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俺は日本男児だ!!コミュの山口二矢烈士を語ろう

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山口二矢(ヤマグチ オトヤ)…信念貫き、僅か17年の短い生涯を遂げた憂國の士。



時は1960年10月12日、東京日比谷公会堂にて、社会党の浅沼稲次郎委員長が壇上で演説中に、学生服の上に作業着を羽織った一人の右翼少年により刺殺された、享年61歳。



日本赤化を目論む社会党の指導的立場にあり、安保反対闘争の学生やデモ隊を実質扇動指揮した浅沼委員長。(警察側との争乱の末、デモ学生側に死者も出た)


また、浅沼委員長は訪中した際、「米帝は日中国民共通の敵」などと戯言を述べ、日本帰国時には人民服姿といういでたち。


共産主義革命の風がにじり寄る中、反安保デモが熱を増し米国大統領が来日を断念。
この時、岸 信介首相(当時)は、「我が国は国際的信用を失った」と発言。



上記やその他諸々の思想の違いなどに依り、義心に燃えた若者が、諸悪の根源浅沼委員長討つべし!との強い志しを抱くに至った。


結果若者は、後に三党の党首大演説会が開かれていた日比谷公会堂へ単身乗り込み、義挙(注1)に及んだ。


若者の名は…山口二矢。



平時に於いては哲学的思考にも長け、知性が伺い知れる程に礼儀正しい山口烈士であったが、この日は壇上に踊り出るなり、演説中の浅沼委員長の脇腹をいきなり短刀で深く刺し、更に攻撃を加える(写真)。



複数の刑事や係員に取り押さえられた山口烈士は、その場で自決すべく自らの腹に向けた短刀を振り上げたが、止めに入った刑事が素手で刃を握りしめた。


短刀を無理に引き抜けば引き抜けたが、刑事の指は切断される事になる。

山口烈士はその刑事の目を見てその場での自決を断念し、短刀の柄から静かに手を離した。




取り調べで山口烈士は、「自分の行動は大義であり、後悔はしていない!
…だが一人の人命を奪った事は、償わねばならない。」
そう話したという。



その言葉を裏付けるかのように、事件翌月の11月2日、収容先の鑑別所内にて支給された歯磨き粉を用い、壁に『七生報國(注2) 天皇陛下万歳』と書き遺し(写真)、山口二矢烈士は潔く自決した。


享年17歳…花も蕾(ツボミ)の17歳である!!




法治国家である以上、時代背景を考察しても、彼の行動を法に照らせば犯罪である事は否めない。


しかし、彼の行動は決して乱心などではなく、義挙である!

日本の行く末を真剣に憂い、正義感に燃え、日本を赤化から守るべく、命を賭して社会主義と対峙し、信念を貫き通した男子。

大義の為とは言え、人命を奪った事に対し潔く自ら命を絶つ、…【日本男児】とはかく在りたいもの。


彼を非難する事など、俺ごときには到底出来ない。


山口二矢烈士(注3)がもし生きていたなら、現在68才。
現代の政治を、そして若者達をどう見ていただろうか?



事の善し悪しは別にして、山口二矢烈士の純粋且つ崇高な魂だけは、永く後世に語り継がれて貰いたいと…そう願わずにはいられない。



          健

{参考文献}
[山口二矢供述調書]
[テロルの決算]

{参考講話}
大原康男 国学院大學教授



権門(ケンモン) 上(カミ)に傲(オゴ)れども、國を憂ふる誠なし。
財閥 富を誇れども、社稷(シャショク)を念(オモ)ふ心なし。



{添付写真は、芝居などではなく、実際のものです。}



【注釈】
注1(正義の為に起こす行動)

注2(七度生まれ変わっても国の為に尽くす)

注3(烈士…信念貫く立派な男)

権門→(権勢有る家柄・人物)

社稷→(国家)

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