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古寺巡礼コミュの楽土の道 京都亀岡 50番 穴太寺

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いまだ参詣していない寺ですが
京都府、楽土の道
(130)菩提山 
穴太寺(あなおうじ)
住 所 〠 621―0029 京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46
電話番号 電話 077―24―0809
本  尊 聖観世音菩薩
開 山 大伴古麿
創  建 慶雲2年(705)
アクセス JR亀岡駅下車 京阪京都交通バス穴太寺行き、もしくは、京都学園大学行、穴太口下車 徒歩10分
<寺歴・縁起> H/P ありません
天台宗 西国33所21番

 大伴古麿によって、慶雲2年(705)に建立された。本尊は、疫病退散に霊験があるという薬師如来である。。
薬師如来、聖観世音菩薩の2体を本尊とするようになった理由については、古くから伝説が語り継がれている。
 昔、丹波曽我部の郷、桑田郡に宇治宮成という神仏を信ぜず邪見無慚にして生死無常の理を知らぬ男がいた。それに引き換え慈悲柔和にして深く仏法を信じるその妻が、應和2年、京の都より感世という仏師を呼び、身の丈3尺3寸の聖観音像を刻んでもらう。ところが夫・宇治宮成は観音像を見ても一念慙愧の心なく、妻は仏師・感世に詫びとお礼に代えて夫の愛馬を差し出す。ところが宇治宮成はその馬が惜しくなり、下男を先回りさせ、大枝山増井の辺りで帰洛する仏師を弓矢で射殺し馬を取り返す。
 馬を厩舎につないでその観音像の前に立つと、仏師に放った白羽の矢が聖観音の像の胸に矢が刺さり、青蓮慈悲の眼に紅の涙を浮かべていた。宇治宮成は驚愕し、すぐさま矢を抜き懺悔して行いを改め仏門に入り、穴太寺に観音堂を建立し安置したという。仏師・感世は聖観音が身代わりとなって矢を受け無事に帰洛していた。
 そしてもう1つの伝説は、童話としても知られる、安寿と厨子王の伝説で、2人が山椒太夫に捕らえられ、焼け火箸で額を焼かれるが、傷口に仏像を当てると火傷が治り、代わりに仏像の額に傷跡が残った。
 安寿は厨子王を逃がすのだが、この時厨子王をかくまったのが穴太寺だった
という。そして後に、厨子王はこの仏像を穴太寺に奉納した。
本堂
 札所本尊聖観音を安置する。享保20年(1735)に建立。桁行5間・梁行5間、入母屋造、平入、本瓦葺、向拝5間。正面1間通りの外陣を吹放しとする。内陣は桁行3間・梁行3間、両脇1間通りを脇陣。
京都府文化財指定
現存の「本尊」、聖観世音菩薩は仏師定慶の作といわれており、秘仏であり通常直接の拝観は出来ない。
 先代の本尊、聖観音像は重要文化財に指定されていた仏像であるが、昭和43年に盗難に遭い行方不明になっており、未だ発見されていないらしい。この先代の観音像は、宇治宮成が仏門に入るきっかけとなった矢の突き刺さった聖観音像であるともいわれているようであるが、時代的に合わないともいう。
 本堂内陣の右側に鎌倉後期の作といわれている「釈迦涅槃像」がある。この像は「なで仏」としてよく知られており、悪病を治すという言い伝えがあり、多くの人に撫でられてきたようである。

仁王門           多宝塔
仁王門
 八脚門、入母屋造、本瓦葺、江戸時代初期に建立。門から境内を白壁の塀で囲む。



穴太寺観音絵巻
狩野永納筆 紙本著色 縦34.5Cm 横1253.2Cm
江戸時代 延宝4年(1676)
穴太とは穴穂の謂いで桑木のうろから稲穂が生えた故事によるところから名ずけられたと云う。当初の本尊は薬師如来であるこの絵巻物の詞書は同寺に伝わる宝穂2年(1450)書写の縁起を写したものである。創建については簡略に述べ、絵巻物大半は札所本尊である観音菩薩の身代わり譚に割く、この霊験は「今昔物語集」や「扶桑略記」にも収録され、古くより知られていた。絵巻によると寛弘7年(1010)当地の武者、宇治宮成の妻が仏師を招き聖観音を造立させた。仏師に多くの褒美と馬を与えて返したところ、宮成はこれを惜しみ大江山で射殺して馬を取り返した。邸に帰ると、観音様の胸に矢が突き立ち、馬は消えていた。又仏師は無事に帰宅していたという。宮成は改心し、観音様が穴太寺の薬師如来のもとで矢傷を癒したいと夢告した為、穴太寺に観音堂を設けたという。又承久年中(1219〜1221)には尊像を写した「新菩薩」を安置したとする。絵の各段には京狩野3世、狩野永納の印が押される。末尾に記された落款に延宝4年(1676)6月の年紀があり、制作年が知られる。穴太寺は同年火災にあっており、再興勧進の為制作されたのであろう。詞書きの筆者は寺伝では粟田宮二品親王とされる。粟田宮とは青蓮院門跡の事で、寛文13年(1673)二品に叙任した尊証法親王(1651〜1694)を指すと思われる。


西国33所 御詠歌ご朱印

法華経(観世音菩薩普門品)穴太寺蔵














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