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ラブリィ創価学会コミュの日蓮正宗のラッキー猫さんが対論から逃走

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コミュ内全体

 11月18日に突然私に法論を仕掛けてきたラッキー猫さんが、私の破折に対してまともな反論も出来ないままで、「選挙の為に創価批判ビラ撒きで忙しい」という題目のメールを最後に逃げ出してしまいましたので、この卑怯な実態を公開します!

 以下が、こちらからの最後のメールです。

−−−−−−−−

●ピンポン折伏でも忙しいで、無駄な時間は使えません

⇒ いったいどんな新体操をやっているのか知りませんが、クズ拾いをやって自己満足ですか?

(戸田先生の指導)
一、信心の弱い信者ばかり集めたがっている坊さんがいる、そんな坊主は学会くずれを拾って喜んでいる。
一、それぢゃその坊さん屑買いじゃないか、そんな屑集めて何になる。
一、その屑がね、総代になったり副講頭になったり婦人部の幹部になったりしているよ。
一、学会の屑っていう者は偉いもんだな。屑でないのはすごいたろうね。
一、凄いどころか、真金だよ、火にも焼けず水にも漂わず、教学に折伏に大童わだ、天晴れなものだ。
  (昭和二十七年十月二十日付)



●日蓮正宗は日蓮大聖人の言う通りに行動してるが、

⇒ 「万事を差し置いて謗法を責むべし」
このとおりに創価学会の私は、邪宗日蓮正宗のアンラッキー猫さんを破折しましたが、それに対して反論出来ずに逃げ出すことのどこが、日蓮大聖人の言う通りに行動しているなどと言えますか!



●創価は池田大作の言う事をそのまま言ってるだけの
●頭の弱い人間の集まりで有名です。

⇒ 今、こうして何の反論も出来ずに、自分から仕掛けた対論からトットと逃げ出したあなたのような頭の弱い、信心も弱い人間の集まりが退席痔派ですね!目の前の現証です!
だから700年以上もかけても世界に広められず、明治35年で信者はわずか3万人の弱小教団だったというのが歴史の事実ではありませんか!(哀れ)



●「本門戒壇の大御本尊と血脈付法の猊下」は生きている日蓮大聖人として

⇒ 御書には一切書かれていない、左京日教が唱え始めた「法主本仏論」の邪義を根本にしたあなたの邪義も破折しておいたのに、日本語が理解出来なかったのか、反論不能だったのか、どちらにしろ対論から逃亡のようですね?



●南無妙法蓮華経と仏の名前を
●唱え続ける事で自分の中の仏の命が湧いて来ます
●それが
●正しい信心のあり方だと
●私は文証出しましたね。

⇒ そんなのは創価学会が歴史上初めて全世界に広めた実践ではありませんか!日犬が言っているのは、
「だから私は、日顕が、に、に、に日蓮大聖人様なんて、一遍も言ったことない。ないけども、やはりそういう意味でのですね、あのー、この、しっ、信仰が、やはり富士門流の大石寺の信仰としてあることが、あー、伝わっておるという意味であります。」
という、邪宗の坊主の手紙の言葉を根拠にした「日犬宗」の旗揚げというただの邪義です!平成9年8月29日に全国教師講習会でこのとおり口走ったという事実を否定できないので、あなたは自分から仕掛けた対論から逃げ出したのですね?



●血脈切れの証拠もないのに何言ってんの!

⇒ すでに以下のとおりの破折をしておいたのに、何言ってんの!(大爆)
理解力が無いようですので、再三にわたって詳細に証拠を挙げて御説明しましょう。きちんと反論しましょうね?

◎大聖人は御書の中で、繰り返して「血脈を受けた」と称するような上人であっても、仏の金言に背く者には従ってはならないばかりか、糺していかねばならないと言われていますよ。

『かくの如きの上人を豈に邪見の人と云うべきや、答えて云く此の事本より私の語を以て是を難ずべからず経文を先として是をただすべきなり』(P.1207)
(通解:このような上人をどうして邪見の人と言うことができようか。答えて言うには、このことは本来自分の勝手な言葉で非難してはならない。仏の経文を根本にしてこれを糾さなければならない。)

 さらには、口決相伝を受けた者でも正しい文証に相違したら信じるな、というのが大聖人の教えです。これぞまさに、血脈は切れるものだ、ということを前提とした教えではありませんか!

『設い慈覚・伝教大師に値(あ)い奉りて習い伝えたりとも智証・義真和尚に口決せりといふとも伝教・義真の正文に相違せばあに不審を加えざらん』(P.307)
(通解:たとえ慈覚が伝教大師に会って習い伝えたと言っても、智証が義真和尚から口決相承したと言っても、伝教・義真の残した正しい文証に相違するならばどうして不審を加えないでいられようか。)

 分かる?口決とは口伝による血脈相承のことですが、たとえ口決したと言おうが、仏の経文という正しい文証に相違する者には、不審を加えるべきだと言われているのです。これこそまさに、血脈は信心が無くなった時に切れることを善手にしているからではありませんか!
 さらに、まだまだありますよ。

『師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたずね・あきらめたる人をろそかならば経文をすてて四依(しえ)の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてて口伝を用ゆべきか、伝教大師の御釈無用なり慈覚大師の口伝真実なるべきか』(P.1258)
(通解:師匠の口から伝えた人が必ず間違いがなく、後で調べて明らかにした人が愚かであれば、それを理由にして経文を捨て四依の菩薩につくべきであろうか。父母=仏からの譲り状を捨てて、口伝を用いるべきであろうか。 伝教大師の解釈も無用である。慈覚大師の口伝が真実であろうか。仏の言葉を根本にしなければならないのである。)

 分かりますか?口伝が経文に背いたら、経文を根本にせよ、というのが大聖人の仏法なのです。したがって、日顕が口から出まかせの邪義を口走っていたので、全世界の法華経の行者から厳しく破折されたのです。

◎次は、日因師の直筆で、相伝書が焼けて無くなっていたことを記録した文書です。

31世日因師の「袈裟数珠の事」(富要1-377)には、相承書は20世日典上人の時代に全て焼失してしまい、その後何人もの法主が相承して来たのは要法寺や比叡山の相承であると、悲惨な相承の歴史を述べられています。

「当山念珠の御相伝三通之れ有り、目師御筆、道師御目録之れ有り、然る処に十八代日精上人御代之れを失ふと見へたり日舜上人精師在府の砌り仰せ越され候へば長持の中に之れ有るべき由仰せ候へども之れ無しと見へたり、たとへ之れ有るも日典上人御代に大坊焼失の砌り焼け失せたる者か、故に今御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ故、日忍上人日俊上人已来数珠相伝に当山の相伝之れを失ふ故に要法寺日大上人叡山相伝之れ有り、喜ばしい哉、悲い哉、大衆方正法を守ると云へども近代上人は皆正法を失ひ天台真言の邪義に附する故に今日因之を改め近代上人方の附邪の法を疑ふのみ(中略)三には当山日目上人の相伝悉く房州保田に有る故、四には要法寺二代日大叡山相伝当山に伝ふ、故に知んぬ近代上人方、要法寺日大の邪伝に附するのみ。」(富要1-377)
(通解:大石寺に念珠の御相伝が三通あった。そのことは日目上人の文書や日道上人の目録に記載されている。ところが17代日精の時にこれを紛失したということが記録にある。(日精が日舜上人に相承を正しく行わなかったとして、日精を裁判所に告訴した文書や、それに対して日精が「日舜に渡したのは他山の相承だ」と反論したことが、退席痔富士学林所蔵の文書の中に書かれている。)日舜上人が、日精が江戸にいた時に、日精から相承を受けた際、長持の中に相承書があるはずだと言われたが実際は無かったと書かれている。たとえその時には有ったとしても、日典上人の時代に大坊が焼亡した際に焼失したのであろう。したがって今は相承書の目録の十七ケ条だけが存在しており、御相伝書は悉く皆失われたので、21世日忍上人や22世日俊上人以来、数珠の相伝についての当山の相伝は失われてしまったので、替わりに要法寺日大や比叡山の相伝がある。喜ばしいと言うべきか、悲しいと言うべきか。大衆たちは正法を守っているにも拘わらず、最近の歴代上人は皆正法を失ってしまい、天台真言の邪義を付属しているので、今、日因がこれを改めて、最近の歴代上人たちの付属してきた邪義を疑うだけである。(中略。その根拠として幾つか挙げて)三には大石寺に伝わる日目上人の相伝は全て房州保田の妙本寺に有る故に、四には要法寺二代日大や比叡山の相伝が大石寺に伝わっている、だから知っているのである、近代の上人方は要法寺日大の邪義の相伝を付属しているのだということを。」

と、悲しいことに、あるいは傑作なことに、大石寺には江戸時代の日典上人の時代の火事で数珠に関する3通の相伝書ばかりか、全ての相承書は17項目の目録しか存在していないというのです。「家中抄」日道伝(富要5-213)には、日目上人から日道に付属された相伝の目録の31ケ条が示されているというのに、ですよ!
 そればかりか、他山からかき集めて来て、日因師が復活させたという事実を記録している訳で、この文書について堀上人は日因師の直筆だという旨を記載しているのです。
 こうして、見事に血脈は途絶えていたのだという証拠が残されているのです!
 血脈相承がどうだ、とか日顕宗の者が偉ぶって言ったなら、以下の質問に回答してからにしてくださいね!
? 日典上人の時代に大坊が焼けて、相承書が全部焼けて無くなったと日因上人が直筆で書き残しているではないですか。
? 無くなったのは、3通の念珠の相伝だけでなく、全部だと書いているではないですか。
? 日因上人の時には、相承書は全部で十七ケ条の目録しか残っていないと書いているではないですか。
? その後数代の上人たちは、要法寺や天台真言の邪義を付属していたと書いているではないですか。
? 日目上人からの相伝は全て保田妙本寺にあって、大石寺にはないと書いているではないですか。
? 日顕が特別に持っている未公開の相承書とやらは、どこの山からかき集めた相承書か証明してみなさい。
(実は1800年代の初めになって書き残されたものだという記録が見つかっています。江戸時代の末期になってから書かれたような相承書のことを世間では「後世の偽作(こうせいのぎさく)」と呼ぶのです。)


◎日精は血脈相伝後にも邪義を主張している。

 日精なんかは、相伝を受けてから死ぬまで50年近くにわたって、一貫して「未来広布の時の釈迦造像が真実だ」という邪義を主張し続けていましたが、これこそ血脈相承には何の力も無く、相伝を受けていながら邪義を信じていた、つまり血脈が断絶していた証拠です。


◎堀上人 血脈断絶

31世日因師が書いた「有師物語聴聞抄佳跡」(日有上人談、日因上人記)には、正直に血脈が途絶えた歴史が示されていますよ。

「(日影上人が)会津実成寺に住居すの時 日時上人御遷化なり、之によって日阿代官として当山大坊に居住して日影上人を請す、然るに会津雪国にして翌年応永十四年四月御登山なり、日阿代官老衰病に遭い応永十四年三月十日遷化なり、此に於いて天台御相承等柚野の浄蓮に伝えて日影上人に授与す、又精師家中抄日影伝記には(乃至)血脈を伝うべき器なき故に柚野の浄蓮に血脈を授く、下山日順血脈を大妙に伝うるに例す、此則白衣なりと雖深信の故に之を授け御弟子日有をして御成人の時を待たしむるか(乃至)今私に之を案するに初説を実義となすべきか精師の記恐くは時人の口伝を記するものか」(富要1-222)

と、日時上人が亡くなられて、日阿が代官として日影上人を呼んだけれど、間に合わずに、日阿も老衰で亡くなられたので、在家の柚野の浄蓮に血脈を授けた事例が記録されている訳です。決して在家の柚野の浄蓮は当然法主にはならなかったのですが、大御本尊と相承書を伝えることぐらいは可能だった訳です。法主になるのに特別な立場や能力が必要なら、ここで血脈断絶の椿事が起きたことになります。宗門は言い訳のために必死で屁理屈をこねているようですが、どんな弁解をしようとも事実は事実です、否定は不可能でしょう。

 また、同様に堀上人も、
59世堀上人は「血脈相承の断絶等に就いて史的考察および辡蒙」の中で、
「元和八年昌師遷化と理鏡坊より相承を就師が継がれたのを史実と見ざるを得ぬわけである。この点において血脈断絶法水壅塞の形ありといわばいえるが、相承の内容に立入りて見るとき、御相承は、殊に金口嫡々のは授受の型式作法に権威ありや、御当人に権威ありやという問題が起こるべきであろう。しかして法式と実人とは何れが主なりやということを決定してかかる時、若し実人に適確の権威あらば授受の作法はこれを結成するための型式に過ぎざるから、就師のやうな場合でも、血脈断絶法水壅塞の不都合は無いわけである。若し然らずして作法にのみ大権威存在して実人は何人でも宜しいということならば、この場合の如きは血脈断絶の悲事となるわけである。また作法にも実人にも相互に権威あり法人映發して法主の大器を作るという事ならば、この場合は少なくも法水一時枯渇の状を呈する不祥事となるであろう。」
と、過去の歴代における血脈断絶・法水壅塞の可能性について、客観的な分析を試みられています。少なくとも、客観的には型式作法における血脈断絶・法水壅塞は起きていたという事です。それが退席痔派の血脈断絶の史実です。日精などはもっと見事に邪義を信じていたことが明らかではありませんか!



●日精上人は造仏思想などないですよ。

⇒ あらまあ?(爆)詳しく証拠を示しておいたのに、こうやって無視して逃げ出すしか能の無いおバカさんだったんですね?血脈が切れていたこと、日精が造仏思想を血脈相承を受けた後にも持っていたという事実をもう一度示しておきましょう。血脈相承には何の力も無い証拠です!

◎相伝にしろ唯授一人血脈相承にしろ、ただの幻想でしかない歴史的事実

 相伝書は、すべて堀上人が公開しました。学会はその公開された相伝書を理解して前進しているのです。
 また、相伝を受けていながら、明らかな邪義を主張し、その邪義を書き残した貫主が存在します。
 この邪義の法主は、法主を降りてから書いた家中抄でも、法主を降りて40年ほど経って、死ぬ数年前に書いた「日蓮聖人年譜」でも、なお一貫して邪義を主張しているのです。(後述しますので、反論出来るならば試みてください。)
 つまり、邪宗門が幻想にしがみついている「唯授一人の別しての法体の血脈」とやらは、日顕宗というカルトの、ただの狂った幻想でしかないという現実の証拠を示しましょう。

 17世日精(大石寺では戦後に18世と変更)が邪宗要法寺からスカウトされ、大石寺の法主に就任して1年経った頃に、花押入りで書き残した「随宜論」の中で、「大聖人が久遠元初の自受用身などとは信じられない」「日蓮は名字即と判じているのであって、未だ凡夫に仏の名を付けたのを見たことが無い」等と邪義を主張しているではありませんか。

(「随宜論」本文)
『久遠元初自受用身は即日蓮の事なりとは、此の一段甚だ以て不審なり。』
(通解:久遠元初の自受用身が即日蓮のことであるというのは、この一段の文章は非常にはっきりせず、疑わしい。)
『諸文悉く日蓮は名字即と判じて未だ凡夫に仏名を付くるを見ず。』
(通解:いろいろな文章はすべて日蓮のことを名字即の凡夫と判断していて、まだ凡夫に仏の名を付けたのを見たことが無い。)

等と、大聖人を御本仏どころか「仏」としても信じられない旨の言葉が書かれています。
 要するに、大石寺派の「唯授一人の別しての法体の血脈」とやらを受けたところで、全く大聖人の仏法の本質が理解出来ていなかったという歴史的な事実が存在する事実があるのです。この事実を一つ示したことで、すでに大石寺派の血脈相承の幻想は崩壊しているのです。
 しかし、日精は、大聖人を本仏と信じられなかったばかりか、自分自身は釈迦像を各地に造立させた上で、建立する「時」を間違っていた、正しくは国主が帰依した時に、御本尊の図のように造像をするのが正しい、とまで邪義を書き残しているのです。唯授一人の血脈相承などは、完全に幻想でしかないのです。

(「随宜論」本文)
『聖意測り難しと雖も愚推を以て之を謂はば、本門心底抄に云く「戒壇其れ豈立たざらんや。仏像を安置すること本尊の図の如し」文。此の文を以て推するに戒壇成就の日は仏像を造立すること分明なり。』
(通解:聖人の考えは測り難いけれども私の考えでこれを言えば、本門心底抄には「戒壇がどうして立たないことがあろうか。仏像を安置することは本尊の図のようにするのである」とある。この文から推測するに、戒壇成就の日には仏像を造立することは明らかである。)
『是れ即ち還て久遠の釈迦造立の明文にして敢えて不造の証文には非らざるなり。』
(通解:これ(五人所破抄の「図する所の本尊は亦正像二千の間、一閻浮堤の内未曾有の大曼荼羅なり」等の文)はつまり、逆に久遠実成の釈迦像を造立することの明らかな文章であって、あえて釈迦像を造立しないことを証明する文章ではないのである。)
『答えて云く、力有らば、魔王堤婆をも作るべし。』
(通解:答えて言えば、力があれば第六天の魔王や提婆達多の像も造るべきである。)
『答えて云く、古来より多義有りと雖も、愚意に任せば造仏を許すべきか。』
(通解:答えて言えば、昔から多くの考え方があるけれども、私の意見に任せれば、造仏を許すべきであろう。)
『答えて云く、聖人御在世に仏像を安置せざることは未だ居所の定まらざる所以なり。』 (通解:答えて言えば、(日蓮)聖人が在世に仏像を安置しなかったのは、まだ住所が定まらなかったからである。)
『板本尊を以て不造仏の現証と為すは甚だ非なり。』
(通解:板本尊があることを根拠に不造仏の現証だとするのは大変な間違いである。)

等と、何度も繰り返して、「釈迦像を造立することは正しい」、「造立の時については国主が帰依して戒壇成就の時である」、「釈迦像、多宝像、四菩薩像、第六天の魔王像、提婆達多像等を御本尊の図のように建立するのが正しい」という狂気の邪義を主張しているのです。
 しかも日精が「随宜論」を書いた目的が、日精自身が自分の主張を忘れないためだと明言し、将来の学者たちに忘れないようにとまで書き残しているのです。

「要用の文を集めて愚が廢忘を助くるのみ」
(通解:重要な文章を集めて、私自身が忘れるないように助けるためである。)

「日代上人の御書に云く、「仏像造立の事は本門寺建立の時なり。未だ勅裁無し。国主御帰依の時三ケの大事一度に成就させ給うべきの由御本意なり。御本尊の図は其の為なり」文。
 此の文、実録の内の興師の御義に符合す。然らば富山の立義は、造らずして戒壇の勅許を待ちて而して後に三ヶの大事一度に成就為すべきなり。
若し此の義に依らば、日尊の本門寺建立の時に先んじて仏像を造立し給ふは、一箇の相違なり。罪過に属すべしと云はば未だ本門寺建立の時至らず、本門寺と号するは又一箇の相違なり、罪過に属すべきや。此の如きの段今の所論に非ず。願くば後来の学者二義を和會せば造不造は違する所無くして永く謗法を停止して自他共に成仏を期すのみ。」
(通解省略)

 つまり日精は、自分が釈迦像を造立したことを大石寺派の僧俗から批判されたため、自分自身が忘れないようにという目的で、邪義「随宜論」を書き残したばかりか、将来の国主が帰依し、戒壇の勅許の時のために書き残しているのです。これらは完全な邪義です!

 お馬鹿な坊主や妙観光たちは、こんな都合の悪い事実は頭から否定するしかないと、「随宜論」の成立は、日精登座の前だ、後だ、本意ではない、などと、支離滅裂な主張をしています。
 しかし、登座(1632年)して1年以上経ってから直筆、花押入りで随宜論を完成(1633年)させ、造仏は「未来広布の時」との信念を書きとどめており、その随宜論の末尾には、日精が創建あるいは帰伏させた9ケ寺の名称を列記していますが、これらの寺の創建あるいは帰伏の時期とは、・第二 牛嶋常泉寺帰伏は1638年(寛永15年)・第四 半野妙経寺創建は1644年(寛永21年)であり、明らかに後年になってからの書き込みなのです。つまり随宜論は、1644年以降にも日精が「廃忘を助けるために」内容を確認したものなのです。

 つまり、法詔寺の住職のときに造仏(1624年)しておき、相承を受けた結果として命名された「日精」という花押を書き込んだのが
「寛永十年霜月」(1633年11月)
で、登座して1年半も後に、将来への自らの信念(国主帰依の時という遠い将来の造像のあり方について)を込めて署名捺印(花押)し、しかも、1644年以降つまり登座後12年以上経ってから、さらに9ケ寺についての書き込みを、日辰の主張した邪義を記した本文に対して一切変更を加えずに細かく書き込んでいるのです。いったいどこをどう読めば、随宜論が日精の本意ではない、という意味になるのでしょうか?このような文書をその人の本意と呼ぶのです。
 さらに日精は生涯そのような邪義を信念として持ち続けているのですから、邪宗門による口先だけの誤魔化しなどは風の前の塵以下です。
 結論として、こんな邪義を法主が主張しているのに、何が唯授一人の血脈相承でしょうか!血脈相承には何の力も無い証拠です。だからこそ、日顕のような脳乱管長が出現するのです!
 日寛上人の六巻抄の中の「末法相応抄」などは、この日精によって宗門に流れ込んだ邪義を破折する内容が随所に見られるではありませんか。

「広宣流布の時には両尊等を造るべきや。答う、広布の時と雖も、何ぞ之を造立せん」

 日寛上人の御苦労が偲ばれますが、堀上人がそうしたウソを洗いざらい暴露してくれたので、創価学会が出現して世界広布の時を開いたのです。


コメント(41)

●もう。結論が出たので はこれで終わりにしますから!

⇒ 何の反論も出来ない、という結論が出たので、アンラッキー猫さんは学会員との対論から逃げ出してしまいました!これこそが、邪宗の証拠です!大聖人の教えに完全に背いています!
 それでは、この内容を全世界の心ある方々に対してネット上で公開し、退席痔派のアンラッキー猫さんは学会員との対論から逃げ出したという事実を示して、終わりとしましょう!

>>[3]

それって、日蓮正宗の加藤くんってヤツの話でしょう?日記を全部削除して、完全に逃走してしまったんですよ!(大爆)

http://mixi.jp/list_diary.pl?id=34632176&from=navi
>>[3]

ところで、このアンラッキー猫さんって、池袋錠剤痔(常在寺)という店に所属しているそうですけど、「選挙の為に創価批判ビラ撒きで忙しい」ってことは、選挙違反の活動に法華講員は駆り出され、違法ビラを撒くので忙しい、ということですよね!

http://mixi.jp/show_friend.pl?id=44426980

その違法ビラを誰かが入手したら、犯罪行為として警察に取り締まられるんじゃないでしょうか?哀れな犠牲者が、またたくさん出そうですね?


このアンラッキー猫さんは、シッポを巻いてmixiのサイトから逃げ出したようですが、すでに証拠保全は完全になされていますので、後は錠剤痔の惚け講員たちが夜中にコソコソと住宅に投げ込む違法ビラを、指紋が取れるように丁寧に確保し、目白警察署の刑事課に提出すれば、アンラッキー猫さん一人の仕業なのか、あるいは錠剤痔と言う店をあげての悪行なのかは、警察や司法が明らかにしてくれることでしょう!

それにしても、宗教の名を借りた不法行為で忙しいから、法門の正邪を論じる暇が無いとは、絶対に大聖人の門下ではありません!天魔の門下です!


>>[6]

いったいいつ、どこで、誰が、そんな気色の悪い活動をしたのですか?ちゃんと証拠を示してから主張してください。
ひょっとしてあなたは、学会に所属していた時に、そのような指示(?)があったからと言って、バカ正直にそのとおりに行動したのですか?

「本化地涌の菩薩の本質は自発能動である」

との尺度に照らせば、受身の迹化の菩薩、あるいは江戸時代の農民がそうであったように奴隷だったのではありませんか?当時の帝政ロシアの農奴よりも、日本の農民は悲惨な状態に置かれていたことは、歴史上の事実です。

少なくとも私は、信教の自由の不可欠性は、人類が多くの生命の犠牲と引き換えに勝ち取った基本的人権ですので、あなたが少々不愉快であろうが、命を賭けて守るべきものの一つだと確信しています。

ところで、思想信条の自由や政党結社の自由は憲法で保障されていますが、これを守るためには、正々堂々と議論する一方で、たとえ反対者の意見であっても、その権利を命がけで守ることが人類に期待されていることです。
その努力を放棄したら、ユダヤとイスラムの争いのような、際限の無い殺戮の連鎖が待ち受けているだけです!

絶対に相手の生命の尊厳を破壊してはなりません!
一方で、退席痔派の多くの坊主のように、信者の上にあぐらをかいて、庶民を愚弄するような言動の者に対しては、断固とした制裁を与えるべきです!それが日蓮大聖人の教えの一つの本質です!




>>[9]

日本語が理解できませんでしたか?

いったいいつ、どこで、誰が、そんな気色の悪い活動をしたのですか?ちゃんと具体的な証拠を示してから主張してください。
>>[10]

> いったいいつ、どこで、誰が、そんな気色の悪い活動をしたのですか?
> ちゃんと具体的な証拠を示してから主張してください。

小学生か(笑)

てか、ダミアンさんの質問は

> 強引な新聞勧誘や強引な折伏が色々と問題がある事はご存知ですか?

ですからね。
実際にそう言った噂レベルは耳にしますから
これをご存知か?と言う程度に聞き流せない物ですかね。
ムキになって返すところを見ますと
あながち噂レベルではもないと、第三者はそう思いますよね。

加えて>>[8] でのs-tanakaさんの発言はこうです。

> 学会に所属していた時に、そのような指示(?)があったからと言って、
> バカ正直にそのとおりに行動したのですか?

これって組織的指導でその様な指示がある可能性も否めないという発言ですよね。
つまり、この時点で認めているようなものですね。

更に言えば、その様な指示が上からあったとして
その狂った指示を責めるより、そのまま受け取るほうがバカであると言うあなたの解釈は
かなりイカれていると思います。

これ、s-tanakaさんがご自身の自己紹介に書かれている
「幼い頃から、イジメっ子をやっつけて、苦しめられていた友を守る生き方をしていたので、今でも権威主義で高ビーな、上から目線の悪人と戦うのが趣味です!」
とは真逆の発言で
発する矛先は「権威主義で高ビー」は放置して
言われるがままそれに従う人間をバカだと貶している事になりますね。

まー、s-tanakaさんの発言はいつもそうなんですけどね。
習いたての何も知らない大石寺信者には強気な発言をして
自分とは考えの違う創価学会には何一つ文句は言わない。

これ、完全に「権威主義で高ビー」に対しては顔色を伺い
自分が勝てると思った相手だけを標的にする。
なんとも姑息な人間であろうという印象しか持てませんね。
>>[14]

近年における座談会自体が"座談"の体を成してないと言うのが現状ですからね。
組織をやめる直前にいろいろと座談会の場で問題定義をぶつけてみたものの
座談は名ばかりの結果発表会の場と化していましたから
即刻、黙らせられたと言う感じでしたけどね。

今の学会には一切の問題を抱えている事はなく
皆、会員は幸せに満ち満ちていると言う事らしいので
それはそれでいいのではないかとも思いますが
周りを見渡すと、目を背けおどおどしながら
ただ終わる時間を眺めている人の存在が
目に入らないのかと言う疑問もありましたが
それすら問題ないとの事ですから、やはりそれも問題ない事なのでしょう。

今の創価は会館建設ラッシュと言う多造塔寺堅固を経て
今正に闘諍言訟して白法隠没せんと言う事は僕もそう思っています。

ま、末法来たれりってとこですね。
>>[16]

えーとですね。
僕自身、創価学会が公明党を支援するって行動自体は基本的にアリなんすよ。
但し、その公明党が法華経を元としている政党であればってところですかね。

俗に「法戦の戦い」(これ戦いって文字が被ってるし、どうせなら法宣の戦いにすればいいのに)に
功徳がある(と言うかあった)と言う事も否定はしません。

書く言う僕も、ある一定期間まで公明党を支援しておりました。
理由は簡単です。
それは法宣の足がかりにでもなればと言う観点ですね。

基本僕が創価において求めていた事は法華経を流布すべき事。
つまりは法宣ですね。

通常仏法対話と言う物は難しい仏教用語を解説しながら
あれこれとその思想の説明をするわけです。

ある程度の仏教用語をかじっている人に対してならこれは容易な事なのですが
全く知らない人に対し一から説明するのはかなり大変な作業なわけです。
その時に利用していたのが選挙の支援活動なわけです。

難しい仏教用語を並び立てるよりは公明党が実現すべき政策を並べ
これが我々の目指し行く道なのです。
こう説明する事により、それに賛同していただけるのなら一票を投じてください。
また、一票を投じて頂けるなら我々の思想と言うものを理解してくださいという流れ
そこでまた仏教の話をするわけです。

つまり、選挙活動とは言え大局で見れば
全ては法華経を流布すべく足がかりになると言う事です。
だからこそ支援していたと言うところですかね。

ところがですね、その公明党がどうにもこうにも
法華経とは真逆の政策を打ち出してくる様になってきた。
こうなると法宣もなにもあったものではありません。
公明党が法宣はおろか法を下げる政党に感じ始めた時点で
僕は組織にいながら選挙の支援はやめましたね。
邪魔なだけですから。

これは当然の話であると思います。
ダミアンさんがおっしゃるよう創価学会は宗教団体であり政治団体ではないのですから。

てかねー。
僕は現公明党を支援し続けている学会員さんって
ホントご苦労様なという気持ちでいます。
てのは、彼らの政策においてなんの共感の持てるところもありませんもの。
そりゃー選挙違反スレスレにまで迫らなければ票は稼げないと思いますし
また、そうする事が更に票を減らす行為へと追い込んでいるわけですから。

法戦の戦い?
そりゃーかつては功徳と言うものに繋がる物があったかもしれませんが
今はその理論的にも何の得もない事は解る人には解ると思います。
ま、欲に溺れている人には無理なんでしょうけどね。
ちなみに言えば、聖教新聞の新聞啓蒙や創価学会への入会を促す
いわゆる"折伏"と言う行為も創価学会と言う組織が法華経を元としている団体であれば
その功徳と言うものは理論的に発生はする。

しかし、創価学会と言う組織が法華経と言うものを完全に捨て去ってしまっていれば
その功徳とやらは発生しない。
それだけの話です。

> 内容が薄くなっても御書講義があり、一応宗教団体としての活動でしたが

宗教団体として体を成すと言う事であれば
それは何の思想を元にしても宗教団体と言う形とはなるでしょう。
ただ法華経を捨て去り池田思想を根本としているとなると
そこに、その功徳とやらは発生しない。

僕は別に御書講義があるからと言って良いとは思わないんですね。
例えば法華経講義だけなら真言の空海だって行っているのですが
彼の講義は法華経を所用しながら、その理論を大日経を元に法華経を所破しています。
つまり、見せ掛けは法華経を説いているかのようにして
実際は法華経を誹謗しているわけです。

創価も同様の行為をやっているわけで
下手に御書を引用する事が余計に不幸な結果を招いている状況であるとも言えるわけです。

現在の創価学会が選挙活動へと駆り立てる根本原因は
組織の上から言われるがままと言う側面もありますが
それ以前に選挙活動が功徳へとつながるであろうと言う会員たちの欲の部分が
大きく作用していると思っています。

ですから、選挙活動そのものがいくら信仰ではないと口で言ってみたところで
今、創価の教えに邁進している人には通用するわけがないと思います。

それより何より、選挙活動をしてもそれが何の得にもならない
と言うよりはそれが翻って仇となると言う事を身を持って体験するしか
道はないのかなと言う気持ちでいると言ったところでしょうか。
>>[18]

政教分離は確か日本の国法の中の一つですね。
言ってみりゃ文化圏の中で生まれたその国の中での法と言うわけです。
ですから、これ自体に僕は賛成も反対もないわけですね。

政教分離を敷く思想の背景としては悪教が政治を司ると国がおかしくなるので
その防御策の中で生まれた法であると言う事です。

これが例えば聖教が政治を司るとなんら問題なく政教分離の必要も無くなってくるわけですから。
ちなみに当然の話ですが創価学会の思想は聖教と称している物の
蓋を開ければ聖教でもなんでもない、とんだ悪教だと思いますので
国を守るためにも政教分離を強く押していかねばなりませんけどね。

法華経本来の思想は「利他の教え」にあるわけです。
ところが公明党、創価学会の教えは創価学会を守るための「利己の教え」にある
この部分が問題なわけです。

> 「池田先生を総理大臣に」…

これ、池田先生たる人物が「利他の人」であればそれもまた良しでしょう。
でもどう考えても、池田先生たる人物は「利己の人」ですからね。
こんな人物を総理大臣に据えたらとんでもない事になってしまう。

ま、その前に国民はもっと賢明ですよ。
僕も現状のままの公明党には頼まれても入れる気はありませんから。
>>[6]

折伏であれ、選挙であれ、その他の全ての活動であれ、目的は人間生命(本尊の当体)のより良い自己実現(「幸福」というと手あかが付き過ぎた概念ですので)のためであり、その手段である、ということを常に学会の同志に訴え続けています。

そうした基準に照らして、また狭い日本の文化ではなく、世界の常識に照らして、一つずつ思索することをお薦めします。

?F活動する宗教的意義

EU諸国には、キリスト教民主党のような宗教的な信念を基盤として社会貢献を目指す政党がありますし、国によっては戸別訪問が民主主義の必然的なあり方として合法であるという制度の国もあります。
学会は、当初は差別された貧しい庶民を基盤にして発展して来たことは、「貧乏人と病人の団体」「社会の落ち穂拾い」と中傷されたことから御承知のことと思います。昭和40年代に公明党が進めた最大の成果は、公害問題の解決への制度整備と福祉政策の推進です。
今、その頃の燃え上がるような庶民への熱い思いのある議員がどれだけいるのか、という質問であればいろいろと語りあうことが出来るのでしょうが、「F活動(政治活動)の意義」などという、あまりにも世界の常識からかけ離れた質問には、どのように回答して良いのか悩むところです。

?名簿片手での電話で投票依頼

私は親の宗教(生長の家)の関係である自民党議員の応援をしたことがありますが、似たようなことをやっていましたよ。何を基準にして質問をされているのか、詳しく表現してください。

?成果(人数)重視の活動
それは私がいつも学会の組織の中で訴えている「目的と手段の転倒」のことですね?私は、いつも池田SGI会長の指導や実践を通じて「目的と手段とを間違えるな」と訴えて、その結果、私が担当した地区も部も本部も大変な発展(人数の成果ではなく、事実としての奇跡的な功徳の体験談の続出)をすることが出来ました。

「本化地涌の菩薩の本質は自発能動である」

との池田SGI会長の指導に照らすならば、あなたは外道の信心(環境に紛動される価値観)、迹化の菩薩の生き方をされていたのではないでしょうか?

五重の相対も、すべての仏法の価値観も、自分自身の生命の変革の尺度なのです。
環境を変革することについて、仏法では一念から三千世間を生み出す、というふうに示されていますが、科学的に言えば、前頭葉のシナプス形成を起こして、五陰を創造し、諸々の如々として来たるもの(未来)を創造するということなのです。
こうした普遍的な知識と智恵を磨き続けないと、日蓮大聖人の教えでさえも、コップの中の価値体系で終わってしまうのです。

>>[18]

日本人の民度の低さが、昔の学会員の実態とダブって見える悲しい体験ですね?

>「池田先生を総理大臣に」…なんて話を聞くたびに「おかしい」と思った子供時代

私は一度もそんな話を聞いたことが無いので、ダミアンさんはかなり厳しい環境におられたのだと推測します。そんなことを主張する学会員は、間違いなく「おかしい価値観」です。権威主義者の傾向性が強い方だったんではないでしょうか?

私は日蓮大聖人の言葉を基準にものごとの全てを思索するように努めていますので、池田SGI会長の指導が昭和55年から激変して(ゆがんで)いることや、平成3年以降は大聖人の言葉のとおりになっていることが理解できて、大変納得しています。

ちなみに、幹部であっても難を受けてながら妙法を広めていない方の話は耳に入りません。

「難も受けずに人に指導する者は、人を地獄に導く獄卒である」

という牧口会長の指導が大聖人の御書と重なっているので簡単に見抜けるのです。

人生のものさしを、大聖人の言葉に徹して確固たるものにすることです。







論客の堅皇とs-tanakaさんの法論をワクワクしながら見ているのですが、
s-tanakaさん、堅皇さんが斬ると途端に黙って堅皇さんとの法論を避けてますよね。
ちゃんとメモに残して読むようにしています。
s-tanakaさんは、堅皇さんの前ではすごく可愛いく見えるのが不思議です。笑
>>[24]

別に単なる争いのためにコメントしているのではありません。
限られた人生の時間の中で、どれだけの価値を創造できるかに自分なりに挑戦しているだけです。

評論家ではなく、主体者として、地球の歴史に関わることをお薦めします!

一億総評論家のこの島の外道の価値観に染まらぬようにね!

>>[26]

不軽菩薩は四衆の中の心不浄な者たちから罵詈されただけでなく、杖木瓦石で打たれるまで信念の言葉を主張したんじゃないんですか?

●一般の人を不愉快にするのが不軽菩薩とはとても思いません

不愉快になるのは、語る方に真心が不足している場合と、聞く側に生命の不浄がある場合の両方が考えられますので、単純なものではありません。

で、ダミアンさんは、不軽菩薩の生き方に挑戦をされないのですか?大聖人の弟子として。


>>[24]

評論家は必要である。
全ての人が主体者としてなってしまえば客観的な判断を失う事になってしまいます。
その場合、誰が暴走する主体者を止める事が出来ようか。
当然と言えばなんだが評論家の存在はやはり必要であると言えるのである。

ただ、全ての人が評論家となるのも確かに問題ではある。
主体者無き状態の上で評論家は一体何を評論するべきかと言う話になってきます。

ただまー、s-tanakaさんの様に評論家の否定を促すかのような発言を繰り返す人がいる限り
評論家の存在は不可欠であるとも言えますので
バンバン思った事を評論する事はとても重要な事であると思います。

なんて言うかなーs-tanakaさんの言ってる事って
裁判には、裁判官も陪審員もそんな物は必要ない
ただ、主体者としての被告と原告が直接的に言い合えばそれで全てが解決すると言っているような物です。

要するにこの人の言ってる事は頭の中が少々・・・てな感じですかね。
>>[26]

御無沙汰しました。日犬宗破折の功徳で仕事が3倍増になり、おかげで連日終電近くまで企画・設計などの作業に精出し、今日も明日も大学教授たちとの打ち合わせです。本当に有りがたい功徳です。


>日本人が民度が低いとかの発言は
>不軽菩薩ではなく増上慢の言葉です

大聖人ご自身が、妙法を誹謗する日本の衆生を三毒強盛の凡夫と称しているように、民度が低いと正しい正邪の判断が狂う、というのが歴史的な真実なのです。しかし、一方で仏界への無限の信頼ゆえに、誹謗中傷をものともせずに邪義に対する折伏を続けて、目覚めを起こすのです。これこそ不軽菩薩の振る舞いではありませんか?私も弟子の道を進みたいと願っています。

ところであなたは以下のような主張とデータはご存知でしょうか?日本人の江戸時代の農奴の時代からの盲信の習慣は、明治以降の国家神道によって一層磨きがかかり、第二次世界大戦中の大本営発表をそのまま信じた愚かさでピークを迎えたと思われますが、現在においても本質的な変化は起きていないと考えられます。

ーーーーーーーーーーーーー
「日本人の情報民度」について、米国ギャラップ社、ノルド社会環境調査研究所、(財)新聞通信調査会、日本リサーチセンターが調査した結果には考えさせられるものがありましたので、ご紹介します。

以下は国際調査における「テレビや一般新聞紙の報道をそのまま信じる」という人の国別の%です。

        2000年      2005年  (単位:%)
日本      70.2       72.5
韓国      64.9       61.7
中国      64.3       58.4
オランダ    55.7       31.7
ドイツ      35.6       28.6
フランス    35.2       38.1
ロシア     29.4       36.0
アメリカ     26.3       23.4
イギリス     14.2       12.5

(日本リサーチセンター)

マスゴミ報道への「盲信度」を国際比較すると、日本人は、先進国の中では飛び抜けて「うのみ度」が高く(70%)、最もマスゴミを信じない国民は英国で14%で、その他の主要欧米諸国でも20〜35%です。こうした調査結果から、日本人は世界で最もマスゴミ(テレビや一般紙)を盲信する傾向が強いことが明らかになっています。

また、(財)新聞通信調査会による全国世論調査の結果では、各メディアの情報の信頼度に関する質問で「全面的に信頼している」を100点とした場合、NHKテレビが73.5点、新聞(一般紙)が70.9点、民放テレビは63.6点、インターネットは58.2点でした。(2010年末)
この結果は、自分の頭で考えず(思考停止ということ)、テレビ、新聞、週刊誌などのマスゴミの情報を盲信していること、戦争中の大本営発表に洗脳されたと同じように、情報操作による世論誘導をされやすい国民性であることを意味しています。

昔からある民度という言葉で言えば、日本人の民度は先進国中ダントツで最下位にあるとも言えます。自分で中身を確かめず、ブランド、権威で判断してしまうことにも通じています。
マスゴミに対して、「ヒラメ」(上ばかりみている)であり、「ヒツジ」(何でも信用してついて行く)であるとも言えます。
日本人の70%は情報民度が著しく低く、マスゴミに「洗脳」されているとも言えます。
マスゴミの情報操作による世論誘導に最も陥りやすく、独裁にも呼応しやすい国民性を持っているとも言えます。

>>[32]

お誘いいただきありがとうございます。
とりあえず登録はさせていただこうと思いますが、あまり訪問する物理的な時間は無いと思います。なぜなら、オフでほぼ毎週土日には、創大生や未入会の友人への激励や対話が入っていて、そうした方々へのメールでのフォローとか、私個人のメーリングリストでの全世界の同志への発信とか、おかげさまで超多忙な状態で、これに仕事が3倍増になったもんで(苦笑)、このところ睡眠不足が続いているようなありがたさです。


>参加しますか?それとも逃げますか?

可哀想ですが、世界広布を自らの責任として自覚していない人間のいきがりにしか聞こえません。その程度の覚悟だから、「仏法西還」を成し遂げた使命の集いから脱落したのだと確信します。

そういえば、今日の聖教新聞に、インドのメンバーが6万人になったという記事がありましたよね?毎回見るたびに、月氏の国のメンバーが確実に増え続けているのを見ても、なにものにも壊されないSGIは確立した!との池田SGI会長の宣言は真実ですし、出世の本懐は成し遂げられたのです。
いろいろ舌先三寸で誹謗中傷している輩とのレベルが違いすぎるのです!

「道理・証文よりも現証には過ぎず」
のような大聖人の御金言が最大の激励ですね!

>>[30]

本当にお暇な人生を送っておられるようですね?
いったい後わずか1万日前後の短い人生で、釈尊の、大聖人の一閻浮提広宣流布の御遺命にどれだけ貢献されるつもりなのでしょうか?
それとも臨終の刻みに深い後悔に苛まれながら今世を去るつもりなのでしょうか?


>ただまー、s-tanakaさんの様に評論家の否定を促すかのような発言を繰り返す人がいる限り
>評論家の存在は不可欠であるとも言えますので
>バンバン思った事を評論する事はとても重要な事であると思います。

そのような評論家が存在するおかげで、法華経の行者の栄光と受難の道が保証されるので、ありがたい限りです。しかし、私は絶対にそんな評論家の人生など送りたくはないですね!真っ平ごめんだ!


>なんて言うかなーs-tanakaさんの言ってる事って
>裁判には、裁判官も陪審員もそんな物は必要ない
>ただ、主体者としての被告と原告が直接的に言い合えばそれで全てが解決すると言っているような物です。

この島には、少数の裁判官のような権威主義の御用学者と、大多数の奴隷と、それらを食い物にする第六天の魔王の化身のような権力者とはいるけれど、革命を起こそうとする主体者は非常に少ないというのが、秀吉の刀狩り以降の歴史のようですね?

わずかに吉田松陰が「草莽崛起」という大聖人の哲学を根本に、少数の革命児を短期間に育てて、明治維新を成し遂げた程度で、革命の主体者が極めて少ないということが、日本という素晴らしい国土にとっての最大の欠点なのかも知れません。

あなたはどの立場に立つつもりですか?


>>[33]

で、その米国ギャラップ社、ノルド社会環境調査研究所、
(財)新聞通信調査会、日本リサーチセンターが調査した結果とやらを比較した上で
早くSGIの公称人数をおしえてくれませんか?

中国の様に信教が規制されている国はともかくとして
いい感じに合致するのではないのでしょうか。

これヒラメ型と言う現状よりは何故にヒラメ型に陥るかと言う
文化の違いもあるわけですね。
代表的なのは家族関係のあり方
日本、朝鮮、ドイツなどの直系家族型の場合
親の権力が物をいい、それに慣れ親しんでいる分
比較的権威に左右されやすい国でありヒラメ型に陥りやすい。

もっともドイツはナチスの経験を踏まえこの路線から脱却し始めているわけですが
日本や朝鮮などはまだまだですね。

このパターンの国は創価学会等のヒラメ型宗教が受け入れやすい国。
要するに鵜呑み大国ってわけですね。

次いで共産圏を代表とする中国、ロシアなどの共同体家族型。
平等主義核家族型のフランス、イタリア、南アメリカ
絶対核家族型のアメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアと続いていきます。

このデータを見るだけでもどの国で創価学会が広がりやすいかが見えてきます。
もっとも信者数の獲得を目指したいなら
ターゲットにするべき国は群を抜いて日本と韓国。
中国は共産党を取り込めば一気にその勢力は広がりますが
果たして落とせますでしょうか?
それなりに頑張って見てはいますけどね。

とは言えトップスリーの日本と韓国、中国においてもそろそろ手詰まりではないかと思います。

して、このデータでも解るように
アメリカやイギリスの絶対核家族型の人を仮に入会まで持っていっても
そこからの広がりを見せるのは困難なのです。

と言うのはこれらの文化圏では権威権力があまり効果的とは言えず
個人の価値観が違うため
ねずみ算式にはなかなかに増えないと言う事が挙げられます。

で、何度も言いますが
早くSGIの公称人数をおしえてくれませんか?

マスコミの事をマスゴミなんておっしゃいますが
同時に創価学会員における聖教新聞の鵜呑み度も同時に数字化して欲しい物です。
>>[34]

あのー、僕は裁判官だけではなく陪審員にも触れているわけなんですけどね。
>>[33]

どうせ答えないだろうからこちらから参考数字を出しますね。

創価学会の公称信者数:821万世帯
SGIの公称信者数:150万人
うち韓国が2〜40万人程の実動会員
アメリカには3、40万人程の信者がいると見られている。

ちなみに韓国の人口は約5千万人ですから0.4〜0.8%の創価会員がいると言う事で
アメリカの人口は約3億人ですから0.1%程度の創価会員しかいないと言う事になります。

奇しくもs-tanakaさんが提示された
「うのみ度」の高い日本と韓国にのみ創価学会が広がりを見せていると言う結果になるわけです。

更に192カ国の中から、一位アメリカ、二位韓国の
その数字を引くと70〜100万人程度と言う事も解りますので
それ以外で広がりを見せている国はないと言うこともこの数字は物語っていますね。

但し、これらはあくまでも2005年でのデータ。
その後どうなっているのか(増えているのか減っているのか)
創価学会からも公式発表は成されていません。

そこで、お伺いしたいのは現在の数字です。
この数字にご不満がありSGIは確実に発展しているのだと主張したい場合は
明確な現在のSGIの公称信者数を提示してくださいと申し上げているわけです。

別に実働信者数を提示してくださいと言ってるわけではなく
ここは優しく公称信者数を提示してくださいと申し上げているだけなんですけどね。

国内の創価学会の停滞を指摘すると直ぐに192カ国と海外へと逸らそうとするので
ここはキッチリと海外にも目を向けようかとも思いましてね。

ちなみに国内情勢とすれば公称信者数821万世帯と言っておりますが
聖教新聞発行部数は1990年代から2006年まで550万部
更にはこれも2007年以降の数字はこれまた発表されていません。

2005年衆議院の公明党比例得票898万票に対し
今回の衆議院の公明党比例得票は711万票と考えると一体どうしたものかと。

創価学会と公明党を一緒にするな?
では、今現在、今年の聖教新聞発行部数は一体何百万部なのでしょう。
教えて頂けると幸いです。

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