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KING KAZU 11コミュのKAZUにまつわる感動のエピソード

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コミュ内全体

某有名掲示板では有名ですが
知らない人ために・・・
読みながら感動のあまり泣きました。。
さすがKING!!スケールがでかい!

これらのエピソード知らない人は是非読むべきです。
因に最初のエピソードは既出でしたね。

【もんじゃ屋】
キングカズは神だと思っている。
7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のカズ実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングカズが玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないイタリアンないでたちで。
カズが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「カズさん!」「カズさんかっけー!」などと騒ぎ出し、カズが戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達がカズの母校静岡学園のサッカー部だとわかったカズは いい笑顔で会話を交わしていた。 そしてカズは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親はカズの気さくさとかっこよさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。

【大黒その1】
「カズさんは生きている!」昨夜コンフェデ杯ブラジル戦でゴールを決めた大黒は胸を張った。
「僕の後ろにはいつもカズさんがいてクロいけー!ここでシュートだ!ってアドバイスしてくれるんだ…ほらね?」と大黒はユニフォームをぬいで中に着込んだTシャツの背中を見せてくれた。そこには汗でにじんだカズのサインがあった。
「これはカズさんがキングって呼ばれていた時に貰ったサインなんだ…いや、僕の中ではいつまでもカズさんがキングなんだけどね…」
そう言って笑った大黒の笑顔は間違いなくキングの笑顔であった。

【大黒その2】
新ストライカーにキングの力が乗り移った。
大黒が尊敬する選手は三浦知良。大黒家の玄関にはカズのサイン入りスパイクが飾ってある。震災後、新潟でのチャリティーゲームでカズとともにプレーした大黒は、試合後に思い切ってカズに声をかけた。

大黒:「靴を譲っていただけないでしょうか」
カズ:「ああ、いいよ。サインもしてあげよう」

大黒が代表入りの連絡を受けたのは、カズの靴を飾るための棚を買いに出かけようとした時だった。98年フランスワールドカップアジア最終予選のウズベキスタン戦、日本代表のエースはカズだった。93年のドーハの悲劇を知るカズはこの試合で4ゴール。6対3で勝利を呼び込んだ。そのカズの活躍を今、大黒が継ぐ。
カズのコメント:大黒君が決めると思っていたよ。


【サインその1】
カズが、読売ヴェルディ時代に、甥っ子連れてサッカー場行った時の事。
カズは当時、絶大な人気だった(その試合では2得点ゴール)。 あれだけ人気なんだからきっと天狗になって調子こんだヤローなんだろうな。と思っていた。 試合が終わり、甥っ子が、どうしてもカズのサイン欲しいと、言うこと聞かず、 近くに居たヴェルディファンに「どうしたらもらえますか?」と聞いたらチームバスで来ていたら、 それに乗り込む時にもらえるかもしれませんよと教えてもらい、そこに連れて行ってもらった。
するとカズが現れた。前の方にいた甥っ子と自分は、周りの黄色い声に、圧倒されてたじろいでいた。 そして甥っ子は、怖くなって色紙とサインペンを持ちながら泣いていた。
そしてカズが、前を通り過ぎようとしていた。 勇気を振り絞って甥っ子が、色紙とサインペンを一生懸命差し出すも、 近くに居た、 ギャルっぽい女の子が甥っ子を押しのけて、サインをもらおうとしたその時、
「小さい子供いるのが見えないのか?」
と女の子に言い放ち自分の甥っ子の頭をなでて、 満面の笑顔で「大きいサインあげるから泣かないで」と、色紙いっぱいにサインしてくれた。
そしてさっきの女の子がサインもらおうと、カズに差し出すも、 カズは無視。 バスに乗り込んでいったまさにKINGこそ漢。私は、それ以来熱狂的なカズ崇拝者です。
その後甥っ子は中学生になり、サッカー部に入部 。背番号11FWとして、活躍している。

【サインその2】
俺が小学生の頃、どうしても武田のサインが欲しくて、等々力競技場で色紙とマジックを持って、選手の出待ちをしていた。武田が出てきて俺は「武田選手サインおねがいします」と叫んだがササッと車に乗ってしまった。
がっくりしてると、カズが俺に「僕のサインでもいいかな?」とニッコリしながら声をかけてくれた。俺はびっくりしたが「もちろんです、お願いします!」と言うとスラスラとサインをしてくれた。その後「これからも武田選手とヴェルディの応援よろしくね」と声をかけてくれた。
あのカズの笑顔は、今でも忘れられない。
サインはすぐ捨てた。

【サインその3】
俺は代表合宿に参加するモリシとアキを激励しようと、選手達の到着を待ちわびていたんだ。 そうこうするうちに選手達を乗せたバスが駐車場に到着して、選手達がグラウンドへ向けて歩いてきたんだ。 そうこうするうちに、黒崎や前川なんかの今となっては地味な選手達(ファンの人、ゴメンねw)に混じって、 明らかにオーラが出てる選手が二人、こっちへ歩いてきたんだ。 それがカズと前園だった。二人で並んで歩いて来た。仲良かったんだろうな。
俺、ミーハーみたいに凄ぇって思ったよw
俺は目の前まで歩いて来たカズと前園に 「サイン頂けますか?」と訊ねたんだ。
するとカズはにっこり微笑んで 「もちろん」 と答えてくれた。
そうしたら前園は俺を無視してスタスタ歩いて行こうとしたんだ。 そうしたら今までニコニコ微笑んでいたカズが急に険しい顔になって「おい!ゾノ!!」 って前園を呼び止めたんだ。
びっくりして振り返る前園にカズは 「おめぇ、プロだろ?」 って語りかけたんだ。 そうしたら、前園、こっちへ戻ってきてサインしてくれたよ。
そん時のカズ、おしっこちびるくらい格好良かったよ。

【2038年】
2038年 ワールドカップフランス大会
日本の初戦は奇しくも40年前のフランス大会でも戦ったアルゼンチン 。試合前日、競技場の碧の芝、その真ん中に一人の老人が立っている。
時間は既に夜半過ぎ、当然立ち入りは禁止されている。 それに気がついた警備員が、あわててその老人の下に駆け寄る。
警「コラ、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
老人「申し訳ない。私は日本代表の監督だ。迷惑かけたね、今すぐ出て行くよ。」
警「あ、監督さんでしたか、いったいなぜこんなところに?」
老人「イヤ、ちょっと忘れ物を取りにね」
警「忘れ物?それならばスタッフにすぐ探させます。いったい何をお忘れに?」
老人「いいんだ、もう見つけたから」
そう言って老人は去っていった。右手を左胸に当て不敵な笑みを浮かべながら
キングカズ・゚・(つД`)・゚・

【エンジン停止】
去年の暮れぐらいなんだけど、郊外で車故障して、立ち往生してたんだよ。 俺、全然車とか詳しくないんで、ボンネット開けて中見ててもなにが悪いのかさっぱり意味不明 。 で、あたりも暗くなってきてたし車通りも全然ないところでヤベー、とか思ってたら 俺の車 の後ろに一台の車が停車した。

その車から降りてきた男を見て、俺は息を飲んだ。 それは見間違うはずも無い、日本代表の、あのカズ選手だった。「なぜこんな田舎にベージュの スーツで!?」と思うまもなく、カズは 「どうしたの〜?」ときさくに俺に声をかけつつ上着を脱ぐと、ボンネットをのぞきこみ、 そし て、いろいろエンジンのまわりをごそごそやりだした。 高そうな白いシャツの袖が、どんどん汚れていく・・・
結果、俺の車は見事エンジンスタ ートに成功。 カズは「車は普段から可愛がってやらないと、すぐ壊れるよ。じゃあな!」 と言うと、颯爽と自分の車に乗り込み去っていった。
そしてついに今日、カズが日本代表から外れた。それでも俺は一生、あの日のカズを忘れない。


◆同じ数だけ】
カズは里帰りするたびに、実家の近所の老夫婦がやっ てる紳士服店でスーツを仕立ててるらしい。 どんなイタリア製のスーツよりもいい着心地だとか。
子供のころよく、老夫婦に飴玉をもらっていたカズいわく、「もらった飴玉と同じだけの数、同じだけの色のスーツを仕立てるつもり。俺がサッカーを続ける限りね。」

【ファンレターその1】
昔弟とファンレター書いたとき、弟には「夢諦めずにサッカー選手になれ」って返事がきた。
ああみんな同じようなこと書いてんだろな、って思ったら、俺のには「好きな子にアタックしろよ、ウジウジしても何も始まらないぞ」って書いてあった。
ちゃんとファンレター読んでくれてたんだって嬉しかった。

【ファンレターその2】
今から6年前、僕が国体の強化選手に選ばれていて、もちろん将来はプロサッカー選手にと思っていた時、練習中に大腿骨窩と大転子の骨折によりもうサッカーは将来できないと医師に言われ落ち込んでいた。
2〜3ヶ月後に手紙がきた。カズさんからだった。部活の顧問がたのんだらしい。
「君はサッカーができなくなってしまったけど、プレーする事だけがサッカーじゃないんだよ。応援する事はフィールドに立っていると同じ事なんだ。サッカーは選手と応援があってサッカーと言えるんだ。サッカーを嫌いにならないでほしい、そして愛してほしい。 三浦知良」

【偉人たちカズを評す】
ベッケンバウアー 「カズがリベロをやっていたら、私はサッカーの歴史の片隅に追いやられていただろう。」
ジーコ 「私は白いペレと呼ばれたが、カズは日本のペレだ。」
プラティニ 「カズがチームメイトだったら、私は自らシュートを撃つことをしなかっただろう。」
ヨハンクライフ 「カズを見て、私のトータルフットボールの理念が崩れそうになったことが一度ある。」
マラドーナ 「俺がサッカーの神様? カズを見てから言ってくれよ。」
ペレ 「EDは心の病気。」

【カズのボール】
ブラジルのサッカー選手を夢見る孤児たちを育てる団体に、カズがサッカーボールを送ったことがあった。それも、200個ものボールを。子供たちは、とても喜んだ。
しばらくして、やはりJリーグが同団体にボールを寄付することになった。エージェントが現地へ赴き、少年たちにボールを渡す。少年たちはやはり喜んだが、渡されたアディダスのボールを見て「アディダスではなくて、メーカーは『カズ』が良かった。」「『カズ』のボールはとても使いやすかった」と口々に言う。
Jリーグのエージェントは首をひねった。カズ?そんなメーカーがあっただろうか。「これだ」と、手渡されたボロボロのボールを見てエージェントは驚いた。すでにかすれてしまっているものの、ボールにははっきりとサインペンで

「夢をあきらめるな カズ」

と、現地の言葉で記した跡があった。200個ものボール全てにカズは自筆のメッセージとサインを入れ、それを子供たちは「カズ」というメーカーのボールであると思い込んでいたのだ。

コメント(40)

感動した!!ますますカズのファンになった☆
やっぱりかっこいいですね。
読んで、泣いてしまいました。
学校のパソコンで読みました。
涙を抑えるので必死です。。やっぱりKINGです。
崇拝してます!!
気分を害すようですみませんが、全部マジ話ですか!?特に偉人がカズを評した話!
2038年、なんか感動しました。
ほんまにそんな日が来る事を願ってやみません。
ジーコ、今回メンバーに選んでくれへんかなぁ?
どれも良い話ですね。
さすがKING、プレーだけでなく彼の行動すべてが伝説。
カズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ToT
サイン捨てちゃったんですか〜。失礼だなぁ。。
みんなカズをゴットに昇格しようぜ!
ゴットファーザー好きだし!!4
カズは日本サッカー=カズという代名詞になってもおかしくないと思います。その心の広さ、その愛の深さ全てが今の世の中に足りないものですね。
まじやばいって!!かっこいよすぎ・・ありえん・・。好き。
>うめちゃん

某有名掲示板(2ちゃんねる)などネット上のいたるところに、
同じものが流れてます。
そういうところからコピーしてきたものです。
私にとって
どこまでが真でどこまでが嘘か等はどうでもよいです。

特に、2ちゃんねるなどでは
どこを見てもカズに関するものは悪い噂がなく
絶大なカリスマ人気です。
(心ない中傷などすぐ書かれるこの掲示板では
非常に珍しいことです。)

これだけ慕われているということは、
プレー中以外の時でもよっぽど
日頃の行いがいい人なんだと思います。
まさしくKINGに他なりません。
某巨大掲示板のスレ読みながら本当に涙した。うれしかった。同時に“カズ”は二度と生まれ出ない唯一無二の存在であることも確信しました。そう、今後“ヒデ”や“中村”は生まれても“カズ”はカズ一人。そんな真実のスターの登場から円熟の伝説と共にあった事を誇りに思います。
「FWはカズ、三浦カズ」信じます。
大黒の話はホントじゃなかったかな、ニッカンで読んだ気がする。
中村もカズとのツーショット、大事にしてるらしい。

カズは「ドイツで会いましょう」と言っていますから、きっと会えるでしょう。もちろんピッチの上で。
おじんがーM>>返答ありがとです☆ですね、2ちゃんねるとかで中傷が少ないのは何よりの証拠って気もします。ほんと、プロですよね!!
カズ・・・。



さすがキングですね泣



自分も幼少時代にカズとラモスにサッカーを教えてもらったのですがすごく優しかった気がします。



いまとなっては自慢のひとつです。





カズよ!!生涯現役でいてください!!!!
泣きそうになりました。

カズには いつまでも ボール を おいかけてほしいです。
ネットからのコピーペストですが

【キングカズの生い立ち】


1967年、静岡県静岡市に生まれる。1973年、静岡市立城内小学校に入学。城内FCで 本格的にサッカーを始める。さらに静岡市立城内中学校に入学。この頃から横浜銀蝿のもの真似をするなど目立ちたがり屋であった。

1982年、静岡学園高等学校に入学するも、8ヶ月で中退。15歳で単身ブラジルのプロチーム 「ジュベントス」に留学。当時のカズは県内でもほとんど評価されず、カズのスピードと 体力ではブラジルどころか県内でも通用しない、という批判の声がほとんどであった。
それでもカズは自分を信じブラジルへと発った。
カズは、他の選手のように一時留学の形でチームに預ってもらうという形をとらなかったため、ブラジルで注目を集め、プロの仲間入りをするには、人並以上の練習で実力をつけ自力で門戸を 開けるしかなかった。カズは、ひなびたスタジアムで罵声を浴びる毎日を送りながら、 死に物狂いの練習を毎日続け、言葉の壁、習慣の違い、いじめや孤独と戦いながらプロを目指した。
食事やスパイク、ユニフォ?ムを盗られたりもした。下手なプレーをすれば、日本人は使うなという世間の攻撃も受けた。

1985年の夏、カズは厳しい日々に夢を捨て日本に帰ることを考えた。そして、日本行きの航空券を買い、
リオの公園に気晴らしに出た。そこでは、20人ほどの子供達が楽しそうにサッカーをやっていた。
その中には、片足で懸命に汚れたボールを追っている少年がいたのである。「片足の子だけじゃなく、
裸足の子もいました。じっと子供たちを見ているうちにボクは反省しましたよ。ボクには両足もあれば
スパイクも新しいボールもある。いったい、何をぜいたくなことをいってたんだろうと思いましたね。」(カズ)

飛行機の予約をキャンセルしたカズは、この時から帰国を口にしなくなった。翌1986年2月、18歳の誕生日の2日前、カズは正式に名門サントスFCと契約した。
日本では華やかに報道され、現地ブラジルでも新聞にとり上げられ話題には事欠かなかったが、サントスFCでも厳しい苦渋を味わった。ウイングのポジションには元代表の名選手がいて、そのシーズンは2試合しか出場できなかった。

そして1年後、サントスFCの外人枠から外れ、弱小チームに貸し出されることになる。そこでの生活は悲惨なものであった。「まるでドサ回りみたいなものですよ。バスで延々23時間かけて地方に遠征し、 試合をして、終わったらまた23時間かけて帰る。夜はバスの通路にクッションを敷いて寝る。食事は高速道路のインターで同じような肉料理を1日3、4回。それに、ブラジルは広い国だから、暑かったり寒かったり、1日で気温が10度以上も違うんですからね。」「でも、ここで負けたら永遠にオレはダメになると、いつも心のなかでは思っていたんだ。」(カズ)

そののち、「CRB」という田舎チームを経て、1988年サンパウロ州の1部リーグチームではあるが、ローカルチームの「キンゼ・デ・ジャウー」にスカウトされる。このスカウトが歴史的なゴールへとつながることになる。

カズはこの試合で、鉄壁の守備を誇る元ブラジル代表のエジソンのマークを外し、ヘディングでゴールを決め、1-0で勝利した。点を取ったのはヘディングだったが、得意のドリブルで何度もコリンチャンスのディフェンダー陣を混乱させた。カズのフェイントは
ブラジルの超一流チーム相手に十分通用するようになっていたのだ。ゲームが終わった後のジャウーの町は1週間以上も、お祭騒ぎがつづいた。地元ではカズを「神」として崇めた。

その後、パルメイラスの助っ人メンバーとしてキリンカップに出場したり、コリチーパをパラナ州のチャンピオンにさせたりし、カズは実力をフルに発揮しはじめ、90年に再びサントスFCと正式契約した。

カズ、このとき22歳。今度は超一流の折り紙をつけられ、堂々と胸を張っての契約だった。


1990年7月、カズは帰国し「読売サッカークラブ」と契約する。ブラジルでの最後の2年間は、カズは評価も高く人気選手であり、名門「サントスFC」とも契約し、まだこれからという時での帰国であった。ブラジルでの成功を捨ててなぜ日本に帰ってきたのか、残念がるファンも多かった。

当時日本のサッカー界には、プロリーグの構想が持ち上がっており、カズは、その構想に引かれ日本に帰ることを決意したのだ。カズは、ブラジルで人気選手としてサッカーを続けることより、日本のサッカーのレベルを上げ、日本代表チームの一員としてワールドカップ出場を目指すことを選択したのだ。
1993年にはプロサッカーリーグ・Jリーグが開幕し、また日本代表チームは、ワールドカップ・アメリカ大会出場まであと一歩というところまで迫る。日本のサッカーは、人気実力ともに上昇していった。これらの功績はカズなしではとても成し遂げられるものではなかった。

日本のサッカーが軌道に乗ると、再び自らのもう一つの夢を追いかける。そしてまた、通用しないという声の中、セリエAでのプレーを実現する。

日本は1998年フランスワールドカップに出場を決めるも、カズはそのメンバーから外されることになる。
日本代表のユニフォームを来て、ワールドカップの舞台に立つことを一番強く願っていたのがカズであったと思う。日本を世界のレベルに引き上げたのが、カズであることは皆が知っていることであり、本人もそう思っていただろう。それだけに悔しかったことだろう。

しかし、これまでのカズはブラジルに渡る時、ブラジルから帰る時、イタリアでプレーする時、常に回りに反対される中、自分を信じて成功をしてきた。逆境をバネにして、やってきた男である。今回は代表から外れたが、まだまだこれで終るような男ではない。

カズの帰国会見。「メンバーから外れたことは、絶対に納得してはいけない。」

いい顔をしていた。カズは、死んではいない。夢を追い続けるカズのサッカー人生は、まだまだ終らない。

--1998/7/10
【キングカズのブラジル時代】

中学校卒業の年、カズはクラスで進路志望を書かされたとき、第一志望の高校の名前を書く欄に「ブラジル」と記入した。

カズはサンパウロにある「ジュペントス」というクラブの寮で、5人の少年達と小さな汚い部屋の2段ベットで寝る生活が始まった。
免疫の無いカズの体にはノミとダニがいっぱいたかって、はじめの頃は痒さでまともに睡眠すら取れなかった。
苦労はフィールドでも同じだった。チームメイトは誰も彼にパスをしようとはしなかった。偶然ボールを自分のものにして
ドリブル突破を試みても、すぐに奪い取られた。
スタンドの声がカズの耳に届いた。「 Futebol japones! 」

ブラジルには大きな日本人社会が築かれていた。彼らは農場を開拓し、勤勉に働き、多くの人がビジネスでも成功し、
リトル・トーキョーという名で知られるサンパウロの高級住宅地で暮らすようになっていた。
 しかし日系人たちはサッカーに対しては全く影響をおよぼさなかった。
「Futebol japones」という言葉は「日本人にしか出来ないくらい下手糞なプレー」という意味で用いられていた。
チームメイトたちも「 Futebol japones! 」と彼をあざけるようになった。
それが限界だった。カズはごく稀にしか試合に起用されなくなり、練習試合にすら出られなくなった。たまに試合に起用
されても、最初の試合と同じような扱いを受け、同じような野次を飛ばされた。
「ヘイ、ジャポネス!リトル・トーキョーに帰って天ぷらでも揚げてろ!」「そんな細い目でボールが見えるのか?」

それでもカズは、陽が沈み暗くなったあとまで一人で居残り練習を続け、何時間もシュートやドリブルの練習を繰り返し、
1日に何百回もの筋トレを、毎日続けた。
チームメイトとのコミュニケーションを改善するためにリトル・トーキョーにある学校でポルトガル語の授業を受け、夜も勉強した。
小さな傾いた寝台に横になり、辞書から単語を見つけ出して小さな声で発音の練習を繰り返し、本を手にしたまま眠りにつくと
いう日々がつづいた。

それでも目に見える進歩はなかった。彼は孤独だった。彼は情熱を失い始めた。ブラジルでの生活は2年3ヶ月経過した。
彼はジュベントスから「キンゼ・デ・ジャウー」というサンパウロから300?も離れた小さな町のチームに移った。
が、そこでも大きな活躍はなかった。

希望を失った彼は、ブラジルへ渡って以来はじめて母親に電話をかけた。そして「もうこれ以上は耐えられない、家へ帰る」
と伝えた。母親は、サッカーショップを経営し少年サッカーチームの運営にも携わっていた叔父に、このことを伝えた。
叔父はカズに電話した。「何を寝ぼけたことを言っているんだ!帰ってくるな!わかったな!」
カズはバスに乗り、サンパウロで暮らしていた父親に会いに行った。同情して欲しかったし、自分の気持ちを理解して欲しかった。
しかし父親は叫んだ、「日本に帰るだと?わかった。お前がそんなに弱虫だとは知らなかった。だったら、日本へ帰れ!」
そしてカズの右の頬を殴りつけた。カズは初めて父親に殴られた。
「わかったよ。じゃあ、帰るよ」とカズは答えた。「もう、それ以外にない」と思うしかなかった。

カズはブラジルを永遠に離れてしまう前に観光をしようと思った。そこでカズは、聖地マラカナン・スタジアムに足を運んだ。
スタジアムを見た後、リオの裏通りをぶらぶらと歩き、小さな公園のベンチに腰をおろした。目の前では20人くらいの子供達が
草サッカーに興じていた。12歳前後の少年達は汚くほころびたシャツを着ていた。靴を履いていない少年も半数近くいた。
そんななかに一人の少年がいた。
彼は片足しかなく、それでもピョンピョン跳ねながらボールの後を追いかけ、プレーに参加しようとしていた。
そのときカズは胸の奥から熱いものが湧き出してくるのを感じた。「俺はなんと恵まれているんだろうノ!」
そう思ったあと、自分自身に腹が立ってきた。「それなのに、俺はノ」
そのとき彼は「もう一度ブラジルに挑戦しよう」と心に決めたのだった。


「キンゼ・デ・ジャウー」に戻った時、カズは胸に新たな決意を抱いていた。そして一気に走り出した。
アマチュアの大きな大会に出場し0-1で負けている時、ペナ内で反則を受け、PKを見事に決めた。「カズー!カズー!」
と叫ぶスタンドの声が彼の耳に届いた。それは彼が「ジャポネーゼ」という国籍ではなく、名前で呼ばれた最初の出来事だった。
そして翌月、19歳の誕生日を迎える直前、サントスからプロ契約のオファーが届いたのだった。

しかし苦闘が終わったわけではなかった。サントスに入団して半年、たった2試合しか出れなかった。
しかもその試合での彼のプレーに対する新聞の評価は、10点満点で2点。フィールドに出ていた選手の中で最低で、
次に低い点数は4点だった。「カズはプレーが遅すぎる。日本に帰ったほうが良い」

その後数年間、彼はブラジル各地を自分を採用してくれるクラブを転々とした。
アウェイの遠征で悪路バスで片道8時間などはざらで、片道23時間バスに揺られ続けたこともあった。

数チームを転々とした後、彼に古巣の「キンゼ・デ・ジャウー」から契約の話が舞い込んだ。サンパウロ州のチャンピオン
シップをかけて、強豪コリンチャンスとの大一番が控えていた。この試合は何台ものカメラで中継され多くの人々が見る大試合だった。

その試合に出場したカズは、元ブラジル代表エジウソンのマークを受けた。が、彼はフェイントを駆使し、ドリブル突破し、
次々とパスを成功させた。そして右からのクロスにヘディングで合わせ、見事ゴール左隅へ突き刺した!そのゴールによって
ジャウーはコリンチャンスに3-2で勝利した。
その後コリチーバFCに移籍。88年、シーズンを通してレギュラーで活躍。
フラメンゴと対戦した時には、相手チームにはジーコがいた。彼はハーフタイムのときにカズに近づき、
「 sucesso!(よくやったね!) 」と言葉をかけ、握手をしてくれた。

翌日、ブラジルで発行されている日本語新聞には、二人が並んでいる写真とともに『日系ブラジル人の誇り』と賞賛する記事が掲載された。
それを読んだカズは、涙があふれ出るのを止められなかった。

■日本式サッカー革命  
決断しない国の過去・現在・未来
著者 セバスチャン・モフェット  訳 玉木正之
カズは本当にスゴいお方ですよね。。
中田選手の引退宣言の直後も、“詳細をきいていないのでコメントは控える”という発言をしていて、さすがと思いました。

私事のエピソードですが、かれこれ8年前、等々力に練習を見に行ったとき、カズのサインがほしくて、練習後出待ちしていました。
カズが乗っているであろう車は通り過ぎて行きましたが、私はどうしてもほしかったのでサンダルを脱いでまでして走って追いかけました。(まさに追っかけ。笑)
するとなんと100M?200M?くらい先で止まってくれ、サインに応じてくれました。
あのときは本当に感動して号泣しました。

2010年南アフリカを切望します!長くなってすみません。
yukingさん

実際、同じような経験されている人が
このコミュニティにいるとは驚きです。
さすがキングカズ!!
私はサッカーについてさほど詳しくないのですが、カズさんと同じ小学校を卒業しました。
今から約15年前、当時小学生の私は、グラウンドで跳び箱やマットで遊んでいるカズさん(里帰り中だったと思われる)にサインをもらったことがあります。まだカズさんのことを知らなかったのですが、男の子が興奮した様子でサインもらうと意気込んでいたので、ノートの切れはし(!)を持ってついてっただけだったんですが。こんな失礼なガキにも快くサインをくれたカズ!ありがとう!
やっぱりカズはかっこいい。
こんな大人になりたいなぁ。
カズの本を人生のバイブルとして読んでます。
カズと一緒にサッカーしたいなぁ。
98年2月。当時、19歳だった中村は初めて日本代表の合宿(オーストラリア)に招集された。
日本が初めてW杯出場を決め、フランスに向けての選考合宿だった。
同じユニホームを着て練習しても、互いがライバル同士。
もし中村が生き残れば、予選を勝ち抜いた誰かが、選考から漏れることになる。
「食事会場でもみんな黙々とご飯を食べるだけで、静かで異様な雰囲気だった。
みんなピリピリしていて練習の合間にも冗談を言う人はいない。代表って怖いところだなと思った」。
慣れない環境にストレスはたまる一方だった。「みんなW杯出場に向けて必死なんだ」と自分に言い聞かせて納得するしかなかった。
サバイバル合宿中に救いの手を差し伸べた人がいた。
「緊張するなと言っても無理だろうけど、緊張しなくていいんだよ。自分の持っているものを普通に出せばいいからね」。
カズこと三浦知良だった。
時間にして5分程度。
ほかにも豊富な経験をもとに、いろんなアドバイスを受けたが、緊張のあまり全く耳に入らなかった。
「懐が深いというか、やはりキングだったね。今でもあの場面は鮮明に覚えているよ」。
後日、その光景を撮ったカメラマンから写真をプレゼントされた。
練習終了後、汚れた練習着を着たまま、グラウンドに座って一生懸命カズの話を聞いている自分がいる。
「元気がない時、スランプの時、ケガした時は実家に戻ってその写真を見て元気をもらっている。いつ見ても新鮮だね」。
世界一と評されるセリエAでプレーし、日本代表の不動の司令塔の座に上り詰めようとする今も、その写真があるから初心に戻れる。
疲れた時は力を与えてくれるような気がする。
【キングカズの社会活動】

「気づき」の種まきをしている“カズ”に感動!(長曽 崇)
最近TVの番組を通して、1人の著名人が弊社同様に子供たちに「気づき」の種まきをしていることを知りました。
その方は“カズ”こと三浦知良氏です。
三浦知良氏は、ヴィッセル神戸のチームメイトとともに、神戸の小学校を中心に講演活動を実施しているそうです。
三浦氏は少しでも今の子供たちが「夢を持つ力」を育んでもらいたいという思いのもと、自分がプロサッカー選手に
なるまでの話をしているそうです。
実際に講演を出席した子供たちは三浦氏の話にすっかり聞き入っている様子でした。
インタビューを受けた子がこう言っていました、
「自分で目標を持って生きるって、大変そうであるけどワクワクして楽しそう」。
私この前向きな言葉がとても印象に残っています。
http://www.willseed.co.jp/philosophy/kako_shosai2.php?id=224
ベテランのフォトグラファーが、独白するかのように私に語りかける。
「この間、神戸の練習風景を撮ってきたけど、カズが最も走り込んでいたね。
あのチームで一番練習熱心なのは、やっぱりカズなんだよ」
そんなカズは、ミックスゾーンでも他の選手の規範となっていた。
その日、被災地を慰問したことについての、彼の回答。
「自分がいかに、ぜいたくな環境で暮らしているかを痛感した。
(避難所の)体育館にもテレビがあったので、明日は自分たちのサッカーを見て楽しんでくれればと思う」
チャリティーマッチであるとはいえ、こうした真摯(しんし)で重みのある発言をミックスゾーンで聞いたのは、
本当に久しぶりのことである。確かにプレーの切れ味や体力は、全盛期に比べれば確実に落ちているのだろう。
だが、フットボーラーとしての存在感、自らの社会的責任に対する自覚、そして他者への思いやりといったものは、
現役の代表クラスの選手たちも、まだまだ見習うべきものがあるように思えてならない。
ttp://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/column/200412/at00003224.html
より抜粋
恥ずかしい話だが書こうか。
ちんぴらをしていた15年前、女に振られて、飲んでくだを巻いていた。
その店に、カズが来たんだよ。
俺は、店の子にいい顔を見せたいと思ってさ。周りの客を突きのけ、カズの肩に手をかけ、「いきがってるなよ 若造」と言ってすごんだのさ。
そうしたら、カズが俺の目を睨んで、「止めろ。お客さんはみんな楽しみに来ているんだ」と言った。俺は度肝を抜かれへたり込んだ。
カズはその後客全員と盛り上がっていたが、俺が店の隅でいじけていると、ドンペリが運ばれてきた。マスターに聞くと、
カズからの差し入れだと言う。俺はコースターの字に気づいた。
こう書かれていたのさ。「先ほどは失礼しました。未熟者ですのでお許しください。 三浦知良」
文字でわびられても、俺の潰れたメンツは回復できねえよ、と思ったんだが、カズは立ち上がって、自分もシャンパンを手にしてさ、
「受け取って頂けましたか。どうぞこちらで一緒に飲みましょう」。
そうしたら客が拍手してさ。俺も気まずい思いを忘れて一緒に飲んだよ。
それからその店でカズの悪口を言う奴は、俺がしめて歩いた。その後カズは店に来なかったけどね。
そして'97年、僕は21歳で初の日本代表に選ばれ、カズさんとチームメイトになりました。
明るくみんなの先頭に立ち、 でもストイックに練習に打ち込んでいる姿にすごい オーラを感じて、話しかけることができませんでした。
他の先輩たちも一人一人が男くさく、人間的な魅力に あふれていました。
きっとそれは、先輩たちが 日本のサッカーが脚光を浴びていなかったころから陽の 目をみるまでの過渡期を生き抜いたからだと思います。
僕は幸運にも若くして代表に選ばれ、カズさん たちの姿勢を間近で感じることができました。
そして今、 少しずつ先輩たちの気持ちがわかってきたように思います。
アジアカップのときも、きっとカズさんたちはこうやって チームを支えていたのかな、と感じたりしたんです。
'98年W杯の直前、代表からカズさんたちが外れて僕も チームも衝撃を受けたけど、誰よりもショックだった のはカズさんたち。
それでも懸命にプレーし続ける。
人間 として本当の強さがなければできないと思います。
サッカーへの強い思い。人としての強さ、そしてあたたかさ。
カズさんは、言葉じゃなく生き方や態度で何かを 伝えられる。
1月の井原さんの引退試合の時も、 “久しぶりだな”とあたたかく抱擁してくれましたよね。
今、僕は海外でプレーしています。ゴールキーパーとして 初の海外移籍、ということではカズさんと同じ先駆者 かもしれません。
カズさんには遠く及ばないけれど、僕は 自分のスタイルで戦っていきます。
カズさんのように、 背中で何かを次の世代に伝えられる選手になるためにも。
僕らのカズさんへの願いはただひとつ、これからもずっと、 プレーしていて下さい、ということ。
井原さんの引退 試合でのカズさんは、僕たちGKにとって相変わらず 危険な存在でした。
カズさんがプレーし続ける ことが、僕らの世代、さらにその下の世代のエネルギー になるんです。
川口能活
もんじゃの話はたしか作り話だよ。

どっかの記者がカズの妹に聞いてたしかめたらそんな記憶はないですとか言っていたと思う。

でも相手の悪いところを見つけて徹底的に叩く2ちゃんねるでいい話をねつ造されることが凄い。

大黒の話は実話。
サッカーボールの話もアフリカにボールを送ったことがあるので本当かもしれません。
宣伝ですみません。

今、話題のtwitterでカズさんの名言をつぶやくbotを作りました。

http://twitter.com/kazu_bot

twitterをやっている方はぜひフォローしてみてください。

まだ作ったばかりなのでこんな名言があるよって人は返信メッセージで教えてください。

カズのボットは以下のサイトの協力で作りました。
http://www.jarjar.biz/Twitter/index.html

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