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古寺巡礼コミュの清浄の道  13番 高野山 金剛峯寺

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大阪の小中学生は林間学校で2泊3日の高野山に上ることが多い学校が今もあるでしょう
その高野山です。奥ノ院には弘法大師様が眠って居られます
和歌山県、清浄の道
(13)高野山
金剛峯寺(こんごうぶじ)
住 所 〠 648―0294 和歌山県伊都郡高野町高野山132
電話番号 電話 0736―56―2014
本  尊 阿閦如来
開 山 弘法大師(空海)
創  建 弘仁7年(816)
アクセス 南海高野線 極楽橋乗り換えケーブル下車 
山内バス 千手院橋バス停下車2分
<寺歴・縁起> H/P  http://www.koyasan.or.jp/
高野山真言宗総本山 真言宗18本山18番 西国33所特別札所
神仏霊場 巡拝の道 第13番

 このお寺の場所は真然大徳(しんぜんだいとく)のご住坊があったところでした。天承元年(1131)10月17日には覺鑁(かくばん)上人が鳥羽上皇の勅許を得て小伝法院を建立され、その後の文禄2年(1593)には豊臣秀吉公が亡き母堂の菩提を弔うため、木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)に命じて建立されました。当時は、秀吉公の母堂の剃髪が納められたため、剃髪寺と名付けられたそうですが、のちにその名を青厳寺(せいがんじ)と呼び、応其上人の住坊となりました。その後は法印御房の住坊となり栄華を誇りましたが、再三の火災によって焼失し、現在の本殿は文久3年(1863)に再建されました。      
明治元年(1868)に行政官から青巌寺を金剛峯寺へ改号するよう指導されました。また、明治2年には古くからの高野山の管理制度を改めて総宰庁がおかれ、執政、副執政、参政、顧問、監司といった5役を設け、さらには隣接していた興山寺というお寺を庁舎として使用することになりました。その後、この二つのお寺は合併され、総本山金剛峯寺として現在に至っています。ちなみに、このお寺の住職は座主と呼ばれ、高野山真言宗管長が就任することになりました。 
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられ、東西30間(約60メートル)、南北約70メートルの主殿(しゅでん 本坊ともいう。重要文化財)をはじめ、座主居間、奥殿、別殿、新別殿、書院、
新書院、経蔵、鐘楼、真然堂、護摩堂、阿字観道場、茶室等の建物を備え、寺内(じない)には狩野派の襖絵や石庭などが設けられ、境内総坪数48,295坪の広大さと優美さを有しています。

総本山金剛峯寺という場合、高野山全体を指します。
普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内といいますが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。
「では、本堂はどこ?」という疑問がわいてくるでしょう。高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になります。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われます。
山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)といいます。
お大師さまの徳を慕い、高野山全体を大寺(だいじ 総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた小院のことです。現在では117ヶ寺が存在し、そのうち53ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供しています。

正門
 金剛峯寺前駐車場より境内に入って来るとき、最初にくぐられる門を正門といい、金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日まで建っています。右のほうを見ますと小さな入り口があります。
このくぐり戸は一般の僧侶がもっぱら使用しています。
昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけでした。
一般参拝の方はあまり関係のない話ですが、高野山では門の出入り一つでも、厳しいルールが存在したのです。

大玄関
 鐘楼を見て振り返りますと、囲いがされた入り口が見えます。ここは金剛峯寺の表玄関にあたるところで大玄関といいます。この門も、先の正門と同じく天皇・皇族や高野山重職だけが出入りされました。
大玄関をさらに通り過ぎますと、もう一つ玄関があります。これは小玄関と呼ばれ、高野山では上綱(じょうこう)職の方々がもっぱら使用されます。一般の僧侶はといいますと、昔は裏口より出入りましたが、現在は一般参詣入口を利用しています

金堂
 昭和元年(1926)に焼失後、昭和7年(1932)に再建された鉄筋コンクリート造の建築で、屋根は入母屋造である。本尊阿閦如来(あしゅくにょらい)像は高村光雲の作である。昭和元年(1926)の焼失時、堂内には旧本尊阿閦如来像(薬師如来と同体ともいう)をはじめ7体の仏像が安置されていたが、堂とともに焼失した。旧本尊像は公開されたことのない秘仏であったため、写真も残されておらず、どのような像であったかは永遠に不明となった。本尊の両脇に安置されていた6体の仏像(不動明王像など)については、焼失以前に
撮影された写真が残されており、作風から見て、空海の時代からあまり隔たらない9世紀頃に作られた密教像として、きわめて貴重なものであった。

根本大塔
金堂の右後方にある多宝塔(1階平面が方形、2階平面が円形の二重塔)。昭和12年(1937)、空海入定1,100年を記念して建てられたもので、鉄筋コンクリート造である。内部には中央に胎蔵界大日如来像、その四方に金剛界四仏を安置する。塔内の柱などに描かれた仏画は堂本印象の筆である。本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵界」の仏像と「金剛界」の仏像を一緒に安置するのは異例であるが、これは、両者は根本的には1つだという、空海の思想を表わしたものといい、「根本大塔」という建物名もこれに由来するという。

神仏霊場 ご朱印  高野山奥の院 ご朱印
高野山金剛峯寺にはその他国宝等の建造物や絵画、仏像など多く又この次の機会にと思います。

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