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伊勢神宮125社コミュの元伊勢(もといせ)巡り・・

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コミュ内全体

■元伊勢は三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮内外両宮(皇大神宮・豊受大神宮)が伊勢へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所いいます。

伊勢内宮の祭神である天照大御神は皇祖神ですが崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられています。元来、皇居内に祀られていましたが崇神天皇はこの状態を畏怖し天皇は皇女である豊鋤入姫命にその神霊を託し倭国笠縫邑に移したことが始まりてす。また更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし垂仁天皇の第四皇女倭姫命がこれを引き継ぎ、約九十年をかけて現在地に遷座したと伝わっています。また外宮の祭神である豊受大御神は『止由気宮儀式帳』『倭姫命世記』によれば雄略天皇の時代に天照大御神の神託によって丹波国(丹後国)から遷座したと伝えられています。

皆さんがお詣りされていたら・・自由に書き込んで下さいね。。。

コメント(34)

倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)といわれる・・桜井市小夫です。

写真は『小夫天神社』『斎宮跡』です。
日本最古の道、山の辺の道沿いにある『志貴御県坐神社』です。

この境内は磯城瑞籬宮跡とよばれ第十代崇神天皇の皇居跡と伝えられています。

三輪山を背後に負い歌垣の伝えで名高い海柘榴市を脚下に控えて大和平野を見渡せる高地です。

東へは泊瀬道、伊勢を経て東国へ。南へは磐余道、飛鳥を通じて紀伊方面へ。

北へは山の辺の道、奈良、京を経て北陸、日本海方面へ。

西へは大和川の水運を利用して難波・瀬戸内海方面につながる交通の要所です。

古代大和王権発展の拠点であったともいえる所です。
ウィキペディアの『元伊勢』の項目順に参拝してます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E4%BC%8A%E5%8B%A2

こちらは西舞鶴駅最寄の
笑原神社(えはらじんじゃ)さんです。
無人の社にあった看板には

バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)
天平勝宝元年頃に創設されたと伝えられる古社。
祭神は天皇大神、豊受姫神、月夜見神。
合殿に清和天皇、宇多天皇が祀ってあり、かつては魚居社(まないのやしろ)とも呼ばれ、古代海部(あまべ)や、凡海連(おおしあまのむらじ)に関りをもつ。

城下町倶楽部
グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)

とありました。
おおきに・・ひぐらし師匠(^^) ほんまに助かります・・特に遠いところも宜しくお願いで(笑)

私も集めてた写真は一昨年にPC潰れて全て消えてしもた(^^汗
『元伊勢』の記述が色々あって良く分かりませんがあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)
豊鍬入姫命の巡歴だけは順番どおりお参りしたく思っています。
又よろしくお願い致します。
京都府福知山市大江町内宮に鎮座まします。
元伊勢内宮 皇大神社
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/motoisenaikuooe.html
御本殿 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
脇宮 左殿 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
   右殿 栲機千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
末社 熊野神社外八十社

由緒書から抜粋すると
『倭の笠縫村を出御され、先ず最初に丹波(たには・丹波)へ御遷幸、その御由緒により当社が創建されたと伝えられている。
皇大神は四年ののち御神跡(みあと)をおとどめなされて再び倭へおかえりになり・・・』
とのこと。

北近畿タンゴ鉄道・大江山口内宮駅下車徒歩20分程。
■飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ・あすかにますじんじゃ)
 飛鳥坐神社は式内社(名神大)で旧社格は村社です。もとは雷丘にあったといわれ『日本紀略』によれば天長六年(829年)神託により、鳥形山に移ったとされる。延喜式の式内社で延喜式神名帳には「飛鳥坐神社四座」と記されていて祭神は『大神分身類社鈔』事代主命・高照光姫命・木俣命・建御名方命、『五郡神社記』大己貴命・飛鳥三日女神・味鋤高彦神・事代主神、『社家縁起』事代主命・高照光姫命・建御名方命・下照姫命『出雲國造神賀詞』「賀夜奈流美乃御魂乃飛鳥乃神奈備爾坐天(賀夜奈流美の御魂の飛鳥の神奈備に坐て)」との記述があります。本殿や拝殿は近年、吉野の丹生川上神社上社から移築されたものです。境内には陰陽石(男性器を模した石が多く安置)が多数置かれ子授けの神、子宝・縁結び・商売繁盛のご利益があるといわれ信仰されています。寛永十七年(1640年)に高取城に入った高取藩初代藩主、植村家政は高取城の鬼門に当たる飛鳥坐神社を深く信仰していた。享保十年(1725年)火災により社殿の大半を焼失したが天明元年(1781年)に高取藩主、植村家利により再建されました。現在の社殿はこのときのものです。二月の第一日曜日に行われる、御田植神事(おんだ祭)は五穀豊穣・子孫繁栄を祈願し天狗とお多福による夫婦和合の所作が行われる奇祭としても知られています。
この神社境内に元伊勢とよばれる『奥の社』があり天照大神・豊受大神が祀られています。
奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708 飛鳥大仏より東へ徒歩三分。
 笠山三宝荒神社は三輪山の北東、笠山にある神社で初瀬寺の奥の院として信仰を受けた神社でもある。九万八千八百八躰の眷属と倶に三千年の昔より笠山の鷲ヶ峯に祀りて七袖七谷の峯谷(ぶこく)を神躰山とし、人々は入山する事なく、千古の大昔より大木生い繁る峯より大和平野を見下ろし、初瀬川から布留側に至る笠山の裾、山の辺の道に散在する社寺の三宝を守る神。祭神は陰陽の神、興津彦命(オキツヒコノミコト)・奥津姫命(オキツヒメノミコト)・土祖神(ハニオヤノカミ)を祀つる。荒神の功徳は火の用心・除災・福徳・人々の生活に密接な関係があり重要視される日本第一の荒神である。三大荒神とは、ここ笠山三宝荒神・兵庫県宝塚市の清荒神・奈良県野迫川村の立里荒神のことをいう。
 三宝荒神の信仰は修験道の役行者が金剛山で感得した六臂の荒神、仏・法・僧の三宝の守護神で悪人を罰し善人をたすける荒神であると告げたと伝わっている。また、東大寺建立の際に「伽藍を建てるなら荒神をまつれ」と荒神に告げられ良弁僧正が荒神の絵を祀った。その後、全国より伽藍建立の寄進が集まったと伝わっている。平安時代頃から信仰され、火は全てを焼き尽くすところから不浄をきらう荒神はカマドの神となり今も家庭の厨房に祀られる。。三宝荒神の姿は三面六臂・八面六臂の忿怒像で頭髪を逆立て、眼を吊り上げた憤怒の表情を示し、右手に独鈷(どっこ)・蓮華・宝塔を持つ、左手に鈴・宝珠・羯磨杵(かつましょ)を持つ。
■大和神社は日本書紀によると元々、倭大国魂神は天照大神とともに皇居内に祀られていましたが、崇神天皇は両神の神威を畏れ、崇神天皇六年九月、倭大国魂神を市磯邑に遷し、皇女「渟名城入姫」を斎主として祀らせた。その後、崇神天皇七年・淳名城入姫は髪が落ち、体は痩せて祭祀を続けることができなくなった。崇神天皇十二年・大倭直の祖、市磯長尾市を祭主として神地を定め創建した。当初の鎮座地は現在の鎮座地、東方の山麓であるとみられる。後に現在地に遷されたとしているが、遷座の時期ははっきりとしていない。一説には現在の長岳寺の位置であるともいわれる。朱鳥六年(692年)持統天皇は藤原京の造営にあたって伊勢・住吉・紀伊の神とともに、大和神社に奉幣し伺いを立てた。寛平九年(897年)には最高位である正一位の神階を授けた。延喜式神名帳に「大和国山辺郡、大和坐大国魂神社、三座」と記録され、名神大社に列して月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記されている。後に十六社・二十二社の一社となる。平安初期までに天照大神を祀る伊勢神宮に次ぐ広大な社領を得、朝廷の崇敬を受けながら隆盛した。平安京への遷都、藤原氏の隆盛などにより、大和神社は衰微し中世には社領を全て失っている。明治四年(1871年)官幣大社に列せられ、江戸時代には社殿は寺院様式に作り変えられていたが、官幣大社列格の際に新たに社殿を造営した。
■多坐弥志理都比古神社((おおにますみしりつひこじんじゃ)は田原本町多に位置する神社で太安万侶をはじめとする古代氏族多氏の根拠地と伝えられています。神社の祭神は『神武天皇』『神八井耳命』『神淳名川耳命(綏靖天皇)』『姫御神(玉依姫)』。この中の神八井耳命は多氏の祖といわれています。多坐弥志理都比古神社(多神社本殿)は東西に一間社が並ぶ四殿配置の形式であり東の第一殿が神武天皇・第二殿が神八井耳命・第三殿が神淳名川耳命・第四殿が姫御神を祀っています。また古書には『大社』『太社』『意富社』と記されています。
神八井耳を祀られていると言われているお社が お父さん神武天皇陵の北側の 山裾に あるのを ご存知ですかexclamation & question
名前は八幡さんでした。

元伊勢からハズレたコメントになっちゃいました。
いえいえ・・和女布さん(^^)

新しい発見おおきに〜・・近くやし(笑) 是非お詣りしてきます(^^)n

何せ・・八幡は 私のご先祖(源氏)はんの神社ですわ(笑)
■笠縫神社は崇神天皇が豊鍬入姫命に託して天照大御神を祀らせた倭の笠縫邑とされ、笠縫という名前の付いた神社が奈良県磯城郡田原本町秦庄の『秦楽寺』の境内の東の端に鎮座されてます。
竹野神社(たかのじんじゃ) 斎宮神社(いつきのみやじんじゃ)

丹後半島の西側、京都府竹野郡丹後町に鎮座するお宮さん。
神社の南側には国指定史跡神明山古墳が横たわり、『古代の里資料館』があります。

竹野神社さんの御祭神は
天照大神
摂社の斎宮神社さんは
日子坐王命(ひこいますきみのみこと)
建豊波豆良和気命(たけとよほづらわけのみこと)
竹野媛命(たかのひめのみこと)

竹野神社本殿の横にある小さいお宮が斎宮神社さんです。でも
“ここらでは摂社の斎宮神社のほうが崇敬を集めてまして 呼び名も
『さいくうさん』と呼ばれています。”とのことで立派な中門の扁額も
『斎宮神社』です。
籠神社(このじんじゃ) 古称は吉佐宮(よさみや)
天橋立の近くに鎮座なされ、丹後の一宮でもあります。
主祭神は
天照國照彦火明命(あまてるくにてるひほこあかりのみこと)
相殿には
豊受大神・天照大神・海神・天水分神(あまのみくまり)

御由緒書より抜粋
神代から奥宮眞名井原に豊受大神をお祭してきた宿縁で、十代崇神天皇の御世に
天照大神が大和国笠縫邑からおうつりになり、之を輿謝宮(吉佐宮)と申して
豊受大神と一緒にお祭いたしました。
その後、天照大神は十一代垂仁天皇の御世に、豊受大神は十二代雄略天皇の御世にそれぞれ伊勢にお移りになりました。
籠宮に奉仕する海部(あまべ)宮司家は丹波国造としての伝統を持ち、現あたる主は八十二代目にあたるとか。

ここ何年かお宮とその周辺の工事をしているらしく、春に伺ったときにもまだ表参道の前の道路が工事中でした。
お宮事態は綺麗に気持ちよく整えられていましたが、日本三景に鎮座されてるせいで
観光客が『観光』に来ているのがなんとも・・・あせあせ
眞名井神社(まないじんじゃ) 籠神社の奥宮
豊受大神・天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神・罔象女(みづはのめ)大神

本宮・籠神社さんは内宮さんで、奥宮の眞名井神社さんは下宮さんです。
本宮さんの裏から10分ほど歩いた所に鎮座され、入り口脇にはユースホステルがあります。

豊受大神をお祭する理由の一つになった『眞名井の水』という御神水が湧き出ています。
     (悪質ポリタン族が出没して御神水をガッポリ強奪していきます。むかっ(怒り))
あははっ・・『悪質ポリタン族』さんは何処にでもいてはるなぁ(^^)

マナーさえ守ってくれたらええねけどね(笑)
ミクシイページの元伊勢『桧原神社(ひばらじんじゃ)』です(^^)

http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=113682
元伊勢桧原神社『三つ鳥居を再建移築』・・

 今日は国民の祝日・文化の日。自由と平和を愛し、文化をすすめることを趣旨とした祝日。私も心の年神を迎える日、人生の年輪が一つ増えますが夜明けと共に大物主の祀られる大神神社から天照大神を祀る元伊勢・桧原神社へ、お礼の挨拶に早朝参拝しました。  

※この桧原神社の三つ鳥居が先の伊勢神宮式年遷宮にともない神宮より古材を頂き新しく建て替えられます。材料は神宮旧内宮玉垣の東御門の古材を拝領し三つ鳥居を再建移築されます。工事期間は11月1日〜11月下旬迄かかるそうです。
>>[21]
神々の気配、霊威を感じさせられる神社ですね。早朝の雨上がりのようですから、尚更、そう思えるのかも知れません。
>>[22] 伊勢神宮に行けないときは、必ずここにお詣りしてます。周りには崇神天皇・景行天皇と倭姫命ゆかりの天皇陵や卑弥呼の箸墓古墳などがあります。また、この桧原神社の拝殿は本社・大神神社と変わらないほどの大きさを持つ社だったそうですが、政治的な影響を受けたそうです。でも、それが幸いして、三つ鳥居を見ることができます(^^)v
蘇る元伊勢・桧原神社『三つ鳥居』・・

■工事期間が終わり11月下旬に蘇った三つ鳥居です。この桧原神社の三つ鳥居が先の伊勢神宮式年遷宮にともない、伊勢神宮より古材を頂き新しく建て替えられます。材料は神宮旧内宮玉垣の東御門の古材を拝領し三つ鳥居を再建移築されました。伊勢神宮式年遷宮が執り行われる20年後まで。この真新しい三つ鳥居が、お詣りに来られる皆さんを優しく出迎えてくれます。

また、倭姫命の杖を祀る神社のある三重県御杖村からボランティアとして、神社参道を整備して頂き明るくなった道を通られる皆さんに喜ばれてます・・感謝。

■大神神社(おおみわじんじゃ)摂社・檜原神社のページを同じく更新しました。
http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=113682
>>[24]  はるばる、宇陀郡御杖(みつえ)村から、ご奉仕に来られるのですね!
その昔、冬の三峰(みうね)山に登るため、大阪の悪友どもと、御杖村に行ったことがあります富士山

でも、その当時は、なぜ「御杖」なのか、考えも及ばなかったです。
吉野郡に近いから、きっと修験者の金剛杖に由来するんとちゃうかなどと、友人と談笑していたと思います(笑)
>>[25] 三峰山は四季を通じて楽しめる日本三百名山の一つですね・・私は下から眺めてましたが(^^) 御杖村には伊勢本街道が通っていて、その道沿いに位置するところに御杖神社があります。天照大神を祀る場所を探しながら旅をされていた倭姫が、候補地のしるしとして杖(御杖)を残したという伝承の地で村名の『御杖』はこの伝承に由来しています。
桧原神社『桜道』・・

 今日は磐余の里も晴天で、少し寒さは残ってますが三諸の神奈備(三輪山)の麓、元伊勢桧原神社のお詣りを兼ねて参道近く、この時期に咲いてくれる桜の見物に出かけました。見事なほど満開で、風が吹く度に花びらが舞って快いお詣りと花見が出来ました。【写真】三諸の神奈備(三輪山)天照大御神を祀る元伊勢・桧原神社近くに咲く河津桜(かわづざくら)です。
今日も多くの皆さんが大神神社から、日本最古の道、山の辺(へ)の道を通ってお詣りに来られてました。
>>[28] 河津桜、あでやかですね!
河津桜は、三浦半島など首都圏中心で、三重寄りの名所と言えば、せいぜい、渥美半島ぐらいだろうと思っていました(笑)
>>[29] 桧原に来られる皆さんに季節を感じて頂こうと、目の届くところに地主さんが数十年前に植えられてます(^^) ただ山手の参道を通らなくては見られませんが(笑)
新しい年の『元伊勢・桧原神社』・・
今日は天照大神が部分的に戸隠れされる部分日食が起こる日でしたが、生憎の曇り空見ることが出来ませんでした。そんな中、新しい年を迎えてのお詣りになりました。寒くても、本社の大神神社(おおみわじんじゃ)から日本最古の山の辺(へ)の道を歩かれて、お詣りに来られる皆さんが多く、流石、元伊勢桧原神社です。また、大阪から来られた年配の女性のお方ですが、多くの手荷物を持ちながら、山の辺の道を歩いてお詣りに来られたのには驚きです。

正月と言うことで、新年に似合う万葉集です。

万葉集第十九 四二八四 道祖王(ふなどおう)
【原】新 年始尓 思共 伊牟礼氏乎礼婆 宇礼之久母安流可
【読】新(あらた)しき 年の初めに 思ふどち い群れて居(を)れば 嬉しくもあるか
【訳】新しい年の初めに こうして気心の知れた仲間たちと集い 宴ができるというのは嬉しいことです。
>>[31] その昔…、大神神社にお参りした折、元伊勢を訪ねるつもりが、三輪山登山口の神社に出てしまいましたね。
 まだ、ネットが普及する前ですから、現在地さえも釈然とせず、「ご神水」二本を頂いて、あっさりと引き上げました(^^
 それ以来、いまだに檜原神社を訪ねる機会がありません。


三輪は古来より、交通の結節点ですから、いつの日か、街道歩きの機会を見つけて、元伊勢にも立ち寄りたいものです…。

写真は、奈良の旅籠「けさや」の街道絵図です。
「なら」から「一の本(櫟本)」「たんバ市(天理)」を経て「みわ」に達します。
「みわ」で、長谷、榛原への街道、桜井、多武峰への街道、吉野川への街道が、分岐しています。
 
>>[32] お疲れ様です(^^)
何時も新しく蘇る別宮をはじめ、摂社末社所管所などの姿を見せて頂き感謝してます。有り難いことですが、無理をなさらぬ程度で投稿して下さいね。
なるほど、山の辺の道を右折されて狭井坐大神荒魂神社にお詣りされましたか、道が細くなって間違いやすいところでもあります。この神社から20〜30分ほどで桧原神社に行くことが出来ます。

また、このような街道絵図が存在してるんですね。私の通う歯科医の先生は朝早くから大和桜井市から奈良市までの山の辺の道を歩かれてる強者です。帰りはJR奈良から帰ってこられますが(笑) のんびりと日本神話の道、山の辺の道を歩いて桧原神社まで歩かれるのも楽しいと思います。昨年まで毎年ボランティアでゴミ掃除をしてました。

桜井市三輪の金屋には第十代崇神天皇の皇居跡があり、この地で大物主大神と天照大御神の二柱を祀られてました。三輪山を背後に負い歌垣の伝えで名高い海柘榴市を脚下に控えて大和平野を見渡せる高地です。東へは泊瀬道、伊勢を経て東国へ。南へは磐余道、飛鳥を通じて紀伊方面へ。北へは山の辺の道、奈良、京を経て北陸、日本海方面へ。西へは大和川の水運を利用して難波・瀬戸内海方面につながる交通の要所です。古代大和王権発展の拠点であったともいえる所です。
>>[33]
こちらこそ、このコミュの存在に感謝して居ります。
また、ご配慮いただきまして、ありがとうございます。

このところ、百二十五社参りの時間を、捻出しにくくなってきましたが、ウォーキング自体は30kmぐらいなら、さほど苦になりません。

「徒歩(かち)は楽し」です。

最近はやりの100km歩け大会ともなりますと…、もし脚力があっても、体幹(腸腰筋など)が弱くなっていますので、70kmほど歩こうものなら、腰が抜けて上半身を支えきれなくなりそうです(笑)

絵図は、雑誌「大和路ならら(平成29年7月号)」に載っていました。奈良県立図書情報館で所蔵していると思います。

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