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天然記念物コミュの永福寺のびゃくしん(いぶき)

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 大阪府泉北郡忠岡町忠岡中1-14-3

 1970年02月20日、大阪府が天然記念物に指定。

 裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱ヒノキ目ヒノキ科 Juniperus chinensis

 浄土真宗本願寺派金清山功徳聚院永福寺に5株ある。最大の物は年輪800〜900年と推定されている。5株が全て樹勢旺盛で「大阪みどりの百選」にも選ばれている。
 柏槇(ビャクシン)は伊吹とも呼ばれ、朝鮮半島・中国中部・本州・四国・九州に分布する。葉は短く茎に密着し、互いに寄り合って葉の付いた枝は棒状の外見を持つ。時に針状の葉を持つ枝が見られる。葉の付いた枝はすべて上に向かって伸び、全体としては炎のような枝振りになる。太くなった幹の樹皮は赤褐色で、縦方向に薄く長く剥がれる。雌雄異花で花期は春。
 寺伝によると、寿永2(1183)年の木曾義仲入京に際し、平家本隊と別行動を取って紀州へ向かった平忠行(薩摩守忠度の子)を今井兼慈(義仲四天王の一人今井兼平の子)が追撃して大津川で撃破したとされる。この時、忠行が民家の戸板を楯代わりに大津川の土手に並べて防戦した跡に楯並橋が架けられ、忠行の遺体が近くの岡に葬られたため「忠岡」の地名が生まれたとされる。
 翌年、義仲・兼平が敗死すると、兼慈は一旦近江国伊吹山中に潜伏したが、建久9(1198)年に至って忠岡にあった宇多荘へ移住、その際、伊吹山より持ち帰って移植したのがこの柏槇だとされ、実際の樹齢と合致している。
 兼慈は安明氏を名乗って宇多荘の荘官となり、子孫もその地位を継いでいたがが、元弘2(1332)年、楠木正成が後醍醐天皇の命を受けて千早赤阪にて挙兵した時、安明兼孝は正成を助けて千早城に籠城したと伝えられる。湊川合戦で正成が戦死した後、兼孝は正成の菩提を弔うために天台宗の仏門に入って了願と名乗り、柏槇の横に永福寺を建立した。
 その後、明応7(1498)年に蓮如上人が立ち寄った際、浄土真宗に転向したと伝えられる。

コメント(2)

現地に解説板が無いのは残念でした。

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