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人と自然コミュの「生命をつなぐ進化の不思議」他

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内田亮子「生命をつなぐ進化のふしぎ」ちくま新書 ¥720 2008/10刊

 生物人類学というジャンルは初めて聞いた。様々な動物、特に類人猿などの生態、遺伝子の研究から、ヒトの行動の理解につなげようという試みの本。ありとあらゆる動物の例があげられ、読みづらいが、それでも面白い場面もあった。というのも、私にはずっと以前からの以下の読書履歴があるからだ。
 それは後にして、つがいでヒナを育てる野鳥の、そのヒナのオス親は、つがいのオスではないなどという記述もあって、これって、メスの浮気じゃないのか・・・。
 以下とも重複するのだけれど、自己の意思による行為と思っていても、実は遺伝子の指令であったり、はるか過去の風俗や慣習であったりすることもあるのだ。性格や行為も。
 資源の浪費や人口爆発による世界的食糧危機、地球環境破壊までを引き起こしているヒト種。民族紛争での大虐殺はヒトのサガか。こんな時に著者も評価している狩猟採集民の分配と協調性が発揮されれば、フードシェアリングという言葉があるかどうか知らないが、多少は解決に向かうだろう(下にも記述)。長寿も適当なところで収まるようにしたい、と著者の提言に賛成。
 女性差別を許せないとフェミニストの顔も出ているけど、ま、許容範囲でしょう。

(以下、関連の読書歴)

「ヒトの自然誌」(平凡社)絶版(中古本販売あり)
 20年ほど前に出されたアフリカでの原住民の暮らしの文化人類学的なフィールドワーク。狩猟採集民や農耕民の暮らし、などが面白かった記憶がある。近代文明が次第に侵入していく中での狩猟採集民、農耕民の生き方の記述。
 今や、狩猟採集民などはよほどの世界の辺境へでも行かないと出会うことは困難だろう。なぜ狩猟採集民の生活を調査するのかというと、それはもう農耕が始まる以前はヒトが類人猿であった時期はもとより、狩猟採集と移動生活を続けていたのであり、石器時代の人類の「化石」的な風習なども残っているので、当時を推測することができるし、現代人の理解にも有用だ。
 ところで、個人的なことだが、私は農業でありながら農耕民よりも狩猟採集民の末裔的な性格が私に残っているような気がする。農耕は1万年前程度から起こったとして、遺伝子に残るほどの期間ではない。農耕民は一定の面積の作物を独占所有するのに対し、狩猟民には「所有」という概念がない。だから、そこにあるもの(栽培されているもの)を平気で手にとって食べるので、農耕民とのトラブルが起こる。一方、手に入れた獣は持ち帰って分配する。独占しない。
 私は栽培をしているが、畑の回りの人たちに野菜をあげたりしている。都市の人には販売してはいるが、これも分けてあげているようなものだ。さすがに他人の畑のミカンなどは採らないが、その誘惑もないわけでない(笑い)。ところが回りの農家は、畑の作物など人にあげない例が多い。こういう人たちとは(別人種なので)付き合わない。私の父もその兄弟4人も漁師で、漁師はだいたい「ほれ、持って行け」と気前よくヒトにあげるようなのだ。だが、それこそは狩猟採集民の「分配」の名残なので、決して「人格」に関わる形質ではないのだと思う。
 また、ここで紹介する本はすでに私の手元には無い。この仕事を始めた頃から、読んだ本はすべて人にあげている。蔵書というふうに蓄えない。私は学者ではないので、文献の正確さなど必要ないのだと以前から思ってはいたのだが、そうでなくて、「蓄える」農耕民でなく、移住し分配する狩猟採集民のスタイルに過ぎないと考えると腑に落ちる。
 ここで読んだ本はパソコン通信時代に記録したことがあるが、そのパソコンも処分されて、もはや読後感の記録さえもない。「検索」で記憶を再現しているだけです。それで詳しくは書けないのです。


原ひろ子「ヘアー・インディアンとその世界」
 極北カナダインディアンすなわち、イヌイットの暮らしのフィールドワーク。わずかの耕作と狩猟(ヘアーはウサギのこと)。エスキモーと呼ばれたこともある極地の狩猟採集民の末裔たちの生活が生き生きと書かれている。狩猟の成果は当然のように、みんなで分け合う。


吉田 敏浩「森の回廊」(NHKライブラリー、上下)
 「命の森の人びと」(理論社)
 著者のビルマ山地民族との1300日の解放戦線従軍記録。
カレン族は狩猟採集民ではないが、山地での自給自足を実践。焼き畑も。収穫前の時季はひもじい食生活が続く。狩猟から農耕への過渡期はこんな感じではないか、と思わせる。1年も経つと自然に還る粗末な墓、これが気に入っていた。(大宅賞)


立花隆「サル学の現在」
 類人猿すなわちサルもまた、人の同じ祖先から分枝して来た、いわばヒトの親戚のようなものなので、それらを知ることによって、ヒトそして祖先をも知ることができるわけだが、そうは簡単ではない。ヒトの世界に起こることはサルの世界でも起こっている(売春とか同性愛も)。これという規律など存在しないも同然だ、と言いたいようだが、実はヒトの生存ほど多様な生き方を選択する種もまた存在しないことがわかる。だが、多様な生き方はエネルギーを多消費してしまうのだ。いずれは資源や環境条件でブレーキがかかるだろうが。


他にも様々な世界各地の辺境の民族の暮らしに関わる本、読みました。そうそう、オーストラリアのアボリジニも。モアイのイースター島も。それらの知識が総合して今の自分を構成しているのかというと、それは心許ないですが、私の「人と自然」観の根幹かもしれません。

 人口が60億を越えようとしていて、食糧の未来が心配されるが、食糧をグローバルに考えると、そうなるけれども、ローカルにそこで収穫出来るだけで暮らしていくスタイルしか未来には残されていないのだ。肉食にもブレーキがいずれかかるだろうし、だいたい、人類総体が滅びることなどありえない。このように辺境で自給自足的に生き続けている狩猟採集民・農耕民は地球環境・気象の激変でもない限り、滅びることはない。滅びるのは近代文明(の恩恵を享受している人類)だけである。だから、文明の側に辺境民を引き寄せるようなことはやめた方がよいだろう。たとえ、そのライフスタイルが野蛮か貧弱に見えたとしても。

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