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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【広原盛明のつれづれ日記】 京都大学学生寄宿舎「吉田寮」をめぐる存廃問題の経緯と今後の行方について(3)

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建築家の努力によって吉田寮食堂棟が京都大学最古の建築物であることが明らかになった2019-02-27


今から振り返ってみると、大学側にはどうやら吉田寮の保存計画などまったく眼中になかったようだ。1997年から2001年にかけて発行された『京都大学百年史』全8冊の中で、大学キャンパス内の建築物について触れているのは『総説編』(第8章、京都大学キャンパスと建築の百年)であるが、各年代の本部、教室、実験室、図書館、病院などが詳しく取り上げられているのに対して、吉田寮に関する記述はほとんど皆無と言ってよい。勿論、学内の歴史的建造物のリストの中にも入っていない。

これは主として、第8章を担当した高橋康夫氏(建築学科教授、建築史)の執筆方針に基づくものであろうが、記述内容は全て各学部委員から成る編集委員会の総合的な検討を経ている以上、大学全体の価値観を反映していると言っても間違いないだろう。つまり、吉田寮は京都大学百年の歴史の中でもさほど重要な建築物とは位置づけられず、歴史的建造物として保存計画の対象にもなっていなかったのである。だから、学生部が学生厚生施設である老朽寄宿舎を新しく建て替えて近代化しようと考えても何ら不思議ではなく、むしろ当然の成り行きと言えた。2009年4月には大学側から「吉田南最南部地区再整備・基本方針(案)」が出され、食堂棟を取り壊して隣接地も含めた新棟(居住棟)の建設プランが提案された。

それでは、取り壊される予定だった食堂棟とはいったいどんな建物なのか。吉田寮には北寮・中寮・南陵の3居住棟の他にこれらを繋ぐ管理棟と食堂棟がある。食堂は寮生がこれまで長期間にわたり調理人を雇って自主運営していたが、給料の支払いなどで運営が苦しいことから調理人の公務員化が課題となり、一時は大学が臨時職員として採用したこともあったと聞く。しかし、1986年以降は調理人が配置転換されていなくなり食事が出されなくなった。それでも食堂棟は、広い空間を活用して吉田寮生によるイベントのほか、寮外生にも開かれた演劇や音楽活動などの場としてその後も使用されてきた。

大学側から食堂棟の取り壊し計画が明るみに出るに及んで、寮生たちの間には一気に警戒感が広がった。どのような切っ掛けで始まったのかは詳しく知らないが、民間設計事務所を主催する建築家・山根芳洋氏の協力で2012年2月に食堂棟の実測調査が実施され、食堂棟は1889(明治22)年に第三高等中学校寄宿舎の食堂として建設された建物が、1913(大正2)に吉田寮竣工に合わせて吉田寮の西隣に移築されて吉田寮食堂になったことが判明した。

事態が大きく動いたのは、その直後の2012年4月のことである。大学側が新棟建設と食堂棟の取り壊しを決定し、これらに関する交渉を行わないことを自治会に通告した。しかし「吉田寮食堂取り壊しに関する説明会」に参加した多くの寮生たちの間から食堂棟補修の要求の声が再度上がり、食堂棟以外の吉田寮全体についても補修を求める声が大きくなった。注目されるのは、食堂棟の実測調査の結果が明らかになる中で大学側の態度が変化し、決定通告をいったん撤回した上で新棟および食堂棟の処遇については自治会と大学当局との間で継続協議することになったことである。

事態はその後さらに大きく展開する。同年7月に行われた交渉では大学側が食堂棟の補修を認め、補修の大まかな方向性や確約案の検討を経て、9月に新棟建設・食堂棟補修などを合意した確約書が両者の間で締結された。その後、自治会と学生課及び担当副学長との間で補修についての協議が始まり、2014年4月から補修工事が着工され、2015年3月に竣工した。大きな間取りの変化はないが、腐朽した木材の入替、基礎の交換、耐震壁の導入などにより耐震性が向上したほか、ガス・水道・電気設備などが改修されたのである。

大学側と寮自治会の間で食堂棟の補修に関する合意が成立し、大掛かりな補修工事が行われたことは、吉田寮の歴史上画期的な出来事だった。だが、これらの補修工事は、大学当局と自治会の話し合いだけで実現したのではない。困難な合意が成立し補修工事が実施された背景には、建築家・山根芳洋氏をはじめとする幾多の人々の努力があり、これを評価する大学内部関係者からの有形無形の支援があったことを忘れるわけにはいかない。山根氏の調査によって、食堂棟が旧制三高寄宿舎の食堂棟を吉田寮現棟の竣工に併せて移築されたものであり、京都大学最古の建築物であることを判明したからである。

これを契機にして、吉田寮を明治・大正時代の歴史的建築資産と評価する声が建築専門家たちの中でも大きく広がっていった。2015年5月、日本建築学会近畿支部は京大の山極寿一総長宛に「京都大学吉田寮の保存活用に関する要望書」を提出し、同年11月には建築史学会が吉田寮現棟の保存活用を求める要望書を送付した。寮生たちがこれらの世論状況を積極的に受け止め、吉田寮の補修工事実現に向かって努力を重ねていれば、国立大学の歴史上前例のない成果を挙げることができたであろう。だが、このような社会の期待は、一部の心無い寮生の行為によって無残にも打ち砕かれた。それは、竣工後間もない食堂棟の内壁が見るに堪えない落書きによって汚されるという事件が発生したからである。(つづく)


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