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反共産主義コミュの『中国共産党政権下において行われたことなど』

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下記は、中国共産党政権下において行われたことです(参考に…)。『毛沢東の文革大虐殺』、宋永毅=編、松田州二=訳、原書房、2006年、267p〜269pより、抜粋。

罪悪と無恥
 (1)金儲けのために人殺しをした無頼漢
 その男の名は胡茂昌と言った。
 胡茂昌は目に一丁字もない男であり、食いしん坊の怠け者である上に手癖も悪く、周りの人からばかにされていた。殺人の嵐が吹き荒れたときも、生産大隊では胡茂昌を死刑執行者の頭数には加えていなかった。しかし胡茂昌はじっとしてはいなかった。自分も人殺しに行くとわめき、結局誰もそれを止めることができなかった。階級の敵を殺すという人間をどうして引き止めることなどできようか、というわけだった。しかし胡茂昌はなぜそこまで人殺しをしたいと考えたのだろうか。一つは、当時、人を殺したい、殺して殺して殺しまくりたいという衝動がしきりに起こったということがあり、もう一つは、人を殺せば補助金が出るので、すっからかんの貧乏人だった胡茂昌としてはその機会を逃す手はないと考えたからである。
 胡茂昌が所属していた生産大隊の「貧農・下層中農最高裁判所」が四類分子とその子女合わせて二十一人に死刑の判決を下すと、さっそく胡茂昌が「一人は俺が片付ける」と名乗りを上げた。そして「死刑囚の一味」が山に連れて行かれていざ処刑という段になったにもかかわらず、やはり手を下せないと言ってみんなが尻込みしていたちょうどそのとき、胡茂昌が一歩前に出て胸を叩きながら「何をびびってるんだ。見ていろ」と言い、民兵の一人から軍刀を奪って振り上げると、まばたき一つせずに一気に七人を斬り倒した。八人目になると軍刀の切れ味が落ちた。刃が曲がってしまったのである。胡茂昌はちぇっと口汚く罵りながら、鋤で土を掘り起こすときのようなやり方で八人目の首を強引にえぐり落とした。胡茂昌は全身に返り血を浴び、髪の毛にも血糊がべっとりとついていた。殺人を終えた胡茂昌は凱旋した英雄にでもなったかのように、時代劇に出てくる首切り役人の真似をして、まだ血の滴っている軍刀を頭よりも高く掲げ、どうだと言わんばかりに周りの者たちにその勇姿を見せつけた。たちまち周りからやんやの大喝采を博した。このとき、残りの十三人もすでに別の民兵たちに斬り殺されていた。胡茂昌は、転がっている首の一つを軍刀の切っ先で突き刺し、それを高く掲げて振り回したいという気が起こったが、結局そうすることをせず、辺りをぐるりと見回した。まだ何か物足りないような気がしていたが、そうだ、殺された者には子供も何人かいたはずだと思いついた。そこで、その場にいた生産大隊党支部書記に提案し、どこどこの家にいる三人のガキもいっしょに片付けてしまおうと言った。生産大隊書記の方才は、胡茂昌の振る舞いにすっかり圧倒されていた。胡茂昌にこれほどの器量があるとは思ってもいなかったのである。胡茂昌は方才の答えを待つより先に、先頭を切って村に戻った。その家にやってくると、ドアを開けた総領がどなたですかと声を掛ける間もなく、頭ごなしに一喝したかと思うとすぐ殺してしまった。二番目の子供が驚いて逃げ出そうとするところをつかまえて持ち上げ、力任せに投げつけてこれも殺した。胡茂昌が最後の一人を揺りかごの中から掴み出して型どおりに処理しようとしたとき、子供たちの祖母(実家の出身階級は良い方であり、また生産大隊の主たる責任者とも親戚関係にあったので、殺されないことに決まっていた−−筆者註)が、びっこをひきながらも、雛を守ろうとする雌鳥のように飛びかかり、死にものぐるいで小さい孫を引っ張って放さなかった。胡茂昌はかんかんに腹を立て、全身の力を込めて老婆を突き飛ばし、子供の小さな両脚を掴んで力任せに地面に叩きつけた。甲高い悲鳴が轟く中、青筋のふくれあがった胡茂昌のすね一面に、赤い色や白い色をした脳みそがはね上がった。
 その日一日で、胡茂昌は殺人の手数料五十五元を手に入れた。それは胡茂昌が前年の末に受け取った生産大隊の配当より多い金額だった。当時道県では、一人殺すとふつう二、三元か或いは穀物五キロというようにその報酬はまちまちだったが、胡茂昌のいた生産大隊の経済状態はいくぶん良好だったようで、それで一人につき五元も出たのである。

同じく、下記は、『毛沢東の文革大虐殺』、宋永毅=編、松田州二=訳、原書房、2006年、368p〜369pより、抜粋。

 本書に収めた湖南省道県の大虐殺、北京大興県の惨殺事件、広西チワン族自治区の四・二二派虐殺事件や同自治区賓陽県の虐殺事件、青海二・二三事件、雲南省沙旬村の事件、そして内人党大虐殺事件(北京大紅羅廠南小路二十号惨殺事件は、一つの家庭に降り掛かった災難ではあるが、一九六六年の北京の赤い八月におけるテロの残虐行為を伝えている)は、文革中に発生した一般的な粛清運動と比べてみた場合、次のような特徴を呈していることが分かる。
 (一)短い時間内に集中的におこなわれている。内人党虐殺事件(一般的な粛清運動が極端に拡大したもの)が一年半続いたことを除くと、二か月を超えないものが多く(道県の事件、広西四・二二派事件)、賓陽県の事件、大興県の事件、沙旬村の事件、青海二・二三事件は、いずれも発生して数日以内に収束している。きわめて短い時間の中で、場所によっては一日に百数十人というような大規模な殺人がおこなわれたのである。これは完全に「集団虐殺」の性質を呈しており、中共(引用者注・中国共産党)のこれまでの政治運動でもまれに見るものである。
 (二)殺人の方法がきわめて野蛮である。道県、賓陽県、大興県、内人党、四・二二などの事件では、いずれもリンチや残虐な体刑といった、暴徒がその凶暴性を発揮した性質の手段が用いられ、如何なる法律執行の形式も採られていない。刀で叩き斬る、棒で殴り殺す、縄で絞め殺す、石で叩き殺す、火であぶり殺す、溺死させる、強姦してから殺す、井戸に投げ込む、四肢をばらばらにする、首を切り落とす……など、ありとあらゆる手段が使われたが、とりわけ内モンゴルでは三十六種類の拷問がおこなわれたという記録があり、また資料によっては「数百種の超ファッショ的な」拷問手段があったという。さらに広西チワン族自治区では、「階級の敵」を殺害したあとその皮を剥ぎ取って煮て食うことまでした。

また、下記は、『新中国人』、ニコラス・クリストフ&シェリル・ウーダン=著、伊藤正&伊藤由紀子=訳、新潮社、1996年、86p〜87pおよび89pより、抜粋。

 それらの文書によれば、一九六〇年代後半、広西チワン族自治区の複数の町と村で、少なくとも百三十七人、恐らくは数百人以上の人肉が食べられた。大勢で一つの遺体を分かち食べることが多かったので、人肉を食した人は数千人に上るかもしれない。これは過去一世紀ないしそれ以上の間に世界で起こったカニバリズム事件の中で、最大規模の一つに違いない。これまでのカニバリズムは、飢餓を満たすことが動機だったり、精神的障害が原因だったりしたものが大半だったが、このケースは、それとは異なる特徴があった。
 つまり、イデオロギー的に強制されたものだったのである。そこでのカニバリズムは公の場で行われ、しばしば共産党の当局者が組織した。そして人々は彼らの革命的情熱を証明するため、皆が一緒になって夢中になった。ある学校で、校長の死体の肉を最初にはぎ取り口にしたのは、校長の息子のかつてのガールフレンドだった。彼女はそうすることで、校長に何の同情も抱いていないことを示し、自分も他人に負けないほど「革命的」であることを訴えようとしたのだった。幾つかの中学校では、生徒たちが校庭で校長や教師らを惨殺してからあぶり焼きにし、「反革命分子」への勝利を祝って、皆でその肉を食べた。国営の食堂では食肉用の引っ掛けかぎに、人の死体がつるされており、人肉が政府の雇員に食用に供されたという。
 私が手にした文書は一九八〇年代に、地方当局が作成したもので、数々の残虐行為を書き記し、批判を加えている。以下に紹介するのは、広西チワン族自治区に関する記述の一ページ分から抜粋したものだ。

 上思県の上思初級中学で、プロレタリア独裁の大衆集会が開かれ、幹部を含む十二人が公開の場で殺された。死体の幾つかから肝臓が引き出され、県政府の食堂に運ばれた。県および人民公社の幹部もこれに参加した。
 同じ上思県の思陽人民公社で、県の軍事局長が和星村に行き、仲間とともに雁雄(トン・イエンション)を殺して、その肝臓を取り出し茹(ゆ)でて食べた。局長は人間の肝臓を食べると勇敢になれると言って、皆に食べるようけしかけた。翌日局長は、さらに四人を殺させて肝臓を取り出し、二、三の生産隊にそれを分配、「プロレタリア独裁」とはこういうものだと誇示した。
 …中略…

 これまで中国共産党がその罪悪を問われずに切り抜けてきたのは、歴史を思うままに支配してきたためだった。一九五〇年代末から六〇年代初め(引用者注・大躍進政策時)の大飢饉は「三年の自然災害」と命名されたが、これでは洪水や干ばつが原因で、毛沢東の誤りではなかったとの印象を与える。…

そして、下記は、『人禍』、丁抒=著、森幹夫=訳、学陽書房、1991年、122p〜123pより、抜粋。これは、毛沢東主導の中国共産党政権下、大躍進政策時に行われたことです。

 甘粛省だけを例にとってみても、一九五八年に岷県から澆河の水をせきとめて数百キロも離れた慶陽県まで水を引くことが決定されると、河の沿岸の各県では二、三万の強壮な労働力を動員して、この巨大な工事に投入した。ところが、この工事は党幹部の単なる思いつきの産物で、専門家による設計を経ていなかった。そのため、六一年になって工事は結局失敗に終わった。
 その間、過労死、餓死、圧死、病死した者や、苦しい労働に耐えきれずに逃げ出したが捕まってつれ戻され、?黒屋子?〔暗い部屋で食事や水なども与えられず、外界と隔離されて放置された〕にとじこめられたまま餓死した者は、数えきれないほどであった。工事現場の沿道の近くの大きな穴の中にだけでも、数千という動員された農民たちの遺骨が散乱していた。

さらに、下記は、『中国がひた隠す毛沢東の真実』、北海閑人=著、廖建龍=訳、草思社、2005年、298pより、抜粋。

 一九七八年十二月十三日、中共(引用者注・中国共産党)中央副主席・葉剣英元帥は、中央工作会議の閉幕式の席上で「十年間の文化大革命では二千万人が死に、一億人がひどい目にあった。全人口の九分の一を占める人数だ。そして八千億人民元が浪費された」と、沈痛な面持ちで語った。
 一九八一年六月、中共(引用者注・中国共産党)中央総書記・胡耀邦は例の『歴史決議』草案を討議する会議報告の中で「一九五九年から六二年の期間中(引用者注・大躍進政策時)に、党全体の活動の失敗により困難な情況に陥り、全国で二千二百万人が?非正常死亡?〔政治的迫害や執政の失敗による死亡〕した」と率直に認めた。

再び、『人禍』、丁抒=著、森幹夫=訳、学陽書房、1991年、275p〜276pより、抜粋。

 …マルクス・レーニンの教義によれば、共産党がその主張を実現するには暴力革命によって政権を奪取する以外に道はなく、毛沢東もこれ以外にはないと確信していた。…
 …中略…

 一年前にモスクワで講演したとき、毛沢東はこう語っている。「中国人は平和愛好者だなどと言う者がいる。だが、それは正しくない。中国人は闘争を好んでいる。われわれの考えでは、世界の人口の半数を犠牲にしても、資本主義を消滅させ、社会主義がこれにとって代わり……」
 通常兵器では世界の人口の半数を消滅させることはできない。毛沢東の言葉は明らかに、核兵器を使用して世界の半分を消滅させ、資本主義を葬り去ることを意味していたのである。

最後に、下記は、『中国が戦争を始める』、米陸軍大学戦略研究所=編、冨山泰&渡辺孝=訳、恒文社21、2002年、94pより、抜粋。

 中国指導者が自国の利益確保のため過去五十年にわたり一貫して武力を行使してきたことは、歴史が示している。
 中国と外国の軍事紛争のデータを調べた最近の調査によると、中国は一九四九〜九二年に、実に百十八回も武力に訴えた。そして、エバン・ファイゲンボームが指摘するように、「一九四九年以降、三つの動機が中国を武力行使に駆り立ててきたことを事実上すべての証拠が示している。その三つとは、主要な領土をめぐる主権の主張、国境紛争、東アジアのバランス・オブ・パワーと関係する戦略的考慮である」

〔注〕ちなみに、中国人の研究者の中には、文化大革命の犠牲者数を二百万人だとする者もいて、「一九七八年十二月十三日、中共中央副主席・葉剣英元帥は、中央工作会議の閉幕式の席上で、十年間の文化大革命では二千万人が死に、一億人がひどい目にあった。…」という数字を、無視しているようにも思われます。もしかすると、同じ中国人が、それだけの同胞を殺戮したことを認めたくないという、心理的抵抗が強く働いているのかも知れません。

コメント(14)

gさんに賛同します。共産党を倒す為に皆で頑張りましょう。
毛沢東亡きあと、開放政策き出たが欺瞞でしかなかった。1989年、自由を求める民衆を虐殺した天安門事件の様子。
台湾の中華民国で行われた追伸大会。


自由を守る台湾の中華民国と青天白日満地紅旗
中華思想と共産主義、思いつく限りで最悪の組み合わせですね…
最近中国の広州で暴動が起こりましたがこの先どうなるんでしょうか?
都市部と地方の格差が革命的に拡がってかつてのルーマニアのような民衆蜂起がおこる可能性も否めない気がする。
外国人(支那人 韓国人)が日本の土地を購入出来ないように日本政府は規制しろ!
税金泥棒のバカども政治屋と官僚は、外国人が日本の土地を買い漁っているのを何故 規制せず野放しにしているのか?
http://blog.livedoor.jp/matrix_zero1/archives/2122571.html

中国や韓国などの外国人による日本の土地買収が大規模に進行している
過疎や少子高齢化で人口減少が著しい地方や離島ほど、狙われやすい傾向に

一度買われると買い戻しは困難
中国人が日本領土爆買い「北海道は中国32番目の省になる」
多くの国が外国人の土地所有規制するが日本では野放し状態
「日本は腐っても鯛」だから中国は日本の土地不動産買い漁る

http://bit.ly/2AIQW9h 

中韓の「日本買収」が止まらない これは武器を持たない戦争

今、「外国人による土地買収」という“日本領土侵食”が大規模に進行している。その主役は中国と韓国だ。外国人の土地買収自体は合法だが、自衛隊施設や在日米軍基地に隣接する土地が買収されるケースも多い。

 この問題に詳しい産経新聞編集委員の宮本雅史氏は、「世界の多くの国では、外国人による土地所有を基本的に『不可』とするほか、認める場合も地区を限定するなど厳しく制限している。それなのに、日本は野放し状態で、一度買われた土地を買い戻すのは困難だ」と警鐘を鳴らす。

 以下に示す通り、過疎や少子高齢化で人口減少が著しい地方や離島ほど、狙われやすい傾向がある。外国人による土地買収は、「武器を持たない戦争」なのである。

【北海道】 
中国をはじめとする外国資本による広大な森林、農地、ゴルフ場などの不動産買収が進み、その規模は森林だけで東京ドーム515個分の2411haに及ぶ(北海道庁調べ)。このままでは北海道全域が「虫食い状態」になる恐れがある。

■土地買収と中国語教育が進行中
 中国系企業が進出する釧路・白糠工業団地では中国と関係があるとされる日本企業が発電施設建設の名目で1.3haの土地を買収。白糠町の小中高では中国語・文化の教育が盛ん。

■中国企業の「撮影所」計画
 札幌市・宮の森で高級マンションを手がける中国系不動産会社の親会社「海潤メディアグループ」が、同市内に大規模な撮影所建設を計画中。

■大学が“中国化”する?
 中国との深い関係が指摘される学校法人「京都育英館」が、苫小牧駒澤大学の経営権や15haにも及ぶ敷地などの取得を進めている。

【新潟・佐渡】 
 中国総領事館の移転問題で揺れた新潟市。佐渡島では留学生や観光客の受け入れ、農業の連携先などとして中国との関係強化が図られており、経済的に疲弊する国境の離島に中国の影がちらつく。

■「治外法権」恒久化の恐れ
 在新潟中国総領事館が移転用地として2012年に取得に動いた新潟市内の土地は約1万5000平方メートル。2017年末現在、移転は行われず土地は野ざらしのままだ。

■中国人留学生の「受け皿」
 2016年4月、中国と関係の深い人物が、中国人留学生らに佐渡の文化や日本語を教える日本語学校を佐渡島に開校。施設はタダ同然で取得した。

【対馬】 
 朝鮮半島情勢が緊迫化する中、国境の島「対馬」では韓国人観光客がさらに増え、不動産などの買収にも拍車がかかる。有事の際に避難民が押し寄せる懸念もあり、地元島民からは「もはや韓国領」との声すら挙がる

■旧日本軍の軍港周辺を買い占め
 かつて海軍の施設が置かれ、自衛隊の対馬防備隊本部のある竹敷地区周辺を韓国資本が買収し、ホテルやロッジ、民宿など数十軒を営業中。

■「対馬はもともと韓国領」?
 2012年には15万人だった韓国人客が2017年には30万人(人口の10倍)まで急増。現地韓国人ガイドは「対馬はもともと韓国領」と偽りの説明をしている

■中国人もやって来る
 対馬の表玄関・厳原港では大規模な改修工事が進む。将来は大型客船の停泊も見込んでおり、一度に数千人単位の中国人客が大挙する可能性も。

沖縄でも中国による土地買収が激しさを増している


■中国政府系団体が広大な土地購入
「中国老齢事業発展基金会」の関係団体が、沖縄県南城市で約4300平方メートルの土地を購入(2016年3月)。基金会は同地に中国人向け介護技術訓練センターを開設予定

■海保の航空基地近くの山林を購入 海上保安庁の航空基地がある鹿児島空港。その近くの山林285haを中国系企業がゴルフ場用地として2011年2月に購入した。


武漢ウィルスの一番の戦犯は中国共産党。
すなわち共産主義は世界の敵。
世界から「共産党」が消えたら世界は平和になる。

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