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『山口県観光案内』コミュの西のお伊勢さま『山口大神宮』

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『山口大神宮』は、遠くて伊勢まで行くことができない西国の方のお参りする神社として、山口県山口市(県庁舎西隣)に鎮座しています。

山口大神宮は、永正17年(1520年)に、大内義興 が朝廷に奏聞して勅許を得、伊勢皇太神宮のご分霊を勧請して創建した神社です。

第30代 大内義興 は、永正5年(1508年)に山口に逃げてきた前将軍 足利義稙 を奉じて上洛し、以後「管領代」として10余年もの間幕政を執行し、将軍に代わって日本の政治を預かっていました。

義興は京都に滞在中、永正11年に伊勢の「皇大神宮」に参拝しました。 参拝した義興は、その森厳な神霊にうたれて、この太神宮を山口に勧請したいと思い、永正15年に、山口に帰るとすぐ皇大神宮を勧請する用意にとりかかりました。 義興は自らその社地を視察し、高嶺の東麓を境内地と決め、すぐに社殿建立の御作事始めを行いました。
そして永正16年11月に「外宮」が、翌17年4月に「内宮」が落成しました。 それで義興は 後柏原天皇 に太神宮勧請を奏聞し、勅許を得て同年6月29日に 伊勢神宮の神霊 を遷宮されました。

伊勢皇大神宮から直接御分霊を受けて、神宮が創建されたのは、明治になるまでは日本国中では実にこの『山口大神宮』のみでした。

後柏原天皇から「高嶺大神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額が授けられ、当時は「高嶺大神宮」「今伊勢」と呼ばれていました。

中世大内氏の神宮尊崇は言うに及ばず、江戸時代、毛利氏の時代となっても、領主の社領寄進、鳥居建立など、ますます太神宮を尊まれました。 江戸時代になって西日本各地から多くの参拝者が訪れるようになり、“西の御伊勢参り”とか“山口参宮”とか言われていました。 江戸時代の伊勢信仰のまごころは、山口大神宮の参道脇に建つ多くの「日参一万日成就」の石碑として残されています。


近年では、明治12年、35年に式年遷宮が行われましたが、その後は太平洋戦争のこともあり、昭和35年に造替、さらに平成12年に式年遷宮を行っています。

明治時代まで、伊勢神宮より神霊の勧請を受けた唯一の神宮である『山口大神宮』は、現在でも“西のお伊勢さま”として多くの参拝でにぎわっています。


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