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信念をもって生きるコミュの自分の『信念』

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いま自分は『信念』について考えてた。

『信念』とは、周りに流されず、自分の考えを貫くことだと思った。周りがどんな評価をしようと、自分で考えたことを尊重すること。

その場で感じた気持ちも大事☆よく考えて出した答えも大事☆仲間の話を納得して自分に取り入れるのも大事☆何を信じるかって自分でしょ★

考えることって単純そうで、宇宙のようにはかり知れない。自分のことだけでなく、周りを見るともっと『信念』が固まるはず!




自分の信念は、『素直』。基本ポジティブ☆
単純に直感だけで生きるのではなく、五感で感じて、(〜したい!)って思ったことをやり通すこと。

今思ってることは、周りを見たい!もっと視野を広げれば、発見が増えて、感じるものも増えるはず@「感じたら、考える」そうやって成長すんのかなって☆自分なりに考えたの(^^)
だから、どうしたら周りが見れるか考える。

例えばとして、「自分を無視してでも周りだけをみる意識もってみる」って意見もらった。自分には考えることのできなっかった意見だった。その時点で自分の小ささを知ったけど、やってみたいと思った◎だから、やってみるっ!!!!!


自分の『信念』=『素直』に生きる☆★

コメント(40)

自分がされたら嫌な事を人にはしない。
たとえ、人にいやなことされても、同じことはしない。

なんかすごい嫌な事あっても、これだけは人間として守らなければと、思って・・・。
人にされて嫌なことはしない!を基本にしています。
あとは自分の弱さに負けない事です。。
成せば成る!成さねば成らぬ!何事も!
相手の気持ちを考え、人を傷つけない。

傷つくのは自分だけでいい。
何事も勉強!
失敗や挫折は、成功のためにある!
。。。ですかね^^;;
にも、かかわらず、笑う。にも、かかわらず、する。

誰も見てなくても。誰も賞賛してくれなくても。小さなことでも・・
人に優しくされた時には感謝し、人に対しての気づかい、人にイャなコトをされた時は自分が他の人にイャなコトをしないように心掛けしてますが、それが相手には伝わらず空回りするコトが…あせあせ(飛び散る汗)
誰も見てくれなくても、あるいは誰もほめてくれなくても、見返りも考えず
とっさに「善きことをしてしまう」衝動があるのが人間のような気がしますし
それを信じたいです。

でも逆もありますが・・それも人間の弱さでしょう。
誰もみてないから、誰もとがめないから。といって「あることをしてしまう」

それでも少しだけ「良心が痛む」のが人間でしょう。
そうですね。
いつもお世話になっております、と素直にいえ、誰にお世話になってるかを把握して、どういうふうにお世話になってるかを
心から感謝する反面、
「いつでももしあなたに何かあった場合お世話にならなくても
やっていけます」という覚悟も。

お世話はお世話でありがたく受け止めるけど依存しきらない
自立心でしょうか
時に熱く。時に冷静に。優しい弱さと負けない強さ。

そんな自分になれるように、「あるがままに動く」という信念を抱いて毎日を生きてます。

もちろん、うまくいかないことだらけですけど泣き顔

それでも、そんな思いがあるだけ幸せでするんるん
自信 がほしい。 信念・・・
今の心を信じるということですね。今のゆれる心を信じるほうに持って生きたい。


信じる。自らのどこを信じるのかってことですよね。

私はいつも自ら震えます。小さいこと、言われたこと、すぐに
傷つき、すぐに臆病になります。自震ですね。

まず自身があって、それからいろいろな自震がある。
それからいろいろな事柄に対し、ゆれながら、そして震えながら。

でも、次に希望を持とうという新を信じれるようになる「自新」新たに
変われる自分を信じれるようになる。

どういうときでもへこんでもこれだけはという芯を持つ。
自芯。

自芯と自新を信じるようになって、それから、人のいうことに
震えるだけでなく、ありがたきものを、あるいは言われても、自分と違う意見でも見方でも。自分の思いがけない展開の運命でも、謹んでありがたくうけいれる、慎重にかつ慎んでという、自慎が出来る。

自新。自慎、自芯・・

それからこれだけは自分をいつわりたくない、
虚偽をしたくない自分の真ができる、自真。

自震から・・

自新・・変わりつつある自分を受け止める
自慎・・思いもかけない事実、意思に反したことも受け入れる。
自芯・・自分の中で芯をつくっていく
自真・・卑怯なことだけはしたくない。

そして自信過剰にならないよいうにしながら自信を自然に作っていきたいと思います。

できないわたしですが。まだまだゆれるゆれる自震の私ですが。

自信。自ら人(人偏)の言うことをどういうふうに受け止めるか。
あるいは自らという人がどういうふうに言っていくかでしょうか。

こういうことがひとつひとつできたらどんなにいいか・・いつもゆれてる私ですから。
自分が大切にしたいもの(自分の中のルールだったり、人だったり)を守りぬこうとする気持ち。

私、そのとき、その瞬間必死だった。心の中の糸を切るまい切るまい。と。
そういう自信も何も忘れ、ただ必死の瞬間、逃げ場もない、修羅場で立ち向かう瞬間って・・女一人で・・がんばるなんてものじゃない。

それが自信になるかわからない。

糸を切るまい。心の中の一本のはりつめた糸を切らなかった。
信念をしっかり持っていたら、崩れることはないって思います。
今まですぐに崩れていた心の根。
でも今は目指すものができ、今の心を大切に向かっていってる。
いけてます!
何のために今を生きているかを忘れず、自分を信じて戦ってます☆☆
崩れてもまた勇気をもってやり直していけばいい、失敗は学びであって失敗ではない☆

日記から・・・

今日は最高に疲れています、でも・・


・・にもかかわらず
・・ぎりぎりでも

それでも、ということを考えます。

疲れてるにもかかわらず○○する。

ぎりぎり感情がぶちまけそうなときでもぎりぎり○○しない。
あるいはぎりぎりで踏みとどまる。

最終的には辛いこそ、疲れてるからこそ、するという努力でしょうか。

自分の経験から出来た心の薬草の種をつぶさない人。

今まで人生で苦しいことは一杯あった。病気、訴え、恐喝、罵声、嫌な話し合い、けなしあい・・


どうして神様はこんな思いを与えるのだろうかと思うことが一杯あった。

 先日もとある事件がったとき、あれ?と思った。
 なぜこんなに落ち着いていられるんだろう。疲れるけど「昔ほど」辛くない。
 立ち直りも早い。何か薬草をせんじて飲んだみたいな気がする。傷を薬草が覆ってくれてる。
確かに即効には効かないけど、自然にすうっと効いてくる。傷口から「暖かな生きてる薬が」
入ってきてくれる。昔の薬草を肌にあてたように・・・

 経験したからと人はいう。昔「嫌な目にあったこと」が使えるではないか。

 もしかして嫌な思い出、出来たら起こらないでほしかった嫌な思い出から「得たもの」が
使えてる。
 
 もしかして嫌なこと、何十年にもわたる嫌なことから薬草の種が出来るのではないだろうか。
 あるいは人脈、貴重な人脈って体に入ると薬草の種になるのではないだろうか。

 種、それは嫌なことがしだいに薄れていっても残る種、そこから薬草が生えて私の
中に森を作ってきたのではないだろうか。知らない間にかみさまが森を作ってくださったのではないだろうか。

森の中から、神様が呼ぶ。

・・・・こういうときはこの「薬草の花を」使い,かおってみなさい。
こういうときはこの「薬草の樹を」使いなさい。そしてエネルギーをもらいなさい。
心に傷ができたらこの薬草を傷に当てなさい。
・・・
自分の中にしっかりと生えた薬草の樹や葉や花が守ってくれますよ。そして、また新しい経験や新しい辛いことをしなさい。

 あ、と思った。

 辛いことはあながち悪いことでないんだ。
 そして友達を作ることもすばらしいことなんだ。
自分の中に薬草の種を作り、森を作れるものなんだ。
 
 そして疲れながらも、悲しみながらも薬草の種がまた出来ていく。生えた薬草が傷を覆ってくれる。

 その種がまた薬草の森の一部になる。


 あらたな経験をする時そこから薬草の葉が香りをくれる。あるいは知らず知らずに使ってる。

 心に傷が出来たら、自分の森の中の薬草を使える。神様が生やしてくれた森の薬草が覆ってくれてる。

 いつのまに生えた薬草なんだろう?いつのまに出来た種なんだろう?種からどうしてこんなに一杯薬草が出きたのだろう?

 人生って種を作ること、そして素直に種から神様が育ててくれる薬草に感謝することの繰り返しなのかもしれない。

 種を大事にしよう。気がつかないと種や小さな芽をどんどん粗末にしてしまう。

苦しい時、その気持ちを「否定しない」ようにしよう。経験と思うと種が出来る。大事なことだったと思うと芽が生えてくる。
 
神様からの試練と思うと、それがどんどん伸びてくる。そして薬草の森が出来る。
 
苦しい時心に目を向けると、使える薬草がどんどん見えてくる。

日記からです
制限は美しいものだ・・
日記から
ダンナ(48歳です)いわく

品が無い人は我慢の程度が少なく生きてきた人・・・

すごい名言だった。

その何十年自分の欲望のためにだけ生きてきたひとは品がなくなる。

はい。心します。

その我慢と品から「人格と思いやりと広い心ができる」


人格とは自分を高めようと努力してる人の過程と思います。これはわたしから。

のろけなく・・・ダンナ、品があるもんなあ・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


身のまわりには品、格もさることながら「人生の先輩に素敵な方が一杯いる」


むしろ私は年配者になるとおもうのですが
その年配者の先輩の年配者には

とってもすばらしい方も一杯来られるから・・
わたしのこの仕事やめられないんですね。年配者が多い。そのときは素直に
素敵ですねえ・・って話してる。

スイミングクラブでも
とっても素敵な年配者ばっかりなんですよ。 セレブじゃなくても素敵。

品とか格じゃなくて

ああ、素敵だなあ・・ではないかしら・・ それは「不自由」「制限」をうけてきたから。金銭的、時代的、道徳的な制限を。



結局「戦後とか70年代を記憶してる方は、ものがないという制限を知ってるから」
じゃないかしら。これが差でもある。冷たい風の中トイレットペーパーを買いに並んだ記憶もある。物がなくて当たり前の世代でしたっけね。

それと「厳しく教育されて当たり前だ」

これもあります。 テレビを見てるおじいちゃんの前を通ったら厳しく諭された、また自分でテレビの主導権を握ろうなんて
もってのほか。同じ時間に見たい番組があるというと年功序列だった・・
それから違う。

門限は7時、それを過ぎたらぶん殴られた。
靴下を破れたままで捨てたらぶん殴られた。同じ捨てるのでもきちんと繕ってから捨てろと。
農作物に水をやってないのにやったと嘘ついたらぶん殴られた・・・

食べ物もアレ買ってといっても「高いものは買えん!」だった。

ダンナも私も国立大にいかなければ就職の時代だった。私立大にいく金も浪人するだけの余裕すら金銭的になかった。
貧しさ(ものが自分のものにならない辛さ)と厳しさ(ものが自分の 思うようにならない教育)を受けた世代って何か違うのですね。
“男には負けるとわかっていても戦わなければならない時がある”という気持ちをいつも持ち続けています。

決して強がらず素直な言葉だと思っています。

負けるなんてやる前から考えるなよ‥と昔は強がっていました。

でも、長い人生こういう状況でもいかに前に進めるか‥を考えると素直ないい言葉だと思っています☆

“感謝ハートぴかぴか(新しい)
お疲れ様ですいい気分(温泉)ぴかぴか(新しい)
いつもありがとう☆ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
今年も良い1年になりますようにグッド(上向き矢印)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
親より先に死なないこと。

逆縁は絶対にしない。

風邪ひくとすぐに肺炎になるので、本当に怖い。

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