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論理学の素朴な疑問コミュの知識について

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三浦俊彦「論理パラドクス」二見書房 2002.10.25
の115ページ、問題057について疑問に思ったことがあります。

問題文は次のとおりです。
「あなたは、次のことを知っているだろうか。
『123+10094=10217』
いつから知っていたのだろうか。」

この問いに対し、筆者の三浦さん自身は、「足し算を習った瞬間」と答えています。つまり、前提知識があり、解答を導き出す能力を得ていさえすれば、その答えを知っていることになる、とのことでした。

僕はこの説明に納得がいきません。例えば、アインシュタインは光速度不変の法則などの諸法則を知った時点で、相対性理論を知ったといえるでしょうか。あるいは、シャーロック・ホームズは証拠がすべて出揃った時点で犯人を知ったといえるでしょうか。もっと卑近な例を挙げるなら、我々は完全な公理系を知った時点で、ド・モルガンの法則もまた知ってしまったのでしょうか。

みなさんのご意見をお聞かせください。

コメント(3)

> ワイネフさん
返信ありがとうございました。クワインという人の説だったんですね。
ワイネフさんの解説を読んでみて思ったのは、「結局、言葉の定義の問題なのでは?」ということです。確かに、足し算を習った時点で、未経験の無限の足し算に答える用意ができたといえます。しかしそのことを指して「知った」といってしまっていいのかな、と僕は思ったわけです。
どうやらクワインは、知識という単語の意味というよりも、「情報は頭の中の引き出しに納められる」という現象に関する考え方に対して異議を唱えているようですね。その本は読んでいませんが、ワイネフさんの解説からそう感じました。
クワインの母語ではどうかわかりませんが、少なくとも日本語では、足し算ができるからといって、未経験の足し算の答えを「知っている」とは表現しない気がします(「知る」という単語がそこまで強くない)。ですがこれはある単語にどこまでの意味を担わせるかの違いであって、クワインの主張と相容れないものではないようですね(クワインのいう認識のプロセスを「クワ知る」とでも名付ければ解決)。

いろいろ考えることができて楽しかったです。ありがとうございました。
『知識の哲学』は僕もいつか読みたいなと思っています。

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