ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

堀江史朗先生を敬うコミュコミュの堀江史朗先生略歴(前半)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
〜堀江史朗先生、略歴〜

大正2年6月24日 兵庫県西宮市に5人兄弟の4番目としてお生まれになる。
              ご長男様は日本の盲聾教育の先駆者の東北大教授、
              ご次男様は府立3中在学中に急逝、
              お姉様は放送作家、弟様は京都大名誉教授(建築学) 

昭和6年3月    京都府立第一中学卒業(現在の京都洛北高校)
              (当時日本一天才の集まる進学校と言われる。
              親友の神林吾朗(文芸春秋社会長)さんはバスケット部の1年後輩だった)

昭和9年3月    大阪商科大学(現在の大阪市立大)ご卒業。

昭和9年4月    NHK大阪放送局・料金科 入局。

昭和10年     京都放送局転属。
             当時国内では、「映画放送劇」「舞台放送劇」「歌舞伎放送劇」など、既成の演劇
             のラジオ化が行われるのみで、ラジオドラマという概念がなかった。
             京都放送局でも、マキノシネマ、日活、JO(後の東宝)が制作する時代劇映画を、
             ラジオ向けに直して放送するのみだった。

             堀江先生は、京都大学の英米演劇研究家・山本修二先生を訪ね、英国・BBCの
             プロデューサー、ランス・シーヴキング著『スタッフオブレイディオ』というラジオドラ
             マの研究書を購入され、原書ゆえ、辞書を片手に独学で学ばれる。
             
             またこの頃、劇作家・森本薫と出会い親友となる。彼の所属する「エラン・ヴィター
             ル」にも参加、演技と演出の勉強をされる。また森本薫から教えられた英国の劇
             作家、ノエル・カワードの作品は、堀江先生の作品の原点となる。
             
昭和12年      念願のNHK大阪局文芸科、ラジオドラマ担当となる。

昭和14年5月    第1回目の戦争召集。
             翌年、胸部疾患により召集解除。
              (お亡くなりになった原因も胸の病でした……)

昭和15年       堀江先生の提案で、日本初の放送劇団『大阪放送劇団』が設立。

昭和16年      第2回の戦争召集。
              (結婚され、奥さまは臨月だったということで身を切られる思いだったそうです)
              (奥さまは元女優の林さち子さんとおっしゃる大変美しい方です)
             朝鮮半島で2年間、その後東部ニューギニアへ。
             試験に合格し英語の通訳になる。
               (洋書を訳し、ドラマの勉強をしたおかげで、英語力がついていたそうです)
             死者97パーセントという悲惨な戦場で生き残り終戦。ニューギニアのオーストラリ
             ア軍の捕虜となる。
             捕虜収容所で、放送局勤務のオーストラリア人中尉と親しくなり、ノーマン・
             カーウィンのラジオドラマ作品集を託される。

昭和21年      日本に帰国。NHK大阪放送局に戻る。

昭和21年8月    ノーマン・カウェインのラジオドラマ『芋虫は踊る』(『この虫十万$』)を放送する。
               (あらすじ:子供が持っていた芋虫が、子供の歌に合わせて踊るというので評
                判が評判を呼び、演劇、映画、放送、果てはディズニーまでが「この虫を売っ
                てくれ」と、その値段がどんどんエスカレートする。だがある日芋虫はいなくな
                る。すると部屋の隅から1匹の蝶が飛び、外へと飛んでいく)
             ノーマン・カウェイン『神々の降臨』、
             アーチ・オボラ―『世界で一番醜い男』を放送する。

昭和22年        数々の功績により、進駐軍命令で、NHK編成局音楽演芸科に転勤。
               単身下北沢に住む。後に中野区鷺宮に住む。

昭和23年         「三月会」(元菊池寛戯曲研究会)結成。
                 メンバーは大木直太郎(明治大学文学部長)、
                 木下順二(明治大学教授)、植草圭之助、新井一、水木洋子、加納浩(森
                 栄晃)、吉川良範、谷崎終平など。

昭和23年2月        「ラジオ小劇場」製作、放送。(内村直也、新井一、木下順二、大木直太郎、
                 堀江史朗、水木洋子、吉川良範、西川清之など)
                「陽気な喫茶店」製作、発表。(出演・松井翠声、一路・突破、他日本初のコ
                 メディ)
                「えり子とともに」(作・内村直也、日本初のホームドラマ)
                「午前2時のブルース」(作・大林清、出演・山口淑子)
                  この頃、花村奨と出会う。


昭和25年       同・脚本課長となる。

               『ラジオドラマの作り方』(宝文館)
             
昭和26年       東宝映画 文芸部長
          
              プロデューサー兼シナリオライターとして独立

昭和30年         『天下泰平』(東宝)
               『美しき母』(東宝)

昭和37年        博報堂

昭和57年         博報堂副社長で退社

平成17年          『僕の女優交友録』(主婦の友社)

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

堀江史朗先生を敬うコミュ 更新情報

堀江史朗先生を敬うコミュのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング