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言語学コミュの拘束形態素/自由形態素、自立語/付属語という形式的、非科学的分類について

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コミュ内全体

言語学でいう形態素とは、意味をもつ表現要素の最小単位。ある言語においてそれ以上分解したら意味をなさなくなるところまで分割して抽出された、音素のまとまりの1つ1つを指すと定義される。

さらに、これを拘束形態素/自由形態素に区分する。また、語彙的な意味を持つものとそうでないものに区分し語彙的な意味を持つ形態素を語根 (radical/root) とする。例えば、「たか-さ」「たか-い」に共通して現れる「たか-」は語根であり、「空間的な位置が上方にあって下との距離が大きい」(『広辞苑』)という語彙的な意味を持つ。これに対して、「-さ」や「-い」に語彙的な意味を認めるのは難しく、むしろ、「-さ」は「たか-」を名詞として機能させる形態素であり、「-い」は「たか-」を形容詞として機能させる形態素であると考えられる。この「-さ」や「-い」のように、機能的あるいは文法的な意味は持つが語彙的な意味は持たないと考えられる形態素を機能的形態素 (functional morpheme) または文法的形態素 (grammatical morpheme) という。

さらに、文法的形態素(ぶんぽうてきけいたいそ)とは、語根 (基礎語幹) で示す観念を特定の文法範疇へ方向づけるものであるとするが、これを日本語に適用してみると奇妙なことになる。

先の「たか-さ」「たか-い」に共通して現れる「たか-」に語彙的な意味を認め、「-さ」や「-い」は、機能的あるいは文法的な意味は持つが語彙的な意味は持たないと考えられるとするが、「-さ」の他に「-み」があり、「高さ」と「高み」は異なる意味を持つ。つまり、「-さ」「-み」は語彙的な意味を持っているのである。

さらに、「たかい」は「たかく」「たかけれ」という活用を持ち、「-い」を「たか-」を形容詞として機能させる形態素であると考えると、「たかく」「たかけれ」は形容詞ではないことになり「く」「けれ」がいかなる機能をもつ形態素なのかが宙に浮いてしまうことになる。

「たかい」「たかく」「たかけれ」は全て同じ意味の形容詞であり、「たかさ」「たかみ」は名詞であるのは明らかであり、全く事実とことなる区分、論理であることが判る。

学校文法における、自立語/付属語の定義を見てみよう。

・自立語は,文節の初めに来る単語で,単独で1つの文節を作ることができます。
 1語で意味を表すことができます。
・付属語は,自立語の後につき,自立語にさまざまな意味を添える単語です。
 通常ひらがな1〜3文字で,単独では意味を表すことも,文節を作ることもできません。

この例として、「涼しい高原に住む祖母のところへ行く予定です。」を挙げ、「行く」を自立語としている。

しかし、「涼しい高原に住む祖母のところへは行かない予定です。」にすると、文節「行かない」の場合「行か」は単独で用いられることがなく、助詞「う」「まい」「ない」を伴って初めて文節となり意味を持つ。つまり、「行か」は自立していないと言うしかない。「行く」が自立語というのは終止形の場合や、命令形「行け」の場合にのみ言えることで、仮定形の「行け」もこの形自体が仮定の意味を持つ訳ではないのである。つまり、見掛けの都合のよい現象を取り上げただけの現象論でしかないのが明らかである。

このように、形態素、自立語/付属語というのは、何ら語の本質的な区分ではなく、現象的な形式、機能を捉えた非論理的な概念であるため、学習者も言語事実、実感との相違に悩むことにしかならない。

これは、現在の言語学が依拠するソシュールに始る、ラングを言語本質とする言語論の本質的な欠陥を表すものであり、このため、本トピック欄の主観的/客観的や「は」と「が」の区分などの疑問も本質的な解明が出来ない根本的な理由と判断されます。

この点、ご意見を伺えればと考え提起させていただきます。■

コメント(7)

コトバを客観的に見るには、現象的な形式機能を捉える以外ない、と思いますが。
科学は対象の本質を捉えなければなりません。
天体の運動も単に現象を記述するだけでなく、その現象が何によってもたらされるかを明らかにしたのが、ニュートンの万有引力と物質の運動法則の解明で、これにより自然哲学が自然科学となり、古典力学が展開されました。

ニュートンによる万有引力論も当時のデカルト主義者からは、物質どうしが空虚な空間を隔てて直接に引力を及ぼし合う、あるいは物体にそのような性質が備わっているというような主張は学校哲学のいう「隠れた性質」と同じことではないかという非難を受けました。このような、機械論的自然観、現象的な形式機能を捉えるしかないデカルト主義者の限界を克服し、その現象、機能が何故生まれるかを明らかにしたのがニュートン力学です。

科学は現象、機能の記述ではなく、何故を問い、対象の本質を明らかにし、それを支える法則を明らかにしなけれななりません。現象的な形式機能は宙に浮いている訳ではなく、本質の作用、顕現として解明されなければなりません。

この点、現在の学校文法、新記述文法、構造言語学、生成文法、認知言語学は言語の本質を捉えたものではなく、現象論、機能論に過ぎません。

自立語/付属語というのも単なる現象でしかなく、なぜそのようになるのかを明らかにするのが科学的言語論です。拘束形態素/自由形態素というのも又、単なる現象論で、語が拘束などという機能を持っているはずがないのは明らかで、言語の本質を捉えることができないための現象論に過ぎません。

根底にあるのは、言語とは何かという本質を明らかにできず、ラングを言語本質とする誤ったソシュール言語観のパラダイム下にある現在の言語学の限界です。

この限界は、すでに昭和16年、真珠湾攻撃の年に刊行された時枝誠記により、言語実体観、構成主義的言語観として批判され、科学的言語論として言語過程説が提起されましたが、その意義が明治以来の西欧崇拝の学会に理解されることなく現在に至っています。

この時枝による言語過程説の提起を、言語学のコペルニクス的転回と評価し、それを発展、展開したのが三浦つとむによる認識と言語の理論です。

これこそが、現在の言語学のパラダイムを超え科学的言語学の基礎とされねばならないものです。

これにより、機能語/実質語、自立語/付属語という形式主義、機能主義的な語の二分の根拠が明らかになります。

今後、現在の学校文法、言語論の誤りを明らかにし、その批判を展開したいと考えています。■

脱漏がありましたので、補綴させていただきます。

昭和16年、真珠湾攻撃の年に刊行された時枝誠記により⇒昭和16年、真珠湾攻撃の年に刊行された時枝誠記『国語学原論』により、

なお、『国語学原論』は現在、岩波文庫にて上、下巻に別け、出版されています。■
>>[2]


簡単にネットで調べたのですが……。

その言語過程説という考えは、いわば言語を「神のモノではなく人間のモノだ」と捉えなおす、かなり東洋的とも言える思想のようですね。

いわゆる認知言語学にも近いようですし、現実に恐らくは客観的な正しい学説なのだ、と感じます。
いわゆる西ヨーロッパの言語学なる考えが、どれほど物理学・数学といった自然科学から少なからぬ影響を蒙ったのか、という……。

その歴史に刻まれた、合理主義(ヘレニズム)と宗教(ヘブライズム)の結びつきソノモノが、いまや旧体制(アンシャン・レジーム)なのかも分かりません。
そうですね。

魔女狩りにより、キリスト教以外の宗教が焼き尽くされた後の、西欧近代合理主義社会を古田武彦はキリスト教単性社会とし、その論理をキリスト教単性社会の論理として限界を指摘し、日本古代史はもとより西欧古典学の誤りを正しています。

「新古代学の扉」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html
を参照下さい。

ソシュールに始まる近代言語学も、このキリスト教単性社会の論理である形式論理の枠内で思考しています。

時枝誠記は弁証法的な思考に基づき言語過程説を提起しましたが、キリスト教単性社会の論理である現象論哲学に依拠し、観念論、機能論的な偏向を克服することができておらず、この点を克服したのが三浦つとむによる認識と言語の理論です。

物理学・数学といった自然科学の弁証法的性格を指摘したのが、トマス・クーンの『科学革命の構造』で展開したパラダイム論ですが、キリスト教単性社会の論理である形式論理に依拠する論理実証主義者のカール・ポパーらから反撃を受け、その意義が理解されていないのが現状です。この辺の状況は、『科学革命の構造』(みすず書房)の補章、あとがきに触れられています。

古典力学などの近代科学の成立については、山本義隆『重力と力学的世界―古典としての古典力学』に始まる一連の著作で磁力、天文学についても展開されています。

生成文法を信仰する、福井 直樹が『生成文法の企て』 (岩波現代文庫)で、『重力と力学的世界―古典としての古典力学』を参考書籍として挙げていますが、全くの誤読によるもので、彼の科学理解の限界が窺えます。

このような、戦後の生成文法や構造主義的な言語、文法理解の限界を真に科学的な言語過程説の展開により克服する地点に至っていると考えております。

なお、言語過程説は工学的な翻訳システムの理論的基礎としても採用されており、『自然言語処理への展開 (言語過程説の探求 第三巻』(2017/9/15:宮崎 正弘、 白井 諭)他を参照下さい。■



なお、認知言語学は個別の感性的な科学的認知を取り上げたもので、概念認識という言語表現の本質を捉えたものではなく、自然科学と科学を混同したソシュールパラダイム下の形式主義、機能主義的な言語論の一変種に過ぎません。

これを、言語過程説に引き寄せ理解しようとする傾向が見られますが、我田引水の誤りです。■

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