するに 両者にすむ世界の価値観の違いがあっても 両者に善悪を言える基準さえないのですから・・

人間の感覚・感性は 面白いですね。
別 次元でも コミュのルールを破っても自分独自のルールが優先するんですから・・・

この社会に 共通認識が前提で無ければ 優先順位も共通項にならない。
人間社会には 価値観と言う優先順位があるのですが、それも生きる為の優先順位という価値観がそんざいする。


しかし【地動説】を【天動説】の環境で語るのに優先順位が無ければならないのです。 【知覚系皮質】と【合理的な思考をする皮質】の事もその意味も知らずに【知覚系皮質】で 【自己覚知】を隠して、知ってるが如く上手に語れる人の居るのも、白々しく文化的な感覚で語れるのも人類の一面なんです。

未だに【知覚系皮質】と【合理的な思考をする皮質】の文化文明が共存共栄している、そういった文化文明の時代・・・ これを自覚する時代に入りつつあると思える、名づけると【感染症が人類の文化文明の【合理的な思考をする皮質】を大事にする転換期(エポックメイキング・epoch-making)】 


【大脳皮質≒対を成して起動するDNAの翻訳機能+価値観(=意識(=観念))】by 桜の花

【知覚系皮質】と【合理的な思考をする皮質】は違うと考えられるのは カントの純粋理性批判のアプリオリではなく、進化した現代科学の賜物である。科学哲学と言える一端でもある。by 桜の花
脳の知覚系皮質の人たちでは 感染症に勝てない。

【感染症が人類の文化文明の【合理的な思考をする皮質】を大事にする転換期(エポックメイキング・epoch-making)】感染症が人類の生き方をDNA的にも変える。

【感染症】に対する対策が打てない社会では・・・
脳の【合理的な思考をする皮質】の人が 
脳の【知覚系皮質】の人に 支配されているとしか思えない。

脳の
【知覚系皮質】・・・この思考の代表的事例が【天動説】でも 罪の意識は無いようです。代表例が政治家の世界や芸能界や美容業界その他

脳の
【合理的な思考をする皮質】・・・現代人では 当たり前の【地動説】でも 罪の意識は無いようです。代表例が自然科学の世界や科学哲学の世界その他

要するに 両者にすむ世界の価値観の違いがあっても 両者に善悪を言える基準さえないのですから・・

人間の感覚・感性は 面白いですね。
別 次元でも コミュのルールを破っても自分独自のルールが優先するんですから・・・

この社会に 共通認識が前提で無ければ 優先順位も共通項にならない。
人間社会には 価値観と言う優先順位があるのですが、それも生きる為の優先順位という価値観がそんざいする。

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