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2017年 安部政権 対 ?、?、コミュの日本の、黒幕、、

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コミュ内全体



すげえ 「私物国家〜日本の黒幕の系図」 - 【ねこまたぎ通信】

http://takapapa.hatenablog.com/entry/19980121/p1



日本人列伝

http://omoide.us.com/retsuden/jinbutsu/detail?id=83





【ねこまたぎ通信】

Σ(゜◇゜;)  たちぶく〜〜 Σ(゜◇゜;)

1998-01-21




 すげえ 「私物国家〜日本の黒幕の系図」




広瀬隆著「私物国家〜日本の黒幕の系図」に正木馨・元社保庁長官と安倍首相夫妻の関係が出ているらしい。

http://www.asyura2.com/07/senkyo36/msg/469.html
投稿者 gataro 日時 2007 年 6 月 12 日 21:00:50: KbIx4LOvH6Ccw

[低気温のエクスタシー by はなゆー]さんがこんな情報を書いている。

==============================================

http://alcyone.seesaa.net/article/44600157.html から転載。

2007年06月12日

〔メモ〕正木馨・元社会保険庁元長官と安倍首相夫妻との関係

広瀬隆氏の著書「私物国家〜日本の黒幕の系図」(現在は絶版らしい)

http://www.asyura.com/tv13.htm

に、以下のような記述があるとの未確認情報が流れている(あくまでも未確認情報だが)。



       ↓

元社会保険庁元長官の正木馨氏(この人は、厚生省の薬務局長だったときに、非加熱製剤の輸入継続を認めて薬害エイズを拡大させた人物でもある)と安倍首相夫妻の関係…。

● 正木馨氏と森永製菓の森永剛太会長(元社長)の妻同士が姉妹。
● 森永剛太氏と森永製菓の元会長である松崎昭雄氏は義兄弟。
● 松崎昭雄氏の長女・昭恵氏は安倍晋三氏に嫁いだ。
● つまり、安倍首相夫人の叔父である森永剛太氏の義兄弟が正木馨氏である。

●ちなみに、正木馨氏の父の正木亮弁護士(故人。なおこの人は、往年の日本における死刑廃止運動の中心的な人物。死刑と戦争は合法的な人殺しであると公言していたので、保守派・右派・タカ派からは慢性的に批判されていた)は、田中角栄・元首相と政商・小佐野賢治氏(故人)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BD%90%E9%87%8E%E8%B3%A2%E6%B2%BB

を引き合わせた人物であるとも言われている。


==============================================


そこであちこちこの書物(「私物国家〜日本の黒幕の系図」)に関する記述はないか探してみた。

するとこんなものに行き当たった。


正木、森永、松崎、安倍などの苗字が確かに「序」の部分のあちこちに散らばっている。いとわずに全文を転載しておく。ゆっくりお読みください。


==============================================



私物国家   
広瀬隆、光文社、1997。

序、誰かが、どこかで、動いている。

http://www.oct.zaq.ne.jp/poppo456/in/b_sibutu.htm



政治家、官僚、財界人、一見して別な世界の住人に見えるが、実はつながりがある。

ロッキード事件から、野村証券損失補填まで、この二十年間、背景の人脈は変わっていない。小池隆一は児玉誉士夫の弟子。

自宅、料亭、ホテル、オフィスで交わされたトランクいっぱいの札束。その挙句が、経済崩壊。

この者達が作り出した天文学的な借金を、国民に返済せよと言う。

国民が望むのは、一連の黒幕が逮捕され、闇の人脈が一掃される事である。



総会屋対策として、同日に株主総会を開く企業。

総会屋の資金はどこから出ているのか。



第一勧業銀行、小池隆一に117億もの迂回融資。指揮した副頭取・金沢彰は、罪を問われる事なく、バブル清算=粉飾決済の為の共同債券買取機構の社長に就任。

金沢彰とは、何者か。それほどの大人物なのか。



ベトナム油田開発権を巡る、泉井純一の贈賄、豪華ホテルで売春パーティ接待で通産官僚をもてなす。通産・大蔵の構造腐敗が明らかになりながら、逮捕者は出ず。

通産事務次官・和田敏信の配下が腐敗官僚のすべて。

和田敏信、通産事務次官、日本興行銀行顧問、エネルギー財団副会長、石油公団総裁、石油資源開発社長・会長。

東南アジアの石油利権を巡る要職にあり、高給を取りながら収益はゼロ。



徳永久次、通産事務次官、石油公団総裁、新南海石油開発社長、新華南石油開発社長。和田の先輩、徳永は1960次官、和田は1976次官。

この徳永の娘婿が金沢彰。すなわち、泉井事件の海外油田人脈に入る金沢が、第一勧銀の迂回融資によって、総会屋、野村証券と密着。





1991、野村スキャンダル。稲川会会長・石井進、野村証券を通して東急株を買い、野村は全面支援で株価高騰を演出。会長・田淵節也、社長・田淵義久、辞任。


1995、アジア市場開発の為に両田淵の復帰、総会屋対策として小池隆一の登場。泉井事件、徳永久次、金沢彰と人脈が見える。

金沢彰の実父は、帝国ホテル社長・金沢辰次郎。かつて東急を支援したのが、帝国ホテル会長・小佐野賢治。


稲川会・石井進が東急株に手を出したのは、小佐野の跡目相続の意味もある。

また小佐野は、小池の親分・木島力也とも親密。



第一勧銀の歴代頭取が恐れたのは、木島力也の後ろに控える児玉誉士夫。





1960.5/20、日米安保条約自民党単独採決。6/18、反対デモ33万。右翼を動員した児玉誉士夫、さらに要請を受けた稲川会。

児玉と野村証券のつながり。1973、ジャパンライン(全日空)買い占めを仲介した児玉、協力した野村証券社長・瀬川美能留に謝礼として時価1100万のダイヤを贈る。

瀬川が育てた両田淵、稲川会と手を組むのは歴史の必然。

総会屋は児玉−木島−小池、というつながり。





第一勧銀ライン、井上薫−澄田智−鳩山威一郎−鳩山一郎−児玉誉士夫。







記号の説明

#=重複、*=重要人物。
−で表したのは、婚姻による関係。親子、兄弟、従兄弟はひとつの苗字で代表しました。

説明文の中で、姉or妹を介する仲を義兄弟、息子&娘を介する仲を姻戚兄弟と区別しました。






野村証券と石油業界との姻戚関係

 *瀬川−土屋−大山−柳−法華津−#岡本−末延−石川−*福川。

 #岡本−一宮−工藤−金沢−*山田−*金沢−*徳永−*篠島。

 瀬川美能留、野村証券社長。



 福川伸次、通産省事務次官、野村総研顧問。

 山田敬三郎、通産省石油審議会委員、サウディ石油化学社長。

 山田繁、その息子、三菱石油常務。

 金沢辰次郎、帝国ホテル社長。

 金沢彰、その息子、第一勧銀副頭取、共同債券買取機構社長。

 徳永久次、通産省事務次官、石油公団総裁、新南海&華南石油開発社長。

 篠島秀雄、三菱油化取締役、三菱化成社長。
 篠島義明、その息子、通産省生活産業局長。



  以上すべて姻戚つながり、官僚と財界人の親子が多いのに驚く。











一、日本人が抱えた借金の額と泉井事件の黒幕


厳しい時代に入った、良い政治家を選ぼう。人の金を使って散財し、高給を取るのは、泥棒であるという認識。



組織優先主義が、日本人を軟弱にする最大の原因。





1996.12/31時の日本の個人金融資産。

現金42兆6221億、普通預金93兆8614億、定期預金550兆9906億、貸付信託76兆8 702億、保険303兆4522億、証券141兆248億、その他合計1209兆1513億。

1995時の政府債務と銀行の不良債権。赤字国債220兆、建設国債150兆、銀行不良債権100兆。合計470兆。
銀行や郵便局に預けた金が、いつの間にか無駄に使われている。

返済の見込みもない。個人の預貯金510万から国の借金416万を引くと、一人94万しか残らない。

四人家族では、一家につき1600万円の借金を押し付けられた勘定。





それをよそに、暗黒事件の逮捕者は、数億の金を懐に入れている。

国債を買わない国民、それを買うのは銀行や企業。



今や税金の三分の一が、何にも使われず、債券を購入した銀行や企業への返済に充てられている。

国債を購入した人間も、同罪ではないか。



日本株を売り浴びせた国際金融機関の方が、正しい判断力を持っている。


泉井商会で使われた絵画取引。政治家は政治献金、官僚は天下りポストで収賄する。

では、日銭のない政治家や、若手官僚には、美術品という収賄ルートがある。

贈賄業者に一億で売って、官僚から一億で買い戻す画商、美術商の存在。





野村証券から総会屋へも、美術品ルート。平和相互銀行での株の買収合戦、八重洲画廊を通して数億円の金屏風が竹下登に渡った。

泉井から大蔵官僚に送られた絵画も、時価数十万ながら、特定の画廊では数億で引き取ってくれる。





1992-1994、泉井石油商会代表・泉井純一、三菱石油、三井鉱山などから総額6 4億円を受け取り、それをベトナム油田開発の利権確保に使う。


泉井、通産省、大蔵省の担当官に贈賄攻勢。和田敏信、涌井洋治、中島義雄、小川是らを豪華ホテルの売春パーティで接待、絵画贈賄。





三菱石油と通産省、大蔵省の姻戚関係

 *山田−三ツ本−松岡−*三島−牧野−*吉田−*佐藤−*松岡−*進−*和田−*澄田−松井−広岡−神田−#松本−*出光。

 #松本−#嘉納−太田−*山下−*安川−植村−富井−石坂−霜山−角田−林−*広瀬。

 #嘉納−伊藤−浜口−嘉納−*涌井。

 山田菊男、三菱石油社長会長、泉井商会に贈賄資金提供。



 三島弥太郎、日銀総裁。
 吉田茂、その娘婿、総理大臣。

 佐藤栄作、総理大臣。
 佐藤信二、通産大臣、栄作の息子。

 松岡洋右、三国同盟時代の外務大臣、A級戦犯。

 進経勝、三菱石油。
 和田敏信、通産省事務次官、石油公団総裁。

 和田信太郎、三井物産、敏信の息子、澄田ゆりの夫。

 澄田智、大蔵省事務次官、日銀総裁、娘ゆり。


  和田と澄田は姻戚兄弟、霞ヶ関の支配者と呼ばれる。


 出光佐三、出光興産創立者。
 松本誠之、出光興産。
 山下英明、通産省事務次官、三井物産副社長。

 松本健次郎、筑豊石炭鉱業総長、石炭鉱業会長、貴族院議員。

 安川第五郎、日本原子力発電社長。

 涌井洋治、大蔵官房長、主計局長。泉井からの絵画収賄に関わらず出世。

 広瀬勝貞、通産省内部調査担当官。何もしない調査官。



 姻戚外の受益集団。

 小松勇五郎、通産省事務次官、興銀、神戸製鋼副社長。

 小長啓一、通産省事務次官、興銀、アラビア石油社長。


この利権集団は、かつて石炭で儲け、次に石油と原子力で巨大な利益を手にしたきた人脈。

よって、国民の利益となり、世界の趨勢となっているエネルギー節約という発想がない。

不経済で、無能無策な人脈。






出光佐三、日章丸によってイラン石油を強硬輸入、ソビエト輸入でロックフェラーに喧嘩を売り、世界一のタンカー出光丸の建造。

立志伝中の人物、しかし、その背後には無能強欲集団が控える。



澄田智、父は満州事変の黒幕、父の代からフランス財閥と関係、日銀総裁、霞ヶ関の支配者、八十年代、投機熱が強いのに利下げ誘導してバブルを膨らました張本人。





1989.12/、退任後、仏ロスチャイルドの総本山ラザール・フレール顧問に就任。それと同時に国際投機筋の日本売りが始まる。



二、東京信用組合破綻事件と、オレンジ共済組合詐欺事件


長銀、二信組、オレンジ共済を巡る人脈の姻戚関係

 #岸−*安倍−*山口。

 #岸−佐藤−安西−*大橋−#浜口−北田−*高橋−*岩沢。

 #浜口−石橋−*斉藤。
 #浜口−#藤山−山口−古賀−*中西。

 #岩崎−*幣原−#西郷−堀−#浜口−#藤山−*広瀬。

 #西郷−*鈴木。
 #岩崎−郷−#川崎。

 渋沢−明石−渋沢−#川崎−*佐藤−*斉藤。



 岸信介、総理大臣。
 安倍晋太郎、その娘婿、通産大臣。

 山口敏夫、衆議員議員、信組破綻、大口収賄で逮捕。


 浜口雄幸、総理大臣。
 浜口巌根、その息子、長銀創立者・頭取。

 浜口雄彦、同じく、東京銀行頭取、KDD社長。



  東京銀行は旧名を横浜正金銀行、終戦前、スイス・バーゼルで連合国・枢軸国の謎の共同作業に加わった国際貿易銀行のひとつ。


 大橋武夫、国務大臣法務総裁、浜口の娘婿。

 大橋宗夫、その息子、1985プラザ合意時の大蔵省代表、日銀政策委員。

 高橋治則、浜口の孫、イ・アイ・イ総帥、東京協和信組理事。

 高橋治之、同じく、電通スポーツ文化事業局次長。

 岩沢靖、治則の舅、北海道テレビ社長、誠備事件の黒幕政商。


 藤山愛一郎、佐藤内閣下での経済企画庁長官。
 山口喜久一郎、その娘婿、衆議員議長。

 中西啓介、その姪婿、衆議員議員、二信組・オレンジで収賄。

 斉藤斗志二、斉藤了英の息子、衆議員議員、オレンジ共済調査チーム座長。




 幣原喜重郎、総理大臣、浜口時代の外務大臣。

 広瀬篁治、その外孫、安全信組系ゼネラルリース監査役、東京協和信組理事。



 岩崎弥太郎、三菱財閥創始者。

 川崎守之助、その孫、川崎財閥総帥、川崎定徳会長。


 川崎雄厚、その息子、川崎定徳副社長。

 佐藤茂、川崎定徳社長、平相銀・佐川事件の黒幕、稲川会に資金提供。



 鈴木紳介、安全信用組合理事。

 友部達夫、参議員議員、オレンジ共済詐欺事件の主犯。



  尚、高橋治之、中西啓介、広瀬篁治、川崎雄厚はご学友。





二信組破綻事件の流れ。

1995.6/27、東京協和信用組合理事・高橋治則、安全信用組合理事・鈴木紳介、背任、不正融資で逮捕。議員官僚接待、ゴルフ場などへの乱脈融資。


高橋治則、自家用ジェットでオーストラリアへのカジノ接待。接待を受けたのは、小沢一郎、中西啓介、大蔵官僚ら。

日銀、長銀などからの融資、合計1600億が消えた。




山口敏夫、二信組から300億の収賄、無担保、回収不能。

この者達を政治家と呼ぶ事が間違い。




小沢一郎は利権屋、中西啓介はやくざ、山口敏夫は詐欺師。


小沢を党首と戴く新進党が存続している事が日本の崩壊を物語っている。





二信組よりも、乱脈融資を許した母体行の長銀の責任が重い。日銀・大蔵省にも、浜口・大橋系の姻戚人脈が多い事から、

日銀・大蔵省による長銀救済は、金融不安解消の為でなく、一族救済の為ではないかと思われる。





ロッキードからオレンジ共済詐欺事件への流れ。

ロッキード収賄で田中角栄失脚。

派閥を継ぎながら角栄を裏切った竹下登の総裁選立候補。義憤を感じた右翼・皇民党の妨害工作=褒め殺し。自民党からの依頼で仲裁に入った稲川会。


竹下・金丸・小沢と稲川会とのつながり。


ベトナム油田で高橋知則と関係のある田淵節也と稲川会との東急株操作。





1993.3/6、金丸信脱税容疑で逮捕。小沢一郎、細川護浩を担いで離党。


1995.4/、小沢の盟友・増田寛也、岩手県知事に立候補。オレンジ共済・友部達夫から巨額の政治資金。

オレンジ共済はまったくの詐欺団体。




中島義雄・大蔵省主計局主計官、湾岸戦争130億$拠出、カンボジア派兵時の官吏。オレンジ共済からホテトル接待、イ・アイ・イ未公開株3000を取得。


国会でオレンジ共済問題を追及、しかし、中西、小沢にまでは追及の手が及ばず。



国会オレンジ共済問題調査チーム座長は斉藤斗志二、斉藤了英の息子、中西啓介とも姻戚関係。

調査する側と調査される側が近親者。




川崎財閥から平和相互銀行への流れ。

水戸藩の金庫御用達として発足した川崎財閥。日本火災海上保険、川崎銀行、川崎定徳、第百銀行、第百生命を傘下に納める。

ちなみに、川崎定徳とは、川崎グループの資産管理会社、一種の投資銀行か。



東海村の原子力産業も川崎グループが手掛けるもの。
三菱財閥とは初期からの姻戚関係。


川崎定徳、平和相互銀行の筆頭株主となる。

仕手集団・誠備グループ、平和相互銀行を乱脈融資に導く。誠備グループと稲川会は仕手戦で連係する綿密な関係。





平和相互銀行から大蔵大臣・竹下登へ数億円の金屏風贈賄、大蔵省OB・幹部らを接待。

破綻後の平和相互銀行を住友銀行に吸収合併。そのすべては川崎定徳社長・佐藤茂の指示によるもの。

個人資産300億以上と噂される。



つまり、川崎定徳は平和相互銀行を手先として、仕手戦、乱脈融資、政界工作に奔走したという事。西の住友銀行−イトマンと手口が似ている。











三、大蔵官僚腐敗と不良債権処理


イトマン人脈、その姻戚関係
 *橋本−佐々−平山−#安藤。
 #安藤−*百合本−平野−#矢木−広瀬−法華津−柳−大山−土屋−*瀬川。
 #矢木−#永野−斎藤−赤木−野田−*中島。
 #矢木−水田−小林−浜口−北田−*高橋。
 #永野−大塚−住田−山崎−今井−小坂−山下−河合−*川崎−*佐藤。
 橋本龍太郎、総理大臣、証券不祥事時代の大蔵大臣。
 瀬川美能留、野村証券社長、児玉誉士夫に資金提供、株価操作。
 安藤太郎、住友銀行副頭取、住友不動産社長、地価暴騰の元凶。
 百合本悦造、住友不動産取締役。
 中島義雄、大蔵省主計局次長、二信組スキャンダルで辞職。
 高橋知則、イ・アイ・イ総帥。
 川崎守之助、川崎定徳会長。
 佐藤茂、川崎定徳会長、闇の日銀総裁、姻戚外の上下関係。
イトマン人脈の流れ。
1883、伊藤萬助、心斎橋で反物・呉服を商う。
戦後、総合商社に成長、実質的に住友銀行の商社部門として機能。
暴力団とつながりのある伊藤寿永光、イトマン幹部・不動産部門担当筆頭常務に就任。住銀からイトマンへ、7000億もの不正融資。
住友銀行、住友不動産、東京青山を中心に強引な地上げ工作。
住友銀行、収益日本一、磯田一郎は世界金融界の覇者となる。その実働部隊が、伊藤寿永光率いるイトマン不動産部。
1990.10/5、住友銀行横浜青葉台支店長・山下章則、仕手グループ光進を顧客に紹介して、出資法違反で逮捕。
住友銀行、光進に228億を不正融資。ほか、住友生命、三和銀行、三井信銀なども光進に出資。
小谷光浩率いる光進グループ、加藤嵩率いる誠備グループ、池田保次率いるコスモポリタンも参入。
1990.10/7、住友銀行・磯田一郎会長、引責辞任。
その他、柿沢弘治衆議員議員、伊藤寿永光から300万献金。小谷光浩、中曽根康弘の三王経済研究会に入会。佐藤信二通産大臣、小谷光浩ウィング傘下の貴金属販売会社社長に就任。池田保次、亀井静香建設大臣から株購入。
戦後の住友銀行、堀田庄三頭取の薫陶を受けた磯田一郎と安藤太郎。
イトマンの不良債権については、住友不動産・安藤太郎の方が責任が重い。
中島義雄の責任、いかがわしい接待よりも、深刻な経済崩壊が進行している事を知りつつ、建設国債を発行し続けた罪。ゼネコンの一時の利益に奉仕し、国民の借金を増やし、その借金を国民につけ回す為の消費税導入を内閣に提言し続けながら、料亭接待で遊び歩いていた官僚達の責任。
大小のイトマン事件続発。日本の銀行の不良債権100兆を突破。この金額を知っている筈の経済ジャーナリスト、大蔵官僚の言葉をそのまま記事に紹介し、国民を欺く手助け。
米ソロモン・ブラザース始め、あらゆる英字新聞が警告する中、大蔵発表を繰り返す日本メディア。武富士からの未公開株は、多くの経済ジャーナリスト、経済評論家の手にも渡っていた。それがインサイダー取引を問われないのは不条理。


大蔵省と住専天下りが結集した一族、その姻戚関係
 *澄田−和田−進−松岡−佐藤−安西−大橋−#浜口−北田−*高橋。
 #浜口−嘉納−*涌井。
 #浜口−石橋−*池田−広沢−渡辺−*有吉。
 #浜口−小林−水田−矢木−#永野−斎藤−赤木−野田−*中島。
 #浜口−太田−武田−浅野−*三井−鳥居−菊亭−大野−小沢−*庭山。
 #永野−朝海−#鈴木−田中−小林−杉村−岡田−竹山−川上−草場−*松下。
 #鈴木−長崎−斎藤−加藤−藤井−下田−真鍋−磯村−福川−石川−末延−岡本−一宮−工藤−*金沢。
 #鈴木−山崎−今井−小坂−山下−岡崎−川島−桑田−町村−亀山−小島−*吉川−秀島−芝川−*原。
 澄田智、大蔵省事務次官、日銀総裁、天下り支配、フランス財界。
 高橋治則、二信組破綻。
 有吉実、住宅金融公庫顧問弁護士。
 有吉正、その甥、大蔵省国民金融公庫副総裁、地銀生保住宅ローン社長。
 池田勇人、大蔵省事務次官、大蔵大臣、総理大臣。
 涌井洋治、住専処理国会対策担当官、泉井事件の大蔵官房長。
 中島義雄、大蔵省主計局次長、二信組事件で辞職。
 三井八郎右衛門、三井財閥当主。
 庭山慶一郎、大蔵省代表日銀対策委員、日本住宅金融社長。
 松下康雄、大蔵省事務次官、日銀総裁、鉄建公団で不祥事。
 金沢彰、第一勧銀副頭取、共同債権買収機構社長。
 原徹、大蔵省理財局次長、防衛事務次官、日本ハウジングローン会長。
 吉川清一、清水建設社長。
住専から発生した不良債権は、根が、ほとんどが暴力団と密着した融資メカニズムにある。
小川是次官、竹下登の秘書、消費税導入と税率引き上げの官僚責任者。父・善吉は裁判官、後に信濃電気取締役。泉井純一とも親交。
不良債権を作ったのは、口から出まかせの嘘を言う不動産屋と暴力団。その虚偽報告を引き起こしたのは、監査法人に天下りする大蔵官僚。
監査法人が出した報告書は、立派な担保として機能する。本来、企業の経営内容を詳しく検査する機関。
不動産、建設、銀行に続発する倒産は、監査法人の能力不足に原因があり、責任がある。
東京丸の内ビル東側の路線価、1973平米115万、1992平米2900万と、25倍。
地価上昇の反動として、将来に何が起こるか、監査法人のプロが知らなかったとは言わせない。
会社と大蔵官僚と監査法人とがグルになって、あろうことか暴力団まで巻き込んで、決算額に合わせて作為的な会計報告を作り上げてきた。しかも、このグループ作業は、あれだけの金融破綻を招きながら、誰ひとり、監査責任を問われていない。
その尻拭い役は国民。資本主義を名乗りながら金利がまったく無い国家というのは、歴史上始めて。
住専=大蔵官僚。
1971、住専発足、七社のうち六社の創業社長のポストが大蔵省OBに占められた。
1971.6/、退官する事務次官・澄田智の置き土産としての住専政策。澄田は天下り人事を支配。
庭山慶一郎・大蔵省銀行局、明大法学部教授を経て、住専・日本住宅金融社長に就任。














コメント(20)




で、、


こんなの、やっていては、、自民党は 国民からの 信頼を 得られない 、、


と、一掃して 、、



出直して、出てきたのが、、

2012年、第二次 安倍 政権 であった 、、








はず 、、







森とも学園、かけいがくえん問題の、背景には


過去の、自民党の歴史の清算、って、意味があるのかも、ね、、
























(参考、)


大正一〇年代に発覚した「大連阿片事件」は、前樺太庁長官の平岡定太郎が逮捕され、その黒幕だった原敬元首相など大物の名も取り沙汰された




常夜燈

http://michi01.com/ohudohsama/313jyt26700401.html 


普天間問題の核心にある利権構造
 
(世界戦略情報「みち」平成22年(2670)4月1日第313号) 



▼大正年間から昭和前期にかけ、帝国陸軍軍人が憧れるポストがあった。

佐官級の少壮軍人であれば、それは支那軍閥の軍事顧問になることであった。俸給は将官並みで、ときには陸軍大臣クラスの待遇を受ける者もいたという。

張作霖の顧問を長く務めた町野武馬退役歩兵大佐は莫大な財産を築き、戦後も吉田茂の指南役として政界に隠然たる力をふるった。



 支那軍閥の日本人顧問は単なる軍事アドバイザーではなく、帝国陸軍で不要となった中古武器の売込役でもあった。

日露戦争以後滞貨となって払い下げられた旧式の武器は三井、大倉、高田商会が出資して作った武器専門商社の「泰平組合」が一手に売り捌きを担当し、支那大陸はもとより、アフガニスタン、ペルシア、中南米にまで販路を拡大した。


昭和一四年に陸軍の肝煎りで設立された「昭和通商」はその後継会社である。





 支那では多くの地方軍閥が抗争を繰り広げたが、これを助長、拡大させたのは日本人軍事顧問の存在と武器商社「泰平組合」から供給される豊富な兵器が一因だったといえよう。

それだけに兵器購入への発言権を有する日本人軍事顧問の役得は相当なものだったことが推測される。

皆が軍事顧問になりたがった由縁である。





 将官級軍人憧れのポストは関東軍司令官だった。

陸軍大臣や参謀総長より人気のある地位で、その決定には入札がなされたとも言われるほどであった。



 白川義則(一九二三〜一九二六)、武藤信義(一九二六〜一九二七)、村岡長太郎(一九二七〜一九二九)、畑英太(一九二九〜一九三〇)、菱刈隆 (一九三〇〜一九三一)、本庄繁 (一九三一〜一九三二)、 武藤信義 (一九三二〜一九三三)、南次郎(一九三四〜一九三六)、植田謙吉(一九三六〜一九三九)梅津美治郎(一九三九〜一九四四)など

綺羅星のごとき将星が歴代の司令官を務めており、男爵位を賜った者も少なくない。



 遼東半島関東州を支配する関東軍は張作霖爆殺事件や柳条湖事件を引き起こしたことから明らかなように、東京の軍中央からも独立した治外法権的存在だった。

ケシの栽培地でありかつ消費地でもある支那大陸要地を占める地の利を生かし、利潤率の高い阿片取引を差配した関東軍司令官以下の軍、関東庁幹部は内地の軍人、政治家、官僚たちの垂涎のポストであり、

その利権を握った者が総理大臣の印綬を帯びるという風説まで立ったほどである。



 大正一〇年代に発覚した「大連阿片事件」は、前樺太庁長官の平岡定太郎が逮捕され、その黒幕だった原敬元首相など大物の名も取り沙汰された疑獄事件だったが、実は関東軍が握る阿片利権をめぐる内紛だった。







平岡定太郎

http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/hiraoka_t.html




歴史が眠る多磨霊園


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平岡定太郎

ひらおか じょうたろう

1863(文久3)〜 1942.8.26(昭和17)
明治・大正期の内務官僚、県知事

埋葬場所: 10区 1種 13側 32番





 兵庫県加古川出身。農商務官僚の平岡梓(同墓)の父、作家の三島由紀夫(同墓)の祖父。

早稲田専門学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。

内務省試補となり、栃木県警察部長、内務書記官、衆議院書記官などを歴任。



 1906.7(M39)内務大臣原敬に認められて、抜擢されて第17代福島県知事(在任:1906.7.28〜1908.6.12)に就任した。 福島県においても、地方政治の矛盾は、町村財政の悪化と住民負担の増大、農村の疲弊と動揺に表現されていた。

定太郎が乏しい地方財源の中で有能な官僚知事として誠実に働いていたことがわかるであろう。



 '08(M41)〜'14(T3)樺太庁長官に就任した。樺太の地に製紙会社を誘致し、樺太や製紙会社に有益な結果をもたらしたが、定太郎は政争の渦に巻き込まれ、 政友会総裁原敬の判断により長官を辞任。

以後オモテ社会から身を引いた。



その後、満州でのアヘン取引を通じて、総理大臣となった原の政治資金を捻出するためにウラ社会で奮闘。



しかし原政権を守るための奮闘が「アヘン商人」として世間から指弾されることになり失脚した。

 三島由紀夫の出世作『仮面の告白』には、「・・・祖父の事業欲と祖母の病気と浪費癖が一家の悩みの種だった。 いかがわしい取巻き連のもってくる絵地図に誘われて、祖父は黄金夢を夢見ながら遠い地方をしばし旅した」とある。

また三島由紀夫は新人の頃、祖父のコネを使い王子製紙から本を出版できたという逸話もある。


享年79歳だが、墓誌には80歳と刻む。





<日本近現代人物履歴事典など>
<日本歴代知事総覧>


【多磨霊園に眠る樺太庁長官】

 樺太長は、1905.7.28〜1907.3.31樺太民政長官という呼び名で熊谷喜一郎が務め、それ以後、樺太長長官となった。

 多磨霊園に眠る樺太庁長官は、その初代である楠瀬幸彦(9-1-8)、2代目の床次竹二郎(12-1-17-18)、

3代目の平岡定太郎(10-1-13-32)、

6代目の永井金次郎(4-1-10-18)、12代目の今村武志(5-2-8)がいる。



 「樺太」についての詳細は永井金次郎のページに書かれている。



関連リンク:

平岡 梓、 三島由紀夫、 楠瀬幸彦、 床次竹二郎

















★落合論文・再引用。 ( その他ギャンブル ) - 競馬放浪日録 - Yahoo!ブログ

https://blogs.yahoo.co.jp/sckfy738/26852146.html





★落合論文・再引用。


2007/11/21(水) 午後 9:02
書庫趣味と思考の読書


 


 ★ 落合論文・再引用
 
 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(11)

―薩摩ワンワールドの特殊権力を継承した上原勇作



★周蔵も製糖王・藤山雷太も“大畑者”上原の」配下
 
吉薗周蔵は日頃、「上原元帥は横浜と鈴木商店に関わっていた。藤山雷太を大日本精糖の社長にしたのも上原閣下である」と語っていた。


明治32(1899)年、鈴木商店は台湾樟脳の販売権を獲得し、飛躍の切っ掛けを掴む。

鈴木商店は世間的には未亡人ヨネを主人と仰ぎながら、この頃から実質的に高島鞆之助と日高尚剛の隷下に入ったのであろう。


 弘化元(1844)年生まれの高島は明治31年1月12日、54歳を以て陸軍大臣を辞し予備役に編入明治45年4月の退役まで陸軍には関与しなかった。

高島は予備役に方向を転じ、明治32年枢密顧問官に就任、大正5年1月11日の他界までの18年間その地位にあったが、その間砂糖、煙草、阿片、国際金融などの分野で隠れた権力を振るったものと思う。

高島の特殊権力は薩摩ワンワールドの首脳吉井友実・松方正義が築いたものである。


大正5年に高島が逝去するや上原が譲り受け、さらに昭和8年に上原の他界によって、荒木貞夫にその一部が移ったものらしい。
 


 周蔵と藤山雷太との関係については、『周蔵手記・本紀』大正8年10月30日条には周蔵が若松事務所で藤山を紹介され、食事に招かれたと記す。

若松安太郎は、青森県下北郡大畑港の回船屋六代目堺屋甚兵衛の長男で本名、堺誠太郎、後に七代目甚兵衛を襲名した。その長男が日本文芸協会事務局長を務めた堺誠一郎で、八代目甚兵衛を継いだ。

通名・甚兵衛の由来は、芭蕉の『奥の細道』にも「庄司が館は云々」として出てくる信夫庄司・佐藤甚兵衛基治にある。


基治は藤原秀衡の参謀で、その子継信、忠信の兄弟が源義経に仕えたことは有名である。甚兵衛を通名とする旧家は全国に数十家存在し、概して山林地主で、紀州串本の矢倉甚兵衛、千葉成田の石川甚兵衛、福島須賀川の石井甚兵衛、秩父の大館甚兵衛、木曽の山村甚兵衛などみなこれである。



元首相佐藤栄作家が基治の正統を称するが、

右(*上)の石川家や石井家の近親にも佐藤姓が存在するから、各地の甚兵衛は本来みな佐藤姓なのであろう。



 海人の堺屋は海軍と関係が深かったが、六代目甚兵衛の弟・忠次郎は函館を本拠に北海道開発事業に専心し、開拓使の陸軍中将・黒田清隆、同永山武四郎に仕えた。

陸軍と海軍は明治中期頃から出入りの者を峻別し、一人が両方に仕えることができなくなったので、忠次郎は海民を表す堺姓から若松に変え、今も函館市若松町としてその名を留めている。

日露戦争の際、堺屋は陸軍とも関係が生じた。



六代目長男誠太郎は上原勇作の諜者として働く時、叔父・忠次郎の長男になりすまし、若松安太郎と称した。

表看板は長崎の水産業者島田商会の支配人で、その際には本名を名乗ったので、『大畑町史』には堺誠太郎の名で出てくる。

周蔵は上原の部下として、大正3年から安太郎の後見下に置かれていたので、昭和に入るまで右の事実を知らず、ひたすら若松を本名と信じていた。

ゆえに、手記の記載は生涯「若松安太郎氏」で通している。

安太郎の弟を装い、若松安次郎と称したのは、屯田兵司令官男爵・永山武四郎中将の子息である。

 ところが『周蔵手記』別紙記載の『敗戦カラノ記』にも、大正14年頃、平野勇造から藤山・中上川を紹介されたと記す。前に述べたように、日本一の建築家といわれた平野は、三井物産社長・益田孝の孫婿で、曽祖父が大畑港の回船屋「カド枡堺屋」の三代目伊兵衛である。

堺屋甚兵衛とは別の家系だが、元は摂津和泉をまたぐ堺tから出た同族である。三代目伊兵衛の弟が三国屋を称し、その子(あるいは孫)が堺常五郎、その次男庄太郎が徴兵逃れのために分家した時、先祖の姓池田を称した。

先祖の 池田亀麿は『菅江真澄遊覧記』に出てくる文人である。つまり、平野は二代目堺屋伊兵衛の四代孫で、池田庄太郎が同じく三、四代の孫だから、二人は七〜八親等の血族であった。庄太郎の妻コトは若松忠次郎の姪で、安太郎には実のいとこにあたる。 庄太郎は大畑町で地方百貨店を営んだが、縁戚の安太郎と共同で時計や輸入雑貨の商売を行い、一糖に渡欧して、イギリスに滞在した。


















平野と池田と安太郎の三人は右のような親戚の関係で、極めて親しかった。
 


 安太郎が東京築地の若松事務所で、製糖王・藤山雷太を周蔵に紹介したのは大正6年10月である。前年、血液型分離法の探索のためウィーン大学医学部ランドシュタイナー教室に潜入した周蔵は、

6年6月に帰国した後、アヘン研究とその隠れ蓑として糖神カウンセラーの開設を上原大将に献策し、許可を得た。

その秋は独立開業の時期で周蔵はいろんな人物に会う。偶然会った相手もいれば、上原の指令で引き合わされた相手も多かった。

藤山雷太の紹介は多分上原の指令で、、周蔵にケシ研究を命じた関連で、配下の製糖王・藤山を紹介させたものと思う。


藤山が初対面の周蔵を食事に招待したのも上原の配慮であろう。



8年後の大正14年ころ平野が周蔵に紹介した「藤山」なる人物は、息子の愛一郎(当時二十八歳)ではなく、親の雷太(当時63歳)と思える。



平野の場合は縁者として周蔵を紹介したのだろうが、周蔵はあれ以来藤山と接触しておらず、改めての紹介となったわけだが、紹介者は両度とも大畑港の出身で、上原と大畑者との間は若松父子を介して極めて近かったから、結局は同じ意味になろう。



 ************* 
























●吉薗周蔵の手記11−(2)


 ★日本の金融王・松方正義、玄洋社・杉山茂丸の暗躍


  枢密顧問官・高島鞆之助の裏には、上原勇作の叔母で周蔵の祖母にあたる吉薗ギンヅルがいた。

上原が台湾の砂糖・樟脳政策に関して有した特殊な権力は、高島の遺産を引き継いだものだが、ギンヅルが甥の勇作に残したものともいえる。

横浜正金銀行に関しても、上原は同様な権力を持っていたと伝わる。



上原の大森鹿島谷の私邸と上総一ノ宮の別荘には、旧一宮領主加納久宜子爵が絡んでいるように思うが、その御曹司・加納久朗が横浜正金の取締役となったことにも、上原の影がちらつく。


『周蔵手記』には、世界大戦の戦雲迫る中でフランスヘ帰る藤田嗣治と薩摩治郎ハが必要とした為替を、周蔵が荒木大将に頼んで手当てしてやったことを記す。



昭和8年死去するに当たり、上原は荒木貞夫を後継者とした。



日本の金融制度を創った松方正義は、世界金融皇帝・ロスチャイルドの分身として、日本金融王であった。

安田善次郎のごとき金貸しでなく、第一銀行創立者の渋沢栄一や、明治財政・産業支配人井上馨でもなく、日銀の民営化と金本位制の創設に関わった松方正義こそ、日本金融王なのである。



松方が培った国際金融権力は高島経由で上原が受け継ぎ、荒木に移ったわけだ。



 国際金融には謎が多いが、杉山茂丸が関係したことは確かである。玄洋社の客将で生涯無冠の浪人だった杉山が明治30年に渡米してアメリカの工業事情を視察し、翌年再び渡米して米国金融王J・P・モルガンと単独面会し、借款を取り決めて銀行設立を討議した。

それがいかなる地歩に立ったものか明快に説く史家はいない。



 ウイキペディアには、「杉山の興業銀行設立運動は、伊藤博文と井上馨の支持を得たが議会の混乱のためになかなか通過せず、明治33年になり日本興業銀行法は成立したが、モルガンからの外資導入は貴族院に否決された。

同31年(1898)に第四代台湾総督に陸軍大将児玉源太郎が就任し、民政長官に後藤新平を就けると、杉山は両人に対して製糖業の振興による台湾経済の確立を献策し、自ら製糖会社の設立に携わった。


また台湾銀行の創設や台湾縦断鉄道の建設にも関与したといわれる」との解説がある。
 


 要するに、経済問題では伊藤・井上、台湾軍政では児玉と、何でもかんでも長州閥を持ち出さねば世間は納得しないが、その実は、先ず軌道を敷いた薩摩人が故意に表面から隠れ、あて馬に長州閥を持ってきたものと思える。

ともかく杉山が台湾銀行の創立に深く関与したのは事実で、帝大法学部同期の平岡定太郎が樺太庁長官の時、その下で第一部長に甘んじていた中川小十郎を抜擢し、台湾銀行副総裁に据えたのも杉山である。

杉山は、台湾砂糖政策や台湾銀行の設立、台湾縦断鉄道の敷設などに関して、児玉のみならず背後の伊藤・井上らの長州閥を工作していたわけで、


その使命は、拓殖務相・高島鞆之助と台湾総督樺山資紀とが建てた台湾基本政策を、児玉・後藤に踏襲せしめることにあったと思われる。


砂糖・樟脳などは第一薩摩藩の薬籠中の物資で、長州人が関与すべくもない。


杉山が籍を置いた玄洋社自体、表面は旧黒田藩士の結社と見せながら、実は薩摩ワンワールド首脳の指導下にあり、その背後には謎の貴公子・堀川辰吉郎が見え隠れする。


上原勇作が後年玄洋社を私的機関のごとく使いこなしたのも、吉井・松方に始まり高島・樺山が受け継いだ薩摩ワンワールドの特殊権力を引き継いだからであろう。


尤も両者の関係は注意深く隠され、史家はこれに気づいていない。

上原の政治的ライヴァル後藤新平も不思議な人物である。


俗流史観は児玉と後藤の関係を濃厚な癒着の如く修飾するが、果たしてその通りならば後藤を帰化長州人と呼ぶもおかしくはないが、真相はどうか。

後藤の岳父安場保和は、明治19年福岡県令となるや、県下の鉱区権を悉く玄洋社に与え、玄洋社はそれを炭坑主に売却して活動費とした。


年来安場の恩を受け女婿にもなった後藤が、安場が財政面で育てた玄洋社を拠り所としたことを示唆する巷間の噂に、

仝綟は満鉄総裁として自由に行動する目的で児玉を暗殺した、

後藤は玄洋社員を使唆して原敬を暗殺せしめた・・・というものがある。
 






 





陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記


www.kishu-bunka.org/yoshizono/yoshizono1.htm
http://www.kishu-bunka.org/yoshizono/yoshizono1.htm



平成八年一月、偶々観ることが出来た『吉薗周蔵手記』の内容に私(落合)は驚愕した。

手記であるから、総論ないし解説に当たる部分がなく、すべてが具体的行動と見聞の記録であるのだ。



その内容が史家の通説とは微妙に、時にはかなり異なるから、内容の真否の検証から始めた。

僅か一行の記載でも、公開史料に照らしつつ論理的に質すと真意が浮上してくるが、テ二オハ一つでも原文の文意が変化するから、一字も忽せに出来ない。

当初は、私的感情・私的史観は固より、史的通説を一切排して文理的解読に徹し、公開史料と口碑伝聞に照して解釈を施した。

これを本紙に百十八回続けたのが本稿の前半で第一部に相当する。



一年の休稿期間の後、第一部で得られた史的知見の相互間の有機的連関の追究に取りかかった。

第一部の各個別知見は、より上位の史的知見の集合体に属し、その集合体がさらに上位の集合たる「歴史実体」に属するので、アーサー・ケストラーのいわゆるホロン構造である。

歴史実体の解明は、まず個別知見相互の有機的関連性を明らめる作業から始めねばならない。

即ち現在連載中の第二部であるが、この作業の基本は一に懸って洞察である。



洞察によって個別知見相互の有機的関連を仮定し、之を用いて公開史料や口碑伝聞を検証すると、今まで見えなかったものが見えてくる。

つまり、同じ史料であっても旧来の解釈と異なる意味が観えてくるが、そうなると、荒唐無稽に見えた口碑伝聞にも実質が備わって来て、貴重な資料性が保証されるのである。一例を挙げる。
  


 『吉薗周蔵手記』昭和二年十月条(原文はカタカナ横書き)

  張作霖を弾かふと云う話が 田中(注・田中義一)の方にはあると云ふことを 自分は耳に入れている。但し、アテにはならない。 



 同・昭和三年六月中条

  張作霖死亡の事 聞く。一体 だふなっているのであらふか。誰かに聞きたいが 甘粕(注・甘粕正彦)さんをらず、話せる人はなし。(中略)

  自分は 去年の内に 張作霖始末の事、中野(注・中野正剛)の女から拾った。

  一応は種元を明かさず,張作霖始末の噂ありと、閣下(注・上原勇作)には出した。(中略)



  その女の情報だから、自分も 半分は信用できなかった。私娼窟崩れの女だし、所詮は 自分のことは裏切るだらふと思っていた。然し 女の云う通りであった。(中略)


  女の云ふには 田中義一は 蒋介石と交換条件にて 決めたと云ふ。

  張作霖がをらなくなれば、満洲を思ふままにさせると 云ふことだらふ。



要するに、関東軍による張作霖爆殺は、昭和二年十一月五日の田中義一青山私邸における田中−蒋介石会談で田中が決めた、と『周蔵手記』は謂う。

国民党首頭を名目上引退して来日した蒋介石が首相田中義一との直談判を望み、「張作霖を消してくれれば満洲を任せる」との条件を出したので、田中は応諾した。

これが『周蔵手記』がもたらした個別知見である。



外務省には通訳に当たった佐藤安之助少将が作った当日の議事録が残されているが、これを単純に文理解釈するだけで、上記の知見は容易に裏付けされる。

そこで先年、この件を『新潮45』に発表したが、読者の反応は鈍かったようだ。


理由は幾つかあろうが、まさか荒唐無稽と受け取られたわけではあるまい。

仄聞する処、某元大使が拙稿を読んで、「私もあの議事録を読んだが、そのようには取れない」と説いたと聞くが、ではどう読むというのか。



会談に先立ち蒋介石は、軍事指導失敗の負責を称して国民党委員長を辞任したが、これが真っ赤な偽装だったことはその後の行動から明白で、上記知見を支える一証である。

また、『蒋介石秘録』で語る青山会談の模様は、重要部分が佐藤の記録と背馳しており、下手な作り話であることは誰にも分る。

佐藤は会談の重要性に鑑み、田中と蒋のやり取りを忠実に記録したと見るべきで、文面に「張作霖を殺してくれ」の明言はないが、意図的に削除したものとは
思えない。



蒋の真意は、根回しの段階で田中側に正確に伝えられており、青山会談は田中がそれを直接確認する場であるが、現場で用いる語の真の意味を予め打ち合わせていたと洞察すべきである。

即ち佐藤記録は、表現には通謀虚偽表示的要素があるが、文理上意味は充分に通じるのである。



某元大使は、あえて曲解することで何かを守ろうとしているのか。


















蒋の依頼を受けて田中との会談を根回ししたのは参謀本部第二部長松井石根中将である。



明治四十年から四年間の清国差遣中、孫文の大アジア主義に傾倒した国民党シンパの代表格で、蒋介石とは親交あり、

一方で田中義一側近として大正十四年五月から現職に就き、この難事に最適任であった。

おまけに実弟松井七夫は、大正十三年から張作霖顧問で、張の動静を把握出来る立場であった。



親中派の松井石根は、国際政治の見識を買われて予備役中に召集を受け、上海派遣軍司令官に補せられ、戦後南京事件(いわゆる南京虐殺)の責任を取らされてBC級戦犯として絞首された。


松井の無実を陳情された蒋介石は、「閣下は日本軍全体の責任を被られたのでやむを得ない」として動かなかったが、

後に訪台した岸信介に対して、「冤罪であった」と、泣いて其の死を悼んだという。



洞察と謂うより想像するに、強引な戦犯容疑による松井の死刑は、青山会談の口止めであろう。































ところで、『周蔵手記』による本件知見と矛盾する史料が最近出てきた。

張作霖暗殺を赤軍特務が実行したとする旧ソ連の秘密文書である。





暗殺現場の状況が関東軍犯行説の強固な物証であるから赤軍説は俄かには首肯し難く、出先諜報員の赤軍本部に対する誇大な功名話に過ぎぬと謗る筋もある。

ところが意外にも、私(落合)の重要情報源がこれを支持しているから、丸きりの作り話でもなく、何らかの実はあるのだろう。





上記は公開史料の話だが、本件に関する口碑を最近仄聞した。維新の功労者で明治末まで日本政界の最上層部にいた人物の末裔で、尊父も大正政界を往来した方が、「蒋介石が満洲を呉れると言った」と端的に言われたと、知人から聞いた。




面白い事に、この方の父と某元大使の親族は大正時代に貴族院に座を占め、政治的にも極めて近い間柄であった。

本件の真相を知りながら公言を避けるのは、おそらく何かを守るためで、それは某元大使と共通する階級的利益であろう。

つまり両氏の差異は程度の差ではないかと思う。




同じような口碑伝聞は、注意を払っておればどんどん集まってくるから、それらを整理・統合して歴史実体が掴むのが、本稿第三部の作業であるが、さすがに私(落合)一人の手に余る。





第一部で得た個別の史的知見は相互に矛盾せず、密接に関連している。例えば上例ではどうか。周蔵は、在仏ワンワールドの一派に傾倒する薩摩治郎八の動静を探るため、薩摩の秘書を尾行したところ、新宿の私娼窟いわゆる歌舞伎横町に入ったので、一計を案じて娼家の主人を買収し、秘書の馴染みの敵娼から秘書のピロー・トークを引き出した。


偶然にもその私娼窟で遭遇したのが、病気のために中野正剛に捨てられ、身を落とした多喜である。

周蔵は、多喜に客を取らせぬよう主人に頼み、二百円で身受けして奥多摩の寺で療養させた。


病気を治して容色以前に勝る多喜を、妻の水産物店の店員として抱えた周蔵が、再び中野の前に多喜を出したら、中野は忽ち焼け棒杭に火を点けた。



周蔵が中野正剛の動静を探ったのは上原の命令ではないが、「必要と思ったら何でも自発的に調査して良か」と上原から言われていたので、試みたらこの結果になったのである。


そもそもは、軍人政治家上原がシベリア砂金事件の際に、「議会工作は中野正剛一人居れば充分」と豪語したので、中野に関心を抱いたのである。





 周蔵を恩人として尊ぶ多喜を通じて、張作霖暗殺計画に関する中野正剛の情報を知った周蔵は、半信半疑のまま、情報源を秘して上原元帥に報告した。

上原が中野を秘かに使っていたのは、中野の属する玄洋社そのものが上原の配下だからである。
















『周蔵手記』にも明記せず、いかなる史書・史料にも載らないこの秘密関係を証明する一例は大連アヘン事件に関するものである。

大正八年秋に上原から大連アヘン事件の調査を命じられた周蔵は、辺見こと牧口某に二千五百円で調査を丸投げするが、

辺見は期待に応じ、元樺太庁長官平岡定太郎をアヘン携行容疑で現地官憲に逮捕させた上、重要な報告をもたらした。


即ち内閣拓殖局長官古賀廉造が、アヘン統制政策を悪用して大連の売捌人に不当利益を得させている実情で、周蔵はこの報告を四十三枚に記して上原に提出した。

それが上原から玄洋社の頭山満に回され、政友会総裁・首相の原敬が腹心の古賀を使って政友会の資金作りをしている証拠としてを見た利用され、憤激した憂国青年中岡艮一が原敬を殺害したのである。


昭和八年十一月八日、上原は他界したが、裏の配下の立場上、表立って葬儀に出られなかった周蔵が、翌年の命日に上原邸を訪ねると、同じ立場の大物が二人来ていた。


『周蔵手記』別紙記載(原文カタカナ/縦書き)






   閣下の葬儀には 堂々と出る訳にもいかん と思ひ、翌年の今 自宅を訪ねると 偶然中野と頭山が来てゐたのに驚く。

こいつらも 全く表にはやふ見えんから、今頃閣下の墓に腹探りの挨拶だらふが、金目の物でも捜すつもりか、何ぞ 家捜しをしたらしい。


   帰りがけ 「お前の調査だったらしいな。あの原敬事件の基は。上原さん あれ 俺に流して呉れて 俺が一寸動いたよ」と云はる。


   調査によって あんな立派な首相を死なせたかと 後悔す 後悔す





玄洋社の巨頭 頭山満と議会政治家として鳴らした中野正剛が、上原の一周忌を待って秘かに故人邸を訪れ弔意を表したのは、それほど玄洋社が上原ないし薩摩ワンワールドとの関係を表面に見せたくなかったからである。




























上原の一周忌を待って秘かに故人邸を訪れ弔意を表したのは、それほど玄洋社が上原ないし薩摩ワンワールドとの関係を表面に見せたくなかったからである。

これが、私(落合)が洞察によって得た史的知見の上位集合たる薩摩ワンワールド論の一証を成すが、薩摩と玄洋社の秘密関係を裏付ける事実は、この他にも『周蔵手記』中に断片的に出てくる。



即ち、玄洋社軍人 明石元二郎が上原の股肱を自任し 長州閥を心底無視していたことで、日露戦争時の秘話がこれを証明する。


 スエ―デン大使館付武官 明石大佐がロシアの後方撹乱に費消した工作資金は、優に一千万円を超えた。


ほとんどは西本願寺の大谷光瑞師から出たもので、参謀総長山縣元帥はじめ長閥が支配する参謀本部に対しては、光瑞師資金を伏せた上、百万円しか要求しなかった。

光瑞資金を全額費消した明石は、参謀本部資金を二十五万円を使い残して、返金した。



 つまり表面上参謀総長山縣元帥に服従したかに見せていた明石大佐が、心底で真の上官と仰いだのは別人であった。

その後の人間関係から観て、其の人は上原勇作(当時、少将で野津第四軍参謀長)と見るしかない。

この知見から洞察されるのが、後に上原を首頭と仰ぐ薩摩ワンワールドの存在である。



そこで上原の経歴を閲すると、上原を育てた高島鞆之助中将が浮上してくるが、高島に焦点を当てると、高島こそ明治中期以後の薩摩ワンワールドの首頭であったと断ずるしかなくなり、

更に遡れば薩摩三傑の生き残り吉井友実に行き着き、これにより、史的知見の上位集合体として、薩摩ワンワールドの具体像が把握されたのである。



 薩摩ワンワールドが在英 海洋勢力の一角を担い、英露の地球的規模での地政学的対決、いわゆるグレート・ゲームとして日清・日露の両戦役を遂行したことは容易に洞察されるが、両戦役に至る過程を閲すると、これに大きく関わった怪人物が目につく。

即ち杉山茂丸である。



 その事績は、明治期のどんな大政治家、いかなる大実業家よりもよりも広範囲で、しかも国事に偏っている。

異例は、元老井上馨の協力を得て安場保和を福岡県知事に就け、石炭の大鉱区を払い下げさせて玄洋社の財源を作ったことだが、

玄洋社は本来、政府や正規軍が表向き関与できぬ大陸政策の実行部隊として作られた民間国事結社であるから、

その財務基盤を創ったことは、やはり国事中の国事である。


更に特筆すべきは、日本の工業化を進めるための興業銀行創設を叫んだことで、渡米した茂丸は金融王モルガンに直接会って、巨額の融資予約を取りつけた。

外交政策では、軍備拡張を唱えて薩摩派を支援し、敢えて選挙大干渉を行わしめた。


しかも戦後の講和談判において、伊藤内閣の方針たる遼東半島領有に反対を唱え、外相陸奥宗光の宿舎に押し入って、講和案の動向を監視した。

以上すべてが一介の黒田浪人の着想すべき事ではなく、仮りに着想したとしても当路や周囲が相手にする筈がなく、茂丸の本姓の鑑識が必須となる。



以下は私(落合)の洞察でなく、さる筋からの伝達である。

洞察だけでは細部を特定できず、最後は伝達を仰がざるを得ない。



茂丸は、実は福岡藩主黒田長溥の実子、したがって島津重豪の実孫であった。

つまり茂丸は裏の黒田藩主として玄洋社のオーナーとなり、国事を推進したのである。

島津氏から養子に入った長溥が藤堂家から養子を迎え、実子茂丸を竜造寺氏男系の杉山氏に入れた所以は、「明治維新」という

ヨリ高次元(上位)の史的知見集合体に属するというから、目下の本稿の範囲でなく、ここで述べることが出来ない。



 かくして、『周蔵手記』から得られた薩摩ワンワールドと謂う史的知見の集合体を、更に上位に進めるには、杉山茂丸を洞察する外ないことが分かった。

そこで杉山の事績を閲する時、特異な位置に在るのが、謎の貴公子堀川辰吉郎である。

幼時玄洋社で育てられ、長じて学習院に入学した辰吉郎は明治三十二年、弱冠二十歳にして、日本に亡命してきた清国の革命家孫文の秘書となった。



以後は形影相伴う辰吉郎を、孫文が「日本皇子」と紹介したため、孫文に対する清人間の信用が飛躍的に増し、革命の実現性が高まったことが知られているが、

孫文を支援した玄洋社の計らいであることは明らかである。



ここで辰吉郎の本姓鑑識が必要になるのは当然である。結論から説くと、辰吉郎は明治十三年に堀川御所で生まれた。

実父は孝明帝の血筋である。


堀川御所は堀川六条の日蓮宗本圀寺の旧境内に明治天皇の京都行在所を名目として設けられたが、その実は、維新後も京都に留まった孝明帝の京都皇統の住居であった。

























吉井友実 高島鞆之助 上原勇作 玄洋社軍人 明石元二郎 - Google 検索

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即ち、玄洋社軍人明石元二郎が上原の股肱を自任し長州閥を心底無視していたことで、日露戦争時 ... そこで上原の経歴を閲すると、上原を育てた高島鞆之助中将が浮上してくるが、高島に焦点を ...





陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記 その21 BRIAN ENO - 阿修羅
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2011/07/14 · 1 件の投稿

宇都宮太郎日記』から起高作戦=高島鞆之助再起策を追う .... 日役所(参謀本部)にて、高島を起こす必要を上原勇作と語るが、 ...






落合莞爾:気に入った本:So-netブログ - ...
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2017/11/22 · 吉井友実 ⇒ 高島鞆之助 ⇒ 上原勇作 ...... 明治42年の伊藤博文の暗殺は、 玄洋社軍人である明石元二郎が指揮した朝鮮軍の ...





気に入った本:So-netブログ
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日本も日露戦争の時には、インテリジェンスの分野で陸軍の明石元二郎が活躍して勝利に導いた過去があるのにどうなってしまっ ...... 吉井友実 ⇒ 高島鞆之助 ⇒ 上原 勇作






名墓録
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1277, 明石元二郎, 軍人・陸軍大将・植民地統治, 東京都港区愛宕二丁目, 青松寺, アカシモトジロウ,, ...... 1608, 高島鞆之助, 軍人・陸相・枢密顧問官・薩摩藩士, 東京都港区南青山二丁目 ...





ippongiのブログ: 2009年1月の66件の記事
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2009/01/31 · 明石元二郎。1864年9月1日 - 1919年10月26日、陸軍軍人。 ..... 玄洋社の初代社長に就任。日本に亡命した ...... 萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として ...





1889年 - ユニオンペディア
https://ja.unionpedia.org › 1889年

吉井 友実(よしい ともざね、文政11年2月26日( 1828年4月10日) - 明治24年(1891年)4 ...... 父は、玄洋社系の国家主義者の大物、杉山茂丸。

















https://www.google.com/amp/s/sibanokuni.exblog.jp/amp/11016352/

大連阿片事件とは
2009-05-20 09:23


さて、「神々の乱心」は小説である、しかし、落合莞爾氏によれば、そもそも大連阿片事件を上原元帥から調べろと依頼をされた吉薗周蔵が、それを逸見十郎太に頼んだというところがそもそものきっかけである。

そして、逸見から吉薗へ渡された調査書がのちに吉薗明子の手から松本清張に渡り、それを題材にして小説を書いたという事である。



したがって、新興宗教とか、殺人事件に関してはもちろんフィクションと考えなければならない。

しかし、そこは巨匠、清張、ついでにいろいろな噂を織り込んで小説と見せかけ表に出せない真実をそっと忍ばせているに違いない。

そのあたりがこの小説の見どころ、いや、読みどころなのである。



ネットで調べても、なかなかこの阿片事件の概要ははっきりとはしない。

ただ、落合氏の記事を眺めると、吉薗は頭山満に出会った時、頭山が「おまんがあの報告書を書いたんだな。あれでワシも少しだけ動かせてもらった。」と述べたという、

そして吉薗はそれを聞いて、「そのおかげで原敬を死に追いやってしまった。あんな良い首相を殺してしまって・・・・」と後悔したと言う。



つまり、大連の阿片汚職の金が政友会の選挙資金に使われたことは裁判でも明らかだが、判決に表れていない裏事情について清張は小説の中で書いているはずである。


現在、上巻を読み終えたところでいよいよ核心に迫っていくが・・・・、実在の人物と架空の人物の区別がつきにくく、清張さんの世界に引きずり込まれそうで、実に楽しい。

未完のまま死んでしまったため、本人の思惑は不明であるが、天才最後の作品をじっくりと味わいたいものだ。



一応、大連阿片事件の概要を説明します。

(小説の中から適当に端折って説明します。その裁判は大正十二年八月、旅順の関東庁高等法院で行なわれた。)

満州では長年シナ人においては阿片の吸引が日常化しており、急激な禁止はその中毒者の生命を危うくするもので、関東庁は治療、救済の目的で阿片を供給することとする。

そして大連にシナ人設立の慈善団体、嘉善堂戒煙部を設立し、そこが輸入販売をすることとする。

そしてその収益は関東庁へ納入する。

大正八年に発覚したこの事件では、被告木原茂三郎は大連民政署長として故意に安く阿片特売人に阿片を販売し、彼等に格別の巨利を与えたものである。

この裁判では木原と特売人数名が有罪となったが、その莫大な収益の行方の一部が政友会に流れた件に関しては追及されなかった模様である。





私がこの小説を読むきっかけはもちろん落合莞爾氏の思わせぶりな書き方のせいである。

私の現在の最大の興味は日本の支配構造の中の宗教部分とそして半島勢力の部分の考察なのである。

それらの謎のほんの一部はあちこちから顔を出しているが、口に出すことすらはばかられるほど怖いことばかりである。

もちろんそれは黒龍会に関する事もあるし、金正日もあるし、日本の暴力団に関することもある。


さあ、今日からいよいよ下巻にはいる、上巻ではまだ核心に迫ることは何もでてこなかった。楽しみに読むことにします。

この小説にでてくる満州の地名で、大連は卑弥呼のいた邪馬台国、そして奉天は遼東城、そして新京の長春は渤海時代の中心都市、うーん、ところで、吉林はマヨ理論で言うとおそらく新羅の発祥の地、しかも高句麗の檀君神話はこのあたりから出ている。

もちろん新羅と高句麗は同族である。


古代史では夫余がどこにあったのか、あるいは高句麗がどこにあったのか、どう調べてもはっきりしない。

つまり明らかに事実が隠されている。



問題は渤海が高句麗の後継国であったなら、高句麗は教科書で習うよりはるかに奥地にあったことになり、最初の首都はどう見ても長春である。

その後、今の集安まで南下して平壌としたのだろう。

いうまでもないが、北朝鮮の平壌はあくまで高麗の首都であり、高句麗の首都ではない。

してみると、夫余はハルピンもしくはチチハルとなる。

そんな馬鹿な、と言われるが天孫降臨の天降る(あまふる)とは、以前から言っているようにアムール川、即ち、黒龍江から来た人たちのことだから、黒龍、韓国読みでコグリョウ、高句麗のことなのだ。


関東軍がどうしても満州を支配したかったのは、つまりそこが長州藩の心の故郷だったのであり、薩摩族にとって、そこはどうでもいい地域だったのだ。


黒龍会というのはまさにその意味を知っている人たちであり、彼等はおそらく日本の歴史を把握していたのだろう。








阿片と台湾統治・関連年表

http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/17_Opium_in_Taiwan.html





阿片と台湾統治・関連年表

Opium in Taiwan, 1895-1946
池田光穂





■阿片と台湾統治・関連年表

「1970年代の半ばごろのある日、星新一氏の「人 民は弱し官吏は強し』を買った。もともとSF小説を読むつもりであったが、しかし、問書はSF小説ではなく、小説家の手法で、台湾の阿片専売をめぐる政治 疑獄――

台湾阿片事件――を扱ったものであり、私は全身が感電したかのように、一気に読み終えた。これが「日本阿片問題の研究」のそもそもの契機である」 (劉 1983:241)。

出典(劉 1983:245-249)





1573-1612 阿片吸食の悪習、台湾に伝わ る。

1624-1662 オランダ、台湾を領有。

1662-1683 鄭氏政権、台湾を支配。

1683 台湾中国領となる




1729 清朝政府、はじめて阿片吸食の禁令を公 布。

1779 イギリス東インド会社、インド阿片の独占 販売をはじめる。




1840-1842 第一次阿片戦争(First Opium War)、 南京条約(Treaty of Nanking)締結。




1848 台湾道徐宗幹「請壽議備貯蓄」を上書、台 湾の阿片禍を痛論。

1856-1858 第二次阿片戦争(Second Opium War)、 天津条約を締結、中国への阿片輸入合法化される。




1856 ハリス、老中堀田正陸に阿片の惨禍を響 告、1858年以後日本は諸外国との条約に、阿片輸入禁止の条項をもりこむ。

1858 中国、イギリス・フラシス・アメリカに台 湾を開港。/江戸幕府「安政5カ国条約」中に阿片輸入禁止項目。




1868 日本・太政官布告319号、阿片吸食禁制 の布告。

1870 日本「販売鴉片烟律」「生鴉片取扱規則」 を公布、同時に在留中国人にも阿片厳禁の沙汰。

1874 日本、台湾に出兵。




1877 横浜在留英商ハルトレー、第一次阿片密輸 入事件を起す。

1878 ハルトレー、第二次阿片密輸入事件を起 す。

1880 太政官布告36(旧刑法)により鴉片の輸 入売買吸飲を厳禁する。




1894 7月1日:日清戦争起る。/八月:中村純 九郎、台湾領有の意見書を提出。

1895 4月10日下関講和会議の席上、台湾の阿 片問題が提起され、伊藤首相、将来禁断することを公言、論文の反阿片協会から頌徳状を送られる。

1895 4月17日日清講和条約締結、日本、台湾 を領有。




1895 5月10日樺山資紀、台湾総督に任ぜられ る。

1895 6月2日基隆港外にて樺山、李経方と台湾 授受の手続。水野民政局長、台湾駐在の各国領事に、外国人を保護する旨声明。

1895 6月17日総督府、台北にて始政式を行 う。

1895 7月06日樺山総督、「台湾人民軍事処分 令」、「租税■免の諭示」を公布。

1895 7月19日西国寺外相代理、各国政府に台 湾領有を宣言。

1895 7月中 台湾人の抵抗する陣営が、阿片禁 断を含む「日本条例」を偽造し、各地に貼布した。

1895 7月25日内務省衛生局員加藤尚志、阿片 厳禁の意見書を提出。

1895 7月30日水野民政局長、阿片、弁髪、纏 足等、台湾人の民俗に関し、みだりに談話せぬよう関係官に内論。

1895 8月05日台湾各地に、抵抗する台湾人の 機密を探知する「保良局」を設置

1895 9月07日樺山総督、在台日本人に阿片吸 食厳禁の告諭を布告。

1895 11月17日「台湾住民刑罰令」公布。

1895 11月18日樺山総督、大本営に台湾平定 を報告。



1895 11月20日総督府参謀長、日本人に阿片 吸食の便を提供した台湾人の阿片犯罪を、当分の間不問にするよう関係官に内諜。

1895 11月14日l後藤新平、阿片吸食の漸禁 を内容とする「台湾島阿片制度二関スル意見」を提出。

1895 12月30日台湾人の武装ゲリラ(「匪 徒」)、各地に蜂起。

1896 1月19日現行条約の台湾適用を各国に宣 言。

1896 2月03日台湾事務局、阿片漸禁政策を決 定。

1896 2月22日台湾駐在各国領事に対し、翌日 より現行条約の台湾適用を通告。




1896 2月26日台湾総督、将来阿片を薬用とし て政府より専売する旨、台湾人に告示。


















1896 2月26日台湾総督、将来阿片を薬用とし て政府より専売する旨、台湾人に告示。

1896 3月23日後藤新平、「台湾島阿片制度施 行ニ関スル意見書」を提出、阿片漸禁政策と阿片専売制度を具体化。

1896 3月30日後藤新平、台湾総督府衛生顧問 に任ぜられる。「台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」(「六三法」)公布。

1896 4月01日阿片煙膏を製造する製薬所を設 置。加藤尚志向所長に任ぜられる。

1896 10月01日製薬所、阿片煙膏製造閲始。




1897 1月21日「台湾阿片令」公布

1897 2月26日「台湾総督府特別会計法」公 布。

1897 4月01日台湾阿片令(阿片専売制度)台 北市街より実施、同年末に全団施行。

1897 5月08日台湾入国籍選択最終日。

1897 5月27日在台外国商人の阿片、すべて買 上げられる。

1897 6月01日保良局を廃止。




1898 2月26日児玉源太郎、台湾総督に任命さ れる。

1898 3月02日後藤新平、民政局長(のち長 官)に任命される。

1898 3月12日阿片煙菅販売人の要件を「従来 の営業者に限る」から「身元■ナル者」に変更。

1898 8月17日阿片令第一次改正。




1899 4月食塩の専売はじまる。

1899 7月樟脳の専売はじまる。




1900 4月阿片煙膏のモルヒネ抽出はじまる。

1900 9月阿片吸食特許者第一回網羅完了。

1902 2月阿片令第二次改正。阿片吸食特許者第 二回網羅完了。阿片■者名簿完成。




1902 12月後藤新平、阿片専売制度の功績によ り、勲二等旭日章を授与される。

1904 2月日露戦争はじまる。

1905 

1906 10月清朝「禁煙章程十条」――10年以 内に輸入と国産阿片の害を徹底的に根絶することを目的とする。

1907 

1908 

1909 

1911

1912 1月23日「ハーグ国際阿片条約」/1月 1日孫文を臨時大総統(臨時大統領)として中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立。

同年2月12日清朝の皇帝である愛新覚羅溥儀が退位するこ とによって、その後袁世凱が大総統(大統領)に就任。3月「阿片厳禁令」


「ハーグ国際阿片条約」とは、中国および極東諸国を 禁輸国として阿片とモルヒネの製造取り締まりに関する国際条約。日本も批准。

1913

1914

1915

1916

1917




1918 1月パリ講和会議

1918 6月 ベルサイユ平和条約調印 第295 条にハーグ国際阿片条約への加入を規定した。

1918 12月 天津ノース・チャイナ・ヘラルド 紙「日本人の阿片密輸に対する非難」を掲載

1919 2月ニューヨークタイムズ紙は(天津ノー ス・チャイナ・ヘラルド紙の)「日本人の阿片密輸に対する非難」を転載。

1919 2月中野有光、大連民政所長に就任

1919 6月 国際連名に阿片諮問委員会を設置

1919 7月 中国人阿片吸食者の台湾への入国を 禁止

1920

1921

1922

1923

1924

1925 

第一次阿片会議条約、第二次阿片会議条約で、阿片貿 易の制限――日本の条約を批准。

しかし大陸での鴉片栽培や輸入・販売などを続けていたために、後の東京国際軍事裁判で問題視され、興亜院の組織的関与が裁 かれる。




1926

1927

1928 中華民国刑法(南京国民政府)阿片に関す る罪(19章第271-277条)同年9月禁煙運動の本格化。

1929

1930

1931 「麻薬の製造制限及び分配取締に関する条 約」で阿片貿易の完全禁止。

1932

1933

1934

1935

1936 12月阿片令第四次改正。

1937 

里見甫(さとみ・はじめ)

「1937年11月、上海に移り、参謀本部第8課(謀略 課)課長影佐禎昭に、中国の地下組織や関東軍との太い人脈と、抜群の中国 語力を見込まれ、陸軍特務部の楠本実隆大佐を通じて特務資金調達のための阿片売買を依頼される。

1938年3月、阿片売買のために三井物産および興亜院主 導で設置された宏済善堂[→「昭和通商」]の副董事長(事実上の社長)に就任 する。

ここで、三井物産・三菱商事・大倉商事が共同出資して設立された商社であり実態は陸 軍の特務機関であった昭和通商や、

中国の地下組織青幇や紅幇などとも連携し、

1939年、上海でのアヘン密売を取り仕切るいわゆる「里見機関」を設立。


















1939年、上海でのアヘン密売を取り仕切るいわゆる「里見機関」を設立。


ペ ルシャ 産や蒙古産の阿片の売買によって得た莫大な利益を関東軍の戦費に充て、一部は日本の傀儡であった汪兆銘(汪精衛)政権に回した。


また、里見機関は、関東軍が極秘に生 産していた満州産阿片や、日本軍が生産していた海南島産阿片も取り扱っている。

この活動を通じて、青幇の杜月笙・盛文頤や、笹川良一、児玉誉士夫、吉田裕 彦、岩田幸雄、許斐氏利、阪田誠盛、清水行之助らとの地下人脈が形成された」


(ウィキ日本語「里見甫」より)




1938

1939

1940 10月大政翼賛会発足。台湾で皇民化運動 推進。

1940 12月 杜聡明「阿片吸食特許矯正治療建 議書」を提出./大政翼賛会成立(日本、10月12日)

1941

1942 8月興亜院「支那阿片需給会議」

1943 阿片令第五次改正

1944 9月阿片煙膏製造停止、残存阿片吸食特許 者、全員更生院に収容

1945 8月日本敗戦。台湾を放棄




1945 10月 国府軍、台湾進駐。更生院を「戒 煙所」に解明、杜聡明、所長となる。

1946 6月 最後の矯正息者退院、第三期矯正事 業終る。「戒煙所」閉鎖。



■劉明修(伊藤潔 1937-2006)『台湾統治 と阿片問題』1983年 with password

1.台湾あへん問題の歴史的背景:01-Ryu_Meishu_Opium_taiwan_1983.pdf

2.過渡的措置と漸禁政策(1895-1897 年):02-Ryu_Meishu_Opium_taiwan_1983-2.pdf

3.前期漸禁政策の展開(1897-1930年):03-Ryu_Meishu_Opium_taiwan_1983-3.pdf

4.国際あへん問題と日本:4&5- Ryu_Meishu_Opium_taiwan_1983-4.pdf

5.国際あへん問題と台湾:(上に同じ)

6.後期漸禁政策の展開(1930-1942年):6&7-Ryu_Meishu_Opium_taiwan_1983-5.pdf

7.台湾阿片問題の終焉:(上に同じ)

8.結語、年表、索引等:8-Ryu_Meishu_Opium_taiwan_1983-6.pdf



リンク

植民地時代の日本の麻薬政策

台湾の歴史(ウィキペディア)
のらくろ帝国主義入門


文献

Moral nation : modern Japan and narcotics in global history / Miriam Kingsberg, University of California Press (2014)
救療と阿片問題 / 近現代資料刊行会企画編集(戦前・戦中期アジア研究資料 ; 2 . 植民地社会事業関係資料集 ; 台湾編 22 . 医療と衛生),東京 : 近現代資料刊行会,2001年[昭和十三、十四年度年報 / 台湾総督府養神院 [編]/明治三十七年阿片行政成績 / 台湾総督府民政部警察本署 [編]/明治三十八年阿片行政成績/昭和十四年(一九三九年)台湾ノ阿片制度 : 附・麻薬取締ノ概要 / 台湾総督府警務局衛生課 [編]]
台湾統治と阿片問題 / 劉明修著,東京 : 山川出版社 , 1983.8. - (近代日本研究双書)/台灣統治與鴉片問題 / 劉明修(伊藤潔)著 ; 李明峻譯,前衛出版社 (2008)
波斯阿片、土耳古阿片 / 臺灣總督府官房調查課 [編],[臺北] : 臺灣總督府官房調查課 , [1928.5]. - (南支那及南洋調査 ; 第148輯 . 阿片調查 ; 其2)
山田豪一編著『オールド上海阿片事情』亜紀書房,1995年(yamada_opium_jap_history.pdf)
佐野眞一(2005)『阿片王:満州の夜と霧』新潮社.
倪 志敏(NI Zhimin)(2009)「大平正芳と阿片問題」『龍谷大学経済学論集』 49(1): 83-107. https://opac.ryukoku.ac.jp/webopac/TD00088010
その他の情報

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オウム 村井 麻薬 北朝鮮 ロシア 稲川会 - Google 検索

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徐裕行 - Wikipedia
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徐 裕行(ソ・ユヘン/じょ ひろゆき、1965年5月25 日 - )は、日本生まれの暴力団組員で .... 村井の死によって、村井が知りうるオウム事件に関する供述が聞き出せなくなり、一連のオウム事件の ...





オウム“村井事件”の実行犯が激白 「僕が村井を刺した本当の理由」 (1/3) 〈週刊 ...
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2018/07/06 · 一連のオウム真理教事件のひとつで、幹部だった村井秀夫が刺殺された「村井事件」は、多くの謎が残った。その場 ...





村井秀夫刺殺事件と北朝鮮Α崕と北朝鮮を深追いすると声明の保証はできない ...
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2016/12/23 · オウム真理教科学技術省長官だった村井秀夫氏が刺殺されて以来、 ... 中でもロシアへの渡航歴は21回を数える。





韓国が注目したオウム村井事件 | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って
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2016/04/30 · 村井事件後、 オウムのテロに警戒する韓国 ... 韓国がもっとも関心を持っているのはオウムと北朝鮮との ... オウムはロシアで武器を購入、軍事訓練までした。オウムの ...





オウム帝国の正体
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まず、一番興味深いのは、オウムとロシア、北朝鮮 、暴力団、統一教会、政治家との関わりをきわめて ... 上祐は、出所後、かつて村井、早川両グループに所属し、特殊な技術や知識を持っていた ...





北朝鮮系の帰化人達が国の中枢で指図する事を「愛国」という 統一教会の研究 ...
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オウム真理教 : 反日はどこからくるの - livedoor Blog
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2015/05/26 · 沖縄「一坪反戦地主」中心人物は北朝鮮「チュチェ思想」信奉者 ..... 一連のオウム事件のうち、残された最大のナゾが村井 刺殺 ...





大摩邇(おおまに) : 麻薬大国とやくざ大国の日本!売春レイプ天国・歓楽街を ...
blog.livedoor.jp › genkimaru1 › archives

2016/06/29 · 小泉純一郎と稲川会。 .... 日本と北朝鮮は完全なる同盟国であり、両国とも田布施一族・朝鮮人 ... 自民党と北朝鮮の自作自演!





ロシア? 19.オウム事件の背後に誰がいたのか? 暴力団 ... - リチャード・コシミズ
richardkoshimizu.hateblo.jp › entry

2015/08/07 · オウムはオウムで、直接取引の出来ない北朝鮮のために、 ... 坂本事件も、村井 が殺されたのも皆そうだ。 .... この稲川会は千葉県柏市の「カーサ」で店員の高村サチコという ...





「オウム事件」リチャード・コシミズ、旧ホームページより | 裏社会学陰謀学資料館 ...
www.magiken.com › 2018/06/19

2018/06/19 · それに対し、オウムは自前で覚醒剤を製造する一方で、北朝鮮から ...... 稲川 会は、関東地方の覚醒剤取引を牛耳る大組織。





反日・在日の陰謀 - Kazumoto Iguchi's ...
https://quasimoto2.exblog.jp › ...

2019/01/25 · すると、北朝鮮から武器持った一般人のフリした屈強な兵士たちが九州 ..... 進次郎は稲川会の組長さんにご挨拶に行ったのだ。


















長崎市長射殺事件 安倍 - Google 検索

https://www.google.com/search?hl=ja&source=android-unknown&q=%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E9%95%B7%E5%B0%84%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6+%E5%AE%89%E5%80%8D&sa=X&ved=2ahUKEwjhwcmv4_3gAhUC57wKHQLGBS8Q1QIoA3oECA8QBA&biw=360&bih=492#ip=1




長崎市長射殺事件と安倍晋三と「水心会」(情報補足) (カマヤンの虚業日記) 天 ...
www.asyura2.com › senkyo33 › msg

2007/04/26 · [メモ][日本会議][つくる会][安倍 晋三]長崎市長射殺事件と日本会議 ... 2007/04/ 19 長崎市長銃撃事件で、警視庁も注目する安倍 ...





【安倍壺三(日本会議)と長崎市長銃撃犯人との黒いつながり】 ---(2ちゃんねると ...
2009/10/11

安倍・日本会議・NHK・統一協会・長崎市長射殺事件 スットン教 - 阿修羅
2009/09/01

長崎市長射殺:城尾容疑者、金子県知事も銃撃対象に。「市長か知事をやらんか ...
2007/05/05

長崎市長射殺事件と安倍首相秘書との『接点』」 あ+ - 阿修羅
2007/04/25

www.asyura2.com からの検索結果





長崎市長射殺事件と日本会議と安倍晋三 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの ...
d.hatena.ne.jp › kamayan › touch

2007/04/21 · [メモ][日本会議][つくる会][安倍 晋三]長崎市長射殺事件と日本 .... 伊藤市長銃撃事件で逮捕された城尾哲弥容疑者(59)と30 ...





長崎市長射殺事件 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org › wiki › 長崎...

この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 .... 安倍 晋三首相は、事件を受けて直後のインタビューで「 捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が ...

死亡者: 伊藤一長長崎市長

犯人: 暴力団幹部の男
場所: 長崎県長崎市

概要
政界の反応
各メディアの反応
事件後の動向
裁判
脚注


長崎市長射殺事件にも安倍晋三の影? - kojitakenの日記
https://kojitaken.hatenablog.com › entry

2009/03/15 · きまぐれな日々 長崎市長を射殺したテロの「真犯人」一部引用する。 時事通信は、城尾容疑者と30年来のつき合いという松尾 ...





安倍晋三と暗殺!伊藤長崎前市長・射殺/第一次安倍内閣当時!長崎市長の平和 ...
https://blog.goo.ne.jp › kimito39

2014/08/14 · 金子勝氏伊藤一長長崎市長 狙撃事件心肺停止-YouTube ... 者の伊藤一長市長が射殺されたのは第一次安倍内閣当時: 金子 ...





2007年4月17日長崎市長射殺事件発生。JR長崎駅近くの歩道で、長崎市 ...
https://blog.goo.ne.jp › takaomorimoto

2017/02/22 · 検証・長崎市長射殺事件―断て! ... 長崎市長を撃った犯人の城尾が所属していた「水心会」と安倍晋三の後援会「安晋会」の ...





安倍首相が激怒! | 山口一臣の「ダメだめ編集長日記」 - The JOURNAL
www.the-journal.jp › yamaguchi › post_15

記者:週刊誌の記事についてですが、長崎市長の銃撃事件について、総理の元秘書と、 ... ところが、その広告に、「長崎市長射殺犯と安倍首相の『 関係』」「長





崎市長射殺事件と安倍首相 ...

長崎市長射殺事件をどうしても安倍首相と結び付けたいらしい | きち@石根
https://ameblo.jp › disclo › entry...

2007/04/20 · 繋がったらなんでもあり. 安晋会と水心会. http://www3.diary .ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log= 20070420.



















首相激怒で異例の対応/週刊朝日、新聞に謝罪広告- 篠田博之の「週刊誌を読む」
www.tsukuru.co.jp › 2007/05 › post-48

2007/05/02 · 週刊朝日』の安倍首相謝罪問題である。 ... ところが同誌は広告では、これを「 長崎市長射殺事件と安部首相秘書との『接点』」、 ...







週刊朝日で安倍首相が長崎市長射殺事件の射殺犯と関係があるかの ...
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp › q...

朝日新聞(ちょうにちしんぶん)、テレビ朝日( てれびちょうにち)、週刊朝日(しゅうかんちょうにち)と読むことはご存知ですか? 朝日新聞を始めと ...





長崎市長射殺事件とは【城尾哲弥】 - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp › odai

長崎市長射殺事件(ながさきしちょうしゃさつじけん)は、2007年4月17日に伊藤一長長崎市長がJR長崎駅近くの歩道で山口組系暴力団幹部の男 ...





きまぐれな日々 長崎市長を射殺したテロの「真犯人」 - FC2
caprice.blog63.fc2.com › blog-entry-320

2007/04/20 · いくらなんでも、安倍晋三自身が長崎市長射殺事件に絡んでいたとまでは私も思わないが、伊藤市長を死に至らしめたものは何 ...





伊藤一長・長崎市長射殺事件とブット元首相暗殺事件 - きまぐれな日々
caprice.blog63.fc2.com › blog-entry-536

2007/12/28 · ひさびさに安倍晋三を正面切って批判した一昨日のエントリで、 ... 伊藤一長・ 長崎市長の射殺事件の衝撃は、当然ながら加藤 ...





長崎市長射殺事件、被告の無期懲役が確定へ :日本経済新聞
https://r.nikkei.com › article

2012/01/19 · 長崎市の伊藤一長前市長( 当時61)が2007年、市長選期間中に射殺された事件で殺人や公職選挙法違反(自由妨害)などの罪 ...





長崎市長銃殺事件 国策に従わぬ首長への脅し 殺し屋雇った背後勢力誰か | 長周新聞
https://www.chosyu-journal.jp › seijikeizai

2007/04/20 · 伊藤一長・長崎市長が選挙運動の最中に銃殺されるという事件が .... 小泉や安倍はアメリカに抱き込まれて、なんでもいいなり。





米軍利権に抵抗して暗殺された伊藤一長市長: STAND UP TO DATE!
leobabe.seesaa.net › article

2007/06/24 · 以前、長崎市長の暗殺に関して裏金問題と談合が暗殺の理由 ... [メモ][ 日本会議][つくる会][安倍晋三]長崎市長射殺事件 と日本 ...





長崎市長射殺事件から9年「憤り忘れられない」 - 産経WEST - 産経ニュース
https://www.sankei.com › news

2016/04/17 · 長崎市の伊藤一長前市長=当時(61)=が暴力団幹部に射殺された事件から丸9年の17日、現場近くのJR長崎 ...






週刊朝日との和解に関する安倍晋三事務所コメント
www.s-abe.jp › ...

2008/12/01 · 長崎市長の射殺事件をめぐり、 週刊朝日が2007年5月4日・11日合併増大号が安倍晋三総理(当時)や安倍事務所の秘書が ...





長崎市長射殺事件 | 日本凶悪事件史
jjiikkeenn.blog.fc2.com › blog-entry-48

長崎市長射殺事件(ながさきしちょうしゃさつじけん)は、2007年4月17日に伊藤一長長崎市長がJR長崎駅近くの歩道で山口組系暴力団幹部の男 ...






長崎市長射殺事件 銃弾に倒れた伊藤一長長崎…:乱射、銃撃、射殺事件 写真 ...
https://www.jiji.com › ...

長崎市長射殺事件 銃弾に倒れた伊藤一長長崎市長の死を悼み、銃撃された現場で手を合わせる女性(長崎市大黒町)






週刊朝日掲載記事
https://www.dai3.co.jp › times › news92

長崎市長射殺事件と安倍首相や元秘書とが「 関係」があるような記事や広告が「週刊朝日」に掲載されたことに対して安倍晋三首相が激怒したこと ...















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