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史跡コミュの左沢城主酒井直次夫妻の墓

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 山形県西村山郡大江町本郷己525

 1989年03月08日、大江町が史跡に指定。

 酒井直次(1596〜1630)は徳川四天王の一人酒井忠次の長男家次(越後高田100000石)の次男です。
 元和8(1622)年に出羽国山形藩主最上義俊が近江国大森10000石に減転封されると、最上家570000石の所領は山形200000石鳥居忠政・庄内138000石酒井忠勝等の複数の大名領に分割され、左沢12000石は忠勝の弟である直次に与えられました。直次は庄内藩の支藩扱いでは無く、独立した大名として遇されています。
 直次は山城の左沢楯山城に入りましたが、居城を山麓へ移す事として、左沢楯山城西南の地に小漆川(コウルシカワ)城造営を始め、城下町の整備造営にも着手しました。城下町の中心は南北に走る御免町通とこれから東に延びる内町・横町の通で、楯山城周辺にあった社寺も移転させられて来ました。
 小漆川城は、最上川支流の小漆川と月布(ツキヌノ)川に挟まれた標高126m、比高20mの河岸丘陵の台地に築かれ、本丸と西方の二の丸を取り囲むように三の丸が配された輪郭式の城でした。小漆川城完成に伴い、左沢楯山城は廃城になっています。
 直次は青苧畑の検地も行ない、青苧畑については左沢藩全体に於いて本来の一般の畑としての課税に加え、青苧役が二重に課税される事となりましたが、特産地の上下五百川村では最上家時代からの浮役もそのまま課され続けて三重課税となってしまいました。浮役は金納から米納となって浮役代米として納められていましたが、青苧役は現物納でした。
 直次の妻は山形藩主鳥居忠政の娘です。
 酒井直次は、寛永8(1631)年に嗣子が無いまま没したため左沢藩は改易されて領地は収公、庄内藩の預地となりました。

◎城下町左沢
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=194642&id=88093958
*左沢楯山城跡
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=86900016

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